2005/3/17 16:06
生命力2。 生命力
今日も動悸や息切れは続いているが、朝からなんとか動けている。朝食を作り、買い物に行き、お昼には分け葱のヌタを作って食べた。しかし、心臓が左ではなく右に付いているような感じがする。肝臓が拍動を伴うような痛みがある。
と同時に不眠が酷くなってきた。しんどいのにも関わらず短時間で目が覚めてしまう。仕方ないので、眠れないまでも横になってる時間だけでも確保しようと思う。
こういう痛みを繰り返しているわけだが、この症状は長く続いていて、私にはある種の慣れを感じてる。闘病全体にもそういう感じを覚えるときがある。
慣れるというのは、私が考えるところでは、そのことをより理解できより知ることだなと思う。知ることによって先の予測が出来、予測できることによって考えることが出来るのだ。先が見えない恐怖に囚われることなく。
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と同時に不眠が酷くなってきた。しんどいのにも関わらず短時間で目が覚めてしまう。仕方ないので、眠れないまでも横になってる時間だけでも確保しようと思う。
こういう痛みを繰り返しているわけだが、この症状は長く続いていて、私にはある種の慣れを感じてる。闘病全体にもそういう感じを覚えるときがある。
慣れるというのは、私が考えるところでは、そのことをより理解できより知ることだなと思う。知ることによって先の予測が出来、予測できることによって考えることが出来るのだ。先が見えない恐怖に囚われることなく。

2005/3/2 14:49
生命力。 生命力
昨夜は痛みも少なく、よく眠れた。熱が身体の芯に篭っているような感じがするが、感染ではなく、無菌性の炎症だろうと思う。
私は時々、雪山遭難者のことを考えたりする。遭難者は時として雪の中で衣服を脱ぎ自ら雪に埋もれるように亡くなっているようだ。遭難による孤独と寒さ飢え、絶望、色んなものがその人を襲い、身体の感覚を失わせ、思考を停止させてしまうのだろう。(暑さ、寒さの感覚も後天的なものらしいので、思考が停止するとその感覚でさえ感じなくなるだろう)。
そういう究極の状態でなくても、私たちはよく感覚の喪失を日常の中で体験してると思う。
(つづく)
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私は時々、雪山遭難者のことを考えたりする。遭難者は時として雪の中で衣服を脱ぎ自ら雪に埋もれるように亡くなっているようだ。遭難による孤独と寒さ飢え、絶望、色んなものがその人を襲い、身体の感覚を失わせ、思考を停止させてしまうのだろう。(暑さ、寒さの感覚も後天的なものらしいので、思考が停止するとその感覚でさえ感じなくなるだろう)。
そういう究極の状態でなくても、私たちはよく感覚の喪失を日常の中で体験してると思う。
(つづく)
