2009/9/23

「満月に照らされた夫の命日」  日記と歌論

恋のカテゴリーでは惚れたはれた以外の人情の自然に属する家族愛も極力取り入れることにしてゐる。中で代述心緒の一環としてとりあげながら、まさかいくばくも生きながらへてはをられまいと思つてゐた戦争未亡人の境涯たとへば僕が先日詠んだ

亡骸もかへらぬ父の不在をばいぶかしめる子の髪はや白き

の歌に照応するがごとき投書を読売新聞に見受けた故以下に全文紹介する。



満月に照らされた夫の命日

 もう九月。夫の六十五回目の祥月命日がめぐつてくる。
 夫は三歳と六ヶ月の子どもを残して出征。終戦から二年過ぎ、
ビルマで戦病死と記された広報を受け取つた。白木の箱には
名前を書いた紙片と埋葬地点を記した紙が入ってゐた。
 数年過ぎ、ビルマ方面へ従軍した記者の記事で、兵隊のほとんど
が餓死で多くが戦病死として処理されたと読んだ。夢多い若者を
餓死に追い込んだ悲惨。長い年月が過ぎても、今も体中が締め付けられる
思ひがする。
 夫の身内も私の兄弟も逝き、親しい友もゐなくなり、去年の命日は寂しい
法要をした。三歳だった長男は子どもを残して逝つた。次男はもう古希。
母子で暮らした日々を思い出してゐたら、遺影を満月の光が照らした。
このお月様は、夫の最後を見届けてくれたのではと思つた。
 なに不自由ない穏やかな暮らしなのに心から安らげない寂しさがある。
(札幌市 田巻 静香 九四)



 僕は彼岸花との照応で詠んでみたが、未だ二十歳ならずして寡婦となられ、乳飲み子をかかへて戦後から今を奮闘して来られたであらう田巻夫人はこれを満月の中で書いてをられる。その沈痛の思ひのほどは測り知られず、惰弱な僕はただ恥じ入る次第であつた。
生憎今夜は雲量多く満月を望み得ない。

なほ引用文中数詞は漢数字に仮名遣は正かなに「訂正」させていただいた。石原まき子夫人が裕次郎氏への切々たる思ひをつづる日記も裕次郎氏の書簡も、その生まれた時代の国語教育を反映してしつかりと「仮名遣」であることテレビのドキュメントで確認してあれば、このくらゐの補正措置はまして、売文渡世とは無縁の田巻夫人の場合は当然ではないかと思ふからである。

以下は先日の五首一連。


彼岸花咲ける木下を赤蜻蛉群がり寄れば君ししのばゆ

契りをば背くなかりき若くして我に先立ちたるを除きては

子ら既に人としなれば萩叢の奥の墓苑に孫のこゑやさし

亡骸もかへらぬ父の不在をばあやしめる子の髪はや白き

日と夜とややにひとしくなりゆかむ曼珠沙華の果ての夕棚雲よ

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