百貨店の終焉か  随想・日々是尺八

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ここは新宿西口の小田急百貨店である。今年9月末で営業をやめるという。

現在の本館は14階建てで1967年に開業し50年以上経った。
私が新宿に勤務の頃は地下食料品、文房具、催事、レストランなどを利用した。

跡地には地上48階、高さ260bの高層ビルが29年度に完成予定。新ビルに小田急百貨店が入店するかは未定だそうだ。

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こちらは小田急ハルクである。小田急百貨店の閉店の為、こちらに食料品を中心として移転するらしい。
もう地下街の小田急エースもかなり閉店や移転で、受け入れを準備している。

同じ頃に建設された近くの京王百貨店も同じような経過をたどるから、いつ建て替えをするか分からない。

一方、東急百貨店は2023年春以降、東急本店の解体作業に着手すると発表されていた。

跡地には東急電鉄、東急百貨店、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)グループの3社によって開発を進める。

隣接するBunkamuraも大規模な改修工事をする。
東急百貨店はすでに渋谷駅前の東横店を2020年3月末に閉店している。

東急百貨店での思い出は尽きない。

私が結婚を決意した時に、東急本店8階のレストラン「コートダジュール」は私の両親と、家内の両親の顔合わせをしたところだった。

Bunkamuraの大ホールで横山勝也の尺八と、鶴田錦史の琵琶による「ノベンバーステップス」を家内と聞きに行ったこともあった。

作曲は武満徹で開場前にロビーで見かけ、私は家内に知ったかぶりで「あれが武満徹だ」と指をさしてしまったところ、武満氏が気が付き、お辞儀をしてくれた。

面識はなかった。今でも思い出すと可笑しい。

私が20代の頃は未だ東横百貨店だった。
渋谷駅の東横店には「東横ホール」なる大きなホールがあって、よく落語なども開催されていた。

ある時、青木鈴慕先生に推薦され、箏社中の賛助出演に呼ばれて、その東横ホールにて宮城道雄作曲「高麗の春」を演奏した事があった。

とにかく大きなホールだったので、演奏していても音が散って、迫力を全然感じ無かった事だけは覚えている。

八王子の駅ビルも「そごう」だったのが、今は「セレオ」である。
府中も伊勢丹が閉店して、専門店街になった。

今、百貨店の独自の営業は難しい。
元々テナントに貸して、食料品は「のれん街」やレストランなど他店に任せている。
社員が専門性を身につけるのも大変である。

今や「ユニクロ」「ビックカメラ」「無印良品」「ロフト」「ダイソー」だらけで、代わり映えがしなくなって来た。


あいつ今何してる  映画

先日、テレビ朝日で「あいつ今何してる」を見た。
それに触発されて、気になっていた元会社の「夜の上司」Kさんに電話をしてみた。

ある人の偲ぶ会で一緒に飲んだのが2005(平成17)年7月で、あれから17年経っていた。

Kさんとは在職中、居酒屋に行ったり、スナックでカラオケをした。
カラオケでは「音程が正しいな」と言ってくれて嬉しかった。

しかしあるスナックでマスターがカセットに録音してくれたのを聞いたら、下手で愕然とした。如何に歌手が上手いかを思い知った。

電話ではKさんは「覚えていてくれて嬉しい」と言い、共通の知人の消息を聞くことが出来た。

「あいつ今何してる」で思い出したのが「サウンド・オブ・ミュージック」のメンバーが今どうしているかなと思ったのである。

下の写真は、私所有のレコードとDVDである。レコードは随分前に買って、何度も聞いた。
DVDは何年か前に購入した。

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サウンド・オブ・ミュージックは1965年公開のミュージカル映画である。

内容はオーストリアの退役軍人のトラップ大佐が家庭教師としてマリアを迎え、やがて結婚してマリアは先妻の子供達7人に歌を教え育てていく。

この作品は第38回アカデミー賞の作品賞など5部門を受賞した。
しかし主演のジュリー・アンドリュースは前年の「メリーポピンズ」で主演女優賞を受賞したのだが、この作品はノミネートされたが受賞は逃した。

私はこの映画が好きで1に上げている。

劇中歌には「前奏曲、サウンド・オブ・ミュージック」「自信をもって」「もうすぐ17歳」「私のお気に入り」「すべての山に登れ」「ひとりぼっちの羊飼い」「ドレミの歌」「なにかいいこと」「エーデルワイス」「さよならごきげんよう」などがある。

夜中に目を覚ますと頭には「ドレミの歌」や「ひとりぼっちの羊飼い」「エーデルワイス」が出て来る。困ったものだ。

そこで気になったのが、あの人は今どうなったかだった。
YouTubeで調べてみたら、2020年に作成された動画が参考になった。

そこで、公開時の年齢から56年後として、現在の年齢を推測して掲載しよう。

マリア役のジュリー・アンドリュースは公開当時30歳ー現在86歳
トラップ大佐役のクリストファー・プラマーは36歳ー91歳没(2021年)
残念ながら昨年に亡くなった。

彼は晩年まで俳優として活躍しており、2014年公開の映画「トレビィの泉」も見た。
この映画はクリストファー・プラマーの妻役がシャリー・マクレーンであった。
シャリー・マクレーンは1960年公開の「アパートの鍵貸します」にジャック・レモンと共演した。エレベーター係で、ジャック・レモンが惚れる役で大変面白い映画だった。
あの美貌もすっかり忘れてしまう程に、おばあさんだった。

話を戻す。

修道院長役のペギー・ウッドは73歳ー86歳没
子供たちは役者名で長女のリーズルは22歳ー73歳没
フリードリッヒは15歳ー71歳
ルイーザは15歳ー68歳没
クルトは14歳ー70歳
ブリギッタは12歳ー68歳
マルタは8歳ー64歳
グレーテルは6歳ー62歳

長女リーズルの恋人役のロルフは21歳ー77歳
修道院のシスターたちは皆亡くなった。

いろいろ調べて行くと、マリア本人が出演している場面はどこか見たくなった。
DVDを見たところ最初の方の、ジュリーが修道院を出た建物の中庭に通行人として、確かにマリアとその娘2人が、左から右に歩いて行くのが見えた。遠くにほんのわずかだ。

ジュリー・アンドリュースは60歳ごろでも、綺麗で人気がありライブで歌っている映像がある。
晩年のクリストファー・プラマーとキスシーンもあり、羨ましい。

話が違うが、このブログは何日もかけて書いて来たのだが、ある日Enterキーを押すところ、誤ってBackSpaceを押してしまったらしく、その日の文章が全部消えてしまった。
時々「変更する」などしておかないと、大変な事になるとつくづく思った。

なれが生じ、半ばキーを見ずに打っているので、消えてしまったのだ。
なれは馴れか、慣れか、熟れか、いろいろな漢字がある。
本当に感じ変換、いや漢字返還に困る。嫌な感じだ。

北京冬季オリンピック  スポーツ・健康

2月4日北京冬季オリンピックが始まった。
種目はスキー、スケートを始め、最近ではスノボ、カーリング、ボブスレーなどかなり増えてきた。

スケートが得意だとは以前書いたが、スピードスケート男子500メ―トルの速さは1位が34秒台だ。
私が全盛期の頃の400メートルが約60秒だったので、約2倍のスピードだ。

陸上の男子100メートルが9秒台だとして、私の全盛期の高校3年生時は50メートル6.9秒だった。単純に2倍してもボルトは私の2倍以上ではない。従っていかにスケート選手が速いかが分かる。

スキーについて書こう。

スキーは高校2年生の冬に担任から「長野県出身者だから将来恥ずかしくないように、スキーとスケート教室を行う」と言われた。(我々の高校は修学旅行は無かったので、その代わりでもある。)

私はスキーを選び、親父の木製の重いスキー板を借り、霧ヶ峰スキー場に行った。
なだらかで滑りやすかった。ボーゲンを習い、斜滑降、直滑降でも滑ってみた。

その後、大学生になった時に当時、飯田市大平に小さなスキー場があり滑った事もあった。

就職して会社でバス一台チャーターしてスキーに行く事になり、私が総務だったので幹事を引き受けた。当時は木曜日が定休日だったので、水曜日の仕事が終わってからバスに乗り1泊した。

行先は先輩が知っていた栃木県の現日光市の「鶏頂山スキー場」だった。(2000年に閉鎖)
道案内はもちろん先輩だった。私は先輩のスキー板を借り、初心者コースを滑った。

同僚は奥さんも連れて中級コースを滑っていたので、誘われて滑ったがコブが多く、転んでばかりいた。そのうちに前の人に突っ込んでスキー板の先を壊してしまった。

リフトに乗った時だった。山の途中でリフトが止まってしばらく動かなくなってしまった。何分待っただろうか。不安になってきたところ、アナウンスがあって「これから救助します」と言われた。

私はちょうど柱と柱の間で、しかも山の中腹だったから、救出はほとんど最後に近かった。遠くに別のスキー場が見えた。

救出時にロープに引っ掛けた長い竹ざおは、それも汚れた竹ざおで伝わって降りたが、泥まみれになってしまった。

私はスキーウエアと言うより、親父がスケート場で着ていた黒く薄っぺらい「アノラック」だったので、先輩から「炭焼き小屋の親父見たいなカッコしやがって」と言われて悔しかった。
その後は「ハイカラ」なスキーウエアを購入した。

帰りのバスは疲れもあり、眠かったが目の前に雪が迫る現象が思い出され、それどころではなかった。

その後は1回もスキーはしてない。と言っても結婚して家内と冬休みにスキーに行く予定だったが、ある事情でキャンセルしたのだった。
しかしスキーウエアはスケートでよく着たので無駄ではなかった。

ラジオの思い出  随想・日々是尺八

朝ドラで「カムカムエヴリバディ」を放送している。
時代はちょうど我々が生活してきた頃で懐かしい。

年代物のラジオが出てきたが、我が家も同じくらい古いラジオがあった。
木製で割と大きかったが、小学校生の頃の夏休みは父が家の前にラジオを出して、ラジオ体操をした。10人くらいの小学生が集まり、毎日ハンコを押してもらった。
この頃、少年剣士の「赤銅鈴之助」を聞き、主題歌も覚えた。

中学生になるとビクターの大きなステレオを買ってくれて、レコードやラジオを聞いた。
レコードの視聴盤の「汽車」の蒸気の音が立体的に聞こえて、左のスピーカーから右のスピーカーに抜けていくのが感激したし、「ベサメムーチョ」や「アイーダ」をそれで知った。

また、夕方のNHKラジオ「一丁目一番地」を聞くのが楽しみで、かじりついて聞いていた。
黒柳徹子が「さえこさん」役で出ており、大変気に入っており、テーマ曲は今でも忘れていない。

高校生になり受験を迎えて「カムカムエヴリバディ」ではないが、文化放送の「百万人の英語」を聞きだした。
冒頭のテーマ曲、ブラームス作曲「大学祝典序曲」も耳に焼きついている。

大学に合格して上京。武蔵境にある長野県の寮に入ったが、「ソニー」のトランジスタラジオを買ってもらった。

良く聞いたのがニッポン放送の「オールナイトニッポン」だ。
軽快なテーマ曲にのり、有名な糸居五郎、斎藤安弘(アンコー)、高崎一郎、高島秀武、亀渕昭信(カメ)がデスクジョッキーだった。
とりわけ「カメ&アンコー」が人気を博した。
この頃、「〽おらが死んじまっただー」の「帰って来たヨッパライ」が大ヒットした。

試験が近づくと何故か聞きたくなり、1つ先輩も「そうだろ、何故かなー」と会話したものだ。

大学3〜4年生の頃、当時の寮母さんの息子が幼稚園生だったので、みんなが可愛がった。

大事にしていたラジオだったが、私は良くFMを聞いておりアンテナを伸ばしていた。
その時ちょうど坊やが部屋に入って来たのだろう。何かの折に彼にアンテナを壊されてしまった。それからFMは雑音が多くなったと思う。

卒業して26年後、寮は老人ホームと併設する形で新築されて、そのパーティーが吉祥寺のホテルであった時の事。
実はあの時の寮母さんと息子さんも出席されて、ばったり会ったのだった。

彼も成長して、もう30歳過ぎで立派な青年になっていた。対面してつい愚痴が出てしまった。
寮母さんに「すいませんねえ」と言われた。

卒業すると練馬のアパートを借りた。木造の狭い4畳半である。
壊れたラジオの代わりにステレオ「トリオ」を購入。「トリオ」を買ったのは多分CMの影響だろう。

会社に入ってから田園都市線の高津に引っ越し、6畳のアパートに移った。

27歳の時に尺八リサイタルを行い、録音はオープンリールだったので、ソニーの「テープデッキ」を購入した。随分立派なデッキで、いい音がした。興奮して何度も聞いていた。

結婚してつきみ野の建売を購入した時には、もっと良いステレオが欲しくなり、義父の知り合いの秋葉原の電気店で「パイオニアプロジェクト7」を買った。(トリオは甥にあげた)
これは随分大きかった。スピーカーが大きい事。

しかし娘が2人生まれステレオ部屋は娘に与えたので、私の部屋にはミニコンポーネントを考えた。

近くにヤマダ電機が出来たので、ビクターの「マイクロコンポーネントMDシステム」を購入。

やがて現在の八王子に引っ越し、パイオニアのスピーカーは処分して、チューナーの入っていたのはコンポーネントの置台にした。今は私の部屋に鎮座する。

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録音の機器は目まぐるしく発展して、カセット、CD、MDと進んできた。
その前にも何台もラジオ、ラジカセ、ウオークマンも買ってきた。
手元のラジオはソニー、尺八の演奏を録音するラジカセはアイワや、大きなダブルラジカセはパナソニックだったが全て壊れて処分した。

上記写真もそのうちMDが使用出来なくなり、新宿のヨドバシカメラまで重いのを持参したのだが、結局部品が無く、修理不可能だった。
しかし、MDだけが使用できないだけで、ラジオは聞けるし、これは又別売りのレコードプレイヤーを接続して聞いている。

写真には写っていないが、この下にパイオニアが置いてあり、その中にレコードやカセットテープ、CD、MD、DVD、VHS、ベータなど入れてあり、良い置台となっている。

やはりMDに貴重な録音をしているので、どうしてもMDが必要である。
上記のMDはA、Bの2か所あり、ダビングが出来た優れものだった。

そこで、もう1台買う事にした。こちらは居間に置いてある。

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これも同じ「マイクロコンポーネントMDシステム」だ。
こちらのMDには「ラジオ体操」が録音してあり、毎日いつでもラジオ体操ができる。
コロナ禍の中で自粛が続くが貴重な運動が出来る。

このコンポーネントは一番下にUSBが付いており、パソコンにダビングするのに便利だ。

会社を卒業?して、新宿で自営業していた頃は、暇だったので、TBSラジオを良く聞いた。
ここでもサンヨーのラジカセ、CDも聞けるのを買った。

平日の午前中は「大沢悠里のゆうゆうワイド」を毎日聞いていた。
朝8時30分から午後1時までの放送だったが、2016年4月に終了した。同時に土曜日午後3時からの放送に変更されたが、ついに3月で終了するそうだ。

番組の中の10時過ぎには「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」もあった。
申し込みのあった商店などに出かけてインタビューをするのだが、リクエストの音楽もマムシの「くそばばー」などのしゃべくりで、なかなかまともに音楽が聞けなかった。

土曜日は「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」だった。
2000年5月から外山恵理アナが担当して、永六輔が随分可愛がっていた。
晩年には永六輔の滑舌がだんだん悪くなり、かわいそうだった。

外山アナは今金曜日の午後「金曜たまむすび」に出演して、相変わらずかわいい声で、若々しい。

TBSラジオの平日午前中は大沢に代わって伊集院光が担当した「伊集院光とらじおと」だが、やはり3月で終了するらしい。

午後は時々「赤江珠緒のたまむすび」を聞くことがある。

時々、夜寝る前にNHKラジオを聞く時もあるが、だんだん若者向けになってきており、私には早口で聞き取れないし、みんなが同時に喋ったり、笑ってばかりで面白くない。

1957年4月から2008年3月まで続いたNHKラジオドラマの「日曜名作座」なんて良かったなあ。森繁久彌と加藤道子が2人だけで、ナレーターや2〜3人を演じた。

今は「新日曜名作座」で西田敏行と竹下景子がしている。
テーマ曲の古関裕而の曲はいいなあ。

やはりNHKの夜11時過ぎの「ラジオ深夜便」は年寄りが聞いているようだ。
父の法事で田舎に帰った時、90歳過ぎの母の部屋で炬燵に入って寝たが、一晩中「深夜便」がかかっていて眠られなかった。




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