学外疑塾1周年にむけての塾頭メッセージ(その1)
生涯教育について
フィンランドで生涯教育の大切さにふれたのが1991年3月14日。湾岸戦争がこのすこしの前の1月17日でしたか?ヨーロッパ便がテロの恐怖のためか、参戦国であるフランス航空が関空からは大幅間引き。日本からの欧州向け環境客が極端にまで落ち込んだときです。わたしは成田からフィンランド航空を利用したことを記憶します。フィンランドが中立を守ったためにフィンランド航空便にはそこそこの客がいたように記憶します。といっても、もちろん満員とは程遠かったですが。
着いたフィンランドヘルシンキのバンタ空港はいまの立派さからすれば国際空港とは名ばかりのローカル空港のようでした。温度はマイナス10度の寒さを記憶しています(市内の温度表示があったので)。その後もこの地を訪れていますが、生涯教育の大切さに気づかされたのが1990年代後半ではなかったのかと思います。もちろん、それは塾頭がこうした教育を自分自身の社会人体験から追い求めていたからでしょうが。
生涯教育を受けたことのない塾頭が、ユベスキュレ大学・高等生涯教育院のMBAスクールでいきなり教える立場となりました。大学や大学院とは無縁のわたしを大抜擢してくれたケツネン教授は、いまだわたしが目指す理想的な教育者であり、卓越した研究者であります。今年の9月にはケツネン教授のお宅に久しぶりにお邪魔しました。わたしの手紙や送った写真を完璧に整理してくれていて恐縮しました。
その後も、フィンランドは企業調査や産業調査で何度も訪れることになりました。フィンランド政府の2015年プログラムをフィンランド大使館勤務の知人からの添付ファイルで教えてもらったのがたしかに2000年夏でしたか。フィンランド政府の2015年までに国のリーダーを数十人ばから育てる国家プロジェクトを、個人の度量でやってみようと考えたのが、2002年ぐらいにツルク市を訪れたあたりだったでしょうか。これは一つの啓示みたいといえば、余りにも神秘的すぎるでしょうか。この地で2010年ごろにサマースクール「学外疑塾」構想を得ました(名称はツルクセミナーを当時は考えていました。場所もいいところが見つかりました)。
このプロジェクトは、当時、私の頭の中ではモヤモヤというかたちでした。これを形式知にしようとして、5年ほどの時が経過しておりました。この前にドイツの大学で集中講義を担当して、このドイツの大学に勤めるスイスの友人に誘われて(半ば友人ゆえに半強制的に)、ウェブ大学を作るの手伝ったことがいい経験となりました。このインターネット時代の可能性にも気づきました。
2005年1月21日、フィンランドが国家プロジェクトなら、こちらは究極の個人の勝手な個人プロジェクトとして学外疑塾が開塾。おカネがいやというほどあれば、学外疑塾教育財団となるところです。ただし、目ざとく、許認可をちらつかせて、黒塗りの車と年収1千万円以上を要求する文部官僚がめざとく天下り先として天から来るかもしれません。日本におけるこの役人のいやらしさはなんともなりません。開塾して、早くとも1年程が経過しております。
来年は4月から「普通の国」フィンランドのツルク商科大学でオフィスを借りて、フィンランドの生涯教育、ビジネス教育をじっくり半年ほど体験しようと考えています。

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