ガイドの返品は受け付けませんので、最後までお付き合い下さいませ!発車オーライ♪                                        

2009/6/28

オホーツクを行く  オホーツク総合振興局

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サロマ湖で、センダイハギの花畑を馬車が行く・・・

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網走で、オホーツクの海岸をホーストレッキング

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知床五湖を、のんびり歩く
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知床の山もビューティフォーです!
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「フレペの滝」を・・・
見に行こうと、カメラを持って出掛けようとしたら〜
ドライバーさんに呼ばれたよ!
「花ちゃーーーん」て・・・
添乗員さんと一緒に駆け寄ったら・・・
「シーーーーっ」と・・・

あ!!!
イモリみゆき?か?ヤモリか・・・
なんだ?これ!
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保護色ですね!
わかりますか・・・?

では・・・
UPにしてみます!
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ドライバーさん・・・
つついています


「フレペの滝」(乙女の涙)に到着です
号泣でした・・・
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2009/6/28

消え行く風景@函館どつくクレーン  函館そぞろ

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今年初の函館
間に合ってよかった
港のシンボルはまもなく姿を消す(もう消したかな?撤去予定日の前日に運良く函館入り)

2号機はすでに撤去されていたけれど・・・
1号機はなんとか残っていた。

函館港といえば、函館どっくの紅白大型クレーン
「ゴライアスクレーン」という名前だったのか・・・
高さ70m、幅110m

ちゃんと案内すると良かった(反省)
造船会社、函館どっくのクレーーンです」で終わっていた・・・

私がガイドになった時、すでに港に浮かんで?いた
昔、ガイドになりたての頃・・・
青函連絡線の桟橋で修学旅行生を出迎えた時の不安をな気持ち・・・
全行程を終えて桟橋でお客様を見送る時の安堵した心も全て見ててくれた


次に函館に行ったら、クレーンは無い
見慣れた風景が消え行く・・・
本当に淋しいものだ
実際、港を見ると・・・
想像以上の淋しさがこみ上げてくるかも知れない・・・

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海上起重機船で重さ2000トンのクレーンをつり上げます。
約、1時間半かけて、数百メートル離れた造船所隣接地に運びます

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2009/6/26

修学旅行も、また楽し  バスガイド花子

今日は修学旅行の最終日・・・
私としたことが・・・
洗面用具(シャンプー・リンスはもちろんのこと基礎化粧品一式)を家に忘れて出張をに出てしまいました(↓)
同じ部屋になった、お二方には大変な迷惑を掛けてしまいました・・・(↓)

こーゆー人のこと・・・
北海道弁で「はんかくさい」ってゆうんだべね

ところで、今回は農業高校の生徒さんでした。

寄りにもよって・・・私のクラスは9割が男子というクラスです

最初・・・
「男子」というだけでかなりブルーでした(ほら、年齢的なハンディキャップがあるでしょ)

ところが・・・めんこいめんこい

話す内容がめんこい

例えば・・・
「俺の趣味は大和イもを作ることだ・・・」とか
「おおおーーーーーーあのトラクターはヤンマーの30馬力だ!乗ってみたいな〜」とか
「ガイドさん、北海道のたまねぎは春まきですね」とか・・・
「大体、葉っぱの形をみれば何科の植物かわかる」とか・・・
「あ!かぼちゃだ!」とか・・・

畑が見えてくると大興奮してるんです

その会話が楽しくて(笑)

見た目は、鼻や耳にピアスしてる子が多いんですが・・・
中身は素朴というか、新沼謙二っていうか・・・

♪よ〜めに〜 こ〜ないか〜〜〜

って、感じ

で・・・・(いつものことですが)
「ガイドさんいくつ?」って毎日聞かれてて・・・
最後に正直に言うからと約束して・・・

最後に正直に言ったら・・・
ガッカリした・・って子と・・・
「え?58歳だと思った」って子と二つに分かれた・・・?

帰り、空港に向かって恵庭辺りで生徒さんが「お別れセレモニー」を開いてくれて・・・
手紙を読んでくれた・・・
うるっ・・・ときそうで、こなかった(これ、絶対20代前半だったら涙流してたな)

千春の♪大空と大地の中でを静かに流して高速を降りる

「この歌、みんなにぴったりの歌だから」と・・・
振り向いたら、うるっと来てる子がいた・・・(感動した)

最後にまた、♪大空と大地の中で・・・を流しながらお別れ(降車)
沢山握手をして、写真に入って・・・
また、あの子達に会いたいな

4日間一緒だった教頭先生が、名刺の裏にメッセージを書いてくれた
「読んでください」と・・・

教頭先生とも一緒に写真を撮ってお別れした


ツーショットの写メ・・・待ちうけにしてくれるだろーーか・・・

クイズで全問正解した子に「チューしてあげる」といったら
マジでひいてたな・・・

がはは・・・

修学旅行も、また楽し・・・

おまけ
さっき、学校から帰ったSYUに「高校2年生の男子だった」と話すと
「慣れたもんでしょう」と・・・

年齢を言って引かれた話をしたら
「せめて、ひと時の夢をみせてあげようよ」と・・・

もう年は明かさないと決めた!



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2009/6/22

ウトロうろうろ2  オホーツク総合振興局

今回は知床を満喫するコース!(私が・・・)
お客様は朝一番、海上観光

船は前回乗ったので、今回は見送り・・・
散歩に出掛けることにした。

ほんとは「プユニ展望台」まで歩きたかったけれど・・・
時間的に無理だとあきらめる

で・・・「幌別川」を目指してみました!

ウトロ漁港を横目に
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国道に出ると・・・
すぐに「かにのハサミ岩」が、目の前に飛び込んできます!
こりゃ、どう見ても「たらば」のハサミでしょ〜
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ハサミ岩を振り返ってみてみます
このアングル、なかなかステキ!
ゴリラの横顔にも見えるわ〜
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「カニがチョキなら味はグー」
オヌシ、なかなかやるな・・・
こんな看板見ながらスタスタ歩いていると・・・
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標識の上にカモメが止まっています!
フンを落とされないように祈りながら・・・
パチリ!
大成功〜
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あれ?
あっというまに「幌別橋」です
「世界自然遺産」の看板もあります!
ここから知床国立公園〜
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↓を流れる川のところに・・・
よく熊が現れるのだけれども・・・
ドキドキ・・・

ますは右みて・・・
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今度は左みて・・・
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ざんねーーーん・・・

さ、心切り替えて
来た道を戻ります!
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あ!今度はキツネが!!
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私の存在に気が付いて動きが止まりました
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ばいばーーーい!
るーる、るるるっるるーーーーーー!

最後にウトロ漁港で「婦人部」の方の食堂をみつけました!
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「うに丼」ののぼりが・・・
ちなみに「うに丼」は2300円
「うに・いくら丼」は2000円、「いくら丼」は1500円でした!

気になる〜〜〜る、るるるるる〜〜〜?

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2009/6/22

最近、うれしかったこと  太郎のこと

昨日、夕方6:30過ぎに家に帰る
太郎が「あさりごはん」を炊いてくれた(あさり・・・入ってなかったけど)

昨日は父の日
ありがとーーう
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2009/6/22

学ぼう!北方領土  根室振興局

1、千島の発見

千島のことが日本に知られるようになったのは、今から300年以上も前の江戸時代の頃です。その頃はアイヌの人達が住んでおり。1615年〜1621年頃、松前藩と千島との間で交易が行われていました(ラッコを松前藩に納めていた)
1635年には、松前藩の村上広義がえぞ地を探検し、千島列島の北端にある占守島(しゅむしゅとう)までの地図を作りました(千島の島々を描いた世界で最も古い地図で、それには「くなしり」「えとろふ」「うるふ」などの島名がつけられています)
ロシア人が千島のことを知ったのは1697年のことで、アトラゾフという人がカムチャッカ半島で、クリール人から千島の島々のことを聞きました。


2、ロシアの南下

ロシア人が初めて千島に上陸したのは1711年。
ロシアの兵隊が占守島に上陸し、島の住民と戦い征服、翌年にはパラムシル島も征服しました。千島には毛皮になる動物がたくさんいることがわかり、ロシアの進出が活発になりました。そして1795年にはウルップ島にロシア人40人が移り住むようになったのです。そこで、幕府は千島の守りを固めるために1785年、最上徳内や近藤重蔵などの調査団を択捉島とウルップ島へ送りました。1800年には近藤重蔵は択捉島タンネモイの丘(カムイワッカ)に「大日本恵登呂府」(だいにっぽんえとろふ)と書いた標柱を建て、日本の領土であることを示しています。
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日本はその翌年から択捉島に役人を送り、東北地方の兵士に守備を命じたり、漁場を開きました。高田屋嘉兵衛が自分の持ち船「辰悦丸」に乗り、国後島と択捉島の間の航路を開き、択捉島に17の漁場を開いたのもこの頃です。
しかしその後、日本とロシアの間に正式な国境が決まっていなかったので択捉島にあった日本人の村々が襲われるなどの問題がありました。

ラクスマン来航
1792年にはロシア人ラックスマンがエカテリーナU世号に乗りロシア皇帝の国書を持って、日本の漂流民をともない北海道根室に来て日本との通商を求めました。
これに対して幕府の老中松平定信は、鎖国という国法を変えることは出来ないとして松前藩を通して次のように回答しています
●ロシアの国書は受け取れない
●江戸への来航は許可できない
●漂流民の送還については感謝する
●通商の申し込みは長崎で行う
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(路線バスの車窓から・・・根室市内にて)

3、「日露通好条約」国境が決まる

ロシアの南下が強められる一方、幕府の警備が進められ、両国の間に争いや事件が起きるようになりました
1811年、ロシアのゴロー人少佐が国後島に不法侵入したとして役人に捕らえられ、その仕返しとして1812年、高田屋嘉兵衛がロシア側に捕らえられました(ゴローニン事件)これがきっかけとなり、1813年に国境を決めるための話し合いが行われます。

1855年2月7日、下田で「日露通好条約」が結ばれ、国境は択捉島とウルップ島との間と決められました(択捉島から南の島々は日本の領土、ウルップ島から北の島々はロシアの領土、しかし樺太は両国の雑居地として国境は決めないでおくことにしました)
後に、2月7日は「北方領土の日」に制定されました。
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4、「樺太千島交換条約」国境の変更

その後も、樺太での日本人とロシア人の争いがたえなかったので、改めて国境について話し合うことになりました。
樺太をロシアの領土にするかわりに、千島のウルップ島からシュムシュ島までを日本の領土にする条約を結びました。
1875年の「樺太千島交換条約」です。
1876年、初代北海道開拓使長官黒田清隆は、初めて全島を視察して、島々の開拓と警備の重要性を政府に伝え、1880年には色丹島、国後島、択捉島、に村役場を置いて、行政組織もはっきりしました。
郵便局や小学校も建てられ、道路や港も整備されて島民もしだいに増えて生活がしやすくなりました。

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5、「ポーツマス条約」(日露戦争)

1940年に日本とロシアがもとに朝鮮を自分のものにしようとしたことに対して日露戦争が起こります。
1950年に終戦。日本とロシアの間で「ポーツマス条約」が結ばれ、日本はロシアから樺太の南半分(北緯五十度)をゆずりうけました

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6、第二次世界大戦

1941年(昭和16年)、日本はアメリカとイギリスを相手に戦争をはじめました。

日本とソ連は1941年に「日ソ中立条約」を結び、日本とソ連が直接戦争をしないとう約束をしていました。しかし、1945年にアメリカとイギリスは、日本を降伏させるためには、ソ連が日本との戦争に参加することが必要と考え、ソ連が日本と戦争を始めたら、樺太の南半分が返還されること、千島列島が引き渡されることをソ連に約束しました(ヤルタ協定)
そして、ソ連はこの約束に従って「日ソ中立条約」を破り、1945年8月9日に日本と戦争を始めました。
原爆の投下とソ連の参戦により、1945年(昭和20年)8月15日『ポツダム宣言』を受け入れて日本は無条件降伏しました。
「ポツダム宣言」というのは、アメリカ・中国・イギリスが発表したもので、ソ連も日本と戦争を始めたときにこの宣言に参加しています。
「ポツダム宣言」には「中国・アメリカ・イギリスは自分の国の領土を広げるために戦争をするのではない」(カイロ宣言)「日本の領土は連合国の決めるいくつかの島々に限られること」などが書かれています。

7、奪われた島々

日本が降伏して3日後の8月18日、ソ連は突然シュムシュ島への攻撃を開始し、次々と千島の島々に上陸しました。
そして、9月5日までに、千島の島々と歯舞諸島、色丹島はすべてソ連に占拠されてしまいました。
その当時、歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島には1万7千人の日本人が住んでいましたが、ソ連の命令で1948年までに日本へ強制的に引き上げさせられてしまいました。
日本ではこれらの元島民を中心に、戦後すぐに返還要求運動が始まりました。

8、サンフランシスコ平和条約

1951年、日本と第二次世界大戦で戦った国々との平和を回復するために会議が開かれ「サンフランシスコ平和条約」が日本と48カ国の間で結ばれました。
日本はこの条約で「千島列島と樺太の南半球に対するすべての権利、権限、請求権を放棄する」ことを認めました。
この会議の中でソ連は「千島列島はソ連のものにする」という風に変えるべきだと言いましたが認められませんでした。
平和条約ではこれらの地域が最終的にどこに帰属するかについては何も定めていません。
また、この条約を締結した同じ日に、日本の安全保障のためアメリカ軍の日本駐留を定めた日米安全保障条約が調印されました。

ここ大事!
●サンフランシスコ平和条約には、単に「千島列島」となっていて、その定義が明確になっていませんが、このことについてわが国は、この条約で放棄した千島列島(クリルアイランズ)とは、『日露通好条約』及び『樺太・千島交換条約』で定義されているように、ウルップ島以北の島々をさしていること、歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島は、歴史的にみて一度も他の国の領土となったこともなく、また、日本人以外の人々が定住したことのない地域であることから固有の領土であると主張し、これらの四島を千島列島とは明確に区別して「北方領土」とよび、その返還を求めています。

しかし、ロシア連邦は、千島列島は北方四島を含む島々であると主張しています。

本来、戦後の領土の帰属は平和条約で決定するものなのですが、ソ連はサンフランシスコ平和条約に調印しておりません。したがって、放棄した千島列島が、どの国に属する島かということについては、決まっておりません。

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(千島列島には北方四島は含まれていません!)

9、「日ソ共同宣言」

日本はその後、ソ連と平和条約を結ぶため努力してきました。
1956年に日本とソ連は「日ソ共同宣言」を発表し、国交を再開。その中で「平和条約を結んだあとで歯舞群島と色丹島を日本に引き返す」という約束がされました。
しかし、1960年に日本は日米安全保障条約に改定すると、ソ連は「日本からアメリカ軍が出て行かなければ歯舞群島と色丹島は返さない」と態度を変えました。
その後、ソ連がロシアになってからも日本は平和条約を結ぶために話し合いを続けています。

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参考資料
・北方領土問題研修会テキスト(昭和63年北方領土フォーラム)
・北方領土ガイド(2007、3月北海道)
・われらの北方領土2008年版(外務省)

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2009/6/18

追記  根室振興局

5月22日(木)〜26日(火)までの「ビザなし交流」について
ようやくまとめることが出来ました。

まだまだ伝えきれないことや写真がたくさんあります。
また時間が出来たときにでも少しずつ番外編としてを更新していきます
(根室市のことも紹介していきたいです)

今回の「ビザなし交流」に参加して、改めて北方領土の歴史にふれ、その大地を自分の足でふみしめ、大自然を五感で確かめ感じたことを、今後マイクを持って全国各地から北海道観光に訪れたお客様に正しく伝えていくのが私の観光ガイドとしての使命のようにも思えました。

また、出来ることならその自然を、私が見たままの姿で次世代に残してほしいと思いました。

この度、このような貴重な経験をさせていただいたことに対して、関わってきた全ての皆様に感謝申し上げます。

ありがとうございまでした!


PS:明日から25日まで・・・また長い出張です・・・

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あーした天気になーーーれ!

2009/6/18

ビザなし交流9@スパシーバ!  根室振興局

5月25日(月)3:30(現5:30)

目覚めると・・・
すでに国後島古釜布(フルカマップ)沖に到着していた
チャチャ岳がきれい!
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レンズを望遠にすると、街も船も良く見える
まさか、この風景をこの後30時間も見ていることになるとは・・・
夢にも思わなかった・・・
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5:00(現7:00)朝食
「出域手続き」をするためのロシアの船(はしけ)が強風のために来れないと伝えられる。一応・・・26日まで会社に休みを頂いていたのだが・・・どうなるのやら
とりあえず、ごはんをしっかりと食べておく

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食堂にあるテレビはNHKが入る。
相撲をかじりついて見る
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7:00(現9:00)
港が閉鎖されることになった
ということは・・・25日には帰れない
船中延泊が決定となった。
旅にハプニングはつきものだ。



団員番号順に、船長室にある電話を使って緊急連絡をする
推進委員会の方からも家族に電話連絡をしてくれた。
腹を決めて・・・?果報は寝て待て?とばかりに、寝てばかりいました・・・


そのうちに昼食
「牛丼」
食べてすぐ横になると牛になると・・・

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夕方、お部屋で宴会?が始まりました
択捉のお店で買った「はちみつ」を提供してくれた方がいて、クラッカーにつけて味見です。かなり美味しい〜
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「かんぱ〜い」


宴もたけなわになってきたところで・・・
Mちゃんが、私が持っていった北方領土のガイドブック(根室市内の小学生の作文)を朗読します
ジーーーン・・・
「交流」や「拿捕」などについて、根室海峡側の町に住む方々から貴重な話を聞けました。
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しみじみ〜したところで・・・
すぐに夕食です
すごいボリュームです
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あ!古釜布にも虹が掛かりました!
明日は帰れるでしょう〜
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おやすみなさい!


5月26日(月)
朝起きると・・・
相変わらず、波は高いようですが(正直前日の方が穏やかな波だったような)
一瞬だけ朝日が差し込みました。
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寝てばかりいてもお腹は空くのですね・・・
朝食です
もうそろそろ船の食品が底をついてきた・・・なんて噂がありました。
塩さばがおいしかったです
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7:00(現9:00)ロシアの船が到着です
ようやく「出域手続き」が出来ます!

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このベッドともお別れです
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7:40(現9:40)手続き終了

鈴木宗男さんが寄贈した船だとか・・・
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7:45(現9:45)出港

いや〜
船、ゆれにゆれました・・・
ジッと寝てるしかありません・・・
ひたすら寝ました

今度こそ、布団を片付けます


9:30(11:30)
食堂で解団式がありました


そして、最後のランチはシーフードカレーです
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この時、体調の悪さもピークに・・・
じっと耐えます(かなりのゆれです)

11:00(13:00)
「通過点」通過
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いよいよ根室港が見えてきました!
12:00帰港です

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12:20上陸手続きや検疫をしていよいよ下船です
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ありがとう〜ロサルゴサ号!
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ありがとう〜 ありがとう〜
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スパシーバーーーーー!

北方領土のうた

潮路間近にせまりくる 歯舞 色丹 択捉や
国後島の島影は 父祖が築いた故郷よ
祖国恋しと我を呼ぶ

ここは恋しい夢の島 親から子へと受け継いだ
三百年の昔から 我ら祖先が拓いた地
日本の民が築いた地 還れ祖国の島々よ


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2009/6/17

ビザなし交流9@さよなら択捉島  根室振興局

18:00(現20:00)
団員番号順に名前を呼ばれ、はしけに乗り込みます
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何組かのロシア人(ホストファミリー)が見送りにきています。
うらやましいです

そのうちに、一組の家族のお嬢さんが手紙を読み始めました。
日本語です
一生懸命読んでいます。
感動です


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いよいよ、はしけが動きだしました

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「さようなら〜、さようなら〜」


沖に浮かぶ「ロサルゴザ号」
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ロサルゴザ号に乗船です
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18:30(現20:30)出港

択捉島とお別れです
散布山ともお別れです
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このあとすぐ、内岡に虹が掛かりました!
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そして、この夕日!
言葉を忘れ、夢中になってシャッターをきりました
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2009/6/16

ビザなし交流8@レイドボ「ギドロストロイ社」  根室振興局

12:30(現14:30)昼食
内岡のカフェにて
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・人参サラダ(かなり美味しい)
・あげパン
・黒パン
・じゃがいもとソーセージのスープ
・蕎麦の実と肉の煮込みのようなもの
・ピーチジュース
・炭酸水


13:25(現15:25)カフェ発
13:45(現15:45)別飛(ベットブ)「レイドボ」にあるふ化場着
2003年建設(元々、この場所に日本のふ化場があった)

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サケ(サクラマス)今年は1800万粒をふ化(1.5グラム、5.3ミリの稚魚)
この会社が島の80%を納税
島には4カ所のギドロストロイ社の水産加工場があり、島の人口6400人中、7割を雇用している。

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会社の敷地内には噴水あり東屋?あり・・・
島で唯一ここの社屋だけが、近代的でしゃれた建物のようでした。
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「加工場」
桟橋に船が着いたら、ポンプで魚をここに吸い上げ、分けられ(大きさ、重量別)作業員が解体し冷凍する。
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昔はくじらの解体場が4カ所もあったそうです(うるっぷ、しゅむしゅ、なおか、てしお)こんなパネル写真がありました。
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夕食交流会まで時間があるので港を散歩します

「クリル諸島はロシアの大地」
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根室「車石」みたいですね
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釣り人がたくさんいます
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うおーーーーー!!
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だんだんと港も黄昏ていきます
夕方、島を去るのかと思えば本当に名残惜しい気持ちでした
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15:50(現17:50)「レイドボ」ふ化場出発

16:25(現18:25)「夕食交流会」(内岡のカフェ)


何度も何度も「かんぱい」をします
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17:30(現19:30)出発
18:00(現20:00)はしけに乗り込む

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