2009/12/8

開戰と涅槃  日常 時事

オンラインの歴史データを検索するに

大東亞開戰と日を同じうす釋迦が涅槃に入らせたまふは

こんなめぐり合せが発見できた。
釈迦の入滅は紀元前328年の10月11日。これを新暦換算すると12月8日となる。
更に遡つて釈尊が菩提樹の下に悟りを開いたのもその四十六年前428年の同日とされ、太陰太陽暦では10月13日である。
 大東亜開戦の昭和十六年1939年12月8日とは太陰太陽暦に直すと10月28日となる。
開戦の翌年はいはゆる紀元二千六百年であつたけれど、神武天皇即位の紀元前660年からは一世紀半余を過ぎた507年邊の誕生であるのか。
その頃の日本はいはゆる欠史八代といはれる実在の疑はれて来た天皇の御代ではあつた。
「世間皆虚仮 唯仏是真」といはれた聖徳太子邊が案外この国史の創造に関与してゐたやに穿鑿する向きもあるやうだ。
 が、しかし戦争の勝ち負けとはその場の勝敗の帰結にとどまらずその後の歴史の過程に於ていづれが戦争目的をより達成し得たかによるといふ史観もあるやうだから、8月15日に癖付けて行なはれる反省自虐史観の方はそろそろ涅槃に入つていただき、改めてこの日に焦点を当てた企画もあつてよいのではないかと思ふ。
 昭和天皇の崩御にあたり「日本は本当は戦争に勝つゐたのではないか」といふ意見が散見されたのもさうした史観の帰結である。

既に歌集は完結してその推敲編集のつれづれに余滴のごとき歌をものしてゐるに過ぎぬのでこの組み合せを殊更脚色して一連の作品にする積りもないが備忘にまで。

落葉らもやすらに通り抜けゆくか遮斷機を撤去せしよりの風

在所の駅前は今かうである。
多年街を東西に分断してゐた開かずの踏み切りが解消され全面高架化が達成されたのはほんの一昔前、ベルリンの壁崩壊後も十年近くたつてからであるやうだ。
少しの風にも西口広場の木の葉が電車通過の風圧に巻かれることもなくやすやすと東口へ通路に散り溜り更なる風のままに通り抜けてさへ行くさまは分断を解消された街の安堵の色を帯びてしみじみとながめられる。
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