2016/5/1

白川郷・金沢旅行記  旅行

2016年4月26日(火)〜28日(木)まで、飛騨、山中温泉、東尋坊、金沢への2泊3日旅行に行って来た。
これはC社の「山中温泉の老舗旅館白鷺湯たわらやに2連泊」がメインのタイトルで「戦国浪漫感じる遺跡から城まで飛騨・北陸充実の旅」がサブタイトルである。
なかなか上手いタイトルをつけたものである。

行きは特急あずさで松本まで、移動はバス、帰りは富山から北陸新幹線で東京までである。
我々夫婦は、八王子から8時3分に乗った。ほとんどは新宿からで、総勢36名だった。
連休前の平日とあって、あずさは空いていた。さわやかな空気に迎えられて無事松本に着いた。

すぐに、大型で新型の長野観光バスに乗り込む。座席の指定があり、我々は10列目で一番後ろの前。もうここで残念に思った。一番後ろは3人組のおじさん達で、あずさの中から酒を飲んでおり、ガイドの話より自分達の話でうるさかった。我慢して、先ずは飛騨高山に到着だ。

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造り酒屋が多い。
以前来たのは高山に尺八仲間がおり、箏と合奏練習をしてそのまま別れてしまった。仕方なく駅前の居酒屋で一人寂しく飲んだなぁ。

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甚五郎の酒屋。「杉玉」は新酒が出来た時に知らせる役目がある。
長沢勝俊作曲「飛騨によせる三つのバラード」の第三章に「杉玉」があり、8分の5拍子や8分の3拍子など演奏に苦労した事を思い出した。

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次は、白川郷の合掌造り。10年に一回茅葺の屋根を葺き替えるという。

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和田家は見学出来るので中に入ると、名物ばあさんが朗々と自信たっぷりに解説をしてくれる。
写真は2階の太い柱と梁。駒尻とはコマの先がとんがっているような造りで、屋根が乗っているだけ。釘を使わず地震に耐えられる建築方法だ。1階はいろりを焚いていた。

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1泊目は山中温泉の老舗旅館「たわらや」で、とにかく源泉かけ流しで熱い。
「厳選垂れ流し」ではありません。誠にもったいない位の湯量と熱さで、いきなりは入れないから、まず寒くても露天風呂に入り、そして内風呂に入るとちょうど良い。

そして一夜明けた27日(水)も薄日が差す晴れ。バス席は7列目に昇格。
先ずは福井県大野市の越前大野城。織田信長の家臣金森長近が1576(天正3)年築城開始。昭和43年に再建。
小高い山の上にある為、下から歩くと20分位でちょっとした山登りだった。

石垣は自然石をそのまま積んだ野面積みだそうだ。あれーツァーのおじさん写っちゃった。
竹田城に負けずに「天空の城」を売り出し中。

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城下町の一角に名水百選の「御清水」(おしょうず)。湧水で美味い。
こちらは町中にあるが、私の生まれた信州飯田の「猿庫の泉」(さるくらのいずみ)も名水百選で、山の中にある。

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白山平泉寺(はくさんへいせんじ)は、中尊寺の平泉寺とは違う。
苔むす静かな所で、なだらかで少し広い階段を上ると突き当りは拝殿で、その裏に本殿がある。

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左側が本殿。
バス停前に何故かソフトクリームやさんがあり、これがジャージー種で柔らかくジュ―シーだった。

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曹洞宗大本山、永平寺の入口。
永平寺は1244(寛元2)年道元禅師にによって開かれた座禅修業の道場である。

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傘松閣(さんしょうかく)は156畳敷きの大広間。
天井の絵は昭和5年当時の著名な画家144人による230枚の花や鳥の絵。

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ここは仏殿だが、その裏には法堂がある。
山門から仏殿、法堂に行くには結構な板の廊下階段があり、山の斜面に作られた事が解る。
廊下は雲水らによる雑巾がけで綺麗であり、中学の時の廊下掃除を思い出した。

この日は尼さんらも修業で沢山来られていた。
私も尺八を演奏する手前、修業をせねばならない。

永平寺は雪が深く、瓦が痛むので1000円寄付すれば、数珠を頂けると知って寄付をした。
数珠と嬉しい事にお経の本もくれた。
これには私も知っている「開経偈」や「般若心経」が載っている「修證義」だった。

雲水らは夜は9時に消灯で朝3時30分に起きて朝食。食事当番は2時30分起きで、とても私は務まらない。
贅沢はしない食事でも彼らは、態度がきりっとして実にキビキビ立派でカッコ良い。

私も、修業のお経を唱えようと思う。

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一乗谷朝倉氏遺跡は、特別史跡・特別名勝・重要文化財の国の三重指定だそうである。上の写真は唐門。

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一乗谷(いちじょうだに)は地名。朝倉氏は兵庫県の豪族で朝倉広景から、朝倉孝景の時代に一乗谷に移り、繁栄したらしい。
しかし、1573年の刀羽坂の戦いで織田信長に敗れ、焼打ちになった。
遺跡の発掘は昭和42年から始まり、復原された。

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2日目の夕方、無料券をいただいて散策中「菊の湯」に行こうと思ったら、小雨が降りだし傘は持たなかったので諦めて、再び同じ宿の風呂に入った。

内湯に浸かっていたら、ガラスの向こうに何か見えたので、何かと思って見たらガラスの外側に「蜂の巣」を作り出して約3p位だった。こちら側に黄色い横縞の腹が見えた。すぐ横は露天風呂だ。スズメバチだったら大変だ。
早速、フロントに伝えたのは当然だった。

3日目の28日(木)は残念ながら朝から雨風強く時々土砂降り。バス席は少し前に進み2列目。
しかし、この席も真後ろの席のおばさんが、バスガイドの話しを聞かずうるさかった。
連れ合いは時々、舟を漕いでいたから気にならなかったらしい。

最初は「東尋坊」から始まった。

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東尋坊とは坊さんの名前。
松本清張の「ゼロの焦点」を読み、いつか現場を見てみたいと思っていた。しかし、土砂降りで風雨強く、ちょっと下に降りただけで、傘をさしており危ないので引き返した。
ここで死ぬわけには行かない。

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3日間バスを飛ばして、松井秀喜記念館を左に、松井ネットを道路上に見たりして金沢入り。
先ず、武家屋敷跡の野村家の庭園を見学。
外人さん達もじっと考え混んで、いつまでも見ている。

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玄関前の岩に苔むす風情がよろしい。
肝心の屋敷の写真が無いのは、とても見せられない人物が映っているので掲載出来ない。

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近江町市場の「市場寿し」は回転寿司だが普通にも握ってくれる。ここは本店。
実はツアー解散の声と同時に、飛び込んだのには情報があった。私の高校同級生のT君の話で旨いと聞いた。「のどくろセット」の寿司を頼んだが12貫もあり、美味いのなんの。全てが柔く新鮮でコメも旨い。それがエビ入り味噌汁も付いて2380円+税だった。

しかも連れは腹いっぱいだと言うから、私はその鯛も食べたから大満足だった。
おかみさんが「明日から連休で大忙しだから、本日は空いていてよかったね」

市場は近江商人が開いたからだと言う。そこは活気があって良いし、楽しい。
串に刺した、大いちご3ケ300円を食う。

あるO水産のエビ担当のお兄さんが「うちは大量仕入れだから安く出来る。地元の客を大事にするから、セット販売はしない」と説得力があった。

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休憩時間は残り30分だった。ここもT君の情報で「東出珈琲」。なに探さんでもバス停の斜め前だった。世界のコーヒーがあり、私は「ブラジル」で連れは「キューバ」。何れも美味い味わいで満足して、予定通り古いが木造の雰囲気のある喫茶店を後にした。

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兼六園は根上松(ねあがりまつ)から。土を盛って若松を植えて段々土を削って根上りになったと。
値上りの兼六園にはしないで欲しい。
以前、一人旅で来たが、うっすらと覚えているだけだった。

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「ことじ灯籠」の名は「琴柱」(ことじ)に似ているところから名付けられた。
とに角、雨激しく写真撮影は傘をさして、資料を持って大変である。もう資料はびしょびしょで破れかかっていた。

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霞ケ池の反対側から。つつじが綺麗だ。
もう駆け足で見て、バスに飛び込んだ。

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旅の最後は、ひがし茶屋街。テレビで良く見る光景だが、やはりテレビは映し方が上手い。
脚立を使って映しているカメラマンもいた。
もっと灯りがともる、夕やみの方が良い。
ガイドの話によると、私が夜来るところではなさそうだ。

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いよいよ最後となった。中田屋の「きんつば」をお土産に買う。私には甘すぎる。
「きんつば」は信州飯田の「和泉庄」の方が甘さが控えめだ。歌舞伎座で売っている。

写真に写らなかったがその左側に「箔一」があった。
そこで、欲しかった九谷焼の「おちょこ」を買った。これは運命で九谷焼のおちょこを求めて三千里ではないが、あちらこちら見て回ったが希望の品は無かった。

「箔一」で誠に品のある中年女性に、希望を言ったらずばりお目当てのおちょこを見つけてくれた。

何しろ中は金箔である。加賀百万石の思い出の品だと大枚をはたいた。パンパンパパンと講談では無い。冗談である。
実は予算ぴったりの3000円+税だった。

帰って時々、眺めながら「純米酒」をやっている。しかし味は金箔に負けるなぁ。

バスは無事富山に着き、バスとお別れした。
富山から北陸新幹線だったが、連休前で空いていた。ところが東京駅ではもう連休のラッシュが始まって、ホームはいっぱいの人。どこへ行くのだろうか。

3日間の旅行は、添乗員さんが若い女性で元気でテキパキとやってくれた。
バスの運転手も安全運転で安心出来たし、バスガイドさんの上手い事。何でも知っていて解り易く感心する。時々コックリタイムもくれて、お疲れの人には良かった事だろう。

たわらやさんには2連泊で、あわよくば他の温泉にも行きたかった。
食事は普通の旅館と同じだが、他人のコメントでは概ね良いと書いてある。
それでも毎回違った食事で、小さいがのどぐろやカレイ、はたはた、等の焼き魚や温泉卵、刺身、豆腐鍋、茶わん蒸し、生卵を自分で焼くベーコンエッグ、天婦羅、野菜寿司など2日間にわたり、夜はビールや地酒の「獅子の里」を飲んだ。

あの蜂の巣はどうなっただろうか。
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