さてさて
皆様、「かもめのジョナサン」って本を知ってますか?
以前ネット日記には何度も登場しましたが・・・
その時は出家と在家の修行の違いについて話しましたが。
最近冥想についても同じ事が言えると考えるようになりました。
冥想の段階として
@ 冥想的環境と時間を整えて、深く冥想する
これが出来るようになったら
A 何時でも何処でも雑踏の中でも時間さえあれば冥想する
これが出来るようになったら
B 他人と話している時やご飯を食べている時
その他、日常の細々とした生活の中で
その日常生活をこなしている自分と
同時に深く冥想している別の意識がある。
まだこれまでは私は出来ませんが・・・
ここまで出来るのが、あらゆる真理探究(秘教)の
到達地点と思える今日この頃。
各冥想段階の注意事項
@の段階の場合
冥想しているのでは無く冥想している自分に酔っている場合がある。
本当の冥想状態に入れば、時間の感覚が薄れるので・・・
タイマーをセットしてあと何分だ頑張ろうって感じでしている内は
冥想では無く、冥想状態に入る練習と思ってください。
Aの段階の場合
集中とは緊張する事と思っている内は、出来ません。
集中とは完全にリラックスした状態の中に存在します。
なので、
雑踏の中で冥想する時に、
その雑音を、@の段階の時に雑念と同じに流すようにします。
そうすると、深い冥想状態に入ると同時に雑音も理解しています。
雑音を切り捨てない事。注意を向けすぎない事が重要です。
Bの段階の場合
私はまだ出来ていないので説明出来ませんが・・・
日常の対象に没頭しすぎると冥想が外れ・・・
冥想を意識しすぎると・・・
何ボーっとしれるの?聞かれ・・・
三分出来たら良いほうですね・・・

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