1965年10月にロンドンで開催された≪南アフリカ政治犯救援国際美術展≫を前に、野間寛二郎さん、五味川純平さん、上原淳道さんとともに、父はアパルトヘイトに苦しむ南アの人々を支援しようと作品のカンパを呼びかけました。
毎日新聞本社編集委員の城島徹さん(元アフリカ特派員ヨハネスブルグ支局長)は、「南アフリカを知るための60章」(2010年明石書店刊)に寄せた文章“反アパルトヘイト運動を支えた出版人”の中で、このことについて次のように書かれています。(前略)
この呼びかけに応えたのは、「原爆の図」で知られる丸木位里・俊夫妻や、児童書の絵でおなじみの田島征三、長新太ら新進画家たちだった。当時、南アではネルソン・マンデラら「政治犯」が続々と投獄されていたが、経済で南ア白人政府と実益的な関係にある日本企業は「名誉白人」の立場で人種差別に乗じて甘い汁を吸い続けただけに、そうした流れに抗う表現者たちの強固な正義感と良心がうかがえる。 (後略)
1950年代から70年代にかけて、父は、アフリカ関係の書物を多く出版しています。
60年代前半、高校生だった私は、父が届けてくれるこれらの本を読み、少しずつ、アフリカを知ることができました。
題名に魅かれて読んだコンゴのルムンバ首相の「息子よ、未来は美しい」。
“人種隔離”(アパルトヘイト)ということばをはじめて知り、衝撃を受けた「南アフリカ117日獄中記」。
当時の私の心の中に、何かが植えつけられたと思っています。
荒井 きぬ枝
「アフリカを学ぶ雑誌/a」 (1970年理論社刊)
創刊のことば 小宮山 量平
(前略)
残忍なアパルトヘイトひとつをとりあげてみても、目にみえぬ壮大なゲリラ戦線の展開をとりあげてみても、今日のアフリカの問題は、私たちの「知識の欠落」よりも、「志向の欠落」をこそ、痛烈に反省させる状況でありましょう。もしも、思想の創造性を語るのならば、そのための原点にこそ立脚したまえ。もしも、世界革命に連帯するのならば、足許の挫折に打ちひしがれるよりは、既に燃えさかっている現実の展開にこそ瞠目したまえ。……アフリカは、このように語ることによって、地上の辺境ではなく、いま、思想・文化の中軸に位置しているのです。私たちの雑誌は、このような創造と連帯につらなるべき時点で、ともあれ、ささやかな一歩を踏みだすものです。
寄贈された作品の前で、五味川純平さんと父(1965年)
創刊号