晩学会とは?(紹介)
『遅きに至り、遅きに為し、遅きに祝う』
この言葉は、ドイツの作家ゴットフリート・ベンの著作にある言葉で、寺岡寛教授は『ひとは働き、そして老いる。』だが、そこには青年期とは異なり、完成された成熟したなにかがある。これは高齢者市場というビジネス感覚に矮小されて解釈されてはならない。遅きに至り、遅きにビジネスを為し、遅きに本当の豊かな成功を祝う。この精神的な成熟さがこれからの社会において大事なビジネス感覚である。」(寺岡寛著『スモールビジネスの経営学-もうひとつのマネジメント論』信山社2003年)と述べている。
大学でゼミを履修する人が減っているという。卒業論文を書きたくないとか、大学に入学するのが当たり前になり、レジャーランドと化しており、お金を払うのは学生側であるから、何をしてもよいという意識があるのだろう。ところが、ゼミが如何に自分の修練に役立つかということがなかなか知られていないようである。勿論、ゼミの担当教授の意識改革も必要であることは言うまでもないが。
そこで学部の寺岡ゼミでは学生が自主的に運営することにより、マネジメントを学ぶことになる。今までに、会社見学は無論、ある会社の経営コンサルティングを学生が行っている。これは、ただ学生をなんとなくしているだけではまず経験することがないだろう。自分自身学部にいたときは、テキストを輪読するだけで、ゼミってこんなにつまらないもの?と感じた。
大学院に入り、学部の寺岡ゼミナールに参加することによってゼミってこんなにおもしろいものかと考えが変わった。それだけに、この寺岡ゼミナールは自分の人生に影響をあたえるものとなった。
さて、このような寺岡ゼミであるが、このゼミのよさを学部生だけに独り占めするのは勿体無いことである。私も多くのゼミ生が目に見えて成長していくのを目の当たりにしている。始めるのに遅いということはない。またすぐに結果はついてこないだろう。だからといって諦めて何もしない、これは大いに問題であると思う。
いくつになっても、閉じこもらず仲間と大いに議論し、またそれを成長させていく。これが『遅きに至り、遅きに為し、遅きに祝う』に通ずるのではないだろうか。
そこで生まれたのがこの寺岡ゼミナール晩学会である。寺岡寛教授と、大学院の寺岡ゼミを履修した学生3名の4人で2001年組織された。
今日、スピードばかりが要求され、遅いという言葉は許されないかもしれない。しかし、たとえ遅くとも心から成功を祝うことのできるこの晩学会に入会してみてはいかがだろう。
晩学会会員 岡田欣輝
*12月04日(日) 晩学会主宰ミニミニシンポジウム(予定)
テーマ:「下流社会を考える」
場所:中京大学近くの飲み屋
基調講演 今岡晩学会会員

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