2016/8/30

「シン・ゴジラ」を見た  映画

先日、噂の映画「シン・ゴジラ」を見た。
どうも「シン」とは「新」「真」「神」等を意味するらしい。

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新宿歌舞伎町の、デジタルゴジラ

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実物大のゴジラ。爪が可愛い。映画の方がもっとリアルである。

2014年にもハリウッド版の「GODZILLA」を見たが、それはCGによるゴジラがニューヨーク市内のビルにもの凄く出てきて、ピョンピョン走り回り、余り迫力を感じなかった。

今回のは間違いなく面白い。

東京湾にゴジラが現れて、政府がどの様に対応するかが興味津々である。
内閣官房副長官に長谷川博己、内閣総理大臣補佐官に竹之内豊、米国大統領特使に石原さとみを配した。

私は竹之内豊は知っていたが、長谷川は知らず、石原は名前だけは聞いたことがある程度だった。

もちろん政府関係者は他にも相当数出演するし、自衛隊や米軍まで巻き込んでゴジラ退治をする。
東京蒲田に上陸したゴジラが暴れまくるが、なかなか退治出来ないもどかしさ、住民のパニック状態とCGによる破壊が違和感なく続き、迫力を増していく。

これは東日本大震災を参考に、政府が対応をどのようにするか緊迫感を持って皆演じている。
竹之内や石原が時々、英語で話すが上手い。石原は外人かと思っていた。

ただ、皆早口で聞き取るのが難しい。又、英語の時は横書きの肩書表示が長く、縦書きのセリフの字幕も被るのでいっぺんに読めないくらい早い。

製作者は何度も編集をするから解るだろうが、一般鑑賞者には一度に理解は出来ない。

そしていつも思うのだが、字幕の独特の日本字がクネクネして読みづらい。明朝体やゴチック体に何故しないのか疑問である。こちらは昔から変わらない。

テーマ曲はやはり、伊福部昭の名曲「ゴジラのテーマ」を使用しており、エンディングに壮大なオーケストラを聞かせてくれる。

ゴジラ人気で今後、日本のアニメ制作の発表があったし、アメリカでも製作の予定があるそうだ。

怪獣映画で思い出すのは、「モスラ」である。
1961年公開だから私は中学1年生だった。
記憶に乏しく、近くのレンタルビデオ屋に行っても残念だが置いて無い。
(後日談=近くのレンタルビデオさんに行って担当者に聞いたところ、怪獣コーナーにあったのだ。早速見たが途中から止まってしまって、そこを飛ばして見た)

とにかく「モスラ」と出演のザ・ピーナッツだけは覚えていた。

架空の怪獣と言う事だが、卵から出てくるのは正にお蚕(かいこ)さんである。
実は私の実家は昔、繭糸店(けんしてん)を営んでいた。

真綿などを小売しており、ある時2階に繭が卓球台の上に乗せられて、それが何日か経って羽化してカイコガが出て来た。
ぽっちゃりとしており、飛んで行くほど軽くは無い。そして大量の卵を産んでいた。
従って「モスラ」はお蚕さん(蛾)だろう。

特撮だから「モスラ」は大きく、小美人としてザ・ピーナッツが出たのである。
インファント島(架空)に小美人が住んでおり、調査隊に捕まってしまった。それを、「モスラ」が奪還に来るのである。
「モスラ」は大きな卵から孵って蚕となり、東京にやって来る。大暴れして東京タワーで攻撃に遭い、一旦は死んだかに見えたが、蚕から糸を引き繭になる。

そこで終わったと思いきや羽化して蛾となり、アメリカに持ち込まれた小美人を救うのである。
そこでザ・ピーナッツは「モスラの歌」を歌う。

これが古関裕而作曲で「モスラーや、モスラーーーー」と歌っていた。(YouTubeにあり)
ここだけが印象強く、友人達に「モスラ―やっちゃ」と歌われた。「や」の音が跳ね上がり、その後に空間が出来たから、ゴロが良かったかも知れない。

私の愛称が「やっちゃ」であったからそう歌われたが、未だに中学の同級生に会う時には「やっちゃ」と言わると嬉しい。

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2016/8/26

「コンビニ人間」を読んで  随想・徒然竹

この度の芥川賞受賞は村田沙耶香の「コンビニ人間」だった。
興味を持って図書館に行き、文藝春秋の9月号で全編を3日間通って読んだ。

私が初めて仕事に着いたのは「スーパーマーケット」の会社で、当時はまだ「コンビニ」は無かった。
仕事内容は事務職だったが、日曜日や暮れの繁忙期には売り場で、陳列の手伝いをした。

その為か最近、スーパーやコンビニに行き、陳列が乱れていると無意識に直す時がある。

コンビニはスーパーの小型だから、基本の商品を売るというのは同じである。
従って文章的に内容が解るし、その文章が誠に読みやすく、働く人の人間模様描写が上手い。
実際に著者は、コンビニで働いているからバックヤードなどの様子も解るように書いている。

ネタバレしない程度に書くと、主人公はまるで本人みたいだが、実際はちがうと著者は言っている。

主人公の古倉さんはコンビニでパートとして働いている。そこではレジや接客、陳列、発注業務もテキパキとこなす、独身女性である。

たまに女子会に参加すると、「何故結婚しないのか」「社員として働かないのか」とか質問される。

様々な人間が働き、ある時白羽君なる若い男性が採用されて、そのキャラクターがユニークで彼との話がどんどん面白くなっていく。

村上龍も山田詠美も絶賛の小説だ。

話は変わるが、昨年から読んでいた夏目漱石の「吾輩は猫である」をやっと読み終えた。
猫を通して見た人間の有様だが、彼特有の風刺であるが何しろ矢鱈と漢文が出てきて、その度に「注」を見るのが面倒だった。

いつ終わるのかと心配になっていたが、猫の結末は意外だった。

8/27の東京新聞夕刊に「吾輩は猫である」の紹介があった。かなりあらすじを書いてあるが、最後には次の文章があった。
『吾輩は舌鋒鋭く人間を批判することもあれば、人間の愚かさを受け入れて温かく見守ることもある。最大の魅力は猫の冗舌な語りそのもの。いつ読んでも、何度読んでも楽しめる名作だ。』

本は余り読む方ではないが、若い時に読まなかった分を取り戻そうと、少しづつ恥をかかない程度に読み始めている。

谷崎潤一郎の「春琴抄」「痴人の愛」「刺青・秘密」を読んだが、とにかく文章が上手い。
特に好きなのは「陰翳礼讃」である。

私が行く図書館には「週刊文春」「週刊新潮」が争奪戦だ。
大概は誰かが見ているので、書棚には無い。
ある時、その書棚に無いから目の前のソファで誰かが返却するのを待ち構えていた。

すると、私の隣の中年男性の携帯電話が鳴り、その人はあわてて席を外した。
席を見ると2冊置いてある。なにげなく見ると例の2冊である。
ルールでは2冊取らないでと書いてある。

携帯の人が帰って来たのをじっと見ていた。その人は1冊を読みだし、もう1冊はお尻に隠した。
すかさず、お尻の本を見て「それを見せてください」と言ったら、仕方なく睨み付けながらも渡してくれた。

他の図書館にはその2冊は無いが、週刊誌の「SPA」がある。
これは、中にヌード写真があり、堂々と見るには憚れる。
現に女性司書が頻繁に目の前を通るのである。
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2016/8/20

オリンピック雑感  スポーツ・健康

今年のリオデジャネイロのオリンピックで、日本は目覚ましい活躍ぶりで毎日快進撃が続いた。
(金メダル12個、銀メダル8個、銅メダル20個の合計41個だった)

予想通りの金メダルもあれば、予想外の活躍もあり、テレビを見るのが楽しかった。
何故かいつもより早めに寝て、午前5時頃には起きて生の演技を再三見られた。

やはり感激したのは、卓球女子団体戦である。3人のチームワークよろしく銅メダルは立派だ。
さらに男子団体も負けじと、銀メダルは予想以上であった。
いつもはハラハラして見ないけれども、今回はしっかり見た。

私も卓球を久しぶりにしたくなり、近くに住む義弟宅に行って卓球をした。何しろ小学校5年頃には自宅2階に卓球台があり、友人を呼んで卓球を良くしたものだ。
中学1年次には卓球クラブに入って、強くはないがそれらしい事はした。
しかし、愛ちゃんにはかなわないが、ある程度は勝てる。

オリンピックの詳細はテレビ、新聞に任せるとして、私の思い出を書こうと思う。

我が家にテレビが来たのは高校1年の、東京オリンピックの時だから、やはりオリンピックの思い出は東京からという事になる。

特に体操男子の遠藤幸雄の個人総合と男子団体の金メダル、バレーボール女子の金メダル、男子マラソンの(裸足の)アベベや円谷、柔道の無差別級のヘーシンク、体操女子のべラ・チャスラフスカが印象的だった。

東洋の魔女と言われた、バレーボール女子チームは「鬼の大松」監督に導かれ、河西昌江を主将として、厳しいスパルタ式練習が有名である。ここで日本らしい「回転レシーブ」が生まれた。

大松監督の「俺についてこい」や「成せばなる」の名文句で、ついに優勝した。

体操男子の演技でアナウンサーが連発した「これもウルトラCです」が未だに耳に残っている。
演技の難易度で、今回のリオでは「ウルトラC」どころか、最高難度はH難度だから相当難しくなっている。

べラ・チャスラフスカは1942年5月生まれのチェコ出身で「オリンピックの名花」と言われ、個人総合優勝をした人である。当時22歳。
この名前を、親父はなかなか覚えられず、「チャフラフカフカ」と言って何度教えてもダメだった。

(後日談=チャスラフスカさんは8月30日、74歳で亡くなった。ご冥福をお祈りいたします)

東京オリンピックの開幕は、陸上自衛隊を中心とする「ファンファーレ」で始まった。
この曲は、公募により諏訪交響楽団の指揮者だった、今井光也作曲である。
正式には「東京オリンピック・ファンファーレ」であり、30人で特注の長いトランペットで演奏された。

たった8小節の短い曲であるが、中身は濃い。
変ロのユニゾンで始まり、5小節目で四声に分かれてヘ短調の主和音で終結する。

YouTubeにて「東京オリンピック・ファンファーレ」や続けて「東京オリンピック・マーチ」も聞ける。
ファンの中には2020年の東京オリンピックにも、この曲を演奏してほしいと言う要望もあるようだ。私も名曲だと思っている。

しかし、尺八を演奏している手前、今度は尺八で「ファンファーレ」はいかがであろうか。
或いは、箏や津軽三味線での共演もいいかも知れない。誠に日本らしい。
しかし未だ、開会式の演出者が決まっていないらしい。

さらに、私が気に入っているオリンピックのファンファーレは、1984年ロサンゼルスオリンピックのファンファーレであろう。

この曲はジョン・ウィリアムズ(1932年2月〜)作曲で「ファンファーレとテーマ」がその年のグラミー賞を受賞している。
その当時、甥が気に入ったらしくそのCDを購入して聞かせてもらった。

最近の開会式は1964年の東京オリンピックみたいに整然と行進しない。
閉会式はどこもバラバラで入場するが、その東京の時は選手を式典で待たせる間に、酒をふるまったので選手は陽気になったようである。

しかし、東京オリンピックのように開会式は整然と行進してもらいたいのは私一人だけであろうか。
どこかの国なら、100点満点の一糸乱れぬ大変立派な行進をするであろう。

「東京オリンピックマーチ」を作曲した古関裕而は「会心作だ」と言い、内外でも評価が高かった。
最後のメロディーに日本らしく「君が代」を入れたのを、皆さんはご存じであろうか。
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2016/8/10

高い山・低い山  ハイキング

8月11日は「山の日」である。

世界一の最高峰と言ったらエベレスト(8848m)で当然登ったことが無いが、19歳の日本人女性南谷さんが登頂し、しかも七大陸の巨峰を全部登りつめたという。さらに日本人最年少というから驚く。

日本の最高峰は富士山(3776m)であり、ここにも私は登った事は無い。

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しかし、3000m級に近い高い山に実は登っていた事に気付いた。

信州駒ケ根の宝剣岳(2931m)である。凄いと思う事なかれ、大概の人は登れるのである。
そこは、駒ケ根千畳敷カールから登る。

1992(平成4)年8月17日、飯田の兄宅に家族4人で泊まって5時起床。
6:01JR飯田駅から駒ケ根駅に向かった。
7時に駒ケ根からバスに乗り、8時「しらび平」下車。ロープウェイに乗り、千畳敷カールに8:25着。とてもさわやかで眺めが非常に良い。

そこから、歩いて石がゴロゴロしている尾根までの道を、イロハ坂のように右に行ったり、左に行ったりして、やっとの思いで尾根に出た。

当時、生意気にミノルタα7000のカメラを持っており、写真撮影をしようと思ったら寒すぎて、シャッタ―が下りなかった。周りは霧が立ち込めていた。

尾根にあった山小屋から、宝剣岳までの狭い山道を歩く。
木曾方面が眺められる辺りは、ちょっと足を踏み外すと生命が無い。そこで滑落したニュースを後で聞いた事があるから、侮れない。

どうにか宝剣岳に着くと、そこには小さな神社がまつってあった。とても良いロケーションで、霧も晴れて娘をカメラに収めた。後日知人に見せたところ、とても「カッコ良い」とホメてくれた。

12:30下山して、千畳敷カールのレストランで天婦羅そばをいただいた。

飯田市には象徴の山がある。風越山(1535m)と虚空蔵山(1130m)で、風越山は必ず校歌に歌われるし、風越高校もある。実家からは目の前に聳え立っており、二つの山はやや重なって見えるが、手前が虚空蔵山で遠足で登った事がある。

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低い山と言えば、高尾山は599.15mだ。それでも下から登ればきつい。いつか城山から高尾山に向かって、もみじ平に着いた時、尺八の音色が聞こえた。

初老のおじさんが生で演奏していたのだ。
興味を持って聞いたところ「都山流だ」と言う。私は「琴古流だ」と言ったが、さも自分が一番上手いだろうみたいな顔をして、無視されてしまった。
「登山流」を名乗る面白軍団があるそうだ。なんでも登山して、山の頂上で尺八を演奏するようだ。

もっと低い山でも、山と言う名の付く山はある。

私が東北旅行に行った秋田県の男鹿半島にある「寒風山」(355m)だ。成層火山で火口がぽっかり空いている。
1988年5月の午後。一人旅で勝本駅からタクシーを飛ばした。

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その時の写真が見つかったので、デジカメで簡単処理してみた。
広いところに小高い山があり、行った時に「アレッ!」と思った程だ。まるで一里塚みたいなものだった。でも眺めは良く、来てよかったとメモにあった。

名のとおり5月中旬でも風が冷たく寒く、吹き飛ばされそうになって、カーディガンを羽織った。

あの高さで山なんて日本一低いのではないかと疑ってみたが、そうでは無かった。

もしかしてと思って日本で一番低い山を探したら、仙台の日和山(3m)だそうだ。
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2016/8/8

八王子まつり  芸能

8月6日(土)八王子まつりに行って来た。猛暑である。

普段、外でじっとしていることが無い私にとって、汗だくの鑑賞だった。

昨年と全く同じところで、同じ太鼓を見たのである。

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今回の写真は太鼓に限定した。太鼓まつりは甲州街道で午後2時から始まった。
先ずは佼成太鼓から。見たところ昨年とほぼ同じメンバーである。
配置まで一緒だ。

昨年はマイクのオジサンにペットボトルを頂いたので、お礼も兼ねて始まる前に挨拶をした。

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マイクのオジサンは、「もっと前に来て並んでください。スカートの人はきちんとしてくださいね。そうしないと太鼓が叩けなくなっちゃうから」と意味ありげな司会で笑わせる。

とにかく、地べたに座ったものだから、音と振動がもの凄く、身体全体に伝わってくる。

歌丸のある落語に、花火のシーンがあり「ドーン」が良く、響きが無いと「ドドドドド、ドウドウドウ」では色気が無い、と言っていた。

それなんだ。CDでは伝わって来ない鼓動だ。

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最初は座って見たが、アスファルトの照り返しで熱い。奏者もだんだん乗って来て、草履を脱いで裸足だ。

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昨年は佼成太鼓に限定して2時間たっぷり見たが、今年は数多くの太鼓も見ようと思った。
女性グループで飛んだり跳ねたりするが、衣裳で暑そうだ。

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可愛い小・中学生。私も小学生の器楽班で小太鼓を叩いていたから好きである。

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男性は上半身裸である。
太鼓界で1は林英哲であろう。彼は佐渡の鬼太鼓座から鼓童を経てソロとして独立し、今では世界中で活躍する。

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甲州街道を50mから100m離れて、次の太鼓も見る。

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真ん中の大きいのは桶胴という。

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甲州街道は長い。ザ・エルシィまで来てしまった。
20年程前の事だった。ある知人に頼まれて、このザ・エルシィの宴会場でスポットライトを浴びて「仁義」を尺八で演奏した事がある。

「富士電機」の忘年会のアトラクションとして、ピアノトリオの前に出演した。
紋付袴姿で一曲だけだったが、3万円いただいた。さらにビールと食事もいただいた。割りの良い仕事だった。

暑い中、甲州街道を戻るのに、もの凄い人でなかなか進めなかった。急がねばならぬ用事があったのだ。
実は4時に、かつての弟子と会う約束をしていたからだった。

20年位会っていなかった、かつての弟子と一番弟子の名称は誰にも渡さないと言う、一番弟子も交え、「徳樹庵」で久し振りの出会いを楽しんだ。
先ずはビールで乾杯となった。その後は「浦霞」。

当然、かつての練習曲の話や、その他の共通の弟子についての近況報告であった。
どうも私は口が悪く、稽古中弟子に対して「ヘタだなぁ」みたいな事を言ったようである。

こういう事は言われた本人は覚えているが、言った本人は大抵「覚えていない」である。
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2016/8/1

シンガポール旅行 そのY  旅行

7月19日(火) シンガポール5日目
別れの日が来た。飛行機は午前11:00発だから全員6:30起床。自然に目が覚めた。

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朝の、フワラードーム・スーパーツリー方面。

朝食はネスプレッソマシーンもあったので、コーヒーとブルーベリー味のパンを食べる。日本から持参したアルファ米の白飯少しと梅干を1個も。
他の人はスーパーで買ったカップラーメンやみかん等で、簡単に済ませた。

8:30チェックアウト。パネルタッチで自動的に出来るとはハイテクが進んでいる。一人2万円くらいだった。

ここで甥が大型タクシーを呼んだのだが、トイレに行った甥を私が待っている間に、妻らは先に大型タクシーに乗り込んでいた。

甥が出て来て、タクシーが違うと大騒ぎのすったもんだの乗り換えで、呼んだ大型タクシーに6人が乗り込んだ。
シンガポールのタクシーにチップはいらない。冷房が効き過ぎなのはおもてなしだそうだ。

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マリーナ・ベイ・サンズにはもう一泊ゆっくりと泊まりたかった。

チャンギ飛行場に行く途中で、お世話になった甥とお別れである。彼はタクシーを降りて皆と「さよなら」を交わしたが、下を向き寂びしさをこらえているように見えた。

運転手に飛行機名を聞かれANAと言うと、流石にANAのゲートにピッタリと横づけしてくれた。
9:00にチャンギ国際空港に着。

私は土産物屋でやっと、自分用にマーライオンの絵がある「ショットグラス」2個入りをS$13,9
(1100円)で購入した。

11:20頃離陸。満席ではなく、80%位か。機内ではスナック菓子が出たので、自分に解禁して「プレミアモルツ」を飲んだ。

12:30頃昼食で、私は白ワインと肉じゃがを選んだ。

テレビ画面でフライト状況を見ると、高度12496m、外気温−50℃、真対気速度891`の表示。
地図も表示されて、今どのあたりにいるかが解る。
羽田に近づくと、高度は下がり、外気温は上るので見ていて面白い。

左窓側の外国人女性は、ほとんど寝ているようであった。それでも缶酎ハイの「ストロング」を注文していた。
雲の上を飛行し、太陽がまぶしくほとんどガラスを暗くしている。

夕方には「チキンサンド」が軽食として出て、コーヒーをいたただく。

千葉辺りから段々下降して、右に左に夕闇のロケーションを見せてくれる。

予定通り19:00頃、羽田空港に着陸。帰宅ラッシュに遭遇したが、自宅に22:00前には無事着いた。

シンガポールは素晴らしい所だった。見て良し、食べて良しだ。
比較的街なかはきれいだし、皆親切である。

MRTで席を譲ってもらった87歳の義母が「サンキューベリーマッチ」と言ったのには驚いた。しかしその場が和んだのは良かった。

交通は地上の電車は無く、地下鉄MRTの他に、バスやタクシーがある。
今、マレーシアとシンガポールを新幹線で結ぶ計画があり、日本などの新幹線売込みが激しいらしい。

日本人旅行客も何人か見かけた。見かけは中国人と似ているので区別は難しいが、日本語で分かる。ただ私の感覚では、ホテルでもレストランでも中国人なのに英語が上手いなぁと思ってしまった。

土地は狭いから、マンションは高層である。
一年中暑く、湿気があるが、建物の中は快適である。

ホテルのトイレは当然水洗であるが、ウォッシュレットではなく、便座も自宅の暖房に慣れていると常温でひやっとする。ここでも日本製のTOTOが活躍していた。

面白かったのは、大小便の押しボタンは丸い5p位のを押すのだが、上下に分かれており、どちらかを押せば良いのである。うまく考えたものである。

あわよくば水が美味ければ良いし、私の英語が上手ければ良いと思った。

でもやっぱり、目黒でなくともさんまの塩焼きに、日本酒を冷でがいいなぁ。
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