※最初から2005年7月30日まではHNのりの『私の闘病日記』です。以後は男やもめになったHNロケットサラダです。
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2007/4/21  1:18

動かないモノ、変わらない気持ち  ロケットサラダの日記
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今日は父が親戚の人の葬式に遠方まで出かけていて、家には私一人だった。尿意を催し、一階に降りた時、いつも父が居る居間を覗いてみたら、テーブルの上はきちんと整理され、メガネと昔私が買ってあげた電子辞書が並んで置いてあった。

新聞や各種書類みたいなものもきちんと積んで置かれていた。それを見てなんだか寂しくなった。父が逝ってしまった様な・・・。そして、いずれその時が来るんだろうなと想像してしまった。

私は妻を失った時に経験しているから分るが、死んでしまったら、例えばそこに置いてあったメガネは自分が動かさない限りずっとその位置にあるのだ。ありとあらゆるものがそうなのだ。それがどれほど辛いものか思い出した。

妻は死ぬ前に状態が悪く、数週間入院していた。その時私は病院とアパートを毎日往復していたが、アパートに帰ると部屋の中の色々なものの配置は妻が入院する前のままの場所に置かれたままで、ただ妻だけが居ない。

病院には妻は居るのだが、この状況だけでも圧倒的な寂寥感で辛かった。退院した時の為に酸素吸入機も手配して部屋に設置した。そんな中で日々を送っていたのだが、妻がアパートに帰る日は永遠に来なくなった。

これは本当に辛く、言葉では言い尽くせない。もう一度、あのボロアパートに帰って来て欲しかった。再びあの場所へ帰って来れなかった事も死んだという事とは別にしても、悲痛なもので、随分長い間私はその呪縛から逃れる事が出来なかった。

最終的には民間救急車で妻のお姉さん宅に10時間かけて移動し、着いてから一週間後には帰らぬ人となった。入院してからその間、妻の状態は日に日に悪くなり、どんどん遠い所に引き寄せられて行った。最期に息を引き取った瞬間・・・・ 私の希望は絶たれた。

入院してからついぞ二人の平安な時間は戻って来なかった。

私は妻が死ぬなんて事は全く想像だにせず、前しか見てなかったから、もちろん心の準備などはしていなかった。死んで別れるなんて事を考えたくなかったのだ。

気丈な妻だったが、聡い人だったので、死の直前にはこうなってしまってはもう駄目だと悟ったと思う。

妻はもう存在しない。そして私の中で、物は動かされないままになってしまった。アパートの最後は一人ぼっちの空間のままだ。もう会える事は二度とない。変わらないのは会いたい気持ちだけ。

父はまだ生きてるので、ちゃんと働いて安心してもらおうと思っている。いつまでも死なないでね、父さん。
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