2004/7/16  16:21

夏休みに、子供に会いに行く計画を立てていた。
春休みは、子供がこっちまで来てくれる。夏と冬は私が会いに行っている。

道のりは電車を乗り継いで片道7時間。遠い、本当に遠い。

離婚の時、父親と暮らす選択をしたのは子供である。私もそのことに賛成した。いや、そうしたほうが良いと勧めた。その頃、わずかな貯金と傷病手当て金で暮らす私に、子供を養う力はなかったからである。松葉杖でしか動けない、家事も自分の世話が精一杯。そんな状況であった。それでも離婚した私は、子供に対して申し訳ない気持ちで一杯である。
父親と母親が苦しみを共に乗り越えて暮らす暖かい家庭を子供に与えることが出来なかった。

「本当にごめんね」

でも、私は生きていく。いつかは死ぬけど、死ぬまで生きていく。傍にいることが出来なくなったけど、母親であることは忘れない、忘れることは出来ない。母親でいさせてほしい。

先日、電話で「今回は会いに行けないかもしれない」と伝えた。
私は今回の治療で出来るだけ癌を叩きたいと思ってる。それに集中しようと思う。子供に会いたい、とても会いたい。

でも、私が今、やるべきことは治療だ。

「お母さん、僕は大丈夫」と言っていた。ありがとうね。
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