2009/6/22

沖縄縣民カク戰ヘリ  画像歌

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写真引用  島田 叡氏
記事wikipedia

縣民ハカク戰ヘリト打電セリ死ヲ覺悟シテ赴ケル我

 明日が沖縄戦終了の日といふことで現地は祈りにつつまれることだらうかと思ひつつ、本日の一連に取上げました。殉職された島田知事のこと思ひ起こして写真を検索して得ましたので、不束ながら文字乗せして配信します。写真の引用元は野球部OB会のもののやうです。文武両道の「生まれ持ったキャプテン」
かかる人材をあの戦争でどれほど日本は失つたことかとあらためて思ひ、昨今の指導層のていたらくを思ひ併せてうたた暗然。合掌。


島田 叡(しまだ あきら、1901年(明治34年)12月25日 – 1945年(昭和20年)6月27日?)は、沖縄県最後の官選知事。兵庫県神戸市出身。
中学・高校・大学と、野球に熱中し、
東大時代は神宮球場のスター選手として、また、ラグビー部とも掛け持ちするなど、スポーツマンであった。

東大卒業後、1925年(大正14年)に内務省に入省する。主に警察畑を歩み、大阪府内務部長を務めていた1945年(昭和20年)1月10日、沖縄県知事の打診を受け、即受諾した。各官庁と折衝すると称して東京に頻繁に出張していた前任者の泉守紀[1]には、出張中にも係わらず、香川県知事の辞令が出された。沖縄への米軍上陸は必至と見られていたため、後任者の人選は難航していた。沖縄に米軍が上陸すれば、知事の身にも危険が及ぶため、周囲の者はみな止めたが、島田は「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん。」として、日本刀と青酸カリを懐中に忍ばせながら、死を覚悟して沖縄へ飛んだ。

同年1月31日、島田は赴任するとすぐ、沖縄駐留の第32軍との関係改善に努め、前任者のもとで遅々として進まなかった北部への県民疎開や、食料の分散確保など、喫緊の問題を迅速に処理していった。同年2月下旬には台湾へ飛び、交渉の末、蓬莱米3000石分の確保に成功。翌3月に、蓬莱米は那覇に搬入された[2]。こうした島田の姿勢により、県民は知事に対し、深い信頼の念を抱くようになった。

同年3月に入り空襲が始まると、県庁を首里に移転し、地下壕の中で執務を始めた。以後、沖縄戦戦局の推移に伴い、島田は壕を移転させながら指揮を執った。軍部とは密接な連携を保ちながらも、およそ横柄なところのない人物で、女子職員が洗顔を勧めると「お前が命懸けで汲んできた水で顔が洗えるかい」といい、他の職員と同様、米の研ぎ汁に手拭いを浸して顔を拭っていた。

陸軍守備隊の首里撤退に際して、島田は「南部には多くの住民が避難しており、住民が巻き添えになる。」と反対の意思を示していた。同年5月末の軍団長会議に同席した島田は、撤退の方針を知らされ、「軍が武器弾薬もあり装備も整った首里で玉砕せずに摩文仁に撤退し、住民を道連れにするのは愚策である。」と憤慨。そのとき牛島司令官は、「第32軍の使命は本土作戦を一日たりとも有利に導くことだ。」と説いて会議を締め括ったという[3]。

同年6月9日、島田に同行した県職員・警察官に対し、「どうか命を永らえて欲しい。」と訓示し、県及び警察組織の解散を命じた。同年6月26日、島田は荒井退造警察部長とともに摩文仁(糸満市)の壕を出たきり消息を絶ち、今日まで遺体は発見されていない。
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2009/6/22

沖縄戰  讀史つれづれ

特攻のむなしく揚ぐる水煙狙ひすませし艦のほとりに

黍畑のさなかの庭を人歩む吹き飛ばされし首とも知らず

いきり立ち老婆射殺す袂より榴彈伍長を爆殺せるを

通告後轟音とどろく洞なかに目覺めしはかさなる屍の下か

縣民はかく戰へりと打電せり死を覺悟して赴ける我
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2009/6/20

夏至  日常 時事

明け白む窓に見下ろす單線の驛の向うの波今しづか

遠淺の海の跡地の未來都市のビルの間殊更めいた陸橋

上陸を許されし軍艦島に行きみん暇今年はなきか

土星の輪欠けゐしに心づかぬまま夏至來る部屋で浸かる水風呂

落下しつつ撮られし月面の寫眞いもうとの愛に悶え死ぬ兄
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2009/6/18

深情け  戀さまざま

彼の爲買ひて與へし部屋隅で引き裂く紅痕つきたるシャツを

深情けの檻を脱け出てつなぐ手に探す泊り込み可の求人を

飼はれてるよりはましだと思ひつつ直きに彼火の車だらうが

乘り逃げた車の中で絡み合ひ了へて明日は又どこの郊外

憎しみのこみあげながら早口に告げやるツバメの口座の封鎖を
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2009/6/17

恨みのメール  画像歌


待ち呆けに合つたと思ひ帰る部屋に待つてたのにと恨みのメール

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本日は番外編。

時には自分も恋歌の登場人物にならうかと素見しで登録して居た出会系サイトの女性とアポをとり、雨の降るハチ公前で携帯写真を参考に待つたところが一向あらはれず。隣にやや太めで肌浅黒い人見知りげな娘さんがアプリケを沢山提げた緑の携帯を手にこれも人待ちげでしたが、髪型から年恰好から写真とあはぬやうで声かけそびれて居る間に失望したげに去り、自分もほどなく帰つて部屋でパソコンを開けばなんと「思ってました。。もう来ないって思ったほうがいいって事ですよね?」と恨みのメールが来て居ました。つくづく出会とは難しいものかな。
不良熟年慣れぬことはせぬものか。自分はすることよりも見ることそして客体素材を構成し造型することの方が合つて居るのかなと思はれたことでした。実際その娘さんでしたらごめんなさい。




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2009/6/17

ライオンの口  讀史つれづれ

ライオンの口を引き裂きたりし身の繋がれて今粉を挽くガザ

大力の帝王なりしを國讓る名指しの筆今や萬鈞のごと

敗亡より四十年經て還り來る困民黨に翡翠のこゑ

大蛇らを斬り捨て獲てし劍をば百世傳ふる八雲の空よ

着の身着のまま逃れ來る道中になくなく手放す子に託す護符
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2009/6/17

煩悩の垢  日常 時事

煩悩の垢掻き落とすごとく書く歌なれ一向淨まはらぬ身

レスラーに次ぎてレフェリーまで倒れ對應暇無き厚勞省

わが窓を開けて見おろすじつと薔薇嗅げる女のかそけき未練

ゆくりなく思ひ出でむかつつましき娘もゐし日比谷の合同廳舎

伸び切つたゴムのごとくに繰り返す口語インコはさもあらばあれ
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2009/6/13

國柄  日常 時事

刀狩以後の國柄 警官がトイレの壁に置き忘れしもの

轢逃げの現場と同じ花びらの散らばりゐたるマンション駐車場

正論を崩してまでも利権の群れにこだはりのれる内閣総理

丸投げの元締めに引けをとるまいと氣象データを降ろす下請け

逆切れの汗いや寒く濃縮し行く梅雨の間愛のかけらも見えぬ
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2009/6/13

保冷劑  戀さまざま

保冷劑内藏せるを賣込みの辨當賣りの娘につひ氣を許す

彼の許へ早速メールぢぢむさい岸の岩魚の牽き具合など

まあそれでお前がどれだけ魅力的かといふ保證書の裏書ひとつ

せきあげて送るナナハン一心にゴールを目指せ肋骨でも折れ

歸り來て至つて和かなる居間よりぬる湯に閉め出され仰ぐ月
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2009/6/12

梅雨  日常 時事

列島へ梅雨到る午後かき晴れてねぎらひ交はし退きゆく雲ら

天の意をあやぶみおもふこの頃かおたまじやくしの降る能登の空

感染は世界規模にも及ばんと保健機構の警告あれど

電脳を引き取りて歸る地下道の出口を女のホームレスうたたねて

出會ひ系プロフのひとつほのぼのと科つくる娘よ泡のドレスで
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