岡山市は6月1日、1889(明治22)年の市政施行から120周年を迎えました。
今年4月1日に全国18番目の政令指定都市となった岡山市は度重なる合併を繰り返し地域を拡大してきました。


岡山市の市域変遷。ピンクの範囲が市政施行当時の市域です。
(1)市政施行当時
市域は約5.8平方`。旧城下町とほぼ同じ区域でした。東は今の中区森下町、西は北区奉還町の東部、南は北区二日市町、北は北区出石町あたりまででした。
(2)市政施行10年後から昭和20年まで
地図の黄色の範囲を合併しています。御野村・石井村・鹿田村・福浜村・宇野村・三櫂村・平井村などを合併しました。
(3)昭和30年まで
地図の緑色の範囲を合併しています。御津郡の大野村・今村・白石村・芳田村、上道郡の牧山村・高月村・牧石村・高島村・財田村・幡多村・操陽村・沖田村・三蟠村、児島郡の甲浦村・小串村を次々に合併、旧岡山市の市域を確立しました。
(4)昭和44年から50年まで
地図のオレンジ色の範囲を合併しています。岡山市が最も拡大した時期です。西大寺市・、上道郡上道町、御津郡津高町・一宮町、吉備郡足守町・高松町・吉備町、都窪郡妹尾町・福田村、児島郡興除村・藤田村と断続して広域合併を行いました。
※おじさんの生まれ育った「西大寺市」は、昭和44年2月に岡山市に合併されて姿を消しました。西大寺市は、昭和28年に、上道郡西大寺町・金岡村・金田村・九蟠村・豊田村・津田村・光政村・芳野村・可知村・益野村・古都村・雄神村と邑久郡豊村・太伯村・幸島村・朝日村・大宮村・犬島村が合併して誕生しました。しかし、18年後に岡山市に吸収される形で合併されたのです。
(5)平成の大合併
地図の水色の範囲を合併し、現在に至ります。児島郡灘崎町、御津郡御津町・建部町、赤磐郡瀬戸町を加えて、現在の市域が出来ました。
※旭川の西で、国道2号線(旧バイパス)の北側が、市役所と中心街を含んで最も広い『北区』、2号線の南側を『南区』、旭川の東で昭和30年までに確立していた旧岡山市の区域を『中区』、旧の西大寺市・上道町・瀬戸町のエリアを『東区』としました。
命名の芸のなさには多少の異議がありますが、ともあれスタートした政令市です。これからもよろしくお願い致します。

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