〈もんじゅ君のエネルギーさんぽ〉島で30年つづくデモ(朝日新聞)
■政治とのかかわりはこれからも
こんにちは。みんな、選挙はいったかな? 自民党さんがあまりにも圧勝して、ちょっとびっくりしちゃったね。
ボクたち原子炉はこわくてもうおしごとしたくないから、何十年間も原発を推進してきた自民党さんが政権をとったことに、すこしハラハラしているの。いっしょに組んでいる公明党さんと歩み寄って「原発依存度をだんだんと下げていく」ことを政策にしたみたいだけれど、どんな感じになるんだろう? 政治とのかかわりというのは選挙だけでおしまいじゃないから、これからもどんな政策や法律が決められていくのか、きちんとウオッチしていかなくちゃね。
■ちいさな島からおおきな動き
きょうは、山口県のおはなし。
祝島(いわいしま)という島の名前をきいたことがあるかな? 周囲がたった12キロ、人口も500人ほどのちいさな島だけれど、むかしからの暮らしを大切にしていて、有機農法などで町おこしをしていることで知られているの。
この祝島は上関町という町の一部なんだけれど、上関町には中国電力さんによる上関原発の建設計画があるのね。はじめに計画がもちあがったのは1982年のこと。それから30年もたつけれど、まだ建設予定地にはなにも建っていないばかりか、海の埋め立て免許も事実上失効しているといわれているんだ(失効したことを県がまだ正式にはみとめていない状態)。
■交付金より、海や農業を守りたい
上関町じたいは「原発を誘致しよう」と考えたけれど、祝島では「原発が建てば自然がよごされてしまう。そしたら農業や漁業をまもれない」と考える人が多くて、30年ちかくずっと反対をしてきたんだよ。その反対の意思のあらわし方というのは、どんなものだったと思う? それは、とてもシンプルなデモなの。
デモというのは福島第一原発の事故が起きていまではずいぶんとイメージも変わったし、「いったことあるよ」「テレビや新聞でみたよ」という人も多いんじゃないかな。首相官邸前の抗議はおおきなニュースにもなったし、そんなふうに町に出て抗議やお願いの気持ちをしめすことも、以前にくらべたらずいぶんふつうのことになったよね。だけど原発事故のまえまでは、デモというと「自分とは関係ないもの」「ちょっと特殊なもの」というイメージがあったんじゃないかな。
■毎週、島の女性たちがおさんぽのようにデモをする
祝島のデモは、原発に反対する女性たちが中心となって自然発生的にはじまり、毎週おこなわれてきたの。その数はなんと、これまでに1100回を超えているんだよ。月曜日の夕方になると、島のあちこちから参加者があつまって「原発反対」「きれいなふるさとを守ろう」と声を出しながら歩くの。雨の日も、風の日も、ずっとつづいてきた、ちいさなデモ。これだけはゆずれないという自分の考えを、ちゃんと伝わるまで平和的にうったえつづける――すごくあたりまえだけどとても難しいことが、ここには実現しているんじゃないかなって思うよ。
■脱原発は、三歩すすんで二歩さがる
ボクもそうだけれど、福島第一原発事故を目のあたりにして、すごくリアルに、そしてじぶんのこととして原子力のおそろしさを感じて、「原発、やめなくちゃ」って思った人は多いと思うのね。
そして1年と9か月がすぎて、そのあいだにニュースをみたり、勉強したり、家族や友達と話しあったり、デモにいったり、電力会社にご意見したり、パブリックコメントを出したり、選挙にいったり……、とみんなそれぞれに過ごしてきたと思うの。で、そろそろつかれちゃったり、「なんで脱原発って思ってる人が多いのに、なかなか進まないんだろう?」「また原発が再稼働したらいやだな……」ってちょっとむなしくなってきたりしている人もいるんじゃないのかな、ってちょっと心配してます。
そんな気持ちになったとき、ボクは祝島の1000回以上つづくデモのことを思い出すようにしているの。1回ずつはどんな意味があるのかわからないかもしれない。だけどいろんな動きがあわさって、たしかに現実を変えていくんじゃないのかな。脱原発は3歩すすんで2歩さがる、くらいでしか前進しないかも。だけど、3歩すすんで2歩さがったときの「さしひき1歩」を積み重ねて、社会は変わっていくような気がするよ。

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