
万博記念競技場は勿論大阪万博会場跡にあります。
懐かしいですね。全てが目新しく、外国人の多さにも度肝を抜かれた小学6年生のissan少年は、「人類の進歩と調和」をテーマとする大阪万国博覧会に圧倒されたものでした。昭和45年、高度成長期の円熟期を迎えた日本で開催された万博のインパクトは物凄いものでした。
太陽の塔はその祭りの名残りを今に伝える語りべのような気がします。
万博以後のこの会場には大学生のissanが何度も足を運びました。その頃の太陽の塔と何ら変わらないのですが、過ぎ去った年月を思い起こさせるオブジェでもあります。

日本庭園そばの駐車場に停めたので太陽の塔は裏側から見るようになります。
さて、目的は感傷に浸ることではありません。大事な大事なガンバ大阪戦が待っています。
途中の三木SAでは、加古川名物の「カツめし」をいただきました。

勝利を祈念するものですが、カツめし自体に興味がありましたから。岡山の「デミカツ丼」に似た感じの味でした。

大阪モノレールの公園東口駅からは目と鼻の先にあるのが万博記念競技場です。
尚、モノレールの路線図を下記に添付します。

issanが学生の頃は勿論モノレールはありませんでした。万博会場へは阪急山田駅から便数の少ない路線バスに乗るか、歩くかでした。阪急南茨木駅からの路線バスもありましたが、千里線沿線に住んでいたのでもっぱら山田駅から徒歩の道を選びました。当時は、この辺りはかなりの田舎でしたからね(笑)。
今なら、モノレールで山田、山田から阪急で梅田への移動は簡単ですね。モノレールで千里中央へ行き、千里中央から北大阪急行−地下鉄御堂筋戦で新大阪や梅田へ移動することも容易になりました。昔は大変だったんです。
万博開催期間は北大阪急行が千里中央から会場の太陽の塔の前まで伸びていましたから、当時は会場まで電車で移動した記憶があります。

これはもう夢の国でしたよね。太陽の塔はこの中心でした。まさに「芸術は爆発だ」です。

東京オリンピックから6年。この頃、やっと日本が世界に追いつけたと感じたのでした。
それにしても、あれだけの人を集めた「世紀の祭」はその後に感じたことがありません。

さて、スタジアムにやって来ました。

古いですが、風格があります。

このマーク。懐かしいです。万博の「日本館」はこの形を表現していましたね。
それでは、懐かしい大阪万博の思い出を終わり、そのA「ガンバ戦試合前」編に続きます。「ミサッキーに強敵現る?」・・・その真相も次回お知らせします(笑)。

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