Depressed human input and output.
HN:ロケットサラダ
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※最初から2005年7月30日まではHNのりの『私の闘病日記』です。
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2004/12/16  12:46

死を受け入れる。  死について
私が再発して、特に医療従事者(若い人に多いな)から感じることなんだけど、死を受け入れるように促されているように感じることがあるんだ。自分の絶望的な未来について、冷静に動揺することなく受け入れろっていうのか、悟れっていうことなのかわからないけど、そういう風に感じるときがある。
具合悪くて、たんにうつ傾向がでて疑心暗鬼になってるときなのかもしれないけどね。

「死の受容」なんて言葉も流行ったときがあるね。私も死は受け入れる必要があるものなのだろうかと随分考えた。取り乱してみっともなくしないようにとか。ここまで生きてきて、私は年中取り乱してるし、泣いたり、当り散らしたりさんざんだ。

癌の再発というのが不治の病とされているので、今まだこうして生きているのに、死ぬことばかり考えなくちゃいけない。それは死の恐怖から逃れるためだろうか?病気の苦しみから逃れるためだろうか?

そう、私はこんな思い通りにならない身体を抱えて、治療の苦しさを一生抱えて生きていかねばならないと考えただけで、それは死ぬより辛いことだったかもしれない。そして、いくら頑張ってもよくなる見込みなんて限りなく0に近いと思えば、そこには絶望しか湧いてこない。
現代医療の限界、予測が私を絶望へと駆り立てる。

でも、結局私の今の答えは悟らなくてもいいんじゃないかって思う。交通事故で死んでしまうように、いつか死んでしまうものだし。100歳で死んでもきっと思い残すものはあるかもしれない。人生の終わりはいつも旅の途中でいい気がする。生きることに向かってそのまま生きて死んでいく。それで十分な気がするんだ。誰でもきっと死のその瞬間まで懸命に生きているのだと思えるし。

前にも書いたけど私に死の準備はいらない。常に生に向かって生きてそして、いつか死んでいく。死を考えることは、私にとって死のうと思うことではなく生きようと思うことだった。そして、死を受け入れるとは生きる苦しさを受け入れることだった。
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