Def Leppard
そもそもはNWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィー・メタル)出身なのだ
結成時のメンバーは
Joe elliott(ジョー・エリオット) …リードヴォーカル担当。
Rich Savage(リック・サヴェージ) …ベース担当。
Rick Allen (リック・アレン)・・・・・…ドラム担当。
Steve Clark(スティーヴ・クラーク)・ギター担当。1991年他界。
Pete Willis(ピート・ウィリス)・・・…ギター担当。1982年脱退。
1977年、シェフィールドで結成されたAtomic Mass(アトミック・マス)が母体だから歴史は古い
翌年にはDEAF LEOPARDとなり、DEF LEPPARD改名
1980年に1sttアルバム『オン・スルー・ザ・ナイト』(On through the night)でレコードデビュー。
1981年には2ndアルバム『ハイ・アンド・ドライ』(High’N’Dry)を発表。
1982年に、よくあるパターンですがピート・ウィルス (G) が脱退するも、元Girlのギタリスト
(Phil Collen フィル・コリン)が加盟して穴を充分に埋めました。
こともあろうに80年代に入るとL・Aにてイギリスから飛び火したヘヴィー・メタルなる代物が、なぜだかムーブメントの表参道にでちゃいまして
1983年に発表した3rdアルバム
『炎のターゲット』(Pyromania)は、なんと全世界で1,000万枚以上を売ってしまったのだ
この年、マイケル・ジャクソンの
あのモンスター・アルバム「スリラー」が居座ってなければ、間違いなくNo1の座を射止めていたことでしょう。
ヘヴィー・メタルの出地では、あるものの
普通の人が抱く、イメージとは程遠く
適度に、ポップでカラリとした音でして(されど、英国出身故に、湿り気も垣間見える)、ゴリゴリのメタルとは、ちぃと違ったのが幸いしたのでしょうか
このアルバムのヒットで、しこたまお金が入り
次回作のレコーディングには、ふんだんな資金が投入できたであろうことは
誰しもが、想像できることでしょうし、また期待も、相当なものだったのですけど
Σ( ̄ロ ̄|||)がががーん!!
げている。
1984年12月31日、リック・アレンが交通事故で左肩を切断してしまう悲劇に見舞われたのでした。既に新作の製作は始まっており、ドラマーである彼のアクシデントはバンドにとっても絶望的とも言えるピンチとなったのでした。
しかし、サブドラマーを加入させる案も却下し、片腕でも演奏出来る特殊なドラムセットと彼の執念のリハビリにて見事復帰に成功したのでした。
(T∇T*)(*T∇T) ウルウルゥ~~
プロデューサー問題でしばらく揺れていが、結局、前々作、前作と同じくマット・ラングを迎え(黄金の方程式ですな)
1987年8月3日に4枚目のアルバム
『ヒステリア』(Hysteria) (Hysteria) を発表。
どう見ても、初見者がジャケ買いするとは思えないジャケットながら
こいつは、売れに売れた。
全曲シングルカット可能と言ってもいい程の出来の良さは勿論のこと
MTVを発端としたHR/HMブームにも乗っかり、全世界で1,600万枚を売り上げてしまった、まさにモンスター・アルバムなのじゃぁぁ。当時、夜ヒットでも中継され、日本のお茶の間にも登場した事があるのだw
で、一番上に紹介しているPVは、このアルバムからの1曲
全米1位を記録した
Love Bites(ラブ・バイツ)で御座います。
PVの出来は、さておきw
思い出の1曲として紹介したのは
若かりし頃、バックパッカーもどきで
シンガポールからマレーシアへ
沢木耕太郎よろしく、深夜特急だよぉ
ジョホール・バルから夜行の3等寝台に乗り込み
(3等寝台なんて、普通に座席w体を横たえるスペースはありません)
車窓から見えるは、どこまでも、どこまでも漆黒の闇
冷房なんて、あるはずもなく窓全開で走り行く夜行列車
南国の生暖かい風と、時折停車する駅から飛び込んでくる蛾
それ以外は、ほんとオイルでベッタリ塗り潰したような闇
明け方近く、ようやく周囲がナツメヤシのプランターだった事に気が付きました
で、朝っぱらから30℃をゆうに超えているであろうクアラルンプールの
瀟洒な駅に到着した訳ですが、右に行こうか左に行こうか
今日の行動を考えているところへ、シンガポールからやって来たと言ってる
男女4人組に声をかけられ、しばし国際交流なるものをしたのでした。
彼らは、マミィー(ミイラ展)を見に行くと行って、立ち去りました。
で、マレーシアに1週間ほど滞在した後、再度シンガポールに戻り
DutyFreeに立ち寄ったところ
*゚o゚)ノ~*.オオオォォォォォォ-
店員に、あの時のおねいちゃんが勤務しているじゃないですかいw
世界は狭い!狭すぎる!
悪いことは出来ませんぞぉw
でむこうも、(*゚◇゚)ギョッ!! ですよ
再会を記念して、ご飯を奢ってもらい
その時の会話の中から、偶々デフ・レパード知ってるか?と
訊かれたものですから
ぐっはっはははっは
愚問なり、釈迦に説法とはこのことじゃw
30分近く、日本語とカッパ語で
あつく、それはそれは暑苦しいほどに
ヘヴィーメタルを語り尽くして差し上げました。
おそらく、バリバリに英語が話せたとしても
あちらさんには、数%も理解できなかったでしょうw
デフ・レパードなんて1分程度しか語っていないもんw
で、ラブ・バイツが一番のお気に入りって言ってたのが
やたらと印象に残ったって言うオチです。
流石、全世界で1,600万枚も売っただけの事はありますがな
シンガポールのおねいちゃんでも知ってたぞぉ
因みに、この当時クアラルンプールでは
あの「ランバダ」がいたるところで流れておりましたw
シンガポールのおねいちゃんも
一押ししてたラブ・バイツ、是非ともお気に入りの1曲に付け加えて下さいましw
(PVの出来栄えと楽曲はリンクしません)

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