2010/9/6

水道の水黴臭くする水道の水黴臭く  画像歌

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水道の水黴臭くする酷暑猫の子もかくくたばりをれり

ご近所の店先で。
それにしてもうう暑い。これであすはもう白露ですか。
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2010/9/5

八の字の末ひろがりをよしとせり八の字の末ひろがりを  日記と歌論



八の字の末ひろがりをよしとせり値引き客引く品の端数は

私もお世話になつてゐますがね。残暑の末ひろがりだけはご免蒙りたい。
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2010/9/4

高氣壓二枚重ねの  日記と歌論


高氣壓二枚重ねの空といふ百日紅に白露至れど

まだ一週間は続きますかね。
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2010/9/3

不具合めける殘暑の窓  日記と歌論

再起動繰り返す間を白み來ぬ不具合めける殘暑の窓も


一月前にもこんなこと起きたのですが、モバイルの差込ドライヴが接続した途端にてかたまつてしまひ、ブラウザを起動しても繋がらぬ。ワイヤレスのサーバーの支障あるものやらドライブに問題あるやらどうもわかりませんね。二十回以上再起動を繰り返しました。
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2010/9/2

日本語といふフィロソフィー  漱石の秋声論を解きつつ  日常 時事


私は文藝文学の使命とはその拠てたつ言語の器を究め知ることにあり出発点も帰結点もそれにつきると思ふ。つれて以前から気になつてゐたひとつだが。


嘗て夏目漱石は「あらくれ」評といふ形で徳田秋声の作を論じて現実其の儘を書いてゐて其処で彼の作品にはフィロソフィーがないなどと難じた。


読んで了ふと「御尤もです」といふ言葉はすぐ出るが「お蔭様で」といふ言葉は出ない。





現実其の物がフィロソフィーなら、それまでであるが、目の前に見せられた材料を圧搾するとかういふフィロソフィーになるといふ様な点は認めることが出来ぬ。フィロソフィーがなければ小説ではないなどといふのではない。又徳田氏はフィロソフィーを嫌つて居るのかも知れないが、さういふアイデアが氏の作物には欠けて居ることは事実である。


フィロソフィーといいひアイデアといふぐにやぐにやしたものいひは哲学なり理念なりの訳語が定着する以前の時期であらうから仕方ないとしても徳田坊ちゃんに対する夏目赤シャツの厭味にしか聞こえぬといつてはいひ過ぎであらうか。


秋声の文学は最近の健康飲料の謳ひ文句によくあるノンカロリー糖質オフの文学だと思へば済む。熱帯雨林の樹下の水は樹木があまりに急激に大量の水を吸ひ上げる為に全く養分を欠いてゐるさうだがその類と思へば却つて稀少価値を覚える。その上に亭亭繁茂するフィロソフィーなりアイデアなりの多種多様な枝葉のほど暗示するところあり、彼らをポジとすれば秋声はネガか。しかし視点を変へればポジとネガは逆転するところがあるであらう。


そこに自分等のフィロソフィーやらアイデアを汲み上げ現実其の儘を書いてゐてしかも「御尤もです」のみならず「お蔭様で」と思はせるものも多分に含んでゐるものとの信用が漱石を今日なほ群を抜いて愛読せられる作家たらしめてゐるのであらう。


しかし日本語あつての漱石であり、その逆はない。


その視点からすると彼が日本語にとつてまことに掛替への無い貢献をしたかとなると己名をなして日本語そのもののの帰趨については「後は野となれ」式のものではなかつたか。
経緯図にして語法語格の調整機能として考案せられた五十音図といふ方程式が「歴史的勘違ひ」により穴あきにされて無機質な羅列と一般に扱ひそれに疑念呈する者を官の権威と衆愚の惰性と無関心を背景に「ムズカシイ」「ワカラナイ」を繰り返し曖昧な微笑とともに受け流す輩に何度も出会したが、これ彼一時は兌換券の肖像に採用されるに真に値するものを残してゐたならば決して起こり得ぬぬことであつた。


即ち秋声にはフィロソフィーがないと漱石は難ずるが、日本語とは五十音経緯図といふ人類他言語に類を見ぬ字母構成そのものが既にフィロソフィーなのである。その点に無知なるは両者同断なればまさしくこれ他の鼻糞を云々する目糞の類である。


官の庇護振り切りて彼言葉の為になさねばならぬもの何ありし


と私が嘗て詠んだはその意味である。自分の得手勝手で新聞社に落籍されて行つた者を揉み手して国家的顕彰の場に迎へるなどは国も随分と不見転なと顰蹙したものだ。むしろ
一方の雄たる鷗外の方こそふさはしいかと思つたが、その仮名遣意見は西洋のオーソドキシーの受け売りでありかつ冒頭にいきなり軍の威光をちらつかせてその場を抑へたは後になると逆効果であつた。「歴史的勘違ひ」を制定した徒党はこれに戦後民主主義の象徴たるかのごとき装ひをさせたのである。のみならず軍医としての彼が師説墨守のあまり実験を無視して脚気防止の為の兵食への麦飯混入拒み続けて兵員に多大の損耗を及ぼした無能漢であつたとの説はもはや動かしがたい。


すべては「経緯図」といふ仮名構成に加へて、無機質な表記部品の羅列たるアルファベット等と全く材質を異にして仮名字母それぞれが各固に意味生命を宿す「品詞」でもあるといふ即ち「有機的細胞組織」ですらあるといふ「現実」に根ざして日本語の帰趨は定められなければならない。福田国語教室にはアルファベットで単音にして品詞定義あるは不定冠詞と一人称代名詞のみとの言及はあるものの未だその意味を掘り下げて考へられてはゐないやうである。


ついては五十音図の方程式構造と、その種字の選択を一の暗号文として訓読したものを以前にこのブログに送つて置いた故拙文を読んで多少とも関心もたれた向きは参照いただければよい。

和といふことを詠める御製ならびに應製
http://blogs.yahoo.co.jp/jungleroad91/25610049.html
アイウエオの思想「中庸」
http://blogs.yahoo.co.jp/jungleroad91/26022769.html
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2010/9/2

若乃花逝く恰も震災忌  日記と歌論

力士等にまして酷暑は去らぬ日を若乃花逝く恰も震災忌
天國で取れ水入りの大相撲再會よろこびゐむ栃錦と

栃若時代とは双葉山が破竹の連勝記録で興隆させ今日の十五日興行を定着せしめたに匹敵する相撲の黄金期でしたでせう。
二人は又ともに理事長となつて、両国の地に国技館を再建するに大きく貢献した。両横綱合せての優勝回数を上回る大横綱も何人か出てゐますがその相撲史に於ける意義と価値では到底両者に及ばぬと言へます。
一連の不祥事による苦難の過ぎ行かぬ間に逝くは心残りでもあつたでせうが、世界の格闘技の中でも最も完成された様式美を備へた国技にして文化財でもあります。再建復興に到る道筋を天国で栃錦とともに見守つていただきたい。恰も昨日は震災忌でしたか。何事天災人災を問はぬさまざまな災厄に堪へながら持続し発展してゆくものと信じます。
ご冥福をお祈りします。


「土俵の鬼」花田勝治氏が死去 元横綱初代若乃花、栃若時代を演出
産経新聞 9月1日(水)19時33分配信

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初代若乃花、ニ子山勝治元理事長=1989年5月(写真:産経新聞)

 「土俵の鬼」と呼ばれた大相撲の元横綱初代若乃花で、日本相撲協会元理事長の花田勝治(はなだ・かつじ)氏が1日午後5時25分、腎細胞がんのため東京都内の病院で死去した。82歳だった。青森県出身。自宅は東京都杉並区成田東3の25の10。葬儀・告別式は未定。歴代横綱では初代梅ケ谷の83歳に次ぐ2番目の長寿だった。



 花田氏は平成17年5月に死去した元二子山親方(元大関貴ノ花)の兄で、若乃花、貴乃花の兄弟横綱の伯父。昭和21年秋場所で、初土俵を踏み、25年春場所で新入幕。30年秋場所後に大関に進み、33年初場所後に第45代の横綱に昇進した。全盛期でも105キロの軽量ながら猛げいこで鍛え上げ、呼び戻しなどの大技でファンを魅了した。ライバルの横綱栃錦とは昭和30年代前半に「栃若時代」を築き、優勝も栃錦と並ぶ10回。

 昭和37年夏場所前に34歳で現役を引退し、年寄「二子山」を襲名。二代目若乃花、隆の里の2横綱、貴ノ花、若嶋津の2大関らを育てた。相撲協会では63年2月から理事長に就任し、2期4年務め、平成8年9月まで定年退職後は相撲博物館長を務めた。

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2010/9/2

樟の木の梢の花も  日常 時事

樟の木の梢の花も散り過ぎて雀まばらに寄り来る昼下がり

二百十日も例のごとき酷暑。お互ひ体調管理に気をつけたいところですね。
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2010/9/1

イヤホンを片方づつ挿し  日記と歌論


イヤホンを片方づつ挿し笑み語らふ少女二人をわが席の前

音楽堂で学生諸君のアカペラを聴きながら束の間のオフを過ごしてゐたところを急の電話に呼び出されて終電近くまで俄かに出来した支障の調整の仕事に当つた帰りの車中の一齣。
高音低音とも申し分なく伸びる歌ひ手は少ないのだからコーラスとは相互に補ひ埋めあはせ若さを弾けさせるに効果あるか二十九組ものさうしたアカペラバンドあるのでじつくり最後まで聞いてみようと思つてゐたところでした。
歌にした少女らは台湾からの旅行者か、或いは観光ビザで入国して一稼ぎせうといふ向きか知れぬが短パンでキャスターバッグも共有の一個のみ故前者かな。声掛けて撮らせて貰へば歌も一入味を加へて聞き損ねたアカペラの分を埋め合はせたのになとちと残念。
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2010/9/1

真夏日のあらくれ処暑を  日記と歌論

真夏日のあらくれ処暑をかどはかし拉がんとする白露の襟髪

言葉の遊びにすぎませんが。
しかし暑いですね。都心では四十八日連続熱帯夜。天災であると同時にコンクリートアスファルトで固められた都市構造と冷房の普及が自らもたらした人災でもあるでせう。私もこのところ冷房を掛け放しです。
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2010/8/31

巣作ると枝咥ひもちて  日記と歌論

巣作ると枝咥ひもちてはばたける鳩今高架裏の柱陰へ

開かずの踏み切りが解消されると人間さまも鳥獣も何かと利用可能なスペースに恵まれるやうで。
この道の南には葬祭所あり、北はフィットネスクラブとその駐車場の先に薬屋餃子売りにはじまり駅に近づく駅に近づくにつれて多様な業種が軒をつらね、この辺に根城する野猫は見るからに栄養豊富さうです。

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