楽譜を読む  音楽

舩川利夫作曲「出雲路」の合奏練習をした。

尺八、箏演奏者で作曲家の舩川利夫は1931年〜2008年、77歳で亡くなった。
島根県安来市出身。16歳で尺八を習い、24歳で上京して箏を古川太郎に習う。
1956年、東京新聞主催の作曲コンクール1位を受賞して、その後も数多くの作品を残した。

舩川先生には生前、浅草国際劇場の「北島三郎ショウ」の尺八伴奏出演でご紹介いただき、お世話になった。私が23歳の時であった。

その時は共演した郡川直樹とお礼にと、千葉県のご自宅に伺ったこともある。

又、私の尺八リサイタルで先生の「箏四重奏曲」を演奏した時に、一か所分からないところがあり、お電話でお聞きしたことがあった。(27歳)

話が前後するが、「舩川利夫作品発表会」にも賛助出演を依頼された。25歳頃だったと思う。
2本の尺八と群の為の合奏組曲「覚」(さとる)で独奏が「山本邦山」と「横山勝也」。あとは尺八4群だった。

私は第1尺八を演奏。非常に難しい曲で、拍子が複雑だった事を覚えている。

1960(昭和35)年作曲「出雲路」の曲に触発されて、2017年11月に出雲旅行に出かけた。
曲は「清水寺の暮色」「祭」「宍道湖の夕映え」となっており、宍道湖の夕映えを見たかったからだ。

「祭」には「安来節」のメロディーが尺八で演奏される。

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出雲旅行の初日は玉造温泉に宿泊したが、夜8時30分から近くの会館で「どじょうすくいショー」の実演が見られると言われたので見に行った。歌は「安来節」だ。

左後ろの小鼓を打っている人が師匠で「どじょうすくい」も演技した。

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この師匠の前にお客さんでやりたい人を募集をして、何人かおばさんが出ていた。
家内が私にも「出れば」と言ったが、遠慮した。

翌日は出雲大社を見て、宍道湖をバスで通りかかった。確かに夕方だったが、残念ながらカメラには写せなかった。

しかし鮮明にその風景が残像として頭に残っているので、演奏にも生きると思う。

今回の合奏練習に付き、CDやYouTubeを見たり聞いたりしているが、完全に合わすのは難しい。

私の楽譜は尺八だけの五線譜を使用している。(ところが自宅を探したら都山流の楽譜が出て来た)
そこでスコアが欲しくなり、関係者に当たってみた。

その結果、舩川先生宅に直接お電話して、スコアを入手した。
そこで分析を始めたのだ。

スコアは公刊されておらず、先生は望んでいなかったらしい。
清書されていないので、先生の自筆で癖があって見づらく、楽譜を修正しているところである。

こうして箏や十七絃のメロディーが分かり、合わせ易くなった。
邦楽演奏は指揮者がいないので、阿吽の呼吸で合わせる。ところが舩川作品はそれぞれのメロディーが単純ではないので、合奏が難しいのである。

合奏練習は約2時間かかった。過去の練習よりも今回は箏の楽譜を分析して、CDも聞き、タイミングを計った為、幾分上手くいったと思う。

タイトルに掲げたように「楽譜を読む」は大事だ。
ピアノも同じで、今回のショパン国際コンクールで第2位になった反田恭平らもそうである。

図書館で雑誌「ショパン」を見た。先のコンクールの上位出場者全員のインタビューが載っていた。

作曲者に寄り添い、楽譜を分析し曲を作り上げる。
反田氏はショパンの生まれ故郷のワルシャワまで行ってピアノを習っている訳だ。大変な努力家だ。

舩川作品には「尺八三重奏曲」や「飾画」もある。

「飾画」は尺八3本に箏と十七絃の五重奏曲だ。
この曲も大学2年時の学生連盟の演奏会で第1尺八を演奏する予定で練習していたが、私の祖父が亡くなり演奏会には出られなかった残念な思いがある。

「尺八三重奏曲」は、やはり大学の4年時に部内の3人で演奏をした。
演奏会には横山勝也先生も来られ、アンケートのところに大学名が「浮世大学」と書かれていたのが懐かしい。

舩川先生の話を思い出す。
私が学生当時の尺八作品は杵屋正邦作曲の尺八三重奏曲「風動」「第二風動」や独奏曲「流露」「吟游」「一定」などが流行り、盛んに演奏されていた。

それで舩川先生は「正邦さんの曲ばかり演奏して、何故俺の曲を演奏してくれないのかなあ」と言っていた。

正邦作品はメロディーがきれいでよくハモり、概ね明るい曲調。リズムも軽快だ。だから演奏しやすい。

「第三風動」を初演の為、青木先生に頼まれ練習で山本邦山宅に行った時、山本邦山先生は「正調杵屋節だね」と言っていた。

一方、舩川作品は複雑なメロディー、拍子、暗い感じで合奏も難しい。楽しく明るいメロディーもあるが、やがて後半になると暗くなってしまう曲もある。

やはり生まれ育った故郷の影響を受けているのかなと思う。




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