古関裕而と朝ドラ「エール」  音楽

作曲家古関裕而(1909年〜1989年)モデルのNHK朝ドラ「エール」が終了した。

朝ドラを最初から最後まで見たのは、初めてである。
最終回には感激した。NHKホールで出演者が古関のヒット曲を歌ってくれたのだ。

私の好きな「イヨマンテの夜」がやっとフルコーラスで聞け、「モスラ」「栄冠は君に輝く」「高原列車は行く」や「長崎の鐘」も聞けた。

ドラマは古関裕而と妻の物語で、窪田正孝と二階堂ふみが立派に演じた。

特に二階堂ふみは迫力ある、感情の激しい「音」役を演じたのは良かった。

ただ全編を見ての感想は、出演者の恋愛から結婚の場面が多すぎた。もう少し古関の曲を流して欲しかった。

今年はコロナの影響もあって撮影が減らされ、私が最大の興味を持っていた「オリンピックマーチ」の作曲場面や、国立競技場でのオリンピック開会式の模様があまりにもあっけなかったのは残念だ。

改めてYouTubeで「オリンピックマーチ」を聞いたが、名曲だ。

NHKの「ビッグショー」を見たところ、作曲家の服部良一も出演していて「マーチじゃ古関さんにはかなわない」と言わしめた。

NHKのスポーツの番組では必ずテーマ曲として「スポーツショー行進曲」もおなじみだし、昔買った行進曲のレコードには軍歌「若鷲の歌」なども、マーチに編曲されてた。

服部良一も「青い山脈」などの名曲がある。

それにしても古関裕而が作曲にあたり、ピアノなどの楽器を使わないで作曲したことには驚嘆した。天才は頭の中で曲が出来上がっているらしい。

気に入ったドラマや映画が終了すると、寂しさで○○ロスとか言うそうだ。
私も朝ドラロスになったみたいだ。
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ガーデニング そのC  趣味

庭木の剪定は2年に1回、八王子市のシルバー人材センターにお願いしている。

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左から貝塚イブキ、金木犀2本である。その奥には柘植がある。
これら大きな木はお願いして、サツキやツツジは私が出来る。

いつも来て頂いているKさんに任せているが、かなり思い切った剪定である。

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「なんとまあ、セミの抜け殻ではありませんか」金木犀の葉にしがみついており、雨でも落ちない。

Kさんは高齢になり残念ながら、今年でリタイアすると言う。
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フランスパンの美味い店  グルメ・クッキング

めじろ台の「ルトン」に行くとフランスパンが出る。オリーブオイルに付けて食べると美味しい。(期せずして京王線の雑誌、「あいぼりー」にルトンが大きく紹介された)
それに触発されて、美味しいフランスパンを探し求めた。

めじろ台に「ファリーヌ」を見つけ、八王子セレオの食料品売り場の「ボンバドゥル」も美味しい。

それ以前に「サンジェルマン」の「エクセルブラン」も美味しい。
フランスパンではなく、山型のパンだが、サクサクとして旨く、それをわざわざ買いに行くのである。

つきみ野にいる頃は「中央林間とうきゅう」にあったのだが、今は閉店してる。
「サンジェルマン」を見つけたのは新宿タカシマヤ、立川高島屋、府中の元伊勢丹の一階で、元々は「東横食品工業株式会社」が創業し「東急フーズ」に社名変更後、JTに買収された。

店舗はどんどん増やしているらしく、橋本アリオにも入店した。

「エクセルブラン」は製造後しばらく「カナダ産のある地方の小麦粉を使用」と厳しかったはずが、今では国内産のようだ。

バターが一番合って本当に美味しい。ぜひ買って欲しい。
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芸能人・作曲家の死亡  音楽

「僕は泣いちっち」を歌った守屋浩が9月に81歳で亡くなった。
1959年のヒット曲だから、私が11歳の時である。

この曲は大学の同級生の親友の十八番だった。「〽僕の恋人東京へ行っちっちーーー」
新潟県出身の彼と、長野県出身の私とは気が合った。

二人は共有する思いがあったのか、上京してこの歌に魅せられた。彼とは疎遠となったが、何故か思い出される。

今度は10月7日、作曲家の筒美京平が80歳で亡くなった。
ヒット曲は「ブルー・ライト・ヨコハマ」「また逢う日まで」「さらば恋人」「魅せられて」他多数ある。

私のバカ話である。当時会社勤めで会社の慰安旅行があり、私が幹事で120名をバス4台に乗せ熱海方面へ行った。その時の宴会は私が司会で、余興は各店(スーパー)の対抗であった。

私は総務部の代表として、「ジュディ・オング」の「魅せられて」の物まねをした。

歌はカラオケで部下の若い女性が歌い、衣装は総務のおばさんがレースで、それらしく作ってくれて、当日は口紅も付けて華麗に(?)舞い、踊った。

そして見事に優勝したのである。証拠の写真もある。とても他人には見せられない。

そのまま舞台から会場内に飛び降りて、駆け回ったところビールまで浴びせられた。苦い思い出である。

今年はベートーヴェン生誕250年でNHKの「らららクラシック」などで特集している。
私はクラシック音楽の中でベートーヴェンが一番好きである。

彼の不屈の精神に共感する。
交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノ独奏曲など数多くあるが、何といっても私は交響曲の「田園」が好きである。

二番目は「エグモント」序曲、三番目が「運命」、四番目は「第九」、そして「英雄」である。

大学生の頃「田園」のレコードとスコアを買って、田舎でステレオを聞きながら指揮者の練習をした程である。これを聞くと高校生までの田舎を思い出す。一度はオーケストラを指揮してみたいな。

「エグモント」序曲は私が高校生の時、ブラバンのライバル校の当時「飯田長姫高校」が女子高校の文化祭で演奏をした。これを聴いたときに、凄くかっこいいと思った。未だに好きで時々、YouTubeで聞いている。

「運命」は何と言っても最初の「ジャジャジャジャーン」である。譜面では最初は休止符で始まる。その切迫感が凄い。

しかし、ベートーヴェンの曲は「しつこい」。特に運命は、終わったようでなかなか終わらない。
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最近見た映画  映画

9月8日は調布まで出掛けて映画「パヴァロッティ」を見た。
ドミンゴ・カレーラスと三大テノールと言われた。
彼はイタリアで生まれ1935年〜2007年に亡くなった。全盛期の歌唱や私生活など、インタビューにも答えて、作品が出来上がった。

歌はヴェルディ作曲リゴレットより「女心の歌」、「誰も寝てはならぬ」の他、「オ・ソレ・ミオ」は三大手テノールと共演するのだが、「オ・ソレ・ミオ」には恐れ入った。

カデンツァで節を長く引っ張り、ドミンゴ・カレーラスはびっくりして、二人とも真似をした。そのしぐさが面白かった。

歌はもう完璧だ。素晴らしい美声で、正しい発音に高音。特に「ハイC」と言われる音の高さは、すごい。ジュースと間違ってはいけない。ハ長調のドで私の最高音がEなら、さらに5音高いCである。もう圧倒的な声量で皆を魅了する。芸術は素晴らしい。感激した。

パヴァロッティが歌う会場はどこも満員。もてる故、私生活では離婚、再婚、愛人など波瀾万丈の生活を送ったが、最後に最愛の4歳の女の子を残して、亡くなったのは悲しい。

15日には映画「ミッドウェイ」を見た。
1941年12月ハワイ諸島の真珠湾(パールハーバー)に日本海軍(山本五十六大将)が奇襲攻撃をかけた。

爆撃機の空中戦が凄い。パイロットになって自分が操縦しているかと錯覚する。
戦争は悲惨である。二度と日本は戦争をしないように言っておく。

期せずして日本軍の組織論的研究「失敗の本質」の本を、高校の同級生から貰って読んでいた。この中に「ミッドウェー作戦」の項もある。
かなり売れていると新聞に出ていた。

10月13日映画「実りゆく」を見た。長野県の農家の息子がお笑い芸人を目指して上京、と予告編を見て興味を持っていた。

ロケ地も知らずに見たところ、なんと我が飯田のすぐ近くの松川町のリンゴ園が舞台だった。
南アルプスを望むいいロケーションである。内容は素晴らしく、感動するし、面白かった。

父親役は田中要次。飯田弁を話していた。彼は木曽出身だから違和感は無い。
息子役は漫才コンビ「まんじゅう大帝国」の竹内一希。

この映画も、田舎(飯田)を捨てて(?)上京した私にも共通するものがある。ある場面では涙も出た。実話に基づく映画だ。

松川町には、果樹園を営んでいる私のいとこ(撮影場所のすぐ近所らしい)もいるし、前松川町長は高校の同期生である。

彼に早速メールをしたところ、返信では「改めて郷土の素晴らしいことを、痛感しました」とあった。

皆さんもぜひ見て欲しいな。
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ガーデニング そのB  趣味

8月に入ってもコロナ禍は収まるどころか、感染拡大の数字は増えてきている。

困ったもので今年の梅雨は長く、日照時間が短かったので、作物が心配だった。

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そんな中、枝豆の種を買ってきて蒔いたのだが、昨年の余った種も取って置いて試しに蒔いてみたら、結構実がなった。

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おかげさまで、かなり取れてビールのつまみになった。とれたてを茹でるものだから甘みもあって美味いのなんの。
居酒屋で出る冷たく、硬い枝豆とは全然違う。
買えば、3000〜4000円くらいにはなったろう。

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父親から白ユリの球根をもらって大事に育てた結果、「つきみ野」から「めじろ台」まで引っ越しても咲いてくれ、今年は特に立派に咲いた。

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アガパンサスは義父達の時代からあるのが、毎年咲いてくれる。
株分けしたので今年は豊作だった。

その先にはミヨウガがなった。
薬味としてのミョウガだが、早速「ひやむぎ」を食べた。

味噌汁に入れたし、甘酢漬けは家内がしてくれた。
酒のつまみとして、単に醤油をかけるだけでも美味い。毎年50〜60個くらい出来る。

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スチューベンもうまく実をつけてくれた。

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茶色くなって来たなと思った時にはもう鳥が実をつついて、皮が地面に落ちているのを見て、慌てて袋をかける。

これが結構大変だ。
中には腐ったブドウもあるので、それらに蚊が群がっていたり、立派な棚を作ってくれたのはいいが、横棒の間隔が狭く、袋掛けが一大事だ。

私が立ったままでは袋掛けが届かず、脚立を使って掛けるのだが、私の頭が入らないので、いちいち横棒を取り外しては袋をかける。

かなり摘粒したつもりだが、全部で100袋くらいか。袋掛けは1日では辛く、3日くらいかかった。

蚊退治に渦巻き蚊取り線香はあるのだが、肝心の置台が無かった。ネットで調べて古いクレジットカードを加工して作ってみたものの、うまく出来なかった。

たまたまテレビで見たのは、農家のおばさんが腰に携帯用の器具を取りつけていた物だった。
高尾のホームセンターで、ちょうどそれを見つけて購入した。
思ったより安く、腰にぶら下げて絶好調である。ただし全身が臭い。

芝生もどんどん伸びる。やっと晴れ間になって、芝刈り機で刈る。
もう汗びっしょりだし、熱中症は困る。急にやりだしたら筋肉痛になってしまった。


秋本番である。庭に金木犀が咲いていい香りを漂わせている。
トイレの芳香剤の香ではなく、天然の素晴らしい香りである。

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しかし、10月10日の台風14号の影響でほとんどが散ってしまった。
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三蜜の道  散策・ハイキング

6月中旬、三蜜を避けるため高尾山に登って来た。
「三蜜は避けるが、壇蜜は会いたい」とは、笑点で小遊三が言っていた。

ところがこれだ。男坂の石段登ったすぐ右上に「三蜜の道」があった。

前からこの日に行く予定だったのが、東京新聞に奇しくもこの日に記事が載ったのだ。

しかも、8月7日にはNHK総合テレビの夕方、首都圏ニュースで放送された。

「三つの蜜とは」真言宗(密教)で「身蜜」「口蜜」「意蜜」のことで、「正しい行い」「正しい言葉」「正しい心」を心がける修行を指すらしい。

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初めてこの門をくぐり抜けて、左上に続く石段を上がってみた。上は広く、仏舎利塔や様々な石門や、硫黄島の戦没者の慰霊碑もあった。

いくつかの石門をくぐり、私には少しは修行になったようだ。

もちろん、この日は薬王院を抜けて、高尾山頂まで登って来た。
最近は「稲荷山コース」や「琵琶滝コース」は最後の階段がきついので、往復リフトにしている。
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昔取った杵柄 そのA  音楽

私が生まれ育った信州飯田の実家は、私が高校受験までテレビが無かった。
それまではラジオを聞いていた。

中学生の頃、ビクターの横幅が広いステレオをやっと買った時の衝撃は今でも覚えている。
視聴盤をもらい、蒸気機関車が汽笛を鳴らしながら走って来るのだが、はっきりと左のスピーカーから段々大きな音になって、「シュッシュポッポ」と右側のスピーカーに通り過ぎて行ったのだ。

迫力満点で、すっかりうれしくなった。
その時は中学でブラバンに入っていたので、陸上自衛隊中央音楽隊のマーチやアメリカのミリタリーマーチのレコードを買い、頻繁に聞いた。

祖父は三波春夫が好きだったので民謡レコードを買い、これも良く聞いたものだから、曲をそらんじる事が出来、その後の民謡尺八につながっている。

視聴盤には「アイーダ」など色々あったが、中でも「べサメ・ムーチョ」が原語で歌われており、何となく覚えた。
新宿で商売している頃、スペイン語関係のお客さんが来た時に、実は「ベサメ・ムーチョ」がめちゃくちゃ歌える旨を話して歌ったところ、大体発音があっていると言われた。

話は戻すが、夕食後のNHKラジオ「一丁目一番地」などを、ラジオにかじりついて聞いていたのを思い出す。
「さえこ」さん役の黒柳徹子は上手く、面白かった。

テレビを買ったのは高校一年生の1964(昭和39)年の東京オリンピックに合わせてで、感激した。

テレビは歌謡曲中心に見ていたのだが、やがてエレキギターブームとなる。
御多分に漏れず、私もギターを弾きたくなった。

隣のおじさんは「湯の町エレジー」「影を慕いて」をきれいに弾いていた。
それに触発されて、父にギターを買ってもらった。

父行きつけの「古道具屋」だと思うが、音楽に詳しくない父は中古の「スチールギター」を買ってきた。

隣の息子は私の小学校と高校生の同級生で、彼もギターをやって、「テケテケ」もやった。
ベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」や「パイプライン」などである。
「歌謡曲」の楽譜も買い、「湯の町エレジー」「影を慕いて」も練習した。

1966(昭和41)年、ついにNHKで阿部保夫のギター教室が始まった。

そのテーマ曲にすっかり魅せられてしまった。ソル作曲で今でも覚えている。
その曲をずっと探していたのだが、最近やっと見つける事が出来た。

それはソル作曲「魔笛の主題による変奏曲」でYouTubeでやっと聞けた。

上京して大学生になるとガットギターを購入して「カルカッシ教則本」で基本の練習をした。
大学の同級生にスペインギターに入った友人がいて、一緒に「禁じられた遊び」や「アルハンブラの思い出」も練習した。

めじろ台に引っ越して来て、「もう弾かない」と処分してしまったが、最近また弾きたくなったので困っている。

めじろ台にはプロの小川和隆氏が住んでおり、何回か聞きに行った事がある。
引っ越して間もなく、尺八の橋本竹咏(鈴慕会の時の後輩)と小川氏の演奏会も聞きに行った。

小川氏は小原聖子の弟子であり、私が飯田市のライブでギターと合わせた桑原利彦氏と同門だった。
私も体験レッスンでギターを一回習い、その縁で一緒に食事がてらビールを飲み交わした。

彼は10弦ギターを使用しており、やはり「禁じられた遊び」や「アルハンブラの思い出」をいい音で聞かせてくれる。 

お弟子さんのおさらい会にも行ったが、皆上手い。11月にも発表会をするそうだ。

また、YouTubeで村治佳織などを聞いていると、本当にしみじみする。

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昔取った杵柄  音楽

自宅にいる時はYouTubeで良く音楽を聴いている。
邦楽から吹奏楽、オーケストラ、ピアノなど、何でも聞くうち自分もピアノを弾きたくなった。

現在ヤマハのアップライトピアノが自宅2階にある。
それはつきみ野にいる頃、家内の友人Mさんが使っていた中古を買ったのだ。
一般的な黒色でなく、木目が美しくいい音がして時々弾いていた。

12年前、家内の両親と2世帯同居する時に、義母の古いピアノを処分して、そのピアノを2階に置いたのだ。
義母はシルバー教室でピアノ練習しており、発表会ではかなり難しい曲を弾いていた。

「子犬のワルツ」や「ノクターン」など弾きこなしたから、私より上手い。
したがって同居してからは義母がピアノをほぼ独占していた。

私の娘も弾きたかったので、別に電子ピアノ「KORG」を購入していた。

2年前に義母は亡くなり、今度は娘がアップライトピアノを弾くので、電子ピアノは使用していなかった。
そこで今度はいよいよ私が弾きたがったのである。

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(置いてある楽譜はモーツァルトのピアノソナタNo11 K331)

実は独学で昔ピアノを弾いたことがあったので、またソナチネや「エリーゼのために」「乙女の祈り」を練習しだした。昔取った杵柄である。

バイエルもそうだが、若いうちに覚えたものは今でも出来るから不思議だ。

母は音楽好きで実家には「オルガン」があった。
ペダル式で、それでも「フルート」とか「チェンバロ」などの7個のレバーがあり、手前に引くと色々音色が変わって面白かった。

かなり貴重なリードオルガン(三省堂製)で、今ではどこかに保存されていると聞いた。

調べてみると三省堂が長野県の海保オルガンに、明治から大正にかけて作成依頼したようだ。
小学校の教室にあったオルガンより立派であったが、ソナチネなどを弾くようになったら高音の鍵盤が少なかった。

私が最初にオルガンを弾いたのは、小学校6年生時の音楽会で「金婚式」だった。
パート譜を母に教わって、どうにか演奏会で弾けた。

その頃、小学校の昼休みに音楽教室にあったピアノで「ねこふんじゃった」を弾いたりしていたところ、音楽の担当先生に「黒鍵ばかり弾いているとピアノが壊れてしまう」と注意された。

その音楽担当の先生は、山中先生で実はすごい先生だったのだ。
全国NHK合唱コンクール小学校の部で、わが追手町小学校は全国優勝した時の指揮者をしたのである。昭和31年度の課題曲「わかいおじさん」で、逆算すると私が小学2年生だった時である。

2重唱の曲で、よく母に歌わされ?二人でハモった。私が高音、母は低音だった。
母が90歳の頃、認知症になり「わかいおじさんを歌わまいか」と言ったら、忘れて悲しくうつむいていたのが、気の毒だった。

何年か前、西新宿で自営業の時、突然NHKラジオで追手町小学校の「わかいおじさん」が流れてびっくりし、そして感動した。
今YouTubeで聞けます。

姉は小学校の担任に習い、妹は高校の音楽の先生について習った。
私は妹の演奏している曲に興味を持ち、やたらと練習していた。

「バイエル8番」の生徒が妹で、先生が母の連弾がうらやましく、私も練習した。
「ドミドミ ソドドド レレレレ」という曲である。

高校生の頃は「バイエル」から「ソナチネ」を独学で練習していたが、自宅は商売をしており、お客様が来てもガンガン弾いていたので父には「うるさい」と怒鳴られた。

しかし母は成長を楽しんでいたのか、一言も文句は言わなかった。
荒々しくペダルを踏むもんだから、よく布部分が破れて、母は頻繁に修理していて大事に使い、処分の話が出ても頑として受け付けなかった。

しかし最終的には実家の建て替え時に処分して、その後母は電子ピアノを購入した。

高校では吹奏楽班に属しており、練習は「講堂」であった。
講堂には古くて音程の悪いピアノが一台置いてあり、それを休憩時にソナチネ1番などを良く弾きだした。

それを聞いていた同期の友人は「その曲を聞いたら、将来きっと君の事を思い出すよ」と言われたが、昨年電話した時にそんな話もしたのだった。

そんなおんぼろピアノだったが、実はそのピアノは1902年ヤマハ製だった。
2000年に飯田高校創立100周年記念式典があり、その時にそのピアノを修復してピアニストが演奏を披露した。とにかく大変貴重なピアノだったらしい。

写真にあるモーツァルトピアノソナタ11K331の楽譜は、中学で音楽の時間に聞いた曲だ。
テーマと5つの変奏曲、3楽章は有名な「トルコマーチ」である。

つきみ野にいる頃、家内は第1楽章は弾いていた。(若い頃は習っていた)
それを聞いて発奮して挑戦してみた。ろくに出来ないのにトルコマーチまで触ってみた。
私は基礎が出来ていないから出来る訳がない。

しかしYoutubeでプロの演奏を聴いていると、いとも簡単に弾いているので、なんか出来そうな気がするのである。

モーツァルトピアノソナタK545など、ピアニストのラン・ランなんて素晴らしい。
彼は5歳の時ピアノリサイタルで弾いたそうだ。まさに天才だね。

私が弾くと指が突っかかってばかりで、家内に笑われる。

バッハ、ショパン、シューマン、ドビュッシーなどの高尚な楽譜があるが、私はやはりソナチネやモーツァルト、そして「詩人と農夫」も弾きたい。
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ガーデニング その➁  趣味

外出自粛で毎日、ガーデニングだ。
運動不足でいけないから庭の25メートルを100往復しようかしら、なんて思っているだけだ。

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庭の木は左から貝塚いぶき、金木犀が2本と続く。
ここに住んで12年。剪定は自分で両開きの脚立に上って剪定をしていたが、ゆらゆら揺れて本当に落ちそうになった時がある。怖いよ。

小学校5〜6年生時の恩師が自宅果樹園で脚立から落ち、それが原因で亡くなったと聞いた。
(20年程前に私が恩師の地元の中学校体育館で尺八を演奏した縁で、恩師と小学校の同級会を初めてしてあげた後だった。)

そんな思いで、ここ数年は八王子市の「シルバー人材」に剪定をお願いしている。
毎回同じ人にお願いするので慣れたものだ。

彼が言うには「両開きの脚立は安定しないから危ない」と言われた。

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4月30日には今後20度を超える見通しになったので、「枝豆」(北海道産ひかり姫)の種をまいた。暮れから畝の下には生ごみが埋めてある。肥料になってくれれば幸いである。

昨年はナス、ピーマンの苗木を手前に植え、向こう側に枝豆をまいたが、今年は全部枝豆にした。

いつも苗木を買っていた「ムラウチホビー」が閉店してしまったので、種をまく事にしたのだ。

3粒づつまき、鳥の予防でペットボトルをかぶせた。
一週間ほどで芽が出る予定。その後は2本立てにして育てる。

収穫した枝豆をゆでてビールを一杯が楽しみだ。

畝の裏側は左からサツキ、ツツジ、その手前にはユリやスズランが芽を出し始めた。

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画面中央辺りに白い花が見えるのは「コデマリ」だ。
裏側には柘植があり、右側2本はアジサイである。

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コデマリをアップしてみよう。5日に撮影。

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ミヤコワスレも少し咲き出した。
ミヤコワスレは家内の友人Mさんから苗をいただいたそうだ。
(私達の結婚式にピアノを弾いていただいた)

だが残念ながら、彼女は若くして亡くなってしまい、毎年のように家内らは、ミヤコワスレを花束にして、彼女のお墓に飾るそうだ。

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見落とししそうなナデシコは、かれんに咲いている。

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真ん中の白ツツジも咲き出した。

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白ツツジは5日にほぼ満開である。

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見納めは「飛び石」である。
10年ほど前にムラウチホビーで購入した。
7個を並べ、その先左奥には小石を並べてある。

右奥にはゴールドクレスト(ユニファー)が大きな素焼きの鉢に入っている。
娘が買ってきた当初より2倍位大きくなったので、この鉢に移植した。

最初の頃は玄関先で、クリスマスツリーとして電飾を飾った時もある。
しかし、成長したものの葉が枯れ出した。これではいけないと、こまめに手で摘み取り、大きな鉢に移植したのだ。

下面がタイルだったので、庭に移し換えたところ、順調に育ち根が地面まで伸びて、葉がこんもりしてきた。もう大丈夫だぁ。

年に何回か芝刈機で芝を刈るのだが、結構この石が重く、疲れてしまう。

そのうえ、石の下には芝が伸びてきているし、小アリがわんさかいる時がある。

芝生は高麗芝で冬には枯れて、白っぽくなってしまう。
やっと青々としてきたところだ。

芝生も私が植えたのだが、当初はケチって右側半分だけ植えた。

それを見た家族に非難ごうごうの文句を言われ、「やがて芝生が伸びるから文句を言うな」と言って、やっとここまで来たのだった。これは先見の明である。

コロナも先見の明で解決して欲しい。
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