2016/3/30

'16飯田お練りまつり  芸能

今年の「飯田お練りまつり」に行って来た。珍しくお天気に恵まれて、過去最高の人出で35万人だったそうだ。
6年に一度のお祭りだから、この日が待ち遠しかった。

私は中央高速のバスに乗り、3月26日、27日とも見学した。
47団体による出し物があるのだが、圧倒的に獅子舞が多い。
中でも日本一と言われる「東野大獅子」が凄い。そのオンパレードをご紹介しよう。

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宇天王が獅子の前に、仁王立ちから始まる。

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起源はおよそ350年余前、当地の武運と安泰繁栄を願って大宮諏訪神社に加護祈願したことに始まったといわれる。
眠れる大獅子を起こすための優美で華麗な舞。屋台の中に笛・太鼓が入っている。

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起こされた大獅子は、テンポの速くなった笛や太鼓の調べにより、荒れ狂うように勇壮豪快に舞い、道路いっぱいに右に左と頭を振る。

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頭の重さは30`。重いから一つの演技で何人も途中で交代する。

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観客が怪我をしないように、座布団で受ける。
大獅子が一気に20m〜30m走る時には、中の笛、太鼓の人も一緒に走るのだ。
宇天王との紐を取り外すところ。

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演技が終わって、頭を支える。

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ここで記念撮影の時間となる。飯田駅前では長野県知事もかけつけて見学、記念撮影もされていた。

実はこの間何回も見たが、人がいっぱいでなかなか前で見られなかった。この時は先んじて所望席のすぐ裏に陣取った。

飯田お練りまつりはかなりの人がYouTubeに「東野大獅子」や「大名行列」の動画をアップしているので、ご覧ください。

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本町三丁目の出し物「大名行列」で、黒塗り桐紋の先箱は江戸時代からの本物。

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私も54年前の中学1年生時に鉄砲担ぎで出演したことがあるんだに。
詳細は事前にブログに書いたので参照(今年の2/21)

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富士形(ふじがた)と言われる槍。

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高校同期のK君が現役で、槍の演技をしている。若い!
槍を投げ終えたところ。

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草履と傘の演技。18歳と19歳と若い二人だったが演技は立派だった。

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傘は高く上げたり、片手で廻したり、首に廻す、背中から前に交互に廻すなどの演技に拍手喝さいだ。

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蓬莱大鳥毛。豪華で風格があり重さは25`だそうだ。
毎回力持ちが演ずる。背面は新築した飯田市役所。

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命響館の大太鼓は日本最大級の六尺の大きさで、腹にドンドンと心地よく響く。

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駄科南平獅子舞。親子のツイン獅子。

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飯田お練りまつり本部前の上村中郷獅子舞。200年の歴史があると言う。ひょっとこと雌獅子。

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箕瀬町にある長昌寺の「元結文七」の墓。落語「文七元結」の主人公、桜井文七の菩提寺で以前、立川談四楼・立川談修の落語と私が尺八を演奏した処だ。

地元の新聞には東京銀座の「NAGANO館」でも昨年から「飯田お練りまつり」をアピールした為か、かなりの人出であったと。
私も、事前にブログに書いたところ、尺八仲間のK君が日帰りで新宿から飯田に行ったとの事。大変感動したと言ってくれて、うれしく思った。

日曜の帰りは混むだろうと、我々は天竜峡近くの「久米川温泉」に泊まり、翌日は桜見学とした。

飯田は知らなかったが一本桜の名所があり、愛宕神社境内にある「清秀桜」は樹齢推定760年だそうだ。又、長姫の江戸彼岸(安富桜)は県指定天然記念物で樹齢推定450年以上。国内十指県下一の名声もあり、見事な胴回りであった。ただ、3分咲きまでもいかなかったのは残念だった。

もう6年後は待ち通しいが、果たして私は次回も見られる体力があるだろうか。
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2016/3/23

音程の差  音楽

今年の春に放送された、平成27年度NHKのど自慢グランドチャンピオン大会で、中学1年生の小山祐輝君がみごと優勝した。
曲は氷川きよしの「獅子」であった。

並み居る歌うまの激戦だったが、審査委員長の湯川れいこが「最も安定した人を選びました」と言ったそうである。(他人のグログより)
私は「音程の差ですんなり決まりました」と聞こえた。

歌すなわち音楽は、音程もさることながら、リズムや感情表現、強弱、などの総合芸術である。
プロの歌手には、さらに見た目すなわちイケメンか、美人か、容姿端麗かなどが加味されるであろう。

しかし、皆上手かったにもかかわらず、「音程の差」がどんなに大事か分かった気がした。
音程の差が勝敗を決めたのだった。

「カラオケバトル」の番組を見ていると、映像画面にリズムはもちろん音程も表示されるので、合っているか違うかが一目瞭然である。

のど自慢番組のゲスト歌手が「SMAP」であり、音程の悪さは中居君自身、認める程である。
「のどじまんTHEワールド」でも司会をして、自虐的に発言している。
音程が少しくらい悪くても、グループなら歌手になれるのである。

友人とカラオケに行くと、気を使うのはやはり「音程」である。
ある程度、教育を受けてきたので友人とは違うはずである。いやそうで無ければいけないと思って、歌を歌う。
「北原は音程が正しいね」とは良く言われたが、「カラオケ店」での採点を見るとまだまだである。

しかし、尺八の音程は難しい。

箏や三絃と合奏前に調絃しても、演奏中に変化してくるので、音程に敏感で無いと音痴になってしまう。

さらに、5孔尺八におけるメリ・カリなどによる半音の吹奏が難しく、音程が不安定になってしまう。
演奏中にいかに箏や三絃の音の高さに合わせられるかが、問われる。
そこにプロと素人の違いが出てくる。

やはり、超一流のプロの尺八演奏者は音程が正しい、と聞こえる。
テクニックだろうか。
たかが音程、されど音程と言おうか、これを無視すると「雲泥の差」となる。

だが尺八古典本曲はむしろ、音程が不安定と言うか、メリ・カリ・ユリ奏法により平均律でない音程が存在する。半音の半音も存在する。
それらを3人が演奏したら、音程がうねりになって聞こえる事も生じる。

むしろ、そのうねりを狙って作曲されたのが中俣申喜男(なかまたのぶきお)(1932年〜)の「三本の尺八のためのスペース」という曲である。(1969〜1970年作曲)
これは「尺八3本会」が良く演奏をしたが、最近ではあまり聞かない。

素人でも音程が狂わない楽器はピアノであり、大変うらやましい。

弦楽器であるバイオリンも不安定であり、超一流になるとやはりここが違う。
以前、ギターとバイオリンの演奏を聴いたことがあったが、バイオリンの音程が悪く、気持ち悪かった。

バイオリンなどの弦楽器は、ビブラートをかけて演奏するのが当たり前で、それが綺麗に聞こえるし、歌の採点でもビブラートを付けると点数が上がる。

尺八でビブラートが多いのは山口五郎や山本邦山で、青木鈴慕先生は余りのビブラートは嫌っていた

私もビブラートは掛けない演奏するが、音程や息切れ、鳴りをごまかす時には使用している。

のど自慢に戻ると、北島三郎は昔出演した時は鐘2つだったそうだが、平成23年度の「徳永ゆうき」君はグランドチャンピオンになり、YouTubeを見ると「俵星玄蕃」など高校生の時(17歳)でもう完成されている。

その徳永ゆうき君が映画「家族はつらいよ」に「うなぎや」の出前役で出演し、宅配車に乗りながら「寅さん」のテーマ曲を歌うシーンがあったが、やはり上手いものである。

イケメンではないが歌もキャラも良いので、彼の人気も「うなぎ登り」である。

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2016/3/21

先生の代演  音楽

表題の「だいえん」の漢字変換したら、「大円」とか「大宴」しか出なかった。
「代演」が一般的でないのが不思議だ。

今回は代演、すなわち先生の代わりに演奏会に出演した話である。
又も自慢話になるから、見たくない人はここでパソコンを閉じた方が良いと思う。

最近は物忘れも多くなってきたし、記憶が無くなる前に書いておこうと思った。
青木鈴慕師の代演を2回程行った。

一つは、創作モダンバレーの生演奏であり、もう一つは八木敬二のおさらい会だった。

「創作モダンバレー」の尺八演奏は元々青木鈴慕師に依頼されたもので、私は代わりにリハーサルだけの予定だった。
大学を卒業してNHK育成会に通っている時だったから、たしか1971(昭和46)年である。

曲は東京芸術大学出の作曲家、宮下和夫氏による新曲で、尺八とバイオリン、チェロ、打楽器による4人編成で、楽譜はあらかじめいただいていた。

リハーサルは芸大の教室で行われた。
芸大は初めて中に入ったが、気分が高揚するのを覚えた。

現代曲の小品で、尺八は低音から急に高音になったり、間が大事であった。
弦楽器と合奏するのは初めてだったので、かなり緊張した。

尺八は純音でなく、息使いや奏法でどうしても息と混じりけのある音になる。
その点を指摘されたが、仕方なかった。考えてみれば何故フルートでなく、尺八だったのか。
これも「ノベンバー・ステップス」の影響だったのか?

後日、渋谷のモダンバレーの先生宅で実際に振付と、演奏のリハーサルをした。

邦楽の世界と違って、洋楽の方々は何か話している内容のレベルが高い感じがした。
しかし、それほどの難曲ではなく、私でも務まるかなと思った。

結局、東邦生命ホールでの本番も私が演奏することになったのだが、青木先生から「君で良いと言っている」と言われた。カラオケ大会の時には「北原に仕事を取られてしまったなぁ」と笑いながら話された。

二つ目は、八木敬二のおさらい会での尺八助演であった。
これも24〜25歳の頃だった。

おさらい会には青木鈴慕・山口五郎など錚々たるメンバーが助演だった。

ところが、青木鈴慕先生は、受けた後どうやら群馬県でリサイタルをすることになってしまった。ダブルブッキングである。

おさらい会では、先生は「こんかい」と「青柳」を演奏する事になっており、急遽私に「こんかい」を演奏するよう指名された。ちなみに「青柳」は鈴慕会の他の人だった。

信濃町の八木敬二先生宅に青木先生と伺い「こんかい」の練習をした。
三絃は八木先生で、箏は門下生の第一人者だった。
八木先生は立派な体躯で、素晴らしい低音のとおる声で、難しいリズムの速いカ所を指導していただいたお蔭で、しっかりとこなせた。

玄関を出てから、青木先生に褒められてうれしくなった。
練習はもう一度、私が単独で伺った。

そして当日、プログラムを見て、びっくりした。
「こんかい」は青木鈴慕のままで、私の名前に修正されておらず、結局知らない人は私が青木鈴慕と思ったかもしれない。

前後に、山口五郎、川瀬勘輔の大物先生が演奏していた。
とにかく必死で演奏した。

その時の賛助出演者に井上道子先生もいらしていて、どうも私の演奏を舞台の袖で聞いていたらしい。

終わって楽屋に行くと井上先生が私に「こんかいを演奏した人はどなた?」と聞かれたので、私は名乗った。
「良かったから青木先生に伝えておくわ」と言っていただいた。

これが、本当に伝わっており、後日鈴慕会の一泊合宿をした折に、青木先生から「先日八木先生の会でこんかいを吹いたのは誰だ?」と言われたので、「私です」と言ったら「井上先生が良かったと褒めていたぞ」と言われ、大変感激したのだった。

それで「こんかい」を気に入って「今回」だけでなく、その何年か後の鈴慕会芸術祭にても演奏をした。
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2016/3/20

甲子園で高校野球  スポーツ・健康

春の選抜高校野球が始まった。

夏と違って各県代表ではないので盛り上がりが無く、知らない間にもう決勝戦かと思う時もある。

私は信州出身だし地元を応援するのは当然だろう。何しろ生まれて高校生までの18年間を過ごした場所である。
さらに、神奈川県大和市に28年間住んでいたので神奈川県も応援するし、現在の西東京も応援する。
特に長野代表は肩入れするが、今回は残念だが出ていない。

夏の場合は地方大会からよく注意して、新聞などでチェックしている。

会社勤めの頃、先輩に「長野県は出ると負けだなぁ」とか、「長野県は松商学園しか無いのかよ」と散々バカにされた。大変悔しい思いをしたものである。

夏の甲子園で印象が強いのは、池田高校やPL学園、横浜高校である。
PL学園のKKコンビで毎回のように優勝している時、会社では「プロ野球の最下位チームより強いのではないか」と言う話が出た事もあった。

夏の甲子園決勝戦では様々な名勝負があったし、ドラマもあった。思い出に残る試合は、

1969年、井上明投手の松山商業対太田幸司投手の三沢高校で0:0で引き分け、再試合となって4:2で松山商が優勝した。
この時は私は大学生で、アルバイトをしながらラジオを聞いていた。
太田投手を応援していていたので残念だった。

1980年、愛甲猛投手の横浜高校対荒木大輔投手の早稲田実業は6:4で横浜高校。
愛甲の大きなカーブが面白いように決まり、荒木は大輔ブームとなる。

1983年、桑田真澄投手のPL学園対横浜商業は3:0でPL学園。
桑田投手は1年生だった。

1985年、やはり桑田真澄投手のPL学園対宇部商は4x:3でPL学園。

1992年、星稜高校は松井秀喜が2回戦で、明徳義塾に5打席連続敬遠されて敗退した。
明徳義塾の馬淵監督は、いろいろ非難されたが「相手には1人プロがいた」と言ったらしい。
松井のコメントは淡々として、悔しさを隠し、その態度が大物を思わせ、プロで花が開いた。

1998年、松坂大輔投手の横浜高校対京都成章は3:0で松坂大輔はノーヒットノーランだった。
その前の準々決勝は17回までの凄いシーソーゲームで、7回から登板したPL学園の上重投手との投げ合いは手に汗を握った。横浜高校は史上5校目の春・夏連覇だった。

2006年、齋藤祐樹投手の早稲田実業対田中将大投手の駒大苫小牧で1:1再試合となり、4:3で早稲田実業が優勝。齋藤はハンカチ王子と愛称が付いた。
この時点で田中は負けたけれども、素質は齋藤より上と評価されていた。

名監督は池田高校の「攻めダルマ」こと蔦監督、PL学園の中村監督、取手二高・常総学院の木内監督、横浜の渡辺監督、明徳義塾の馬淵監督、智弁和歌山の高嶋監督を上げる事が出来る。

再び春の選抜高校野球に戻ると、実は輝かしい優勝をしたチームが飯田市にあるのだ。
長野県をバカにしないでくれと言いたい。

1954(昭和29年)4月、飯田長姫(おさひめ)高校は身長157pと小柄で左腕の「小さな大投手」と称された光沢毅を擁して、第26回選抜高校野球大会で全国優勝を遂げた。

当時はラジオしかないから、飯田市民はラジオにかじり付き、あれよあれよの快進撃にやんやの喝采の声を上げたと父から聞いた。

優勝パレードとして市中行進をした時、父はカメラ好きでバシャバシャ撮ったようで、白黒写真を見た覚えがある。

我々の年代以上の人は結構、飯田長姫高校が優勝した事を知っていて、こちらがビックリする位で鼻が高くなったのは事実だ。

光沢毅氏は明治大学から三協精機に入社して野球を続け、甲子園の高校野球大会ではNHK解説者として長らく名解説をしてくれた。
私が小学校の時に、彼の弟がクラスにいたので、親近感が沸きうれしく思っていたが、交通事故により失明されたのは不運だった。

飯田長姫高校の校名は飯田城(別名長姫城)跡地にあったことに由来する。
2013年度には飯田工業高校との統合により、飯田OIDE長姫高校となった。
英字を使用する珍しい校名である。

蛇足だが、もう一つ準優勝を上げておきたい。
1991年、春の選抜高校野球大会で、その「松商学園」が抹消されずに決勝戦まで行ったのだ。
優勝は広陵高校で6x:5だったが、松商学園の投手は「上田佳範」でドンドン勝ち進み、ついに優勝寸前まで行ったのだ。

会社で興奮したのは言うまでもない。松商学園をバカにしないでよ。PlayBack。

彼はその後プロになり、ドラフトで日ハムの外野手、そして中日でも活躍した。
今期はDeNAで一軍外野守備走塁コーチをしている。
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2016/3/16

題名のある音楽会  音楽

日曜日の朝9時からテレビ朝日で「題名のない音楽会」があり、毎週欠かさず見ている。

私の高校生の頃の1964年8月放送開始だから、50年間も見ている事になる。東京五輪開始の前からだ。
最初は黛敏郎が司会者で、クラシックから現代音楽や、楽曲の解説をしてくれて大変勉強になった。

高校ではブラバンだったので、東京に行ったらオーケストラが聴けるぞとワクワクした。

最近は司会が佐渡裕から、五島龍に交代になったが、邦楽の尺八なども時々やってくれて嬉しい。

今回は「題名のある音楽会」に通っているので書いてみたい。

昨年の2015(平成27)年2月にミューザ川崎シンフォーニーホールのランチコンサート「アメリカ人の尺八奏者が贈る、和と洋の世界」と題して、ジョン・海山・ネプチューンと箏・パーカッション・ビブラフォンの演奏会に行って来た。

最初は、尺八ソロの「五木の子守唄」。だが彼風にアレンジしていたからアレっと思った。続いて「荒城の月」「さくら」尺八本曲「鶴の巣籠り」そして箏との「春の海」だった。
彼の演奏は軽やかで、すごくスウィングした。

その上、お客様に本人が手でリズムを打ったのを、マネさせたのだ。
まず簡単な手拍子から、少し複雑なリズムまでやり、これが客に笑いを産み、十分楽しませた。
流石にエンターテイナーである。

こういう邦楽なら楽しいであろう。

私は彼のCD「トウキョウスクエア」を持っていて、新宿の自営をしていた時に良く聞いていた。
オリジナル作品も多いが、沖縄民謡的な「奔流」はリズムよろしく楽しい。共演者の箏奏者である渡辺泰子さんはNHK育成会時の同期である。

演奏会が終わってすぐ彼はロビーに来て、CDの販売で忙しかった。

私は尺八をやっている手前、CDも持っているので話しかけてみた。
「私も尺八をやっているが、ジョンさんのCDを持っていて助演の渡辺泰子さんはNHK育成会の同期です。とても楽しい演奏会でした」と言った。喜んでくれたようだ。

ミューザ川崎のランチ&ナイトコンサートは昼夜だから効率が良く、ランチは格安のワンコイン500円でナイトは1000円で聞ける。

このコンサートは毎月開催されており、1年分の演奏会のカタログをくれるので、スケジュールが良く解って良い。

今まで聞いたことが無かったパイプオルガン等、何回も聞いた。
ミューザ川崎の特色は何と言ってもパイプオルガンが鎮座ましますので、それを生かさない手はない。
その迫力たるや、ただものではなく、重低音から高音まで重音となってホール全体から伝わってくる。

演奏の組み合わせも趣向を凝らし、パイプオルガンとピアノだったり、パイプオルガンとサクソフォンだったりする。

ここで、若いサクソフォン奏者の上野耕平氏を知ったが、昨年8月に素晴らしい演奏をした。
私も時々演奏するが、息が長い「G線上のアリア」だなと思って聞いていたら、どうも循環呼吸法だった。

口で息を吐きながら、鼻で吸う奏法だから、途切れないのである。

後日、彼は「題名のない音楽会」に出演していた時、コップに水を入れてストローで吹く循環呼吸法を実演してみせた。だから息が長かった訳である。
私には出来ない。

「ジャズ」や「ホルン」のバトルなど楽しい企画もあった。
このブログを見て、興味を持って行かれると「ちと」まずい。満席になると困るからだ。

ちなみにミューザ川崎シンフォ二―ホールは収容人員は1997席で、ヴィンヤード形式のオープンステージ。パイプオルガンはスイス製で、管は5248本もあるから凄い。

演奏会が終わると1時で、ちょうど昼食時である。
隣のビルにラゾーナがあり、レストランが充実している。
最近は4階の「波照間」に決めて、「ゴーヤチャンブル定食」を食べるのが、楽しみである。
ゴーヤの苦みがよろしく、もずくや美味しい「ぜんざい」も付く。

一方、知人の知らせで尺八の演奏会に行ったことがある。

「和魂洋才」尺八・箏・十七絃とフルート・サックスで聴く「和」と「洋」の世界と銘打って開かれた、演奏会に行って来た。

昨年の6月、鶴見区民文化センター「サルビアホール」であった。

尺八の田嶋謙一がレジデントアーティストと何やら分かんない肩書で、メインの司会もやった。
彼は田嶋直士の息子で芸大出だ。

「浜辺の歌」「椰子の実」「ムーンリバー」「雨にぬれても」や共演者の池上眞吾のオリジナル作品も演奏したが、尺八は上手い。

YouTubeを見ると古典本曲も上手いし、今後の尺八界を引っ張っていく存在だと私は認めた。
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2016/3/14


枕(マクラ)と言えば、落語の本題に入る前の話で、時事ニュースや本題に関した話など結構面白く、知らない内に本題に入るのが名人である。

さらに思い出すのは、「枕草子」で平安時代に清少納言により執筆された、随筆である。

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆくーーー」
「夏は夜。月のころはさらなりーーー」
「秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。−−−」

この烏が飛ぶ様の、「三つ四つ、二つ三つ」の表現が、「実に素晴らしい」と高校の国語の轟先生から教わって、私も感嘆の声を上げた、とはオーバーだろうか?情景が目に浮かぶのである。

何しろリズム感があって、普通に「一つ二つ、三つ四つ」では面白くないからである。

そんな高校時代から50年。肩痛やら、いびきなど眠りに悩まされてきた。

2年前に地元紙に載った、「まくらぼ」の宣伝を見て八王子東急スクエアに出かけた。
「まくらんぼ」ではありません。

「オーダーまくら」として、「人生の3分の1は睡眠の時間です」がキャッチコピーだ。
「永久メンテナンス付き」ともあった。

自分にあった枕を作ってくれるのだ。25000円(税別)とちょっと高いが、肩が痛いのは枕のせいだと思っていたので、相談してみた。

人はそれぞれ頭の形が違うから、私の頭を計測し私に合わせた枕を作ってくれた。
この時点では、もちろん半信半疑である。

自宅に持って帰って使用したところ、うまくフィットして家人に「いびきがうるさく無くなった」と言われたし、肩の激痛が改善したのは良かった。

買ったのは年末のセール期間中で、抽選のため名前などを書いて箱に投函した。
私はくじに当った試しが無いくらい、運が悪い。

ところが、5000円分の商品券が当った知らせが来たのだ。(500円券を10枚)
喜んで、東急スクエアのレストランで使いまくった。

8階のそば・丼の「笹陣」、イタリアン「ナポリピッツァ&パスタ マル」、9階の和食居酒屋茅ヶ崎「海ぶね」を利用して、特に「マル」のランチが気に入った。
平日のランチは2種のパスタとサラダや、ドリンクがついて、お得である。

いつ行っても知っている係り3人が、気持ち良く迎えてくれて味も良い。

先日は、枕の「無料メンテナンス」の知らせがあり、高さの調節をしてもらった。
やはり使えばへこむので、調節は必要である。
枕は割と大きく、中は8か所のポケットがあり、それぞれ堅さの違うビニールパイプが入っている。

除菌などしていただいた為かなりの時間を要したが、代わりの担当者がそばに来たので、つい私のこのブログについて話をしたら、「非常に面白く楽しい」と喜んでくれた。
話に夢中になり、時の経つのも忘れていた程だった。

そうこうしてしているうちに、メンテナスが終了して枕を受け取った。
無料でしかも、風呂に入れるイタリア製の「バスソルト」をプレゼントしてくれた。

3〜4人の係りの人が丁寧に見送ってくれた。皆さん笑顔で気持ちが良い。

このブログをアップするような話をしたので、多分見てくれるかもしれない。
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2016/3/12

母校が日本一  音楽

私が在籍した飯田市立大手町小学校が合唱コンクールで日本一になった事を思い出した。

1956(昭和31)年度の「全国唱歌ラジオコンクール小学校の部」で優勝したのだった。
当時の大会名は、その後の昭和37年に「NHK全国学校音楽コンクール」と変更している。

課題曲は「わかいおじさん」で自由曲が「ゆめよぶ春」だった。
指揮は山中邦夫先生で、のちに私の音楽担当の先生である。

私は未だ小学2年生の時だから知らなかったが、7歳上の姉や母が歌っていたから自然に覚えた。
当時はテレビは未だ無く、専らラジオから曲が流れてきた。

「わかいおじさん」は与田準一作詞、牧野統作曲の同声2部合唱の曲である。
与田準一は童謡の作詞家で、小学校で習う「小鳥の歌」などの作品がある。

「わかいおじさん」の歌詞は

1、 広い肩をした私のおじさんが やって来た。
  熊が出ると言う 山の話をした。
  低い声だけど 歯がきらきら、
  万年雪の歯がきらきらした。 

2、 赤ら顔をした私のおじさんが やって来た。
  ふかが住むと言う 海の自慢をした。
  波の向こうから 帆がゆらゆら、
  パイプの先に 帆がゆらゆらした。

3、 太い腕をした私のおじさんが やって来た。
  空に組むと言う 鉄の響きをさせた。
  でかい声だして ガンガラガラ、
  ゆかいな歌をソレ ガンガラガラガン。  

これがどう言う事だろう、私が自営業していた新宿の店舗でラジオを聞いていたら、その「わかいおじさん」が流れてきたのである。

もちろん、NHKラジオだったが「それでは聞いていただきましょう。昭和31年度優勝校の飯田市立大手町小学校の皆さんで『わかいおじさん』です」と聞いたときは鳥肌が立った。

運命を感じた時だった。一生のうちに聞けるとは思っていなかっただけに、感激した。
あわてて、実家に電話をしたくらいだった。

その上、幸運が続くのである。

今の時代、誰かがYouTubeにアップしてくれて、聞けるのである。
kojiito2138さんがアップしたのを発見したので、ぜひ聞いていただきたい。

見事な演奏である。音程、ハーモニー、メリハリ、言葉の鮮明さはどれも素晴らしく、流石と思った。
当時は中央高速道も無く、本当の田舎でよくぞ東京に出て堂々と歌ったもんだと感心した。

歌詞と曲が一体となった名曲で分かりやすいし、歌い易い。

私が小学校4年生の時の担任の先生の謝恩会で、母の低音と私の高音のデュエットで「わかいおじさん」を歌った記憶がある。

田舎に帰る度に母と合唱したもんだが、今は96歳になったので残念だが「忘れた」と言われる。

我の母校と言ったが実は小学4年生までは大久保小学校で、廃校になったので5年生から大手町小学校に通った。
その後、大久保小学校の跡地は飯田市役所になった。

大手町小学校5年の時の課題曲は「秋は白い馬にまたがって」だった。
作詩は薮田義雄、作曲は京嶋信。

1. 秋は秋は来るよ
  白い馬にまたがってーーー

小学校6年生の時の課題曲は「世界の希望」で作詩は与田準一、作曲は佐野量祥。

1. 僕の好きなのは緑、
  君の好きなのも緑、
  緑はみんなの希望。

実はクラスにあこがれの「みどりさん」がいたのだから、この歌を歌うと恥ずかしくて、とても声を出しては歌えなかった。

何処の小学校もそうらしいが、コンクール時には各クラスから歌の上手い人が選ばれて、合唱団を形成するらしい。

私もひそかに狙っていたのだが、選ばれなかった。

多分、選ばれた同僚たちは関東甲信越大会で、東京九段会館まで行ったようである。
晴れ晴れしい顔を見て、うらやましく思っていた。


小学校の合唱コンクールの曲の中に有名な曲もある。
例えば「花のまわりで」である。
江間章子作詞、大津三郎作曲で1955(昭和30)年、第22回大会の課題曲である。
1964年4〜5月のNHK「みんなのうた」にも放送されたから、知っている人もいるであろう。

歌詞は

1、 花のまわりで 鳥がまわる
  鳥のまわりで 風がまわる まわれまわれ
  こまのように 歌いながら
  地球のように まわろうよ 

歌詞に余り深い意味は無いが、曲と相まって素晴らしい作品となっている。
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2016/3/12

他人の空似  随想・徒然竹

カテゴリーを吉田兼好の「徒然草」をもじり、「随想・徒然竹」としてみた。
「つれづれぐさ」なら私は「つれづれだけ」と発音しようかなと思った。

誰でもそうであるように、「誰々に似ている」と言われると、うれしい時もあれば嫌だなと思う時がある。

私も過去、何人にも「誰々に似ている」と言われてきた。
面と向かって笑いながら言われると「ムッと」する時もある。

小学校3〜4年の時だった。
当時の内閣総理大臣は岸信介(1898〜1987)であったが、未だテレビが無い時代だ。
一般の人はラジオで聞くか、新聞の写真で見るしかない。

岸総理は1957(昭和32)年2月から1960(昭和35)年7月まで内閣総理大臣だったが、彼に私が似ていると自宅に来た爺さんが言っていた。私は嫌な気分はしなかった。

ところが、どこで噂が広がったのか知らないが、運動会での「かけっこ」の時に走っていたら何と「岸がんばれ」と声がしたのである。ハッキリと聞こえた。決して爺さんの声ではなく、若くハリのある透る声だった。あきらかに私に向かって発せられた言葉だ。

皆そう思っていたのかも知れない。丸刈りの坊主頭だったが似ていたのだろう。

尺八を始めて4年頃、青木鈴慕先生に連れられて演奏会に出た時、係りの人に「兄弟ですか?」と聞かれ、これには先生もビックリで笑っていた。演奏のスタイルは似るであろうが、顔はどうなんでしょう。

長じて会社で言われたのは「チャールズ皇太子」これは良い。

会社の旅行で若いアルバイトの女性に言われたのは「チンペイちゃん」これは知らなかったが、谷村新司のあだ名だった。少し頭が禿げ上がってきた頃だ。

自営業で新宿に通っている頃の総理大臣は「福田康夫」で私と同じ名(本名)である。
その彼に似ていると、中華店の主人が言うのである。またしても内閣総理大臣で悪い気はしない。

最近になって言われたのは、元中日の和田一浩選手。
元の会社の先輩で、新宿で会って時々飲む度に言われる。

残念ながら昨年引退したが、現役時のスポーツニュースでテレビに出る度に、私もバットを構えた横顔が似ていると思った。
HP掲載の写真をご覧になれば、似ていると思うかも知れない。
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