飯田お練り祭り  芸能

3月25日から27日まで、3日間飯田お練り祭りがあった。
6年に一回のお祭りは、飯田では最大のお祭りである。

6年前に行ったのだが、今回は「コロナ禍」の為、行くのを止めた。
紹介の為に6年前の写真を載せよう。

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東野大獅子は約400年の伝統を誇る。
東野(ひがしの)は、私が通った東中学の地区である。

宇天王を前に獅子頭は約30キロで最大級という。屋台は車付きで幌を入れると長さ25メートル。高さ3.2メートル。
獅子頭は重たいので数十秒毎に交代で20人編成。それが4班に分かれている。

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幌の中には6孔の横笛で15人が4班に分かれ、大太鼓、小太鼓も入り、宇天王は12人が交代する。
眠っている獅子を囃子に合わせて、宇天王が手綱を引いて起こす。

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舞いには「まだかの舞」「大門口の舞」「道中起こしの舞」「道中ばやし」がある。
猛り狂うと50メートル位一気に走る。右や左にも舞うので、座布団を持ったスタッフがよける。迫力満点である。

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小さい頃見た宇天王は怖くて仕方なかったが、後年見るのが病みつきになった。

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この大獅子を一人が両手で持っているのが分かる。この頭をくねくね回すのである。

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ひと通りの演技が終わると、ご所望のあった人の前で再び舞う。

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こちらは大名行列で本町3丁目の出し物である。明治5年に始まる。
先頭は「化粧傘」、続いて「先箱」、「槍」と続く。

先ず行列では「エーハリワサートーナー」「エーヨヤサートーナー」と言いながら進んでいく。

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ただ歩くだけではなく、2人だけの所作がある。腰をかがめての演技だから大変だ。

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「槍」は「白車熊」「富士形」「大車熊」がある。

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槍は3人で2本の槍を投げ合う。道路の両端に分かれているので結構大変だ。受け取った人はクルクル回す。

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私が小さい頃は人数が多かったので50歳で定年だと聞いたが、今は本町の住民が少なくなり、熱意ある市民も参加しているようだ。そんな中に高校同期のK君を見つけた。もう毎回出ている。

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「蓬莱大鳥毛」は重量25キロ。重いので持ち上げる方は「ウーン ヨイショ!」と気合が入る。後ろには新装なった市役所が見える。

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「草履」と「傘」が2人1組で所作を行う。
「草履」は空高く投げ上げて、時にはわざと屋根まで放り投げた人もいて、笑いを取った。何回もやっていると指が痛そうだ。皆、指をテーピングしている。

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「傘」の演技は仮に落としても、足で転がせて拾う。
背中に交互に担ぐ演技では、観客が「ヨ ヨ ヨ」と掛け声を出す。

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子供たちの「鉄砲隊」である。
前にも書いたが、本町3丁目は私の実家で、中学生になる春休みに私も妹と参加した。

今年は分からないが、3月の飯田は寒い。雪がちらついた時もあったし、雨にも降られた。

お練り祭りがあると、いつも悲しい思い出が忘れられない。昼のお弁当事件である。

連絡ミスにより、我が家に「休憩場所に弁当を届けて置いて」が伝わってなかったのである。なかなか呼ばれないので2人で泣いて待っていたのだった。

画家の原田泰治が死去  文化・芸術

3月2日、画家の原田泰治が悪性リンパ腫で亡くなったと新聞に記載された。81歳だった。
原田泰治については以前ブログに書いたが、少し書いてみよう。

下の写真は諏訪の「原田泰治美術館」を4年前に訪れた時のものである。

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「原田泰治美術館」を訪れたのは3回目である。父の米寿のお祝いを諏訪のホテルで行った時と、私の家族と来たことがあった。

この時の企画は「美しい日本の童謡・唱歌展」であった。

実はこの原画展は期せずして以前、東京大丸ミュージアムで、展覧会とサイン会があると新聞で見て出かけた時と同じものだった。

大丸では少し並んで画集を購入して「夢 原田泰治」とサインをしていただき、握手する写真を撮っていただいた。(額に入れて大事にしていた写真である)

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この写真を撮ってくれたのが、高校同級のK君であり、彼は原田泰治の展覧会の企画者であった。

K君は「長野冬季オリンピック」の時に、南信州の下條村の中学校体育館で「エール」を送る会があり、その時に私を呼んでくれて尺八の演奏をしたが、それは「峰竜太と原田泰治の対談」の前座で行ったのだ。又、私のいとこの嫁ぎ先とも原田泰治と縁があり、そんな話をしたところ、「それはそれは」とわざわざ眼鏡を取って撮影に臨んでくれたのだった。


4年前に訪ねた時にはK君が「原田泰治美術館」の館長だと聞いて、びっくりしてしまった。

今回、彼に電話したところ「2年前に辞めたから元館長にしておいてくれ」と言われた。

原田泰治の絵は朝日新聞の日曜版を見て知ったが、日本の原風景を子供目線で細かいところまで良く書かれていた。

絵は切手にもなり、シートで購入して親類などの手紙に貼った。

宮城道雄が歌謡曲に  音楽

2月22日のNHK「うたコン」で氷川きよしが新曲「群青の弦(いと)」を歌った。
この曲は筝曲家、宮城道雄を題材とした歌謡曲である。

歌詞には「美しく織りなす箏の音に」とか、稽古の様子の 「千遍(べん)弾きの荒修行」、最後には「月に謳うは春の海」と出て来る。「春の海」はまさに名曲である。

まさか宮城道雄が歌謡曲で題材になるとは思わなかった。
氷川きよしは今年いっぱいで活動を休止すると発表があった。
この曲がヒットして箏の演奏者が増えるといい。

「春の海」は我々は中学の音楽鑑賞曲だったが、娘たちは小学6年生だった。
本来は箏・尺八の二重奏曲である。しかし尺八に代えて、バイオリンやフルートでも演奏された。

我々が聞いたのは箏奏者は宮城道雄本人で、共演者は先ずバイオリンはルネ・シュメーであり、フルートは吉田雅夫、尺八は吉田晴風を聴き比べたと思う。

この時に私は将来、尺八で「春の海」を演奏したいと思ったのだった。

大学に入り、尺八を手にして青木鈴慕師について習い始めた。
多分、大学2年時に「春の海」を習ったと思う。この時はうれしかった。

先生宅は当時、新大久保駅で降りた「柏木」にあった。今の住居表示は北新宿であろう。

先生は人気で、夕方多い時は10人以上が稽古を待っていた。
1人10分としても1時間半以上待つのである。サラリーマンも来るので「学生は3時から早めに来なさい」と言われた。

二間をぶち抜いていたが、余りにも門下生が多く、ついに私が3年時だったか、代稽古として6畳くらいのタンス部屋でおじさんに「春の海」を教えたことがあった。

会社に入社して、友人や部下の結婚式には独奏で、親類などの結婚式などでは妻の箏との合奏で、何度演奏してきたか分からないほどだ。

尺八を手にしてから、如何に宮城道雄が凄いかが分かるようなってきた。
中学だけでは知りえなかった名曲がたくさんある。

好きな曲「春の海」は当然として、「春の夜」は素晴らしい。
NHK「邦楽のひととき」で演奏した箏・尺八二重奏曲「泉」も好きである。

その他「小鳥の歌」「春の訪れ」「比良」「花紅葉」「軒の雫」「和風楽」「遠砧」「高麗の春」「初鶯」「虫の武蔵野」「秋の調べ」「こおろぎ」「鈴虫」「三つの民謡調」「都踊」などを演奏して来た。

失敗した舞台もあり、様々な思いが頭をよぎる。

宮城道雄は編曲でも才能を発揮し、「尾上の松」の箏の手付けは秀逸である。
箏独奏曲の「手事」や箏と十七絃との「瀬音」なども好きである。




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