2015/10/20

竹管独奏曲の尺八初演  音楽

青木鈴慕師の主催で、我々が若いころ「鈴慕奨励会」があり、若手セミプロ集団の演奏会を開催していた。
各人が競って古典を中心とした三曲合奏曲など、日頃の勉強振りを披露してきた。

そうした中で、現代邦楽作品も演奏するようになり、「鈴慕コンソート」と名付けて3回くらい演奏会があった。
鈴慕師主導による曲目の選択により、大概は尺八二重奏曲や尺八三重奏曲から、箏、三絃、十七絃も入るかなりの編成の曲もあった。

第3回の1987(昭和62)年10月、新宿モーツァルトサロンで、「杵屋正邦作品による」と題しての会で、私は鈴慕師お気に入りの「竹管独奏曲」を演奏する事になった。
元々は篠笛の為の曲であった。それを「尺八では初めてだから北原やれ!」と言われたのである。

鈴慕師から福原百之助の演奏したカセットテープをいただき、もの悲しい演奏ながら素晴らしい演奏に接し、不安も出てきた。

この曲は一尺六寸管を用い、サイドドラム、ボンゴとコンガなどが必要であった。
そこでジャズバンド二人に賛助出演していただいた。ジャズバンドは松下通信工業のカウントセイノウオーケストラ(C・S・O)と言い、横浜市の佐江戸工場(JR中山駅)にあり、そこへ練習に行った。

元々私は高校の時、吹奏楽班でボンゴを練習したこともあり、違和感はなかった。
ただ、邦楽曲は「序破急」で出来ており、ジャズの一定の速さでは無いので合わせるのに難しかった。

鈴慕師に言われ、杵屋先生宅にも尺八のみ練習を見ていただいたが、先生はボンゴとコンガの代わりにウチワのような太鼓を叩いていた。
ただしこの曲は本来、篠笛の為の曲であり、尺八で演奏するには、なかなか困難でオクターブ上げたり下げたりして演奏したところ、先生は「青木さんみたいだな」と言っておられた。どうやら自分で演奏しやすいように許可を得ずにやったからだと思う。

ジャズ奏者2人は邦楽の「間」が取りにくかったかも知れない。所謂「あうん」の呼吸だ。
それでも私は、リズム的な打楽器が伴奏でジャズでも演奏しているかのような気分で、もの悲しさとは程遠く、うれしさいっぱいの演奏であった。

杵屋正邦(1914〜1996)の解説
昭和35年5月作曲、篠笛と打楽器の為に作曲された。
曲はアンダンテで始まり、アンダンティーノ、アレグレットと徐々に速くなり、レントで終わる。
打楽器は、サイドドラム、タムタム、ボンゴ、コンガ、シンバル等を使用して曲に変化を与えている。これらの打楽器の使用は邦楽作品では極めて珍しい。
もの悲しく、寂しいメロディは、篠笛の特徴である。(杵屋正邦記)
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