1984年のロサンゼルス五輪女子マラソン代表の永田(旧姓:佐々木)七恵さんが27日に亡くなりました。享年53歳の若さでした。
七恵さんは、岩手県出身です。日体大から盛岡一高の教員などを経て、故中村清監督を慕ってエスビー食品に入りました。マラソンを始めたのは、大学卒業後です。
中村監督の言葉を借りると『天才は有限、努力は無限』が、七恵さんを形容する表現でした。同じ中村監督の弟子だった瀬古利彦が天才肌のエリートランナーだったのに対して、素質に恵まれないことを補って余りある努力の人でした。
第1回東京国際女子マラソンの結果は3時間7分20秒の26位。その後の猛練習で第5回大会では2時間37分9秒で日本選手として初優勝。外国選手に食い下がる粘りの走りは「おしん走法」と呼ばれました。
五輪の成績は19位でしたが、トラック種目で目立った実績を持たなくても、頑張ればマラソンの五輪代表になれることを示しました。
ソウル五輪代表となった元日本記録保持者の宮原美佐子、日体大後輩でバルセロナ銀・アトランタ銅メダルの有森裕子、シドニー金メダルの高橋尚子など、後に続いたランナーたちは、決して素質に恵まれていたとは言えません。しかし、先輩の『努力は無限』に習った努力と根性で日本女子マラソンは世界のトップに押し上げられました。
有森裕子さんは、「努力型の人。モチベーションの中で目標にしながら後を追ったところがある」と語っています。
おじさんは、七恵さんに何度かお会いしたことがあります。わが社が開催した『ちびっこ健康マラソン』のアドバイザーとして、小学生の参加選手と一緒に走っておられました。もう、10年以上前ですかね?。その時の女子選手の中に現在天満屋女子陸上競技部に所属する、重友梨佐がいます。
ご冥福をお祈り致します。

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