時計をはずして 朝日新聞 2010.7.7. 掲載
W杯観戦南アの「歴史」重ね 小宮山 量平 (作家ー上田市在住)
6月の初め、サッカーW杯大会の開幕が近づくのにつれ、何人かの新聞記者の訪問を受けました。改めて、南アフリカ共和国に関する予備知識などを得ておきたいとのことだったようです。また、それに併せて、日本代表チームに対する予想の片言でも聞き出したいといった思いもひそめていたようです。
ところが、肝心の私は格別にサッカー通でもなく、かって政治犯救援のための国際美術展に日本の画家たちの作品を募り、救援資金を南アに送る活動に奔走し、この国を高名ならしめた烈しい人種隔離政策(アパルトヘイト)を巡って、アフリカの歴史シリーズや解放指導者たちの著作など、そのころ私が出版し得た数々の旧著を並べ立てるばかりでありました。
その一方、1960年代に至ると、従来の植民地政策に行き詰まった先進諸国の謀略者たちは、最も安上がりで陰惨な「暗殺計画」へと方向を転換し、『息子よ未来は美しい』(発言集)を残したルムンバを斃し、ガーナ建国の父エンクルマを亡き者にしたばかりか、私どもと親しかったアフリカ解放運動最高の指導者・エドゥアルド・モンドラーネをも[不慮の死]で葬り去ったのです.そんな話が昂じるにつれ、今や94歳の老骨の眼が涙でいっぱいとなることに、記者たちはさぞびっくりしたに違いありません。
やがて現地に到着した記者が先ず報じたのは、マンデラ元大統領のひ孫が開幕直前、交通事故に遭って亡くなられたことです。悲しみに打ちひしがれたように、元大統領の開会式登場の場面は実現しませんでした。そして、大会主催国の決勝トーナメント進出も途絶えました。
W杯大会は、アパルトヘイト反対に身も心も捧げてきたマンデラさんの獄中以来の夢でした。今、南アやアフリカが経てきた長い苦悩の歴史を重ねながら、W杯を観戦しています。
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上記朝日新聞掲載記事の参考資料 (エディターズミュージアムに保存してあります)
1,南アフリカ政治犯救援国際美術展への協力のための準備会から協力者に宛てた挨拶状 拝啓
昨秋の南アフリカ政治犯救援国際美術展にさいしましては、貴重な御作品の寄贈をいただき、関係者として心から感謝いたします。
同展覧会につきましての詳報が遅ればせながら届きましたが,それによりますと、30カ国から300点をこす作品が寄せられ、そのため予定のサベジ画廊のほか、キャッセル画廊との二カ所で、10月7日‐27日に開催された模様でございます。出品者のなかには、ヘンリー・ムア、シャガール、ベン・シャーン、ベン・ニコルソン、キタイなどの名もあり、ピカソの作品一点もある画商から提供されたとのべられております。
展覧会につきましては、ガーディアン、ニュー・スティッツマン、オブザーバー、デイリー・ワーカー、デイリー・メイルなどの各紙がとりあげ、フランス・ベルギー、北欧諸国のテレビにも紹介され、開会当日サベジ画廊は満員となり、これは同画廊開設以来はじめてのことだと申しております。
なおつづいて、オランダ、ノールウェイ、スウェーデン、フランスで開かれる予定で、現在はパリでその準備が進められているとのことでございます。
展覧会場での買い上げは4222ポンド5シリングで、必要経費をのぞいた残りは、南アフリカ政治犯救援委員会を通じて、南アフリカに送付されるとのことでございます。
資金をつくるための作品の販売にあたっては、申し入れ価格以下には絶対に下げないことを主催者側はかたく約束しております。
会計の詳細については、さらに知らせると申してきておりますが、主催者は展覧会の成功を心から喜んでおり、私たちとしましても、日本政府が南ア人種差別政府ととの取引で国際的な非難をこうむっている今日、皆様の御厚意によりまして21点の作品をこの展覧会に寄贈できましたことを、嬉しくも誇らしくも感じるしだいでございます。
重ねて皆様のご協力に感謝するとともに、私たちの日本準備会はこれで一応解散させていただきたいと存じます。なお必要の場合には、各個人よりあらためてご連絡もうしあげたいと存じております。
1966年3月
南アフリカ政治犯救援国際美術展への協力のための準備会
上原 淳道 五味川純平 野間 寛二郎 小宮山量平
(神田神保町 理論社内)
2,南アフリカ政治犯救援国際美術展へ協力された画家・作家の方々、並びに承諾書簡
丸木 位里/丸木 俊子
長 新太・・・・・・・・「御婦人」8号位
田島 征三・・・・・・「KISOFUKUSHIMA MIKOSHIMAKURI」「YANAIZU、HADAKAMODE」
佐藤 忠良・・・・・・「腰かける女」(ブロンズ)
吉井 忠・・・・・・・・「姉弟」10号
中神 潔・・・・・・・・「女の像」「二人像」6号
3,南アフリカ政治犯救援国際美術展に協力を承諾された方々への作品制作の依頼状
拝啓
残暑もきびしい折柄,いよいよご清祥の御事と存じあげます。
かねてお願い申し上げました〈南アフリカ政治犯救援国際美術展〉につきまして、その後ロンドンの準備委員会からの連絡も不十分なため、御無音にうちすぎましたことを、お詫び申し上げます。
このたび同美術展を十月二七日よりロンドンのサベイジ・ギャラリーで開催することに
決した旨の緊急の通知がございました。時日も切迫し、たいへんにご無理なお願いとは存じますが、苛酷な人種差別と闘って捕えられている人々のため、また不如意な環境のなかで、その救援にはげんでいる人々のために、ぜひご協力下さるよう重ねてお願い申し上げるしだいでございます。
この種の協力事業に未経験な私たちでございますので、不備な点も多々あるとは存じますが、時間のゆとりもございませんので、とりあえず次のような段取りで進めさせていただければと存じます。
1,九月十五日までに御作品を御完成の上、ご連絡願いたいと存じます。御作品は事務連絡所で、関係者のために短期間展示させていただきました後、ただちに航空便にてロンドンに発送させていただきます。ロンドンの準備委員会は、準備の都合上、九月末までに御作品の到着を希望しております。
2,準備委員会では、カタログ作成のために、左記の件を至急知らせてほしいと申しておりますので、折り返し御返事下さるようお願いいたします。
(1)御姓名(ローマ字)
(2)画題
(3)大きさ
(4)販売価格
(5)その他
御作品の主題につきましては、準備委員会からとくに申し入れもございませんので、必ずしも人種差別問題にかぎる必要はないと存じます。また、申し上げにくいことではございますが、航空運賃その他の関係から、御作品は10号前後の大きさを御基準に願いたく、額縁の調達はロンドンの準備委員会に依頼いたしたく存じますので、必要なご指示をいただければと存じます。私たちの受け取っております通知の範囲内では、ヨーロッパ各地で展覧会を開催の上、御作品を希望者に譲渡して救援資金にあてる模様でございますが、この点もご諒承ねがいたいと存じます。
今後のの経過につきましては、あらためてご連絡申し上げますが、右、とりいそぎお願いまで。
八月二十三日
南アフリカ政治犯救援国際美術展への協力のための準備会
上原 淳道 五味川純平 野間 寛二郎
事務連絡責任者 小宮山量平 (神田神保町 理論社内)
4,理論社が当時発行したアフリカ関係図書
*「アフリカは統一する」エンクルマ著・野間寛次郎訳(新しい人間双書)1964/2
*「自由のための自由」エンクルマ著・野間寛次郎訳(新しい人間双書)1962/9
*「祖国は明日ほほえむ」ルムンバ著・中山毅訳(新しい人間双書)1964/4
*「アフリカ革命=モザンビクの闘争」エドゥアルド・モンドラーネ著.野間寛次郎訳1971/7
*「差別と叛逆の原点、アパルトヘイトの国」野間寛次郎著 1969/5
*「わが苦悩の町2番町通り」ーアパルトヘイト下の魂の記録ーE・ムファーソン著
貫名美隆訳/1965/5
*「南アフリカ117日獄中記」ーアパルトヘイト下の魂の苦悩ー
ルス・ファースト著・野間寛次郎訳/1966/10


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