2010/9/28

公園に毬落す栗  日記と歌論

暑熱過ぎ長雨到る公園に毬落す栗すでに實ぞなく

酷暑で栗もばてたのでせうかね。鳥の餌にどうぞと毬をひらいてしまつたか。昼ころのラヂオでの話題でした。
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2010/9/27

大正百年祭のすすめ  日記と歌論

かなしくも指導性には骨粗鬆を來せし戰後五十年祭


平成七年・一九九五年とは阪神淡路大震災とオウム事件の年であつたが、戦後五十年の節目でもあつた。
陛下は殊のほかの思ひ入れおありのやうで、折から修交百年の区切りを迎へたブラジルからの訪問要請を断られてまで打ち込まれ永遠平和の誓ひを新たにされたのだが、昭和の明治百年祭が民族の叙事詩を謳ひあげて以後の高度成長への弾みとしたに比べると鬱陶しい謝罪史観を更に固定化し真に責任ある指導性又それを体現する指導者の登場を困難にしたとしか思へぬ。一連の平和ボケ積み重なつた末に現下の国辱状況があるかと何とも唇寒い。
再来年は大正百年を迎へる。すなはち明治天皇崩御後百年でもあるからその辺で大正百年祭をもたれて、ものごとを根差しから考へる機会を国民に与へらるべきではないかと思ふがこれについては別の機会に。
「軍」のない国はあなどり避けがたく、経済発展のみの片肺国体では国は生き残れぬとは結局不滅の原則だらうか。
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2010/9/26

台風の二三過ごして  日記と歌論

台風の二三過ごしてまがなしき日出づる國の朝明けにあり

変な台風もありまして、いはゆる一つの被害甚大か。
それは別の主題ですから稿をあらためての上で。
今年は又異常な年でした。
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2010/9/25

冷房の後暖房  日記と歌論

冷房の後暖房への切り替へはわづか一日挟みたるのみ


大雨台風が来たこともありますがさてもこの天候の激変は。一ヵ月半ほど冷房なしに眠れなかつたのが夢のやう。
つい一昨昨日まで暑熱に堪らず冷房してゐたのですがね。
皆さんのところではどうですか。
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2010/9/21

乳児らが行方不明の  日記と歌論

乳児らが行方不明の
老人に加へて乳児らが行方不明のままに入れる彼岸か


真夏の怪談は實は戸籍制度の盲点でしたが


.死体遺棄容疑で女子高生逮捕=ごみ袋に乳児遺体―警視庁
 東京都世田谷区で14日、ごみ袋に入った乳児の遺体が見つかった事件で、警視庁捜査1課は21日までに、死体遺棄容疑で、同区の女子高校生(18)を逮捕した。 (時事通信)



かういふ事例が発覚せずやみから闇へといふ場合もまた少なくないのかと彼岸に入り時とした暗澹たるおもひに引きずりこまれます。

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2010/9/20

鳳仙花いぢらしく  日記と歌論


お彼岸も所用慌し鳳仙花いぢらしく殘すしどけなき花序

休日の方が今年は忙しく。今朝の出掛けの嘱目です。
皆貧しかつた時代の少女らの風情をしのばせるものがこの花にはあるかと。
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2010/9/18

国家てふリヴァイアサンの宿業  日記と歌論

国家てふリヴァイアサンの宿業か中華思想を自滅の爆竹


尖閣諸島での密漁船拿捕問題をめぐる中国当局の一連の強引かつ傲慢な強弁と一国の大使に対する無礼な呼び出しといふ経過のなかでふと思つたことを。


秋田県沖には舞台島なる地あり。元を辿ればは二千年を越ゆる昔漢の武帝が東海に筏して気侭な船な遊びのつれづれれに立ち寄りし先とかいふ。その實は武帝島なりと。あながち作り話でもないでせう。彼は六十年を越える治世の初期しばらくは皇太后の専制下に逼塞してゐた時期もあり。まして皇太子になる前の先帝末子の身の程であつた時期にはあらゆる気侭も冒険もした筈。その伝説に基づいて果て果ては舞台島まで返還或いは禅譲を要求しかねぬ今回の抗議ですか。


西学に屈して元号を放棄しキリスト紀元を公元にいひかへ漢字を簡体字の刑に処して恥ぢぬ彼らが何をいふかといひたいところですが、それ以前にあまりにも拙速に過去に日本から負はされた屈辱の具体的補償を求めむとするがさつな国家体の「命のあらはれ」にはもののあはれを覚えます。


スターリン・毛沢東の時代と異なり穏健な権力継承の手法を確立した上での今回の「厳重抗議」ですから一段と手強いか、しかし却て「君子は豹変」する余地をみづから破棄する愚行ではあるまいかと危ぶんでゐます。
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2010/9/18

国家てふリヴァイアサンの宿業  日記と歌論

国家てふリヴァイアサンの宿業か中華思想を自滅の爆竹


尖閣諸島での密漁船拿捕問題をめぐる中国当局の一連の強引かつ傲慢な強弁と一国の大使に対する無礼な呼び出しといふ経過のなかでふと思つたことを。


秋田県沖には舞台島なる地あり。元を辿ればは二千年を越ゆる昔漢の武帝が東海に筏して気侭な船な遊びのつれづれれに立ち寄りし先とかいふ。その實は武帝島なりと。あながち作り話でもないでせう。彼は六十年を越える治世の初期しばらくは皇太后の専制下に逼塞してゐた時期もあり。まして皇太子になる前の先帝末子の身の程であつた時期にはあらゆる気侭も冒険もした筈。その伝説に基づいて果て果ては舞台島まで返還或いは禅譲を要求しかねぬ今回の抗議ですか。


西学に屈して元号を放棄しキリスト紀元を公元にいひかへ漢字を簡体字の刑に処して恥ぢぬ彼らが何をいふかといひたいところですが、それ以前にあまりにも拙速に過去に日本から負はされた屈辱の具体的補償を求めむとするがさつな国家体の「命のあらはれ」にはもののあはれを覚えます。


スターリン・毛沢東の時代と異なり穏健な権力継承の手法を確立した上での今回の「厳重抗議」ですから一段と手強いか、しかし却て「君子は豹変」する余地をみづから破棄する愚行ではあるまいかと危ぶんでゐます。
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2010/9/17

糸瓜忌の前々日に  日記と歌論



糸瓜忌の前々日に訪ね行く日本新聞社員の墓を

正岡子規はわが国文化史上の徳人であらうか。俳句に次いで短歌にも革新の功を遂げた文藝上の事跡のみならず、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で試みたやうな国運興隆期の根差しを支へた歴史的人物としての光を当てられたりもする。以後の時代時代にもなにかにつけ想起されるに値する人物ではあらう。

午後の早くに所用終へてふと思ひたち田端の大竜寺の墓に詣でてみた。高台通りから西に少し下つたところにあつて、隣接する小学校の国旗掲揚ポールの下に西向きで建つてゐる。
彼が六尺の病床と次の間といつた広さの墓地の中央に子規居士の墓右に母堂の墓左手は累代の墓。三百坪足らずの墓苑のなかでも特に大きいといへるほどではないが、日々供花絶えぬらしきはさすがである。

奥に脇侍のやうにして生前彼がみづから撰した自分の墓誌「日本新聞社員たり月給四十円」
の碑ありその奥に更に断り書きして旧墓誌が銅板陽刻であつたものを立替へに際して石版陰刻にせし旨の断り書きと往時の写真。彼が革新活動の本拠とした新聞といふ以上に日本新聞社員といふ揚言に彼の気概と留まるところ知らぬ彼の野心と活動力のほどしのばれて好きな文章だが今回はじめて実見した。

手を合はすだけでは芸が無いと思ひ持参の茶を墓に注ぎ更に涼気得て使はずに済んだタオルで拭ひとつた。まゐりが今日になつたは明日以降多忙が続くためだが辞世三句の最後に

一昨日の糸瓜の水もとらざりき

とあるその一昨日に当る日に不躾ながら墓を濯ぐ真似などするもその業苦に堪へた気概を忍ぶ一環としたのである。

本来無一物なるものがなけなしの渋茶で洗ふ子規居士の墓

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2010/9/17

又傘を忘れて帰る朝  日記と歌論



又傘を忘れて帰る朝なれど晴れてすがすがしき彼岸の入り

東京へ来てから二十本は傘を忘れたでせうか。残りの生涯では幾十本になるものやら。
しかしこの雨の間に緊急の徹夜の保全仕事も終り、汗も今や滲む程度に落ち着き冷房も要せぬ部屋で呑むのはなんともいへぬ安堵を覚えます。

蝉らほぼ死せる木下に残りゐる揚羽の色はおのづから寂び

さうした形で新盆彼岸を経られたご婦人方もをられるかと。数日前亡くなられた谷啓さんのことも思ひあはされます。
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