2009/12/10

静御前と龍馬  日記と歌論

吉野にて静御前は囚はれしか同じ日龍馬は京にて殺さる

歴史データベースを繰つて見ると義経の愛妾静御前捕縛の記事と坂本龍馬暗殺の記事が前後して出て来た。静御前が囚はれたは文治元年(1185年)11月17日であり坂本龍馬が京都河原町四条の近江屋にゐたところを襲撃され即死したは慶応3年(1867年)11月15日となる。

義経は過去二度、龍馬も来年再度大河ドラマに取り上げられて国民的人気のほどは衰へぬやうである。仕事先で談偶々紙幣の肖像モデルは誰がよいかといふ話になつた時彼を上げる人が結構居たには驚いた。

若くして横死した人物ではちと縁起上どんなものか、「公益」を常に配慮し且天寿を全うした経済人渋沢栄一邊が適当ではないかと僕などは思ふが、一般の心ある人士が今求めてゐるのは何より社会全般に元気を回復し何がしかの指針となる様な人物であることを痛感した。

彼が暗殺されるに到る背景はまだ謎の部分もあるやうだが、知りすぎた男であり、且役目は終はつた用済みだといふ認識があつたか。が、それでも「死せる孔明生ける仲達を」の伝で以後の後進をその生き様で以て鼓舞した意義は計り知れぬものがある。撮影は千葉周作の道場に入門する邊まで行つてゐるのであらうか。

赫々たる功を遂げながら非命に斃れた軌跡がいはゆる判官贔屓の心性にも訴へかけるところもあるだらうと義経の周縁を彩つた悲運の舞姫のその後なども思ひを馳せさせられた。
龍馬の妻お龍も龍馬の死後は淪落し転変を経たやうであるが。

冥府の關境路にして讀み上げむ歡進帳の章行いかに
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