『情けは人の為ならず』
という言葉を耳にしたことは誰しもあるでしょう。
この言葉の意味は、「人に情けをかけておけば、やがて巡り巡って自分のところに良いことが起こるのだから、誰にでも親切にしておきなさい」です。
では、この言葉の意味を正しく理解できている人はどれぐらいいるのでしょうか?
文化庁月報の平成24年3月号(No.522)に下記のような記事が載っています。
連載 「言葉のQ&A」
「情けは人のためならず」の意味
※以下、引用です。
「彼がどんなに落ち込んでいても,厳しく接した方がいいよ。情けは人のためならずって言うだろう。」……このような「情けは人のためならず」の使い方は本来の意味と合っていません。元の意味を確かめてみましょう。
問1,「情けは人のためならず」は,本来どのような意味なのでしょうか。
答,「情けは人のためならず」とは,人に対して情けを掛けておけば,巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという意味の言葉です。
まず,「情けは人のためならず」を辞書で調べてみましょう。
「日本国語大辞典 第2版」(平成12〜14年 小学館)
情けは人の為ならず
情をかけておけば,それがめぐりめぐってまた自分にもよい報いが来る。人に親切にしておけば必ずよい報いがある。
補注:情をかけることは,かえってその人のためにならないと解するのは誤り。
「大辞林 第3版」(平成18年 三省堂)
情けは人の為ならず
情を人にかけておけば,巡り巡って自分によい報いが来るということ。〔近年,誤って本人の自立のために良くないと理解されることがある〕
ここに挙げた二つの辞書では,ともに「誰かに情を掛けることは,その人のためにならない」という解釈が誤りであることをわざわざ指摘しています。本来は,人に思いやりを掛けておけば,結果として,いつか自分にも良い報いが訪れるという意味の言葉です。
問2,「情けは人のためならず」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を教えてください。
答 本来の意味である「人に情けを掛けておくと,巡り巡って結局は自分のためになる」を選んだ人と,本来の意味ではない「人に情けを掛けてやることは,結局はその人ためにならない」を選んだ人との割合は,ほぼ同じという結果でした。
平成22年度の「国語に関する世論調査」で,「情けは人のためならず」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。
・(ア)人に情けを掛けておくと,巡り巡って結局は自分のためになる・・・
45.8%
・(イ)人に情けを掛けて助けてやることは,結局はその人のためにならない・・・
45.7%
・(ア)と(イ)の両方・・・
4.0%
・(ア),(イ)とは全く別の意味・・・
1.9%
・分からない・・・
2.6%

全体では,本来の意味である(ア)「人に情けを掛けておくと,巡り巡って結局は自分のためになる」を選択した人の割合と,本来の意味ではない(イ)「人に情けを掛けて助けてやることは,結局はその人のためにならない」を選択した人の割合とが,ともに46%弱となっています。しかし,年代別のグラフを見ると,60歳以上を除く全ての年代で,本来の意味ではない(イ)を選んだ人の割合の方が多いことがわかります。
この言葉を本来とは違う意味で理解してしまうのは,「ためならず」の解釈を誤ってしまうからだと考えられます。もし「情けは人のためにならず」というのであれば,「その人のためにならない」と受け取れるでしょう。しかし,「人のためならず」の「ならず」は,〔断定の「なり」〕+〔打ち消しの「ず」〕ですから,「である+ない=〜でない」という意味になり,「人のためでない
(=自分のためである)」と読み取る必要があります。ここのところがはっきりしないことが「人のためにならない」と解釈する人を増やしている理由だと考えられます。

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よく、クラブ運営や競技団体に対して、正論で意見を言う人、批判的な態度を示す人などを見かけます。それ自体は間違っていないのですが、「じゃあ、あなたはそのクラブに対して何をしてあげましたか?」と聞いてみたい衝動に駆られることがあります。
「口を出すな、金を出せ」というのは正しい経営者の行動指針です。
『同情するなら金をくれ』は今から20年ほど前のバブル後の不況によって、「貧乏がトレンド」になっていた頃の言葉です。今の時代に「家なき子」が受け入れられるとも思えませんが、意見を述べるなら、それ相応の支援をしなければ釣り合いが取れません。資金援助だけが支援ではなく、観戦に行くこと、会場で飲食し消費することなども大切な支援です。
PVが実施されれば、お金を出したかどうかは無関係に誰もが楽しめる環境で行われるべきです。その為にできる範囲での支援はしても良いのではないかと感じています。
岡山にスポーツ観戦文化が根付き、そのことで地域が活性化され、岡山が元気になっていくこと。それこそが願いです。
ご協力いただけるところから、ご協力いただけたら嬉しく思います。
情けはかけた分だけ自分に返って来ます。それは、有形無形にかかわらず、あなたを幸せにしてくれるでしょう。
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明日もよろしくお願いします。
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