エディターズ・ミュージアム「小宮山量平の編集室」での日々のできごとをお伝えするページ。
2022/4/20
昨日本棚から取り出した一冊の本。
『戦争のつくりかた』(文・りぼんぷろじぇくと 2004年マガジンハウス刊)。
これまで何度か読み返してはいたのだけれど、今、あらためてそこに書かれているものが胸にせまってきます。
「戦争」の悲惨さを目の当たりにして、日本の若者たちも“戦争反対” の声をあげています。
子どもたちだって、平和であることを祈っていると思います。
戦争にならないために、平和であるために、私たちは何を注視しなければいけないか──。
この本はそのことをわかりやすく伝えようとしています。 この絵本ができるまで
平和な社会をつくろうと日本各地や海外でさまざまな活動をしている人たちと、有事法案を読みこむ勉強会を続けてきた人たちがつながって、2004年4月末、有事法案をわかりやすく解説し、「成立を止めよう」とよびかけるネットワークをつくりました。
衆議院で有事7法案と関連3条約が審議されているさなかのことでした。
メーリングリスト内で話し合いを重ね、ちらしや解説を載せたウエブサイトを準備する日々のなかで、5月3日の午後、ひとりの人の頭に突然浮かんだもの。
それが、この絵本です。まるでどこからか絵本が「降ってきた」ようでした。
その後、弁護士を含む20数名のメンバーが一日100通を超えるメールをやりとりし、一字一句確かめあって2週間。いまの本文ができあがりました。
(りぼんぷろじぇくと) 『戦争のつくりかた』
あなたは戦争がどういうものか、知っていますか? おじいさんやおばあさんから、 むかしのことを聞いたことが あるかもしれません。 学校の先生が、戦争の話を してくれたかもしれません。 話に聞いたことはなくても、 テレビで、戦争している国を見たことなら、 あるでしょう。 わたしたちの国は、60年ちかくまえに、 「戦争しない」と決めました。 だからあなたは、戦争のために なにかをしたことがありません。 でも、国のしくみやきまりをすこしずつ変えていけば、 戦争しないと決めた国も、戦争できる国になります。 そのあいだには、 たとえば、こんなことがおこります。 わたしたちの国を守るだけだった自衛隊が、 武器を持ってよその国にでかけるようになります。 世界の平和を守るため、 戦争で困っている人びとを助けるため、と言って。 せめられそうだと思ったら、先にこっちからせめる。 とも言うようになります。 (中略) 政府が、 戦争するとか、戦争するかもしれない、と決めると、 テレビやラジオや新聞は、 政府が発表したとおりのことを言うようになります。 政府につごうわるいことは言わない。 というきまりも作ります。 みんなで、ふだんから 戦争のときのための練習をします。 なんかへんだな、と思っても 「どうして?」と聞けません。 聞けるような感じじゃありません。 (中略) 町のあちこちに、カメラがつけられます。 いい国民ではない人を見つけるために。 わたしたちも、おたがいを見張ります。 いい国民ではない人がまわりにいないかと。 だれかのことを、 いい国民ではない人かも、と思ったら、 おまわりさんに知らせます。 おまわりさんは、 いい国民ではないかもしれない人を つかまえます。 (中略) 戦争には、お金がたくさんかかります。 そこで政府は、税金をふやしたり、 わたしたちのくらしのために、 使うはずのお金をへらしたり、 わたしたちからも借りたりして、 お金を集めます。 みかたの国が戦争するときには、 お金をあげたりもします。 わたしたちの国の「憲法」は、 「戦争しない」と決めています。 「憲法」は、 政府がやるべきことと、 やってはいけないことを わたしたちが決めた、 国のおおもとのきまりです。 戦争したい人たちには、つごうのわるいきまりです。 そこで、 「わたしたちの国は、戦争に参加できる」と 「憲法」を書きかえます。 さあ、これで、わたしたちの国は、 戦争できる国になりました。 政府が戦争すると決めたら、 あなたは、国のために命を捨てることができます。 政府が「これは国際貢献だ」と言えば、 あなたは、そのために命を捨てることができます。 戦争で人を殺すこともできます。 おとうさんやおかあさんや、 学校の友だちや先生や、近所の人たちが、 戦争のために死んでも、悲しむことはありません。 政府はほめてくれます。 国や「国際貢献」のために、いいことをしたのですから。 人のいのちが世の中で一番たいせつだと、 今までおそわってきたのは間違いになりました。 一番たいせつなのは、「国」になったのです。 もしあなたが、「そんなのいやだ」と思ったら、 お願いがあります。 ここに書いてあることが ひとつでもおこっていると気づいたら、 おとなたちに、 「たいへんだよ、なんとかしようよ」と、 言ってください。 おとなは「いそがしい」と言って、 こういうことになかなか気づこうとしませんから。 わたしたちは、未来をつくりだすことができます。 戦争しない方法を、えらびとることも。 “一番たいせつなのは、「国」になったのです” この一行は赤い字で書かれていました。
「よみがえる国家悪」と題した父の文章が遺っています。 (『昭和時代落穂拾い』より) 大熊信行氏といえば当時最も高名な経済学者であったが、『まるめろ』という歌誌を主宰する歌人であり、第一級の映画批評家でもあった。そのような文化人でさえもが、戦局の深まるのにつれて執筆の自由を失い、『中央公論』だの『改造』だの代表的な月刊誌の廃刊と運命を共にせざるを得なかった。
そして戦後に沈思し、自分を責めてのあげく、学者として到達したのが『国家悪』なのであった。
どうやら国家というものは、優しい心や、温もりのある語りかけなんてものを容赦なく除去してしまう。勇ましく声高な演説口調の中でも、耳触りの快いものを積み重ねて、そんな仲間うちの合言葉だけの通用する世界を作り上げる。シャイな心なんてものが先ず無用となり、恥知らぬともがらの寄り合い所帯となる。 (後略) 次のページには、
「地獄の黙示録以上」と題した文章が───。 (前略)
戦後もずいぶんと経ってから、コッポラ監督の大作『地獄の黙示録』を見たとき、私はまざまざと戦争中の竹槍訓練を想い出した。
(中略)
国家を信じ、国家を愛している者がいつしか自分自身という人間の誇りをかなぐり捨てている姿。私はそのとき、それを見た。まだ大熊氏の言う「国家悪」という言葉は知らなかったのだけれど、今にして思えば、私の胸を横ぎった寒ざむとした悪感こそは、まぎれもない「国家悪」ではなかったか。戦争もいよいよ末期ともなると、たしかに人は飢えた。人は疑心にも囚われた。エゴイストぶりも深まった。が、何よりも人間としての誇りそのものをかなぐり捨てるに至るのが無残だった。
この体験が「国家悪」と呼ばれるものである。いざとなれば国家などというものは、そこまで人間を非人間化するのだ。それを体験させられた者たちの心身には、この国家悪体験が暗然と潜在し続けている。あたかも母斑のように、次の世代にまでも伝播する。
そんな日々が戦中から戦後へとつづいた。 この文章には父の添え書きがありました。 戦争という時間が過ぎ去っても、それが人間に与えた狂気のようなおののきは、長く消え去ることはなかった。 ロシアの国家悪が頭をよぎります。
今、私たちは「戦争」という“狂気”をまざまざと見せつけられています。
日本という国が決して“狂気”へ向かわないように、そして今ある“狂気”が一刻も早く静まりますように・・・・・。
ただ、ただ、祈っています。2022.4.20 荒井 きぬ枝
投稿者: エディターズミュージアム
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