もう、言葉にするのが嫌になって来ました。今年のBelleが極めておかしい訳ではなく、この予兆と崩壊はなでしこJAPANがW杯を制した2011年から始まっていました。
2008年、なでしこJAPANは北京五輪で4位入賞。陽の目を見なかった女子サッカーが少しは注目されるかと希望的観測で見つめていましたが、五輪で金メダルを獲得した女子ソフトボールに話題を奪われ、やはり日陰の存在でリーグを続けていました。そのシーズン限りで女子サッカーの創成期を引っ張ってきたTASAKIペルーレがチームを解散。阪口夢穂など一部の若い選手たちは移籍の道を選べましたが、池田浩美ら長く日本代表を引っ張ってきた多くの選手が引退。女子サッカーは大きな岐路に立たされました。
シーズンオフには岡山湯郷Belleの宮間あやと日テレベレーザの澤穂希がアメリカ女子サッカーリーグへ移籍。女子サッカーは新しい道を模索し始めたかに見えました。
こうして岡山湯郷Belleは2009年、2010年の2シーズンを司令塔の宮間あや不在(アメリカのシーズンが終わった9月以降は期限付き移籍で復帰)で戦うことになりました。それでも本田美登里という絶対的指導者を有した湯郷Belleは新司令塔に中野真奈美、コンビを組むボランチに新人の高橋悠などを配して苦境を乗り切りました。有町や加戸という若い選手が著しく成長し、リーグ戦でも悪くない成績を残したものの、観客動員の減少、メインスポンサーの撤退などで経営状況は危険な状態になりつつあったのです。
岡山湯郷Belleに小さなひび割れが生じ始めたのは、2011年シーズンを迎えるに当たって不可侵の神の領域だった本田美登里監督が退任、種田佳織コーチの監督就任が発表された時だったと思っています。同時に2年間アメリカリーグに参戦していた宮間あやがプロ契約選手第1号としてチームに復帰。代表司令塔のチーム復帰でクラブに明るい未来が訪れたと誰しも思ったでしょう。
種田新監督は選手の背番号を大幅に変更、ストライカーだった加戸由佳をサイドバックにコンバートするというように大胆な変革に取り掛かったように見えました。
しかしチームの主導権はこの時、監督種田佳織ではなく、司令塔宮間あやに移ったように感じます。澤が抜けた後のなでしこJAPANが“王様”宮間と若い選手たちとの間の軋轢を解消することができずに崩壊したのと同じ現象は、既にこの時期の湯郷Belleで始まっていたのでしょう。佐々木監督に是正できなかった問題が種田監督に解決できるすべもなく、ほぼ宮間“監督”に一任される状況でチームが動き始めたのです。
この流れに拍車をかけることになったのが、あの2011年ドイツW杯での劇的ななでしこJAPAN優勝です。競技場には観客が押し寄せ、あれほど苦労したスポンサー集めは相手からいくらでも希望が殺到する状態。ロンドン五輪アジア最終予選前の美作合宿では連日全国から見学者が殺到し、湯郷温泉はW杯バブルに酔い痴れました。
この頃からチーム内での“王様”宮間の存在は神の領域に達したことは想像に難くありません。
2012年開幕前の選手大量退団が湯郷Belleの石垣を崩落させ始めました。新人の入団と移籍選手の獲得で急場を凌いだシーズンは、シーズン中から新入団選手の謎の退団などがあり、火種はくすぶったままでした。
2014年シーズン前には2度目の大量退団。主力選手の多くが抜け、代わりに移籍選手を積極的に受け入れたチームは2014年レギュラーシーズンを優勝。このことが崩壊の進むクラブの危機的状況を隠してしまうという皮肉な結果となりました。
2015年開幕前にはチームを支え続けてきた中野と有町が退団。崩壊は大きく進んでいたのですが、表沙汰にはならず、火種は燃え上がる寸前になりました。シーズン中に種田監督が辞任。いよいよ末期症状に突入したのですが、それでも問題が我々の耳に入って来ない状況が続きます。
ここ数年のごたごたを収めることができなかったフロントの責任が一番大きいのです。その責任を担う黒田GMも辞表を提出したらしいので、事態を修復する人材は皆無になりました。
これからクラブが甦るのか? それとも消滅の道を歩むのか? 「サッカーといで湯の町」を切り口に活性化の道を模索し続けて来た美作市。クラブ代表は美作市長という官民一体での組織運営を是として進めてきたのですが、窮地に力を発揮できる専門家がいない素人集団が見つけ出せる解決策は存在するのか?
暫くは傍観するしかないのが口惜しい今日この頃です。
※尚、今回の内容は取材したものではなくあくまで私の個人的見解であることを申し添えます。真実が早々に明るみに出ることを望んで締めたいと思います。

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