2017/4/9

かあさんの歌  音楽

NHKの「みんなの歌」で多く知られるようになった「かあさんの歌」は作詞・作曲とも窪田聡である。1956(昭和31)年発表。

戦時中、窪田の母親が長野市に住んでいたらしく、歌詞の3番に「もうすぐ春だで」と言う箇所がある。
これは長野県の方言である。

3月30日の夜、母が亡くなった。

母は童謡が好きで、介護施設ではいつもピアノを弾いていた。

それを思い、母の葬儀があった4月4日の葬儀では、読経のあと私は尺八独奏で「かあさんの歌」を演奏した。

実は告別式のあと、葬儀のセッティングがあった時、マイクのテストをさせてくれた。やはりプロの葬儀屋さんだから、感度・エコー・ボリュームなど完璧だった。会場(かざこしホール)いっぱいに響き渡った。

満足して、控室に行ったところ「まる聞こえ」だったと聞かされ、冷や汗をかいた。

何より、不必要な発言をしなかったのは良かった。妻はハラハラしていたそうだ。

そして本番。気分は高揚してくる。昨晩から緊張で寝つきは良くなかった。
通常の演奏会と違い、どうも近親者がいると、カッコつけか上がってしまう。

今回は慣れた竹の尺八では無く、最近手にした「木の尺八」だった。
不慣れもあり、強めに吹こうとした瞬間、高音の「ピ」音が鳴ってしまった。

我慢して、最善を尽くし曲を終えた。

その後、「弔辞」は何と、甥の娘の小学3年生の女の子が、実にハッキリと堂々と、上手く「弔辞」を読んで参列者を感激させて、私は恥ずかしかった。

母は97歳の老衰で、静かに逝き、大往生だった。精進落しの後の会食では「赤飯」が出た。まるでお祝いではないか。

今後は49日や「新盆」、一周忌に飯田に行く事になる。飯田を通るリニアは未だ先の事で、当面私は中央高速のバスで飯田まで往復する。

実家は祖父が、繭糸店を営み、父は宅地建物業を始めた。
今は兄が「平和不動産」を営んでいる。

リンクに「平和不動産」を表示したので、ご覧いただければ幸いである。
リニアが通ったら、飯田は東京を出たらすぐに着く。いまのうちに別荘などいかがだろうか。
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2017/3/21

八王子でランチ  グルメ・クッキング

八王子市に引っ越して早いもので約10年経った。

2年前までは新宿に勤務の為、ほとんどの新宿西口界隈のことは分かる。これからは地元だ。

今度は、めじろ台から、高尾・西八王子・八王子へと、足を延ばしてみた。
ここに紹介するのは、主にランチである。

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先ずはお気に入りのトップは、高尾の陵南公園近くにある、ハンバーグ・ステーキの「彩」だ。「彩」は「あや」と読み、ご主人の娘さんの名前である。
やはり、父親は娘が可愛い。

毎週のように、まるで引きつけられたように行っている。
私は、大概和風しそダレにつけていただくハンバーグランチ。もちろんサラダ、コーヒー付きである。税込\1000。

美味しいのは当たり前。いつもカウンターの定位置に座るので、目の前で自家製パテを鉄板で焼くハンバーグを見られる。しっかりと肉汁を閉じ込めて、食べるときにあふれてくる。

サラダは冷たすぎず、蒸かした人参とジャガイモもおいしい。これが私のお腹に合うのだ。
コーヒーを飲みゆっくり出来るのが又いい。

奥様の接客も、テキパキと気持ちが良く、気に入っている。
ただ、高尾の駅から歩くにはやや遠く、私はいつも自転車で行くが、車かバスでないと行けないので、お客は近所の人か常連さんであろうか。私の隠れ家である。

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ここは西八王子の中央図書館近くの「エンラージ」。以前私のブログで紹介したところである。
やはり、私が紹介してから?、わんさか混みだして来た。HPあり。

ランチメニューはHPで見られるし、日替りもある。
フランス料理で、サラダ、メインにコーヒー付きで税込1000円から。

コーヒーはハワイのコナコーヒーで、バニラを入れてあるので、いい香りだ。

とにかく建築やさんのレストランだから、明るく、清潔的で、漆喰・板貼りの気持ちの良い店内である。

その上、手の混んで、決して手を抜かないおいしい料理と、女性陣の接客の良いこと。
誰に対しても、にこやかに、気持ち良く接客してくれて、ファンが多くなるハズである。
女子会らしい、女性客が多い。

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西八王子駅近くの線路沿いに、「びんびん亭」がある。
昨年、高田純次の「じゅん散歩」で紹介された番組を見て、行ってみた。
彼も食べたが、私は白ゴマの「つけ麺」をいただいた。

確かに美味い。女性2人が運営していた。せっかくだから声をかけて「じゅん散歩」を見た由言ってみた。「収録時はスタッフが来て話はあったが、誰が来るかは分からなかった」と言っていた。

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「びんびん亭」の写真左に見える、中央線線路をはさんだ向こう側に「もぐらの唄」がある。やはりラーメン屋である。

ここは「八王子ランチパスポート」で以前、紹介された店で、いつか行ってみたいと思っていた。期間中には行けなかったので、「びんびん亭」に行った翌週に行ってみた。

ランチパスポートの紹介欄には、「看板メニューの鶏白湯は大量の鶏ガラを使い8時間以上手間をかけて作ったコラーゲンたっぷりのラーメン。化学調味料未使用で女性に人気です」とある。

私は、醤油白湯味玉ラーメンにした。\880。評判通りの美味しさだった。


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足を延ばしてこちらは八王子。「八王子珈琲店」は北口から斜めに走るユーロードを歩き、ドン・キホーテの店の前である。
階段を上がり、2階に店はある。

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一階入り口にある看板。何となく美味そうな気がした。

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〽おひまなーら来てよね。ではなく「カルボナーラ」を注文。ベーコンとアスパラ入り。クリームはタップリだ。珈琲付きで\980。
いかにも元気になれそうなスパゲッティで、アルデンテではなく、柔らかめで私には合う。

何故か、この時のデジカメは私の言う事を聞かず、四方が暗くなってしまった。どこかのボタンを触ったのかも知れない。(多分ストロボだろう)

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日を改めて行ったメニューは、ビーフカレー。\930。ビーフがしっかりなじんで、柔らかだった。これも私には良い。さほど辛くない。

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ランチには八王子珈琲などのセットドリンクが付く。(コーヒーと言わずに珈琲が良い)
会計は目の前の番号札を持参するシステムである。

ここは穴場で、店内は広く、完全な分煙だから嬉しい。
この一番の席は2人用だが、大概一人で、しかも隣とはガラスで仕切られ、茶色のレザータイプの椅子で、まるで個室の様だ。

暇でゆっくりしたい私にはベストの場所である。美人揃いの若い御嬢さんが丁寧に接客してくれて、何回も通うようになった。
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2017/3/18

津軽三味線  音楽

歌謡曲で使用された津軽三味線は、松村和子の「帰ってこいよ」、北島三郎の「風雪ながれ旅」、細川たかしの「望郷じょんから」、長山洋子の「じょんから女節」等が有名である。

松村和子や長山洋子は自ら津軽三味線を弾き、歌ったので印象的だ。
長山洋子の師匠は、NHKの「うたコン」でもバックで演奏している「沢田勝秋」である。その沢田は私が「つきみ野」に住んでいる頃に通った「整体院」にも来ていたそうだ。
尺八演奏もそうだが、肩が凝る。やはり皆悩みがあるようだ。

吉田兄弟で人気の出た津軽三味線であるが、考えてみれば私にとって津軽三味線に随分とかかわりがあることが分かった。

私が20代の頃は、初代高橋竹山(1910〜1998年)が渋谷ジャンジャンでのライブが脚光を浴びており、彼のLPレコードを購入した。

当時、私は川崎市高津区の6畳一間の木賃アパート住まいで、ステレオ「トリオ」があったので、会社から帰って良く聞いた。何と言っても素晴らしい、包み込むような音色とテク二ックであった。
朝、聞いた時には「今日一日頑張るぞ」という気持ちになった。

その初代「高橋竹山」の弟子に、現在の二代目「高橋竹山」がいらっしゃる。女性である。

当時は新聞などで「高橋竹与」として取り上げられ、内弟子として稽古し、歌も歌えることから随分可愛がられたハズである。

その「竹与」さんが私の自宅を訪問されたのは、長女が幼い頃だった。
私が、尺八を教えていた門人の奥様の妹という関係で、遊びに来られた。そして長女が「竹与」さんに抱っこされ、記念撮影をした。
もちろん妻も、地唄三絃を弾くので、話が合った。

その縁で、新宿厚生年金会館での「高橋竹山演奏会」で竹与さんとの共演を見た。

津軽弁で話す竹山氏の話は、独特のなまりがあったが、会場を笑わす程面白かった。
もう晩年に近かったが、しっかりと即興的に弾いた。
野太い音色でありながら、繊細な音をも大事に聞かせてくれた。忘れられない演奏会だった。

その後、竹与さんは二代目高橋竹山となって(二代目襲名は1997年)、渋谷ジャンジャンでの演奏を聴きにも行ったし、CDも門人からいただいた。

1977年製作の「竹山ひとり旅」の映画DVDを見たが、寒い時に門付けして回るのはつらかったことだろう。

「つきみ野」に住んでいる頃、近くに「やまぼうし」なるライブが出来る、小さな個人の山荘風のホールがあり、そこで「踊(よう)正太郎」の津軽三味線独奏も聞いた。
私は尺八を演奏するし、高橋竹与さんを知っていたので、終演後に話しかけてみた。
ついでに名刺もいただいた。現在、盲目のプロの津軽三味線演奏者は彼一人だけらしい。

新宿で自営業の頃、もう少し詳しく話せば、印章業でハンコのみならず、名刺・印刷・ゴム印なども扱っていた。
お客様には「ハッピーアンドブルーの名刺」や「先代三遊亭円楽の名刺」なども、承っていた。

その頃、大学時代の寮の先輩の紹介で津軽三味線の「あんみ通」の演奏会にも行った。

会場は蒲田駅前の大田区民会館「アプリコ」だった。
「あんみ通」は安仲由佳と金田一公美のデェエットで、安仲の「あん」と公美の「み」を組み合わせ、二人だから「ツゥ」。これを「あんみ通」と、うまそうな女性らしい名にしたのである。

彼女らは、もちろん正統派の津軽三味線の「じょんから節」や「あいや節」などを奏でるが、時には「ティクファイブ」や、オリジナルの曲も演奏する。
二人の掛け合いはすごいし、思わぬエキゾチックな作曲もする。トークも面白い。

その関係で、父親の金田一氏の弟さんにも知り合い、飲んだり、何回も「あんみ通」の演奏会に通った。その上、CDを2枚もいただいた。
「渋谷ジャンジャン」や六本木のライブでは、ゲストが尺八の「ブルース・ヒューバナー」だった。彼は芸大の尺八科を卒業したプロである。青木鈴慕先生に習ったと言っていたが「厳しい先生でした」とも。

又、金田一公美さんの母とも知り合い、封筒の印刷を頼まれたり、公美さんと上妻宏光とは、同じ先生に習った縁で、上妻さんの奥様がハンコを注文にいらした。

上妻宏光は今や売れっ子で「題名のない演奏会」で良く見るし、一昨年の藤原道山のリサイタルで共演したので、生で聞いたのだった。

浅草には、吉田兄弟が修業した民謡酒場「追分」が「浅草ビューホテル」裏側にある。
(浅草ビューホテルは以前国際劇場で、私が北島三郎の伴奏した、懐かしいところ)
又、浅草寺近くには「吉幸」もある。浅草寺見学時に店を覗いてみたが、ちょうど昼の部が終わったところだった。
ここは、コース料理を注文すれば、津軽三味線を聴けるのだ。

以前から、長女に誘われているのだが、なかなかスケジュールが合わず、持越しとなっている。

民謡酒場と言えば、高津のアパートに暮らしていた25歳頃、隣の二子新地駅前に民謡酒場があり、一度度胸試しにと尺八を持参して行ってみた。民謡は好きである。

2階の宴会場では、酒を飲みながら民謡を歌う人でいっぱいだった。

そこで意を決して、尺八を吹いてみた。私は民謡ではない。
演歌で北島三郎の「仁義」だった。何曲か演奏したと思う。
多分、受けたのであろう。どこかのオジサンがビール一本持ってきてお酌をしてくれた。

民謡酒場の話は、未だとっておきのがあるが、津軽三味線に戻ろう。

自営業の勤務時、(携帯カメラで撮ったのを見たら2010年だった)新宿西口にイベント広場があり、通りがかったところ津軽三味線を男女2人が弾いていた。女性は白藤由香里さんで、その時は知らない人だった。

その後はコンクール等で活躍するようになり、今では「輝&輝」という女性2人のユニットを組んでいる。
美人で上手いから、いずれ売れると思った通りだった。
その彼女の演奏を、長女が聴きに行っていたと言うから、驚きだ。

我が家には、地唄用三絃がある。たまに遊びとして「津軽じょんから節」の最初の部分を弾いてみる。
これって調絃のため一絃から二絃、三絃と一定のリズムで刻むのが、もう曲になっているのだから、楽しい。

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2017/2/26

ラ・ラ・ランドを見た  映画

日本公開の初日の24日に、「ラ・ラ・ランド」を見た。

詳しく知りたい人は公式HPをご覧ください。
主演男優のライアン・ゴズリングは吹き替えなしで、ジャズピアノを弾いたし、主演女優のエマ・ストーンは魅力的だ。
何と言っても本場のジャズの演奏は、素晴らしい。映画「セッション」も見たが、同じ監督だって。

(2/28追加=アカデミー賞の作品賞にノミネートされていた、「ラ・ラ・ランド」は発表時にハプニングがあった。一度は「ラ・ラ・ランド」と発表されたが、実は「ムーンライト」だった。
予想通り、「エマ・ストーン」が主演女優賞を受賞した。まさに「石」のような、意志の強い演技で感心した。その他、監督賞、撮影賞、作曲賞など6部門を受賞。)

初日とあって、館内は混んでいた。特に女性が多かったと思う。

何気なく、空いている真ん中あたりの右側4席の通路側を確保したら、隣に60歳位のおばさんが来てびっくり。わざわざ俺の隣に来なくてもと思った。

作品は、売れないジャズピアニストと売れない女優の出会いから、それぞれ夢をつかむまでを描いているが、後半が物足りなさを感じた。
ハピーエンドを感じさせながら、実はそうでない所がひねってあり、素直な感じではなかった。
もう一つ物足りないのである。

1/21には「本能寺ホテル」、2/6「スノーデン」も映画館で見た。
やはり、自宅でDVDを見るのとは違う。

ところで私が小学6年生の頃であろうか、学校の授業で「路傍の石」の映画を見た。(昭和35年作)

太田博之主演で、「吾一」は友人と度胸試しをする羽目になった。
汽車が迫って来るのに「吾一」が陸橋のまくら木にぶら下がり、板ゾウリが下の川にポチャリと落ちるシーンだけを覚えていた。当然汽車は目の前で停まって事なきを得た。

どうもその太田博之も「路傍の石」も気になって仕方なかった。
太田博之はネットで検索出来て、回転寿司の元社長だった事は知っていた。
「路傍の石」の本は図書館で借りて来た。

日本の文学、山本有三の分厚い本の中にあった。(昭和12年作)
未完の大作である。執筆中のところ、本の中で「ペンを折る」と題して、突然止めてしまって、以後何を言われても山本有三は完結しなかった。検閲が気に入らなかったらしい。

当時の時代背景から、貧しい家庭が描かれており、「吾一」が成績が優秀でも、当時の「中学」にお金が無くて行けなかったのである。

「いせ屋」の奉公では下働きばかりで、職を転々とするが、いつまでも下働きであった。
後半では、学校の担任だった次野先生と偶然会うが、「中学」に行くにはお金が必要だったが、知り合いのオジサンから「吾一」へと渡されたお金を先生は、使い込んでしまった、と告白する。

吾一は全く知らされていなかった。

何とも想像がつかない展開になった所で、絶筆だった。
誠に、残念だった。だから筋(結論)が、分からなかった。
活字が小さく、大きくなった新聞の字と比べると甚だ、読むのに難儀だった。

併せて行替えも少なく、活字がびっちりと言う感じである。

残念だが「路傍の石」はレンタルビデオ店には無いようだ。

やはり、小学生の頃に見た映画で、気になるものがある。
坊やが「イターノ」と飼っていた「牛」に、闘牛場で叫ぶシーンが目に焼き付いている。
ネットで調べたら「黒い牡牛」らしいが、レンタル店で置いてなかった。
1956年、メキシコが舞台のアメリカ映画で、内容まで調べられた。(ネットで検索出来て凄い)

今回の直木賞受賞作で、恩田陸の「蜂蜜と遠雷」を、図書館にある「オール読物3月号」で少し読みだしたが、作者は幼いころからピアノを弾いている為か、すごく楽曲やコンクールに詳しい。
かなりの長編である。
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2017/2/11

小鳥の歌  音楽

「小鳥の歌」を門下生に稽古した。

1928(昭和3)年、宮城道雄作曲の箏、尺八の二重奏曲である。

可愛らしく、面白い曲で、小鳥がさえづるような奏法がある。(カラカラなど)
門下生が6寸管を購入したので、一番先に稽古するのが「小鳥の歌」である。

私は久しぶりに教えるので、一人で練習していたところ、家内が「外で小鳥が呼応して、ぴちくり鳴いていた」と言う。
私の演奏に鳥を感じたかも知れない。これは嬉しかった。

琴古流の楽譜には、尺八でも二重奏出来るように書いてあったので、稽古時に二重奏で演奏してみたら、とてもきれいだった。

宮城道雄は「花鳥風月」にすばらしい才能を発揮して、数多くの作品を残した。

とりわけ「鳥・虫」の作品は多く、「初鶯」「ひばり」「せきれい」「こおろぎ」「鈴虫」「虫の武蔵野」等で、「春の海」にはカモメが鳴く部分があるし、「春の訪れ」も小鳥が鳴いている。

私が最初に合奏した「春の訪れ」は昭和46年4月29日の「松尾恵子おさらい会」である。私は大学を卒業しており、NHK邦楽育成会に通っていた。
青木鈴慕師から依頼があり、先生と2人で賛助出演だった。

私は相手の門下生と合奏したのだが、初めて「ギャラ」を頂いた。もっとも青木先生が頂いた中から、先生が封筒に「お車代」として書き、頂いたと思う。未だ、勉強中の意味である。

何故、日にちを覚えているかと言うと、その日は天皇誕生日の祝日であり、土砂降りの雨であった。
午後から鈴慕会の一つ先輩の結婚式が「椿山荘」であり、先生も早めに出演して、先生の車で一緒に会場に向かったのである。
先生は仲人であり、その為に、演奏会も結婚式も紋付・袴姿で、誠にあわただしく、忙しい先生であった。

「ことりのうた」と言えば、他に作詞与田準一、作曲芥川也寸志がある。

私は知らなかったが、知り合いの小学生に教わった。

「ことりは とっても うたがすき かあさん よぶとき うたでよぶ ぴぴぴぴぴ ちちちちち ぴちくりぴ」

ところが、いきなり替え歌で教わったのである。
「よぶとき ○ーでよぶ ○○○○○ ーーーーー」
お母さんが聞いたら「いやーねえ」と言うだろう。

庭に来る鳥は、すずめ・しじゅうから・せきれい・むくどり・めじろ等。
高尾山に行けば、うぐいす・ほととぎすが鳴いている。

いつか宮城道雄の「初鶯」を助演した時、数人の箏の本手と替手が合わず、鶯の飛び交う様がドタバタとなって私は合わせづらかった。

舞台の袖でそれを聞いていた箏屋さんは「ウグイスが何羽も、そのうちカラスまでが出てきたなあ」と笑って言っていた。

小鳥は可愛い。
私が中学生の頃、同居の祖父(母の父)が「カナリア」を飼っていた。割と大きめの木製の鳥籠だった。
すごく、いい鳴き声だった。おじいちゃがエサと茹で卵半分をよく上げていた。

そんな思いもあり、長女が小学校に入った頃、娘の為に「カナリア」を飼う事にした。

当時、T百貨店に勤務で、屋上に「小鳥・金魚・犬のトリミング」店があり、店長に相談したら、鳴き声がすばらしい「ローラーカナリア」をつがいで仕入れてくれた。

それはすばらしい雄の鳴き声で「ルルルルルージョビジョビジョビ」とけたたましく鳴くのである。それは家じゅうに鳴り響いた。びっくりする程だった。

長女はそれを作文に書いたが、私が安直に名づけた「カナちゃん、リアちゃん」がタイトルだった。
時には面白がって部屋の中で、手に載せようとカゴから出して飛ばしたが、鴨居に停まって糞をしたり、ふすまにぶつかるのですぐに止めた。

私は、勤務で忙しくカナリアの世話は家内に大変迷惑をかけたと思う。
ある天気の良い日、庭に出して日光浴をさせようと、洗濯物干し棹にかけたところ、いつの間にか猫に襲われた。

あわてて、近くの獣医師のところに駆け込んで事なきを得た。
それでも、つがいは立派に卵を孵化させて二羽産んだのである。
店長に話したところ、びっくりして「良くやったね」と褒められた。

成長は早く、一羽は次女の友人に上げた。もう一羽は弱って死んで、庭に丁寧にお墓を作り葬った。

その後は多分、親鳥は扉を開けた時に粗相して、外に逃げたので、そのままである。
行先を心配したが、もう戻る訳は無い。

小鳥の鳴き声を音楽に取り入れた有名な曲は、ベートーベン作曲の「交響曲6田園」の第二楽章だ。
高校生の頃、ウィーンフィルでピエール・モントゥー指揮のレコードとスコアを買って、ステレオの前で指揮棒をよく振った。

第二楽章の後半でフルート、オーボエ、クラリネットにより次々と演奏されるが、極めて緻密に計算された作曲で、フルートのトリル(うぐいす)に続いて、オーボエが「ピッピピ」と吹く(うずら)と最後の音に重ねて、クラリネットが「カッコ―」と鳴く。誠にカッコ良い。

実にうまい作曲だ。これが二回繰り返される。ベートーベンの作曲はしつこい位繰り返しが多いが、飽きない。
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2017/2/7

ティファニーで朝食を  映画

「ティファニーで朝食を」は有名な映画のタイトルである。

1961年のアメリカ映画で、主演はオードリー・ヘプバーン。
「ティファニー」はニューヨーク五番街の高級宝石店である。

実際には食堂は無いが、映画の冒頭には「ティファニー」のショーウィンドウを見ながら朝食を食べるシーンがある。(ハンバーガ―等の立ち食いだね)
この映画はDVDレンタルで、最近見たばかりだった。

その「ティファニー」の売れ行きがガタ落ちで困っているそうだ。
何しろ隣のビルが「トランプ・タワー」で警備が厳重で、入りづらいのだそうだ。

実は私はその「ティファニー」に入ったのである。
会社勤めの「米国流通業視察」の研修で行った時のことで、ニューヨークは自由行動の時だった。

「ティファニー」は「ティファニーで朝食を」で有名だったし、ある有名人が「結婚するなら、ティファニーで宝石を買う人は云々」(読み方=でんでんではなく、うんぬん)で知られていたから、是非行きたかった。

残念ながら宝石は買わなかった。?(当時、私は結婚していた)

見てるだけ。ざっと見学して通り過ぎた。まじまじとは商品の値段も見ないし、ショーウィンドウ内も余り覗かなかった。
ただ、入ったよと言う事実のみ。

店員さんも慣れたもので、これは「いちげんさん」だと無視されていた。

今では「ティファニー」は世界規模で展開しており、東京銀座や空港、シンガポールにもあった。
ニューヨークが本店である。

出張時、ニューヨークへは夜ケネディ国際空港に着いた。飛行機からは100万ドルのニューヨークのマンハッタン夜景を上から十分見せてくれた。

夜だったので、バスでもうシェラトンホテルに向かった。
「ブルーノート」でジャズをの話もあったが、近くのジャズホールへ行き、一杯飲んだ。

翌日はセントラルパークを散歩したり(時々リスを見かけた)、五番街も見学した。
とある店の前で、ひとだかりしているところがあった。私は列の裏の方から「何かな?」と思って覗いて見た。
そこはビデオショップで、店員が声を出していた。

遠くから覗いていた私を見るなり、日本語で「ス○○ビデオあるよ」と言った。私は赤面の至りであった。余程そんな助平づらをしていたのかな?当然買う訳は無い。

タクシーを飛ばして、南部のバッテリー公園から夕方の「自由の女神」見学クルーズに出かけた。
我々3人(一人は大分の百貨店勤務で、後日九州旅行=別府温泉でお世話になった)はろくに英語が話せなかったが、無事たどり着き、船内で飲酒やバイキング的な夕食、バンドとコーラスを楽しんだ。もちろんダンスショーもやった。

本当は私は、ブロードウェイでミュージカルを見たかったが、連れが「絶対自由の女神のクルーズだ」と言うので従った。でも景色とミュージカル的な音楽もあって、十分満足した。

とにかく「ウェスト・サイド・ストーリーのアメリカ」等、「アメリカ・アメリカ」で大いに盛り上った。

出張には尺八の6寸管を持参したので、コラボしたら面白かった?そんな自信はないね。

クルーズ船は「自由の女神」のほとんど真下に着いてから、踵を返した。

翌朝は、冒険をしようと連れと2人でホテルを抜け出し、道路反対側の喫茶店に飛び込んだ。
黒人の女性が一人でいて、適当にメニューを指さして、パンとコ―ヒーを頼んだ。

黒パンにバターを塗り、どうにか支払いを終えたが、集合時間ギリギリで焦った。

オードリー・ヘプバーンの「ローマの休日」を見てから、かなりのビデオを見た。彼女に惚れちゃったんだよー。
「シャレード」「暗くなるまで待って」「マイフェアレディー」等、過去にブログに書いた。

やはり、私は「ローマの休日」のヘプバーンに恋をしたようだ。
彼女が私と、同年代だったら「ティファニー」で指輪を買ってあげよう。
それ以前に、相手にしてくれないな。

昨日、家内と新宿に出て「スノーデン」の映画を見た。いやー恐ろしい。我々のメールがみんな監視されているとしたら、情報は筒抜けだ。

最近、松本清張の短編を読みDVDも借りて見た。
「鬼畜」と「張込み」である。(文庫本は「張込み」のタイトルの中に「鬼畜」がある)

「鬼畜」は結婚前のデートで、新宿の「ミラノ座」で見た。
ところが大岡昇平の「事件」と二本立てで、「鬼畜」を見ていた時に当時、尺八を教えており、時間が無くなって、途中で私は帰ってしまった。
だから、「鬼畜」は筋が分からなかった。

それを、ここに来て頭の中のモヤモヤの解決を図るべく、古本屋で「鬼畜」を購入して読んで、映画を見たくなったのである。

それは、恐ろしい映画だった。記憶では岩下志麻がどなるシーンだけは覚えていた。
愛人を作り、3人の子供をもうけた主人役の緒方拳は日本アカディミー賞の主演男優賞を受賞した。
最後に彼が子供(長男)に謝るシーンには泣けた。

映画を見て、再び「鬼畜」の本を読み返した。多少、本と映画は違う。

「張込み」は映画やテレビで何回も映像化されている。

最初は1958年の松竹映画。野村芳太郎監督、黛敏郎音楽。116分。
主演さだ子を高峰秀子、柚木刑事を大木実。

レンタルビデオ店には、もう一本「吉永小百合版」があった。

どちらか迷ったが「吉永小百合」に魅かれて、「吉永小百合版」を借りて来た。
1978年、TBSのテレビで放送されたが、55分と短い。

主演さだ子は吉永小百合、柚木刑事は荻島真一、犯人はさだ子の元恋人で役は森本レオ。

残念ながら、テレビ用は内容が薄い。

吉永小百合は、やはり綺麗。それだけで満足であったが、1958年版の映画も借りてこようと思う。

松本清張の作品は、かなり映画化されている。
上記の他にも「天城越え」「砂の器」「点と線」「ゼロの焦点」等があり、私は本も読んだし映画も見た。特に「砂の器」が大好きである。

「砂の器」は様々な映像化した作品があるが、やはり野村芳太郎監督で加藤剛主演の「砂の器」が良い。丹波哲郎の刑事役も、低音でいい声だ。感動の大作である。

最後の加藤が「宿命」をピアノで弾くシーンがある。その音楽が耳にしみ込んでいる。
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2017/1/17

鳩が豆食ってぱ  随想・徒然竹

ジュリーこと沢田研二は、私と同年である。

今でこそ、若い人は知らない人が多いが、私が25歳の頃、会社の新入社員教育で「そろばん」を教えた時に、「私は、ジュリーと同じ歳である」と言ったところ、若い女性は「エー!」と驚きの声を上げたが、どう言う意味だったのか。多分私の方は老けて見えたのであろう。

ただ私は、「ジュリーと同じだ」と言えば歳が分かると思ったのだ。それ位有名だった。

彼も歳をとり、今年1月8日のNHKホールでのライブで「Pray〜神の与え賜いし」の歌詞を忘れ、もう一度歌って、土下座をしたそうだ。某週刊誌には「頭がスパークした」と書いてあった。

そう言う同年の私も、物忘れが多くなってきた。

先日は尺八の稽古の時、レとチと頭で理解しているのだが、楽譜は「チ」であっても「手」は「レ」を瞬間的に吹いていた。

特にいけない、悔しいのは、出かけるときに何かを忘れることである。

昔から、「鳩が豆食ってぱ」と言う呪文みたいのがある。

これは、ひらがなに直せば「はとがまめくってぱ」であり、持参するリストの頭文字である。

「は」はハンカチ、「と」は時計、「が」は「がまぐち」すなわち財布、「ま」は万年筆、「め」は名刺、「く」は櫛、「て」は手帳、「ぱ」はパスすなわち通勤定期である。

私は、これでは足りないので、自分用にリストを作って出かけることにした。

「鳩が豆はってパホーマンスか」としてみた。
ひらがなで書けば「はとがまめはってぱほーまんすか」となる。

「は」は「ハンカチ」、「と」は「時計」、「が」は「がまぐち=財布・楽譜・楽器=尺八」、「ま」は「万年筆・シャーペン・ボールペン」、「め」は「名刺」、「は」は「歯ブラシ・歯間ブラシ」、「て」は「手帳・メモ帳・ティッシュペーパー」、「ぱ」は「パス=スイカ」、「ほ」は「本」、「まん」は「万歩計・マスク・マフラー」、「す」は「スマホ=携帯」、「か」は「カード類・カメラ・カイロ」である。

このメモを机の上に置いておき、出かける時にチェックするのである。
これで、どうやら忘れ物が少なくなった。(メガネに帽子は、私には当たり前)
もちろん、スーパー銭湯に行くならば「タオル」や、スーパーに行くなら、今時「レジ袋」も必要だ。

演奏会には尺八が必要だが、一尺八寸管や、時には一尺六寸管、二尺管の時もあるので、間違えたら最悪だ。

正式な演奏会の時には、紋付、袴をつけるが、ある時、白足袋を持参したは良いが、履いてみたら左足二枚の時があり、裏返して履く手もあるようだが、無理して履いたところ、右足が痛いのなんの非常に困った事があった。

靴下なら、左右どちらでも良いのだが、足袋は左右決まっているので、不便ではある。
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2017/1/10

AKB48と共演  音楽

先ずは、皆様 明けましておめでとうございます。

「一年の圭は元旦にあり」と申します。字が違う?そうだ錦織圭のテニスの決勝戦を見ていたら圭となってしまった。
そうです「一年の計」です。

最近は新聞の日曜版にあるクイズで「次の漢字の誤りを直しなさい」とあっても、なかなか正しい漢字が思い出せない年令になった。

さてもさても「一年の計」か。何も浮かばないなー。
仕方ないからポケーとテレビを見る。

何とオジサンがAKB48と共演しているではないか。私ではない。友人(小学校の同級生)である。誠にうらやましい。

とんでも無い事だ。いやー良い意味でだ。

若者の「ひどくヤバくね!」と言ったニュアンスか? 驚きである。

かいつまんで説明しよう。

時は元禄ではなく、平成29年正月の9日夜9時だった。(やけに9が続くね)
いつもは平日の夜9時からはNHK「ニュースウオッチ9」を見るのだが、この日はTBSの「さんま玉緒」の番組欄で「ゆずと吹奏楽」に興味を持った。

「ゆず」は長女が以前からファンであり、話のタネとして見ておこうと思ったのである。しかも吹奏楽と共演である。私も吹奏楽出身であり、これは見ようとした。

9時丁度にTBSにチャンネルを切れ替えると同時に、飯田市のおじさんコーラス「バッカス」が有線放送大賞でAKB48と共演と、画面に出てきた。

耳を疑い、目も疑い、「本当かい?」と思った。
「バッカス」と言ったらローマ神話の酒の神であるが、私は友人が男性コーラス「バッカス」に属しているのを知っていた。

友人は浦野光永君で、小学校5〜6年次の同級生である。しかも共に祖父が兄弟だから、はとこ(またいとこ)という遠い親類だ。

彼は小学校の頃から歌がうまく、合唱班で確か長野県代表で東京の九段会館まで行ったのではないか。

「バッカス」は定期的に演奏会を飯田市で開催しており、彼はバスらしい。
実は本業は耳鼻咽喉科の先生である。
(今年も年賀状が彼から来たが、一切その番組の知らせは無かった)

おじさんコーラス「バッカス」がどの様にして「有線放送大賞」を受賞して、何故AKB48と共演出来たか、私には分からない。

とにかく、平均年齢57歳の10人が飯田市からマイクロバスに乗って、東京のTBSスタジオまで来るシーンから始まった。

TBSスタジオでAKB48の本物と会い、彼らは大感激だ。
それだけではなく、「365日の紙飛行機」の歌の共演である。

振付まで習い、センター(真ん中で歌う人)まで投票で決めて、白いおそろいのスーツ姿で順番にAKB48と共に出てきた。
まるで紅白歌合戦を見ているようだ。

彼は4番目に3人一緒に出てきて、ほぼ真ん中で歌っていた。
晴れがましい顔、顔、顔。おじさん達は大喜びであった。

もちろん男性コーラスとAKB48が十分ハモッて、それはきれいな合唱だった。

私は「さぶちゃん」と共演したが、AKB48と共演したいものである。

AKB48出演の後、「ゆず」と吹奏楽との共演を見た。
よりによって、吹奏楽はこれ又長野県の「松商学園高校」である。「松商」と言えば高校野球の甲子園行きの常連校である。

立派な演奏だった。今の人はだんだん芸能人と近くなって行くなあ。

私はユーホニュームを担当したが、本日のテレビで「はるな愛」が「実は吹奏楽でユーホニュームを吹いていたから、肺活量はある」と言っていたが、むしろ無かった。

私自身の肺活量は「ある」と思っている。

尺八演奏は、肺も使うし、頭も、手も使うから長生きするはずだ、と思っている。
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2016/12/19

今田人形展  芸能

師走である。師走とは、いろいろな説があるが、私が走る訳ではない。

暮れも押し迫った17日(土)に渋谷の「アートギャラリー道玄坂」で、「今田(いまだ)人形浄瑠璃展」を見に行ってきた。

今田人形とは、南信州の伝統芸能で、飯田市の無形文化財になっている。
在京飯田高校同窓会でいただいたチラシに興味を抱き、東京で見られるとはと足を延ばした。

25年くらい前までは仕事で渋谷に頻繁に来ていたから、今の変貌ぶりも見たかった。

結婚式を挙げた東急文化会館は「ヒカリエ」に変わり、東急百貨店東館は解体した。渋谷駅は大工事中である。

会場は午後1時からだから、早めの12時過ぎに着いて井の頭線駅ビルのマークシティ内のレストランで昼食をとった。素敵なレストランが多く大変混んでいたが、運よく「菜な」と言う和食店を見つけ、個室に案内されて掘りごたつ式のテーブルについた。

メイン通路の裏側にあり、隠れ家的な店で、何も隠れる事はないが、対面(といめん)は残念ながら妻である。私は「ぶり照り御膳」をいただいた。これが美味。

1時過ぎに会場に入った。
実演は1時30分からなので、一番前の席を確保した。
私が5月に「宮城記念館」で尺八を演奏した時に、お世話になった高校同窓生もいた。

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最初に、係りから説明があり実演が始まった。
演目は「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)政岡忠義(ちゅうぎ)の段」
奥州伊達藩のお家騒動の物語。

写真左が太夫(たゆう)で、右が浄瑠璃三味線(太棹)
後ろの「松」の幕がいい。

今田人形は宝永元年(1704年)に信州今田村で誕生して310年余。
場所は天竜峡の近くで、飯田市龍江に人形座がある。

座員は20名で、20歳代から100歳を越える人もいるそうだ。それぞれ人形操り、太夫、三味線を担当する。(ここから2人がプロになったそうだ)
(Youtubeで見られる)

平成3年にはフランスで公演、平成16年には台湾、平成19年はアメリカのシカゴ・ミズーリ大学で講座。

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先ず、「娘」を使って3人で実演。娘の右側の人が、「かしら」と右手、左側の人が左手、後ろの人が足を担当する。

写真の娘は泣く演技もするが、他の娘は口を開くと、鬼みたいな顔になる。

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「文七」人形。
かしらと右手を操る人は高歯を履いており、左手担当者は人形がお客に見えるように、身体を開いて操作をしなければならない。

後で人形を持たせてくれたが結構重い。

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男の人形は、眉毛が上がったり下がったり出来る。

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寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
今度は本格的に実演なので、人間は顔を出さないで黒子になる。

天下泰平、五穀豊穣を祈願するご祝儀の舞。
四隅と中央の五方を清め、にぎやかに舞う。

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場所が狭かったので、演者は大変だった。

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私は何しろ一番前の席に座っているので、覆いかぶさってくる感じ。

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やがて鈴を持って四方に種をまく。
結構激しく舞うので、ハプニングが起きた。

何しろ、3人の黒子である。狭い所を行ったり来たりで、つい履いていた草履を演者同士が踏みつけたらしく、左手担当の左草履が途中で脱げてしまった。

黒子で下が見えない。仕方ないからそのまま演じていた。

最後の決めのポーズ。
約8分の演技だったが、激しいので汗をかいていた。

ほとんどの人は仕事もあるので、練習が大変だ。3人の呼吸が合わないとバラバラになってしまう。

この後、我々は実際に人形を使って操ってみたのだけれど、とても大変だった。
夢中でやっていたもんで、写真を撮るのを忘れたに。

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実演終了して今田人形保存会の吉澤健会長の挨拶。そして右側は木下文子人形座事務局長、演者。

実はここで世間は狭いを実感したのだった。
何より、高校同級生のTA君が今田人形座の座員だったと聞かされたのは初めてであった。

彼は飯田市でフォークソングの有名人だし、私も尺八で一緒のステージに立ったり、同期会後の同級会ではいつものスナックで、彼のギターとオンステージを繰り広げる仲である。

又、高校同期のKI君も龍江地域づくりの副会長で来ていた。

さらに、龍江には私のいとこが住んでおり、皆さんいとこのSAさんを十分知っていたし、私の父方の「ことによると親類かも」と言う人も現れたのである。

会場はと言えばこれ又、高校の先輩が脱サラ後、経営しているのである。
その先輩も「宮城記念館」での私の尺八演奏を聴いており、その時に名刺もいただいていた。
もちろん、尺八の演奏のことを良く覚えていらしゃった。

人形浄瑠璃のその他の有名な演目は「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」や「東海道中膝栗毛」などがある。
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2016/12/5

四国旅行記 そのY  旅行

11月26日(土) 四国・小豆島旅行6日目で、いよいよ最終日である。

5時45分起床。天気は晴れ。
展望浴場は6時からなので、いつもよりゆっくりめに起きた。

浴場には小豆島の写真が展示されており、「小豆島は日本で19番目の大きさである」と書いてあった。

周囲126キロメートル、人口約28,000人、島の形は牛が左を向いている様だ。
「ベイリゾ−トホテル小豆島」は後足の付け根の部分か。

6時50分から朝食。バイキングで、会場は昨夜の隣の大広間だった。

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昨夜もバイキングだから、基本的には同じものが並んでいた。
珍しいのは、手作り豆腐くらいで、あとは定番の納豆・しらす・ポテマヨ・だし巻玉子・ソーセージ・じゃこ天・かぼちゃ・お新香など。

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7階の部屋から見た、瀬戸内海。
左側の半島の先に、「二十四の瞳 映画村」がある所だろう。

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バスは8時10分出発。最初はすぐ近くのオリーブ園の見学だ。
1919年からオリーブ栽培を始めた。朝一番だったので、もちろん我々が見学一番であった。

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オリーブ園では、若いお嬢さんが案内してくれた。
産業用として日本で最も古いオリーブ園の原木である。

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果実は6月頃から成長し、やがて緑から赤くなり、さらには赤黒くなるのもある。朝日がまぶしい。
これらは以前使用されていた、しぼり機だ。

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10月初旬から収穫し、緑の果実は新漬けに、赤黒い果実はオリーブ油や化粧品などに加工される。
あっと言う間に見学は終り、土産物店に案内されるいつものパターンだ。

オリーブ油は千差万別で、ガイドさんも「このオリーブ油に限るとは言えない」と言う。土産物屋によっても取り扱う商品が違うらしい。

小豆島産だけの場合、値段が高い。外国産との混合割合で価格が決まるようだ。
それなりの物をゲットした。

バスに乗る前に、全員に見本の「オリーブハンドクリーム」をくれた。

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オリーブ園を8時50分に出発して、9時20分、寒霞渓に到着。

こううん駅からロープウェイに乗る。隣りは若いカップルで、大きく甲高い声で大阪弁が飛び交うさかいに、うるさい。

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ロープウェイから奇岩が見える。紅葉の時期を狙って申し込んだが、ほぼ紅葉が終わってしまったかな。
目の前のカエデがロープウェイの陰で暗く、残念だ。

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山頂に近づくにつれて、岩肌があらわになる。
小豆島にこんなに高い山があるとは、思わなかった。

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上側の第二展望台から見た所だが、左下側の岩の所に鉄の輪が見える。
これは、平べったい石(かわら)を投げて輪くぐりをすると、幸運になると言う。

ツアー客が5個位(200円)投げていたが、一個も届かなかった。トランプを投げるようにすれば良いのに、とつい声を出してしまった。

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瀬戸内海を望む。絶景である。

ツアーの男性陣はいいカメラを持っているので、うらやましい。私ももう一ランク上のカメラが欲しいのだが。
そうすればもっときれいに、あざやかに、鮮明に写るだろう。

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こちらはやや下側の第一展望台から。
ロープウェイは登りだけで、再びバスに9時50分乗車。
バスは寒霞渓の頂上(612m)まで登り、あとはブルーラインを使って下りである。

意外なのは、この山が瀬戸内海にしては高い山だから、冬には30センチも雪が積もると言う。

猿もいるようだが、途中「鹿が林の中に消えて行った」とガイドさんが驚いていた。

思ったよりは大きな島だった。やがてバスは世界一狭い海峡だと言う土渕海峡を渡り、土庄(とのしょう)港に着く。10時20分。

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最後の見学地、二十四の瞳・平和の群像である。

私はすっかり勘違いしていた。それは壺井栄の「二十四の瞳」の映画の舞台となった所を見学する、とばかり思っていたからだ。そこは随分先の半島だから、今回のツアーでは行けないのだ。

思いが強かっただけに誠に残念だった。

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写真では分からないが、おなご(大石)先生の頭から鼻にかけて、鳩のフンが白くかかっていた。

あの映画の高峰秀子や、生徒たちの屈託のない表情を思い出す。

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目の前にある公園に、先生と生徒たちの石碑が円を書くように一つづつ置いてある。
まさかお墓ではあるまい。

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写し方が悪かったが、こちらは「キッチン」(徳田吉次の愛称)

壺井栄は小豆島生まれで「二十四の瞳」は創作であり、反戦小説である。
舞台となった小豆島と、金比羅さんに今回の旅行に行けて満足である。

土庄港の売店でやっと小豆島の日本酒を買った。島内唯一の森國酒造の「うとうと。純米酒」
アルコールは17度だから、普通の酒より高い度数だ。焼酎のような濃密な味だった。

時間調整してフェリーは11時出発。いよいよ小豆島を離れる。旅も終わりになって来た。

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小豆島を後にして、行く先は新岡山港である。新岡山港まで約70分あるので、まだ早いがここで弁当が出た。
「岡山 後楽園の弁当」で、お品書きまで入っていた。

鰆の白醤油焼き・舞茸とさつま芋のかき揚げ・岡山県産焼豚・厚焼き玉子・筑前煮・岡山名物祭ずし・きのこと松茸ご飯と贅沢であった。

新岡山港に12時10分着。そしてフェリーから降りて一路、新幹線の岡山駅へ向かう。

バスガイドさんの、「皆様といよいよお別れの時がやって参りました。今回お世話になったバスは何処のバスですか?」とか「後は岡山駅でしっかり買うのよ」と笑いながら、盛んに岡山をアピールしていた。

出発前には「バスに乗ったら皆さん、家族と考えましょう」と言われていたが、誠に素晴らしいガイドさんであった。

中にはガイドさんに名刺を催促した人がいたが、持ち合わせてはいなかった。
運転手さんは「イギリスのチャールズ皇太子」に似ていると私は思い、つい「チャールズさん、ありがとう」と言ってしまった。

そして添乗員さんが6日間をざっと振り返り、一生懸命さが伝わった最後の挨拶があった。

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新幹線岡山駅から見た岡山市内。目の前は高島屋だ。
1時間以上の余裕があったので、買い物をして「のぞみ28号 9号車」13時49分発に乗り込んだ。

私はグリーン車は初めてである。成るほど2席づつでゆったりしている。
ところが新横浜で一番最初に降りるからか、車両の一番前の16番C・D席で、目の前は壁だった。

我々以外は大きなキャスター付きをガラガラ引いていたが、宅急便で送った人もいたから帰りは意外と楽だった。

やっと安堵して、岡山駅ビルで買った地ビール「独歩」と簡単に「サンドイッチ」を食べだした。この「独歩」ビールは味わい深かった。

そして、再び「四国連絡特急殺人事件」を読みだした。50頁位は読めた頃、左側に大きな富士山がしっかり見えた。未だ明るかったのだ。

新横浜駅には予定通り、16時55分着。
添乗員は反対側の席だったので、私は彼を抱え混んで「大変楽しい旅行でありがとう。ご苦労様」と言った。

3組の夫婦が新横浜駅で降りた。添乗員はじめ皆さんとも手を振って別れた。6日間一緒に行動して、多少会話も出来た。
男性はなかなか無口で、ほとんど話はしなかった。

プラットホームで、「さあ」と思ったら向こうから車いすに引かれた「日野原重明」先生が通り過ぎるところで、私はすぐ分かり、手を振ってお辞儀をしたら、手を振って返してくれた。

「神ってる」が今年の流行語大賞になった。

今回はまさにそうかも知れない。何しろ私が一番心配だったお腹が良く、バスのトイレを一回も使用しなかった事である。又、お天気に恵まれ、日中は一度も傘は必要なかった。

これだけ、お寺や神社を回ってお願いしたから通じたのか、御利益があったかも知れない。

尺八を演奏し、古典本曲も演奏する手前、私もお遍路さんで四国を回る必要があるかも知れない。
要は意志である。

参加した御夫婦は皆仲良く、80歳の高齢夫婦もおり、金比羅さんではご主人が奥様の手を引いていたし、金婚式記念のご夫婦は最後のバスの中で発表され、皆で拍手した。

帰って早速「釣りバカ日誌14」を見たが、これは「釣りバカ」の中でも一番面白かったと思う。
見るだけでも「金剛福寺」「四万十川」「足摺岬」等が分かる。

又、「バルトの薬園」はベートーベン作曲「交響曲第9 歓喜の歌」の演奏がエンディングに出て来るが、映像としてベルリン・フィルのカラヤン指揮や軽井沢大賀ホールでの大賀典雄の指揮、三越百貨店での演奏などで、大変聞かせる。いい映画だった。

今回は大変勉強になった旅だった。
日本の各地を旅行してきたが、あと行ってないのは和歌山県・鳥取県くらいだろうか。
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