毎日新聞の記者鈴木琢磨さんと神保町を歩きながら語った父の言葉は、2010年10月28日付夕刊の「ザ・特集」に、“「理論社」の灯はどこへ”という題で掲載されています。 (前略)
「戦争と人間」(五味川純平著)は、絶版になって久しい。読もうにも読めない。
「あの15年戦争と呼ばれる満州事変から、太平洋戦争にいたる長期戦争のすべてが俯瞰できる。どんな昭和史の評論も、碩学の研究もかなわないよ。リアルで、迫力があって。一気に読める。出版社が売れないからと尻込みするなら、僕が出すしかないなあ。大きな倉庫に本を保管し、注文を受け、読みたい人がいればいつでも届ける。食堂みたいな出版社だね。笑われるかもしれませんが、出版人はそこまで立ち戻らなければいけないでしょう」 (後略)
“今出すべき本を出す”───。
父はそのことを貫いてきた編集者であったと思っています。
『チャップリンー笑いと涙の芸術家』の再版は、単に著者としての夢ではなく、“出すべき”と見極めた編集者としての決断であったのかもしれません。
チャップリンの映画、「独裁者」について記した部分を読み返しました。
“気に入らなければ排除する”・・・・・、世界中がいつの間にかその方向に流されている情況の中で、子ども達に語りかけた父の言葉、そしてチャップリンの言葉が胸を打ちます。2016.9.14 荒井きぬ枝
チャップリンー笑いと涙の芸術家
(前略)
1940年の秋に公開された『独裁者』は、独裁王ヒトラーとムソリーニにたいする喜劇の王様チャーリー・チャップリンの、笑いの武器による挑戦でした。
(中略)
しかしチャップリンが『独裁者』をつくったころには、どちらかといえば、政府もヒトラーよりかれの方をけむたがっていたいたような時代であり、したがって、かれは、一人で汗をかきながら、笑いの鍬をうちふっていたのです。
「人間を忘れるな、愛を忘れるな!」と、その鍬のひとふりごとに、世界の民衆のやさしいこころの畑にむかって、ささやきかけていたチャーリーの、このころの孤独なたたかいの淋しさと雄々しさは、人類の忘れがたい記念となることでしょう。
(中略)
映画のさいごには、このチャーリーが世界によびかける大演説が流れでてきます。ヒンケル(注)−映画のなかでヒトラーとおぼしき人物−の大演説とくらべて、それは、なんと人びとの人間らしいこころに食いいる演説だったことでしょう。
「・・・・・・わたしたちは、おたがいに助けあいましょう。人間とは、そういうものです。わたしたちは、他人の不幸によって生きるのではなく、他人の幸福によって生きようと思っているのです。おたがいは、憎んだりさげすんだりしたくはないのです。世界はひろく、大地はゆたかで、すべての人に糧をあたえます。・・・・・・ところが、貪欲が人びとの魂をけがし、世界に憎しみのとりでをきずきました。
それは兵隊の歩調をとりながら、わたしたちを、みじめさとたたかいとに追い込んだのです。わたしたちはスピードをつくりましたが、自らそのとりことなりました。富をあたえるはずの機械は、かえってわたしたちを貧乏にしています。・・・・・・わたしたちは、機械よりも人間性を必要としています。
知恵よりも、親切ややさしさを必要としています。それらを失えば、人生は暴力が支配し、すべては失われるでしょう。
・・・・・だが、わたしは声のとどくかぎりの皆さんに申します。けっして絶望してはいけません。いまわたしたちのうえにある苦しみは、貪欲の一時的なしわざであり、人類の進歩をおそれる連中の憎しみが生みだしたものです。
人間の憎しみは亡び、やがて独裁者たちは地上から姿を消し、かれらが民衆からうばいとった権力は、ふたたび民衆の手にもどるでしょう。
人間であるかぎり、どんな独裁者でも死んでしまいますが、自由はけっして死にません。・・・・・・
・・・・・・さあ、わたしたちはたたかおうではありませんか。世界を自由にし、科学と進歩とが、あらゆる人の幸福に役立つような世界のために。さあ、たたかおうではありませんか!」
このやさしい声は、人びとの胸に、ふかくしみわたりました。この映画でチャップリンは、たんにヒトラーやムッソリーニをやっつけただけではありません。ひょっとすると、あらゆる人びとのこころに住んでいる貪欲や憎悪をとりだして見せたのです。
かれじしん、かってはナポレオンにあこがれる少年であり、ユダヤ人を憎む青年でした。
かれは、いちどはナポレオン映画をつくりたいと思っていた自分の情熱が、いま『独裁者』をつくるところまで歩んできたことに、ふかい感慨をおぼえたものです。チャップリンはまた、この映画で自らユダヤ人となって、迫害とたたかう役を演じながら、こころの底から、あらゆる人びとが、まず「人間」として眼ざめることの尊さを、身にしみてうったえずにはいられなかったのです。かれは、自分のこころのたどってきたあとをふりかえり、自分の告白として語るとき、真実は、はじめて人のこころをうつことを知っていたのです。 (後略)

映画「独裁者」(1940年)より
チャップリン関係の資料(エディターズミュージアムに展示)