『命(ぬち)どぅ宝』───。
この1月27日から30日に東京で上演された文化座の芝居です。
招待状をいただいていたのですが、感染拡大の中で、上京が叶いませんでした。
1965年に上演された『向い風』(住井すゑ作)のパンフレットに父は文章を寄せています。
文化座と父とのご縁はその時からでしょうか。
そのご縁を引き継がせてもらっているのです。
2017年の『命どぅ宝』の初演は拝見しました。
1965年に沖縄北部の離島、伊江島から広がった米軍の軍用地接収に抗(あらが)う「島ぐるみ闘争」。
農民側の指導者で、反戦運動に身をささげた阿波根昌鴻と、米軍統治下で那覇市長となり、権力と対峙した瀬長亀次郎を中心に沖縄の人々のたたかいの歴史が描かれています。
初演の舞台のラストシーンは印象的でした。
沖縄の人々に扮した俳優さんたちのまっすぐに前を見つめていたあの表情が忘れられません。
沖縄の人々のたたかいは続いています。
けれど、住民投票の結果に背を向けたままのこの国。
灰谷健次郎さんの文章を今、読み返しています。 人間の輪
自分さえよければよいという考え方は、個人にあってはエゴイストを生み、企業やメディアにそれが生じると、あくどい商業主義と文化の退廃を招き、結果として、人命や自然を破壊する勢力となる。
国家は・・・・・・・?
これがいちばんこわい。戦争の原因は、すべて国家(一部、民族も)のエゴイズムによるものと断定してさしつかえない。いうまでもなく戦争はいのちの抹殺である。
沖縄の環境を守る運動、軍事基地反対運動の根底には、この分析と、思想があることを理解しなくてはならないだろう。
さる五月十七日、周囲十一キロの普天間基地を一万六千人の人々が、互いに手をつなぎ合って囲み、見事に「人間の輪」を成功させた。
その目的は、直接的には普天間基地の無条件返還、米海兵隊の削減などであるが、その心は、みな(世界中の友よ)仲良くして楽しく暮らしましょうという、あらゆるものを包みこむ、いわゆる「沖縄の心」そのものの具現である。
はじめ「人間の鎖」としていたものを「人間の輪」に改めたのも(間に合わず「鎖」とした新聞記事もあった)その心だし、今、新たに海上軍事基地建設案が持ち上がっている、もともと運動に無縁だった名護市辺野古の女性やオジイ、オバアの参加もそうだし、この包囲そのものが多くの子ども、若者のお祭りの観を呈したのも、その表れである。沖縄の新聞に報道された写真を見ても、人びとの笑顔が咲き乱れていた。
「人間の輪」は、三度結ばれ、その合間には歌と踊りがあり、有意義に終了した。
有意義にしようとしなかったのは日本政府である。翌々日の『琉球新報』によると、政府高官の分析として「予想より参加者が少なかった。沖縄県民は普天間の返還問題を冷静に見ている。現実的対応が必要だという意志の表れではないか」とあった。
そして次に、こうある。
(包囲行動について)那覇防衛施設局が現地情報を橋本龍太郎首相ら官邸サイド、防衛庁首脳まで報告。それによると警察情報として、一回目の包囲行動に六千三百人、二回目に八千人、三回目に九千人が参加し、人の輪は「三回ともつながらなかった」と分析している。
(中略)
基地従業員が組織的に参加しなかったことを、鬼の首でもとったようにいうが、個人で二百人も参加した事実はどう考えるのだろうか。こんなひどい報告をする方もする方だが、これを受けて政治上の判断をする政府要人の存在を思うと、ぞっとするのはわたしだけではあるまい。
くり返すが、沖縄の基地の問題は、直接、いのちと、国の倫理の問題なのである。
沖縄の人は沖縄のためにだけ行動しているのではない。
(『アメリカ嫌い』−いのちまんだら2(1999年朝日新聞社刊 より)
『命どぅ宝』。
「命が何より大事」と言い続けていた父の言葉と重なります。
2005年の春、辺野古で市民運動をしている人たちへの灰谷さんからのメッセージです。 「命どぅ宝」という言葉は、
いのちを育み、
慈しむ心であることはもちろんですが、
いのちを遠ざけ、傷つけるものに対しては、
激しい怒りと行動を伴う「愛」であることを
一人一人の胸に刻みつけたい。
依って、この言葉は、
世界の言葉であります。 『太陽の子』(1976年理論社刊)をもう一度読もう───、
私は今、そう思っています。2022.2.2 荒井 きぬ枝

原稿用紙に記された自筆のメッセージ。
画家の坪谷令子さんが、コピーを送ってくださいました。