2016/12/5

四国旅行記 そのY  旅行

11月26日(土) 四国・小豆島旅行6日目で、いよいよ最終日である。

5時45分起床。天気は晴れ。
展望浴場は6時からなので、いつもよりゆっくりめに起きた。

浴場には小豆島の写真が展示されており、「小豆島は日本で19番目の大きさである」と書いてあった。

周囲126キロメートル、人口約28,000人、島の形は牛が左を向いている様だ。
「ベイリゾ−トホテル小豆島」は後足の付け根の部分か。

6時50分から朝食。バイキングで、会場は昨夜の隣の大広間だった。

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昨夜もバイキングだから、基本的には同じものが並んでいた。
珍しいのは、手作り豆腐くらいで、あとは定番の納豆・しらす・ポテマヨ・だし巻玉子・ソーセージ・じゃこ天・かぼちゃ・お新香など。

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7階の部屋から見た、瀬戸内海。
左側の半島の先に、「二十四の瞳 映画村」がある所だろう。

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バスは8時10分出発。最初はすぐ近くのオリーブ園の見学だ。
1919年からオリーブ栽培を始めた。朝一番だったので、もちろん我々が見学一番であった。

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オリーブ園では、若いお嬢さんが案内してくれた。
産業用として日本で最も古いオリーブ園の原木である。

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果実は6月頃から成長し、やがて緑から赤くなり、さらには赤黒くなるのもある。朝日がまぶしい。
これらは以前使用されていた、しぼり機だ。

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10月初旬から収穫し、緑の果実は新漬けに、赤黒い果実はオリーブ油や化粧品などに加工される。
あっと言う間に見学は終り、土産物店に案内されるいつものパターンだ。

オリーブ油は千差万別で、ガイドさんも「このオリーブ油に限るとは言えない」と言う。土産物屋によっても取り扱う商品が違うらしい。

小豆島産だけの場合、値段が高い。外国産との混合割合で価格が決まるようだ。
それなりの物をゲットした。

バスに乗る前に、全員に見本の「オリーブハンドクリーム」をくれた。

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オリーブ園を8時50分に出発して、9時20分、寒霞渓に到着。

こううん駅からロープウェイに乗る。隣りは若いカップルで、大きく甲高い声で大阪弁が飛び交うさかいに、うるさい。

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ロープウェイから奇岩が見える。紅葉の時期を狙って申し込んだが、ほぼ紅葉が終わってしまったかな。
目の前のカエデがロープウェイの陰で暗く、残念だ。

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山頂に近づくにつれて、岩肌があらわになる。
小豆島にこんなに高い山があるとは、思わなかった。

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上側の第二展望台から見た所だが、左下側の岩の所に鉄の輪が見える。
これは、平べったい石(かわら)を投げて輪くぐりをすると、幸運になると言う。

ツアー客が5個位(200円)投げていたが、一個も届かなかった。トランプを投げるようにすれば良いのに、とつい声を出してしまった。

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瀬戸内海を望む。絶景である。

ツアーの男性陣はいいカメラを持っているので、うらやましい。私ももう一ランク上のカメラが欲しいのだが。
そうすればもっときれいに、あざやかに、鮮明に写るだろう。

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こちらはやや下側の第一展望台から。
ロープウェイは登りだけで、再びバスに9時50分乗車。
バスは寒霞渓の頂上(612m)まで登り、あとはブルーラインを使って下りである。

意外なのは、この山が瀬戸内海にしては高い山だから、冬には30センチも雪が積もると言う。

猿もいるようだが、途中「鹿が林の中に消えて行った」とガイドさんが驚いていた。

思ったよりは大きな島だった。やがてバスは世界一狭い海峡だと言う土渕海峡を渡り、土庄(とのしょう)港に着く。10時20分。

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最後の見学地、二十四の瞳・平和の群像である。

私はすっかり勘違いしていた。それは壺井栄の「二十四の瞳」の映画の舞台となった所を見学する、とばかり思っていたからだ。そこは随分先の半島だから、今回のツアーでは行けないのだ。

思いが強かっただけに誠に残念だった。

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写真では分からないが、おなご(大石)先生の頭から鼻にかけて、鳩のフンが白くかかっていた。

あの映画の高峰秀子や、生徒たちの屈託のない表情を思い出す。

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目の前にある公園に、先生と生徒たちの石碑が円を書くように一つづつ置いてある。
まさかお墓ではあるまい。

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写し方が悪かったが、こちらは「キッチン」(徳田吉次の愛称)

壺井栄は小豆島生まれで「二十四の瞳」は創作であり、反戦小説である。
舞台となった小豆島と、金比羅さんに今回の旅行に行けて満足である。

土庄港の売店でやっと小豆島の日本酒を買った。島内唯一の森國酒造の「うとうと。純米酒」
アルコールは17度だから、普通の酒より高い度数だ。焼酎のような濃密な味だった。

時間調整してフェリーは11時出発。いよいよ小豆島を離れる。旅も終わりになって来た。

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小豆島を後にして、行く先は新岡山港である。新岡山港まで約70分あるので、まだ早いがここで弁当が出た。
「岡山 後楽園の弁当」で、お品書きまで入っていた。

鰆の白醤油焼き・舞茸とさつま芋のかき揚げ・岡山県産焼豚・厚焼き玉子・筑前煮・岡山名物祭ずし・きのこと松茸ご飯と贅沢であった。

新岡山港に12時10分着。そしてフェリーから降りて一路、新幹線の岡山駅へ向かう。

バスガイドさんの、「皆様といよいよお別れの時がやって参りました。今回お世話になったバスは何処のバスですか?」とか「後は岡山駅でしっかり買うのよ」と笑いながら、盛んに岡山をアピールしていた。

出発前には「バスに乗ったら皆さん、家族と考えましょう」と言われていたが、誠に素晴らしいガイドさんであった。

中にはガイドさんに名刺を催促した人がいたが、持ち合わせてはいなかった。
運転手さんは「イギリスのチャールズ皇太子」に似ていると私は思い、つい「チャールズさん、ありがとう」と言ってしまった。

そして添乗員さんが6日間をざっと振り返り、一生懸命さが伝わった最後の挨拶があった。

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新幹線岡山駅から見た岡山市内。目の前は高島屋だ。
1時間以上の余裕があったので、買い物をして「のぞみ28号 9号車」13時49分発に乗り込んだ。

私はグリーン車は初めてである。成るほど2席づつでゆったりしている。
ところが新横浜で一番最初に降りるからか、車両の一番前の16番C・D席で、目の前は壁だった。

我々以外は大きなキャスター付きをガラガラ引いていたが、宅急便で送った人もいたから帰りは意外と楽だった。

やっと安堵して、岡山駅ビルで買った地ビール「独歩」と簡単に「サンドイッチ」を食べだした。この「独歩」ビールは味わい深かった。

そして、再び「四国連絡特急殺人事件」を読みだした。50頁位は読めた頃、左側に大きな富士山がしっかり見えた。未だ明るかったのだ。

新横浜駅には予定通り、16時55分着。
添乗員は反対側の席だったので、私は彼を抱え混んで「大変楽しい旅行でありがとう。ご苦労様」と言った。

3組の夫婦が新横浜駅で降りた。添乗員はじめ皆さんとも手を振って別れた。6日間一緒に行動して、多少会話も出来た。
男性はなかなか無口で、ほとんど話はしなかった。

プラットホームで、「さあ」と思ったら向こうから車いすに引かれた「日野原重明」先生が通り過ぎるところで、私はすぐ分かり、手を振ってお辞儀をしたら、手を振って返してくれた。

「神ってる」が今年の流行語大賞になった。

今回はまさにそうかも知れない。何しろ私が一番心配だったお腹が良く、バスのトイレを一回も使用しなかった事である。又、お天気に恵まれ、日中は一度も傘は必要なかった。

これだけ、お寺や神社を回ってお願いしたから通じたのか、御利益があったかも知れない。

尺八を演奏し、古典本曲も演奏する手前、私もお遍路さんで四国を回る必要があるかも知れない。
要は意志である。

参加した御夫婦は皆仲良く、80歳の高齢夫婦もおり、金比羅さんではご主人が奥様の手を引いていたし、金婚式記念のご夫婦は最後のバスの中で発表され、皆で拍手した。

帰って早速「釣りバカ日誌14」を見たが、これは「釣りバカ」の中でも一番面白かったと思う。
見るだけでも「金剛福寺」「四万十川」「足摺岬」等が分かる。

又、「バルトの薬園」はベートーベン作曲「交響曲第9 歓喜の歌」の演奏がエンディングに出て来るが、映像としてベルリン・フィルのカラヤン指揮や軽井沢大賀ホールでの大賀典雄の指揮、三越百貨店での演奏などで、大変聞かせる。いい映画だった。

今回は大変勉強になった旅だった。
日本の各地を旅行してきたが、あと行ってないのは和歌山県・鳥取県くらいだろうか。
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2016/12/3

四国旅行記 そのX  旅行

11月25日(金) 晴れ 5日目である。

5時半起床で、すぐ大浴場に行く。

朝食は7時からバイキングである。場所は大広間で結婚式場みたいな、シャンデリア付きの凄く高い天井だった。
中国系の家族が多く、異国語が飛び交っていた。

今度の旅行で初めてパン・バターにしてみた。スクランブルエッグ・ハム・ソーセージ・ノリ・鮭・カマス焼き・ヨーグルト・フルーツにコーヒーだった。洋食でも納豆はいつでも食べる事にしている。

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バスに荷物を預けて、8時45分いよいよ金比羅宮参りである。

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「二十四の瞳」(1954年)の昔の映画で、浪花千栄子が金比羅さんの飯屋のかみさん役をやっているシーンが思い浮かぶ。

小学校をやめた「マッちゃん」がそこで働いており、修学旅行で来た大石先生と劇的な出会いをするのだ。

生徒らが再び遊覧船に乗って小豆島に向かって出発する時に、マッちゃんが走って見送る場面には泣けた。

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「にしきや」さんで全員、竹の杖を借りた。ガイドは「にしきや」のおばさんである。
ハンドマイクを片手に、ゆっくりと進みながら面白おかしく説明してくれる。

参道には両側に土産物屋さんがある。

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金比羅さんは階段が785段ある。しかし5〜6段ですぐ平らになるところもあり、大変では無かった。

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旭社は天保8(1837)年、竣工され高さは18メートル。

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御前四段坂は最後の石段で652段〜785段である。
ところどころで休んで説明してくれるので楽だ。

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御本宮は海抜251メートル。正面からの撮影は禁止だそうだ。
健康のお願いをした。
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下界が眺められて目の前は讃岐富士。全国に富士と名付ける例は多いが、やはり単体ですくっと立っているのは美しい。

金比羅さんは「象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現」と呼ばれた。
「金毘羅船々」の歌の意味がここへ来てやっと分かった。
「まわれば四国讃州那珂の郡 象頭山大権現ーーー」と歌われる。

確かにホテルから象頭山を見れば、象の頭や鼻、尻の形に見えた。

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帰り道は混雑するので、裏参道で帰る。カエデの見どころ。
再び「にしきや」に案内されて、トイレとお土産を買いたい人は買う。
上手い具合に案内される。

バスは再び「にしきや」に横付けされて、10時30分、今度は秘境の大歩危峡(おおぼけきょう)に向かう。

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75分乗って、昼食は大歩危峡のレストラン「まんなか」で「祖谷(いや)のそば」(そばは撮影後に出てきた)
又、アユも出たが郷土料理の豆腐は大きくやや硬かった。

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大歩危峡は見た感じが、先頃、天皇陛下が訪問された信州天竜峡に似ている。

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木曽の「寝覚めの床」にも似ているかな。川が透き通ってキレイだ。

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さらに山の中に入り13時、いよいよ有名な「かずら橋」である。

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あらかじめガイドさんから、渡り方と携帯電話・スマホ・デジカメや貴重品は絶対落とさないように注意があった。

皆、恐る恐る渡っている。足下は10センチ間隔の木で、踏み外すことは無いが、挟まれる事はありそう。それでも皆さん「かずら」に、しがみついて、ゆっくり渡っている。

横幅はあるので、普通は両手は届かない。少しづつ進む。
ところどころ、かずらが踏みつぶされて、切れているところもあった。

私なんぞは真ん中を走り通って行けそうだと思ったが、自信は無かった。

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「かずら」は「つる草」の総称で安全の為と後継者育成の為、3年ごとに張り替えているそうだ。
手すりにはワイヤが入っており、安全である。

バスは13時45分出発し、来た道を戻り井川池田ICで高速道路(徳島自動車道)に入る。

池田と言ったら甲子園を沸かせた「池田高校」である。ここで蔦文也監督の説明をしていた。

そして、高松自動車で高松に向かった。高松では栗林公園や高松城・屋島の説明があった。

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高松港に16時30分着。
これで四国の4県を制覇して、ほぼ一周した事になる。(新居浜を除く)四国の大きさが分かった。いよいよ四国とお別れである。過ぎてしまえば早いものだ。

時間調整して16時49分フェリーにて小豆島に向かう。
辺りは段々暗くなって来た。屋島が見る角度でどんどん変わるというのが分かった。

乗船は約1時間、もう暗いので甲板に出たが小豆島は写せなかった。皆さんは景色が見えないから、テレビの相撲に夢中であった。

17時50分に池田港に着き、18時15分には「ベイリゾートホテル小豆島」に着いた。もうすっかり暗くなっていた。

C社のサービスで大きな荷物は一人一個、宅急便で自宅まで運んでくれる制度があった。
これが助かる。早速、申し込んで手続きをした。

浴衣は好きな色・デザインのを選べた。最上階の12階にある展望風呂に入る。今回の旅行で最上階に風呂があるのは初めてであった。
目の前にうっすらとした海と、遠くにチラチラと灯りがともる半島が見えた。

シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズの屋上プールを思い出す。

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19時30分からの夕食はバイキング。夕食のバイキングは今回の旅行では初めてであった。
従業員はじめ、お客さんも異国の人が多かった。

どうも夜のバイキングは好かない。落ち着かない。
中生を頼み、相変わらずの刺身・コロッケ・ミニトマト・フルーツ。目新しいところで、タコつるしのぶつ切り・ハマチしゃぶ。

小豆島と言ったらオリーブである。ガイドさんが言った何種類ものオリーブ入りそうめんや、オリーブ漬けをいただいた。

何かを食べ忘れたと後で思ったら、納豆だった。

良く歩いたのだろう10,000歩だった。

部屋は、リゾートと名が付いているが、以前畳だったところに板を貼って洋風にしてあった。
だから部屋は衣裳入れなど和風でありながら、ベッドで不思議な感じ。

ただ珍しく、風呂とトイレは別だった。
今回の旅行は全部本物の温泉で大浴場に行った為、部屋の浴槽は使用しなかった。

実は四国旅行が決まってから、西村京太郎の本を探していたら「四国連絡特急殺人事件」がブックオフにあったので、買って持って来た。
毎日が忙しく、読む暇がなかなか無かったが、ここでやっと時間が取れて読みだした。

いきなり香川県、予讃本線の本山駅にある四国第70番札所の本山寺の近くで、お遍路さんが殺されている場面が出てきた。

ところが読み始めて10頁位で眠くなってしまった。
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2016/12/1

四国旅行記 そのW  旅行

11月24日(木) 4日目の朝を迎えた。

5時に起床して5時30分から風呂に入る為、遠い所だがひたすら歩いて行く。
6時頃、ロビーで新聞を読んで、相撲の結果を見る。

高知は晴れで暖かい。前日の天気予報で知ってはいたが、テレビニュースで東京は雪でびっくり。しかも積雪で、雪かきもしたと言う。

八王子駅も映され、あれーー。自宅庭の菊が雪で倒れたと聞いた。
しかも6時23分には福島で震度4の地震もあった。

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6時30分からの朝食はバイキングでおかゆ。いつも旅に出るとおかゆだが、今回は初めてであった。

湯豆腐・納豆・目玉焼き・ソーセージ・しらす・メカジキ焼き・フルーツ・ヨーグルトなど。
いろいろあっても私の食べる物は大体決まっている。

バスは7時50分発と早い。
高知市を出てバスは国道55号で土佐湾を右に見て、海岸沿いを走る。座席は3日目が前から3番目で、4日目は4番目だった。
空いているので、中には後ろの座席に行く夫婦もいるので、私はゆったり反対側の席に一人で移動した。

途中、安芸市を通った時、阪神がキャンプする「安芸ドーム」が見えた。
今年、新人賞を取った高山が、ここで練習しているのを帰宅してニュースで見た。

次は室戸岬だが長いので、ガイドさんは「弘田龍太郎」作曲の「浜千鳥」を歌ってくれた。

弘田龍太郎(1892〜1952)は安芸郡土居村(安芸市)で生まれ、大正9年に作曲した。ガイドさんは上手く歌ってくれた。何しろ説明も情がこもって、抑揚があり聴きやすい。

途中休憩は「キラメッセ」までバスで110分。室戸岬にはトイレが無いのでここで済ます。みかんを試食して、またしてもみかんを購入。

実は室戸にも来たかったのには理由がある。

M大学三曲研究部に入った時に、同級生のMA君が室戸の出身だったから、一度は訪ねて見たかった。彼は一年で尺八を止めてしまったが、夏の合宿で私に「ミスター三曲だ」と言ってくれた。

色白のいい男で、目が切れ長でカッコ良かった。とにかく酒が強かった。
「あいつ今何してる?」という番組が人気だが、彼は卒業後、大阪に就職したと風のうわさで聞いた。会ってみたい一人だ。

彼の生まれた室戸市(人口14,000人しかいない)の街なかを通り、室戸岬に10時20分着いた。

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室戸岬海岸は地殻変動で隆起した奇岩が、あちらこちらにある。
普通は横の層だが、縦になっているのが分かる。

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いくつもの見所はある。

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小高い丘に室戸岬灯台があり、そこまでは行けない。

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昔、ラジオの気象予報で「室戸岬では、南南西の風、風力3、○○ミリバール(今はヘクトパスカル)」と言うのを良く聞いた。昭和9年の室戸台風は風速60メートルと凄かったらしい。

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国定公園になっている。

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ここの奇岩を見納めて引き返す。

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これは「アコウの木」で大変珍しい。岩を根が抱え込む様に成長している。

この木は前日早朝に見た白山洞門の遊歩道にもあった。

白山のは他の木を包み込んで、締めつけてしまっており、まるでニシキヘビみたいだった。
実は成るが、他の木の股に落ちたのだけが芽が出る(寄生する)。地面に落ちたのは成長しないようである。

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御厨人窟(みくろど)は弘法大師が悟りを開いた洞窟。
洞窟内は落石があって、公開していなかった。

弘法大師が洞窟内から海を見たところ、空と海が一体となっているので「空海」と名付けたと言う。

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バスは高知県をほぼ走り切り、四国の約三分の二を制覇した。
大体の四国の大きさが分かって来た。約55分走って、徳島に入って「ホテルリビエラ」11時55分着。

ここで「ハヤシライス」の昼食。本当に「あわおどり」入りのカレーである。
まさか「阿波踊り」ではあるまい。「阿波尾鳥」である。美味であった。

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ここは薬王寺の仁王門。第23霊場で厄除けの寺である。

石段に1円玉を置いて行くと厄除けになると言われ、あるオジサンは各段に置いていたが、私は1枚だけ置いてみた。

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薬王寺を13時40分に出て、阿南市を通る。
阿南市には日亜化学工業がある。そこで中村修二(1954年〜)は青色発光ダイオードを発明・開発。青色LED製品化に貢献し、2014年ノーベル物理学賞を受賞した。

やがて鳴門市に15時10分着く。

鳴門市には第一次世界大戦中に板東俘虜(ふりょ)収容所があり、捕虜となったドイツ兵を松江豊寿は、人道的な扱いをしたとガイドの説明があり、収容所の場所も示された。

それを題材とした映画「バルトの楽園」で松江豊寿を松平健が演じ、捕虜による楽団がベートーベン作曲「交響曲第9番 歓喜の歌」を日本で初めて演奏した事は有名である。
(旅行後にDVDを借りて来た)大変勉強になった旅だった。

ここは「鳴門の渦潮」が見える場所。展望の公園までは大型バスでは行けない為、マイクロバスに乗り換えた。「若山商店」専用で、着くと名物おばちゃんの大きな声で、渦潮の説明があり、「今は渦潮見えないから、後はしっかり籠を持ってお土産を買ってくれ」と大笑い。

大鳴門橋を上に見て、向こうは淡路島である。

徳島県は作曲家、三木稔を生んだ。NHK大河ドラマ「鳴門秘帖」の音楽担当は三木稔で、テーマ曲は「阿波踊り」を使用していた。

その記念碑が道路脇にあった。

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バスは高速道路に乗り香川県に入る。これで四国全県制覇である。

善通寺で高速を降り、「こんぴら温泉郷」に入る。
ホテルは「琴参閣」で、目の前が象頭山「金刀比羅宮」の近くである。17時10分着。

温泉はスーパー銭湯みたいに、ジャグジー・薬草湯・どくだみ湯・露天風呂があった。

夕食は18時30分からで、全日ほとんどは食前酒が出た。

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ここは親切にメニューが印刷されていた。
先ずは中生で。メインは牛しゃぶで茶碗蒸しも良い。鯛釜飯が出た上に讃岐うどんが出てもう腹が一杯で、何を残すか考えたところ、讃岐うどんだった。ああもったいない。

温泉が良かっただけに残念だったのは、宿泊した部屋である。
とにかく狭く、その上机の上に照明器具が無いので暗く、メモを書くにも不便であった。

テレビも高さ10センチ位の小さな箱の上にあって不安定だったし、向きを変えるのに持ち上げたり、トイレも目の前のドアがぶつかる位だった。
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2016/11/30

四国旅行記 そのV  旅行

11月23日(水)勤労感謝の日 四国旅行3日目も晴れ。 5時起床

あらかじめ申し込んでいた早朝散歩に行く為、風呂には入らなかった。

6時15分ロビーに集合。未だ暗いので懐中電灯を貸してくれた。

案内係は背が高く、かくしゃくとしたオジサンだったが82歳と聞いてびっくりした。

参加したのは2組の夫婦だけだった。聞けば「新横浜」で一緒に乗った夫婦であり、御主人は私と同年だった。

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未だ暗い海岸である。足元を懐中電灯で照らしながら、海岸への遊歩道を降りて行く。

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段々と明るくなってきた。この日の日の出は6時44分とホテルに表示されていた。

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白山洞門は高さ16m、幅17m の海蝕洞。花崗岩では日本一。昭和28年に高知県の天然記念物に指定された。

洞門の上に白山神社が祭られており、一般人は入れない。
海岸の遊歩道には大きな岩がごろごろしていた。台風が海岸から運び、小石はむしろ浜辺にあった。
津波の恐ろしさが分かる。

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ホテルには7時に着いた。朝食は6時40分からなので、散歩に参加しなかった組はもう食事が始まっていた。

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朝食は、かたくち鰯を自分で焼く。温泉玉子・カツオフレーク・かまぼこ・ノリなど、割と簡単だ。
国際ホテルと名乗るだけあって、外国人も多かった。

出発は8時30分。名札を付けた仲居さん達に別れを告げた。中に「見習」の札を見つけ、「見習いさん、さようなら」と言って笑わせた。


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中浜万次郎(ジョン万次郎)の像。日米和親条約の締結に尽力した。

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展望台からの足摺岬。四国最南端の岬である。
この展望台は高さ80mで270度の視界。

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「足摺岬」の歌謡曲があったと思ったら、春日八郎の歌だった。

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遊歩道を歩いて、灯台の真下まで来られる。

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途中に見事な亀石がある。ただし眼だけは誰かが彫ったらしい。

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金剛福寺は第38番札所。境内は120,000平方メートルの大道場で広い。見学後、バスは四万十川に向かう。約80分である。

時々お遍路さんに遭遇する。バスから手を振ると喜ぶと添乗員が言う。
そう言う添乗員はこの旅行後に休暇を取り、自ら再び東京から高松まで飛行機で入り、お遍路をするそうだ。

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四万十川は思ったより広い。
船下り場所は川下にあると思ったら、結構上流の方に来た。

目の前の屋形船に乗船して、周りの景色を見ながら、弁当をいただいた。
アユは船上でおかみさんが炭火焼にしてくれた。11時から11時50分。

船の運転は若くて杉浦太陽似のイケメンで、記念に写真を撮っていたおばちゃんがいた。

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この沈下橋は増水時には、沈下して見えなくなる。すなわち川の流れの下になってしまうのである。

上の道があるところまで水が浸かるそうだから、ただごとではない。
道路の岩には、浸水したところにペンキで印が表示してあり、平成17年のもあった。

「四万十川]と言ったらアユと、青のり(原藻)が有名である。

バスガイドさんの説明でお遍路さんを題材とした、映画「釣りバカ日誌14」のDVDを旅行後に借りて来た。中にタクシー運転手役の間寛平が四万十川で、アユ釣りをしているシーンがあったし、四万十川の」支流で高島礼子に結婚を迫る三宅裕司が、川に飛び込むところもあった。

又、お遍路としてスーさんと浜ちゃんが金剛福寺にお参りしたり、翌日行く足摺岬や竜串海岸での釣りをするところが懐かしい。

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四万十川からバスは道の駅「ゆういんぐ」まで80分で休憩。

その後「仁淀川」を渡る。大阪にある淀川に似ているからだそうだ。四万十川より有名ではないが実は、透明度は日本一だ。
さらに65分で桂浜。

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「南国土佐を後にして」で歌われた「月の名所は桂浜」に来た。
この歌は親父の、唯一の上手く歌える歌だ。


バスガイドさんが、ここの焼きナスのソフトクリームは美味しい、と言うので二人で食べだしたらあっと言う間にバスの集合時間で、我々が最後であった。焼きナスの香りがして美味だった。

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高知城を築いたのは山内一豊である。

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高知城天守は江戸時代から現存する12天守の一つで、本丸のすべての建造物が残っているのは高知城だけだ。

築城工事は1601年から10年かかった。

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天守閣の最上階には「高欄」がある。それは装飾的で権威の象徴である。

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天守閣から下を望む。
「古城」に歌われるような矢弾の痕は無い。一度も攻められなかったと言う。

今回のツアーには城の見学が2つあり、城好きの私の決め手にもなっていた。

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ホテルは近くの「三翠園」で5時に着。バスで来る途中に「はりまや橋」を渡ったが、見学には行かなかった。「三大がっかり」と聞いた事があり、見たことにした。

何よりテレビで「大相撲」を見たかったし、翌朝の「木曜市」にも行かなかった。

風呂は塩分を感じた。6時30分夕食。

写真左上の大皿に高知名物「カツオのたたき」やカンパチ・マグロの刺身。
「カツオのたたき」は土佐だから2日続けて出されたが、ここのは旨かった。

当然、中生で一杯。他の夫婦を見ると、大概「土佐鶴」の300mlの冷酒をやっている。仲がいいね。

何とか貝の一つに、身が入っていなかった。どうも見たところ貝に穴があき、食べられてしまったのかな。
ケチだから、仲居さんに言ったところ、おまけに二個もくれた。親切な仲居さんで気に入った。

さらに、豚しゃぶ・大きなクルマエビのフライだがこれが変わっていて、枝豆だかをすりつぶして、パスタみたいにぐるぐるエビに巻いてフライにしてあり、手が混んでいる。揚げ立てで美味い。
ゆずゼリーも出て、大変おいしくいただいた。

約10,000歩歩き、ほど良い疲れだった。
我々の部屋は5階で広く、ソファーもゆったりで良かった。

風呂はややこしく、エレベーターで2階まで下り、隣の建物の廊下を渡ってさらに、温泉館に行くのである。女性はさらに3階に上がるのだ。

疲れもあり、9時頃うつらうつらと寝た。
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2016/11/29

四国旅行記 そのU  旅行

11月22日(火) 四国旅行2日目は晴れ。5時30分に起床して大浴場に入る。
四国は東京より西だから日の出が遅い。6時30分頃明るくなった。

椿舘での朝食は6時50分からバイキングで、じゃこ天・納豆・ダシ巻玉子・ポテマヨ・サラダ・ヨーグルト・フルーツなど。

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バスは7時50分出発で、最初にすぐ近くの「石手寺」。
四国八十八カ所の霊場で、第51番札所。お遍路さんが多く参拝している。

ここは、国重要文化財の本堂で別名「落書き堂」。夏目漱石や正岡子規も落書きをしたそうだ。
確かに後ろに回ると、今ではホワイトボードにたっぷり落書きがしてある。

ツアーでは忙しいが、いくつもの建物があるのでゆっくり見るべきお寺だ。

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松山城は約400年前、加藤嘉明によって築城された。
海抜132mで、山麓からロープウェイで行く。

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天気に恵まれて快晴、暖かい。私の18番である三橋美智也の「古城」を、つい歌いたくなる。

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天守閣は連立式天守(天秤スタイル)で、敵の侵入を防ぐため、山麓から本丸にかけて珍しい「登り石垣」になっており、まっすぐ天守閣に行けないのである。又、はさみ撃ちに出来るように工夫されている。

ガイドさんの説明では石段の奥行きが広く、敵にとっては攻めにくく、味方にとっては上から反撃をしやすいよう作ったと言う。

行きはロープウェイだが、帰りは一人一人リフトに乗った。これが混雑していて意外と時間がかかり、集合時間が迫っていたので、リフトを降りて駆け出した。

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松山城から55分で内子(うちこ)。ここは木曽路や飛騨高山のように古い町並みを保存している。

内子から宇和島に行き、昼食はホテルで名物「鯛飯」。これは鯛の刺身を、自分で醤油の付けだれにつけて、ご飯にのせて食べる。旨かった。

宇和島は闘牛で有名だ。闘牛場が丘の小高い上にあるとはびっくりした。

天気が良いのでバスの中は暑く、喉が渇いてブラック缶コーヒーを飲んだり、盛んに宇和島「みかん」を食べた。これが又美味い事。

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バスはどんどん走って高知県に入る。宿毛(すくも)を過ぎると国道321号だ。ガイドさんが言うには高知県は過疎化でほとんど地元の人が歩いている姿に会わないそうだ。

午後3時過ぎに竜串の「足摺海底館」海中展望塔に着く。
透明度は9mで良い方だと言われた。

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展望塔に入って階段をどんどん下り、見学場所はほぼ海底であった。
客が来るとカゴにエサを入れて撒くから、魚が寄ってくる。箱フグやら、熱帯魚も見られた。

直径50センチ位の丸いガラスの、のぞき窓から写真を撮ろうとすると、魚はすぐ動いて上手く撮影出来ない。何しろ天然である。ウニが岩の穴の中にわんさかいた。

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竜串海岸は砂岩で、地殻変動で隆起した為、あちらこちらの岩の中に小石がむき出しているのが見える。

浸食された岩が様々な形を作り、くじら岩とかいろいろな名がつけていた。

バスはさらに南下して足摺温泉に着く頃は、すっかり夕方で夕日がきれいだった。

5時に「足摺国際ホテル」に着いたのだが、ガイドさんが言った「露天風呂で夕日が見えるかも」は、お茶を飲んでテレビで相撲を見ていた為、風呂に入る頃には沈んでしまっていた。

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湯上りに自販機で缶ビール。会場で飲むより安いと判断したが、ちょっとえげつなかったかな。
夕食はカツオのたたき・サザエ・エビ・なまこ酢付け・豚しゃぶ・茶わん蒸し・フルーツなどで腹いっぱい。

我々の部屋は割と新しい部屋で、海側ではなかったが、ベッド部屋の他に小上がり的な和室付きで広かった。
その割にテレビが小型で、バランスが悪いね。どこかで利益のバランスを取っているのかな。

翌日は早朝散歩で「白山洞門」見学をするべく申し込んだ。6時15分集合なので、早めの21時に就寝した。
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2016/11/28

四国旅行記 そのT  旅行

今まで一度も四国には行っていなかった。

最近はテレビで旅番組が多く、行かなくても大体分かる。

しかし、夏目漱石の「坊ちゃん」を読み、二宮和也主演の「坊ちゃん」のテレビドラマを最近見て、道後温泉を見たくなった。(来年には改修工事が始まると聞く)

そして高峰秀子や松下奈緒の主演で大石先生だった壺井栄の「二十四の瞳」の映画を見たり、読んだりして小豆島や金比羅さんに興味を持った。さらに松山城に高知城、足摺岬に室戸岬。

思い立つ日が吉日。元気な内に四国に行く事にした。
11月21日(月)〜11月26日(土)の6日間である。

私の条件に合ったのはC社の「小豆島も足摺・室戸岬!四国の名所へ」「四国全周ハイライト6日間」「ご夫婦限定 トイレ付きバスでご案内」とタイトルが3つも付くコースに参加した。

11月21日(月)曇り。我々は新幹線10時29分発「新横浜」で合流した。夫婦限定で12組の総勢24名である。(最低限の人数)

C社の旅行は今回で3回目であるが、添乗員が男性なのは初めてである。若くイケメンであった。
グリーン車の9号車、15のA・Bが席であり、進行方向左側だから海を見ていた。
(ほとんどは持参した新聞を読んでいた)

名古屋を過ぎて、昼食に「みそカツ弁当」が出た。みそカツは2つもあり、タレが少し甘かった。
早くも缶ビールを飲んでいるおばちゃんがいた。
弁当はボリュームあり、私は腹一杯だった。

福山駅には13時44分着。「両備バス」の大型バスに乗り込む。
申し込み順かどうかは知らぬが、指定された座席はツアー客の後部座席で「又、後ろか?」と思った。何故なら前回もそうであったから。しかし座席は日毎に代わるから、次は多分前であろうと期待した。

バスは尾道を右下に見て、「瀬戸内しまなみ海道」を進む。バスガイドの上手い事。6日間その話を堪能した。

島から島へと、いくつもの橋を渡って大島に着いた。大島名は全国にあるから、ややこしい。
ここにビューポイントの「亀老山(きろうざん)展望台」がある。
標高307.8m。「日本の展望スポット2016年第3位」に選ばれ、360度のパノラマだ。ああ絶景かな。

瀬戸内海と言えば、宮城道雄作曲「春の海」を思い出す。福山市の鞆の浦で舟遊びをした時の情景を曲にしたそうで、その事は生前の宮城道雄の甲高い声の録音を聴いた事がある。

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曇りでややかすんでいるが、まだいい方だと言う。

初日の見学カ所はそれだけで、道後温泉に夕方着。ホテルは「椿舘別館」である。
早速、「道後温泉本館」の風呂を浴びに行く。
道後温泉本館は110年前に建てられて、3階建てになっている。
ここに夏目漱石も来たのか、と思うと感慨無量である。

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いくつかのコースがあり、我々は一階の一番安い「神の湯階下」一人\410だった。
ドラマで見た通りだったが、本当に湯船は深く泳げるなと思った。ただ浴場は思ったよりは狭い。
いい湯だった。夕食時間も迫るし、土産店の見学もあるので30分位で切り上げた。

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夕食は食前酒も出たが「伊予娘」なる冷酒もいただいた。
刺身は定番であろう。写真左上は「鯛鍋」で、右上は「イカリングの陶板焼き」

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椿舘本館にて21時から「水軍太鼓」の演奏を聞きに行った。右上のからくり時計が9時を告げると車夫の足が交互に動き、演奏が始まった。それは凄い太鼓だった。
勇壮で館内が良く響き、腹から足元から鼓動がドンドンと気持ち良く伝わって来る。

4曲30分間の圧巻のスピードあふれる、迫力満点の演奏を無料で満喫した。
(YouTubeで演奏が聴ける)
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2016/11/18

高尾山から城山  ハイキング

尺八稽古の合間に紅葉の高尾山に行って来た。小春日和ではなく、風は冷たかった。
前回は景信山に10月15日行き、今回は11月16日の山行きである。


コースは高尾山口駅の山麓駅からリフトで山上駅〜高尾山山頂へ登り、それからもみじ台〜一丁平〜城山〜小仏峠〜小仏バス停〜高尾駅である。

時刻を記述すれば、参考になるであろう。(次回登る時の自分の為でもある)
この日は体調良く、予定より早めに出発出来た。めじろ台駅は9時12分発。
高尾山口駅には10分程度で着くので楽で良い。電車を降りてびっくりしたのは、おばさん達がトイレの前で長蛇の列で混雑だった。
やはり考えることは皆同じである。

京王電鉄がスタンプハイクをしているので、高尾山口駅でスタンプを押し、清滝駅でも押した。

リフトは10分程度で山上駅に着くが、途中右も左もカエデなど赤や黄色がきれいで思わず感激する。
右側には「どうだ」と満天星(どうだん)つつじが赤くなりかけ、何本も連なっている。

山上駅で降り、早速Gパンの裾を靴下の内側に入れる。1本のストックも準備した。9時45分出発。

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前ばかり見ていては分からないが、時々振り返ればこのような景色も見える。女坂付近。

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視野が開けた茶屋の前のカエデがきれい。混雑ぶりが分かる。

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薬王院には何回来たことか。見とれている内にスタンプを押し忘れた。

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リフト駅から歩いて40分で高尾山山頂、10時25分着。安いデジカメだからなあ、肉眼の方がきれいだ。

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高尾山山頂は人が絶えず、なかなか人が写らないように出来なかった。
上記を撮影後に老人夫婦に写真撮影を頼まれた時だった。「お兄さん写してくれる?」と立派なデジカメを」差し出したので喜んで写してあげた。68歳にもなって「お兄さん」とはうれしいね。

下側ばかり写すのは、写真を比較する為だった。標識はペンキがはげて随分汚れてきた。

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こちらは昨年の撮影だ。銅板もきれいだ。

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山頂では富士山が見えず、10時30分には次に向かう。
山頂を越えてすぐ下のここは東屋があり、いつもはこの辺の椅子に座って昼飯だが、今回は城山をめざす為、山頂には5分しかいなかった。

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10分くらいでもみじ台に着く。

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その後、一丁平までは延々とこのような、木で作られた山道をひたすら歩く。
アップダウンが多い。

雨降った2日後だから、少しは乾いているかと思ったが、結構ぬかるんでいた。しかしキャラバンシューズだから割と平気である。

途中景色の良いところで、前に一人で歩いていた御嬢さんが突然私に彼女が持っていた「スマホで撮って」と言われた。カエデをバックにきれいに撮れた。「より美人に撮れました」と渡したところ、笑って喜んでいた。

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一丁平には11時00分着。ここはトイレもあるし、ちよっとした休憩場所で幼稚園生がいた。少しだけ持参の水を飲む。

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城山には11時20分に着いたので50分で高尾山頂から着いた。私の当初予定時間は13時だったから、かなり早い。

私のデジカメでは遠くが、かすんで上手く写らないのは残念だ。
ここで、昼食。持参した梅おにぎり1ケと、「なめこ汁」を茶店で買った。250円でとろっとして美味い。

風が冷たく50分休憩して、12時10分に城山を出発。
何を急いだのか。実はバスの時刻を調べてはいたのだが、予定より早すぎて結局バス停で45分も待つことになったとは、お釈迦様でも知らぬなんとかだ。

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城山から小仏峠へ行く途中の相模湖を見るビューポイント。

この後は小仏峠に15分で着く。12時25分だ。ここは中央自動車道で一番混む小仏トンネルの真上だ。いつも飯田に帰省する時に通るから、感ずるものがある。

小仏バス停には峠から30分で着いてしまった。12時55分。途中誰にも会わなかったのは不思議だった。
先を急いだのは13時10分にバスが出ると思っていたからだ。

ところが小仏バス停に着いて、初めて私の見誤りに気付いた。平日の13時10分発はなかったのだ。
だから、誰も追い越さなかったし、直前のバスは出たばかりだったのだ。
仕方なくバス停の水道で靴の汚れを落とし、椅子に座って新聞を読みだした。
その後は、三々五々人が下りて来てやっと13時40分に乗ったのである。

私の策は、山頂の昼飯は簡単に済ませて早めに下りて、高尾駅近くで一杯飲む事である。よく山頂でビールを飲んでいるグループを見かけるが、私はふらついてダメである。我慢するのだ。

14時に高尾駅北口に着く。降りてすぐ「Ichigendo」に入ろうとしたところ、何と鈴慕会の事務局のSAさんにバッタリ会ったではありませんか。
もうビックリです。

あのバスに乗っていなかったら会えなかったはず。SAさんも都心から来られて高尾駅から又、バスで出かけると言う。少しだけの時間、話が出来たのは幸いだった。86歳とは驚きであった。

Ichigendoでは、早速「おつまみセット」と「アップルパイ」をいただいた。
グラスビールで喉を潤し、満足して帰宅した。
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2016/11/1

府中ジャズフェスティバル  音楽

府中ジャズフェスティバルが10月9日(日)にあり、聴きに行って来た。

初めて知ったのだが、毎年府中市のいたるところで開催されるらしい。
私が行ったのは、分倍河原の駅前にあるビアホール「BOONブーン」が会場だった。

午後から1時間毎にバンドが代わり、4時から甥が所属する「早栄軒」なる4人のグループを聴いた。
彼らは早稲田大学出身で、学生の頃から継続している。
私は、彼らが学生の頃一度聴きに行った事があった。あれから25年以上経っている。

1ドリンク制で私はビールを注文した。当然、誘ってくれた姉や甥の兄弟関係者も集まった。

甥はずっとドラムを担当している。たいしたものだ。
私も、小学校では器楽班で小太鼓を叩いていたから、所謂血筋であろう。

何となく「ラーメン屋」のイメージのグループ名で、曲もやや面白おかしく、「餃子」や二度付け厳禁「串カツ」などの曲である。

ボーカルの説明で曲が進むのだが、演奏の前に彼らは相当飲んで来たらしい。しかし、ボーカルはダジャレなどを交えながら、楽しく曲を進めた。

曲の途中では「堺すすむ」のネタを披露したが、私はワクワした。なんでーか?
「前田健太とイチローが勝負した。どちらが勝ったか?」
私はすぐ「カタカナ」と叫んだ。解るであろう。ダジャレが。

もう一つ。
「パン屋さんであんパンと、メロンパンと、食パンが並んでいた。ジャムパンが『おーい』と声かけた。振り返ったのはだーれか?」
これもすぐ「ミミ」と叫んだ。そう食パンには耳があるから。

ボーカルのハーモニカはプロ級だった。上手い。
実質40分間の演奏はアッと言う間だった。

終了して、寄付した人には「ピンバッヂ」をくれると言うので、500円玉を用意された瓶に入れ
「JAZZ in FUCHU」のバッヂを貰って来た。

ジャズフェスティバルと言えば、阿佐ヶ谷でもこの時期に行っている。
中学の同級生TO君に誘われて、阿佐ヶ谷に出没したのは2年程前の事である。

彼のいとこが経営する焼き鳥屋「さつまや」が南口の通りにあり、何回か伺った。
たまたま土曜日だったのか、知らずに行ったところ、通りの空き地でジャズを演奏するところだった。

未だ、友人は来ていなかったので路上で聞く事にした。無料で折りたたみ椅子まで出ていた。
3〜4人のグループでボーカル、ギター、クラリネット、ドラムで曲は余り知らなかった。

その後、友人と合流して「さつまや」で飲みだしたのだが、御主人がジャズの世話役もしていて、行ったり来たりしていた。
そのうち演奏を終わったバンドマン達も、店に現れて祝杯を挙げていた。

ジャズの本場は、アメリカである。
28年前の1988年10月にNCR米国流通業視察の出張で行った時に、ニューヨークの「ブルーノート」では無かったが、NCRの担当者が「ジャズライブ」の店に連れて行ってくれた。

そこでは入口でいくらか払い、ドリンクを注文して5〜6人のジャズバンドを聴いた。
黒人の女性がパワフルに歌っていたのが印象的だった。
尺八持参なら飛び入りで演奏したかも知れない。それは無いか。

ジャズと言えば尺八で「テイクファイブ」「イパネバの娘」「茶色の小瓶」「アメリカン・パトロール」等を練習したり、発表した事もあった。
又、「A列車で行こう」や「ムーライト・セレナーデ」や「イン・ザ・ムード」「シング・シング・シング」「枯葉」が好きだ。
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2016/10/23

秋の収穫  グルメ・クッキング

「今はもう秋」という歌がある。
最近は調べないと、曲名がなかなか思い浮かばない。

正解は「誰もいない海」だ。山口洋子作詞、内藤法美作曲、歌手はトワ・エ・モアである。

この曲は簡単そうで、歌うと実は難しい。「いまはー」の入り方は、「ま」が一拍目である。
そして「もう秋―」は「もうあ」までが3連譜で「あ」が意外と高音なので、上がり切らず音痴になって「違う!」と、家人に言われる。意外と歌うには苦手な曲である。

さて、今はもう秋の収穫の時期を迎えた。

吾輩の猫の額の庭も、やっと「さつまいも」と「ショウガ」を収穫した。
「さつまいも」は普通のと「紫いも」の2種を3苗づつ植えた。

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見てご覧、この色っぽい事。なんとまあ、見事な○○である。生まれて初めて栽培したのだけれど、「芋づる式」にと言う語源であろう「つる」が良く伸びた。無農薬の美味なイモだった。

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そして、ショウガ。2鉢買って植えて取りあえず1鉢分を収穫。これも初めてだから恐る恐る鍬を入れて収穫した。買った時は3株位だったのが、17株位出来ている。

手前に土偶のようなショウガも出来て、あとは根にそれぞれ出来ている。
ショウガは健康食品だ。生で良し、擦って良し、醤油漬け、酢漬けで良し。身体が温まる。

誰が言ったのか「村上春樹」は秋の季語だと。毎年秋にノーベル賞の噂が出る。

「ノーベル賞 風のうわさか ボク イラン」とは誰が言うたん?

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2016/10/20

景信山  ハイキング

さわやかな好天に恵まれた10月15日(土)、景信山に登ってみた。

朝、8時53分めじろ台駅を出発、高尾駅に着き北口から9時12分発のバスに乗る。混雑でバスは2台でも満員だ。

小仏バス停には9時35着。いちおうトイレに行く。
しばらくは広い道を歩いて行くが、乗用車も頻繁に通り過ぎる。だんだんおじさん、おばさん軍団を追い抜いて行くと、いよいよ山道にさしかかる頃には一人になっていた。

好天と言ってもやはり、森の中は薄暗く、川も道端に流れているので涼しい。

小仏峠には10時20分着。何回も来ているので、タヌキの置物の写真は撮らなかった。少しペットボトルの水を飲んで休憩。

城山方面から景信山へ走って行く人が、結構いる。所謂トレイルランニングだ。
当然若い人が多いが、時々中年や女性までいる。何か私なんぞ邪魔な気がしてくる。

それでも景信山には10時50分着。先ずは定番の富士山を写す。

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まだ雪が無く、やはり富士山には雪が欲しい。もう少しアップにすれば良かった。

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比較の為、今年4月9日の定点観測の富士山。

11時だったが、早くも持参したおむすび2ケと茶屋で注文した「おでん」を食べる。おでんは旨かった。
京王ではこの時期「高尾・陣馬スタンプハイク」のイベントを開始したばかりで、早速カタログにスタンプした。

ここで約1時間過ごし、下山する。

今度は小仏峠を通らずに、景信山から小下沢分岐を通って下った。前回は登りだったので下りは初めてだ。
ところが、粘土質で滑りやすく、またしても小下沢分岐の手前で転んでしまった。

右手にストックを持っているのにかかわらず運悪く、左手と左長袖の袖口、そしてズボンの左ひざを赤土で汚してしまった。
ちょうど持参したペットボトルが未だあったので、手を洗えた。

やっとの思いで小仏バス停に12時40分に着いたのだが、もうすでにバスは出発していた。
バス停前の水道水で改めて、手や袖口、ズボンを洗ったが、どうもバスを待っていたおじさんに見られていたらしい。

「転んでしまいましたか?」と声をかけられ「滑り易いですね」とも言われ、恥ずかしながら応答した。

小仏バス停には「高尾駅」行きと「高尾山口駅」行きがあるから、紛らわしい。
前回、間違って「高尾山口駅」行きに一度乗って乗り換えた事があったから、注意だ。

バスは13時10分発で高尾駅には13時30分着。
高尾駅隣接の「群言堂」に、「ビールおつまみセット」を発見。780円でヱビスビールが飲めた。

この日は万歩計によると13700歩の、Good jobだった。

キャラバンシューズを履いて行ったのだが、どうしても両足親指が押されて痛い。
実は今年4月の登山で両親指とも爪が内出血して、まるでネールアートみたいに爪が紫色になり、やっと半分くらいまで新しい爪が生えてきたのだ。恥ずかしくてとても写真は見せられない。

スポーツ店のお兄さんに聞いたところ、「歩き方が悪い。歩く時、つま先が立っているのではないか?」と言われているのだが、改善しない。

今年の高尾山系への登山は、遅くなったが4月が初めてだった。

4月9日は陣馬山から景信山を縦走して、小仏峠経由で帰って来たが、この時に帰りを急ぎ、爪を傷めた。
次は6月2日の琵琶滝コース。帰りはリフト。
7月2日は安直に、往復リフトを使用して行きは4号路のコース。
9月28日も往復リフト。
10月7日は稲荷山コース。幼稚園生が登るからたいしたものだ。帰りはリフト。
10月12日琵琶滝コース。途中小学生に「こんにちわ」と何人もに挨拶される。帰りはリフト。
そして今回10月15日の小仏峠から景信山コースである。何と琵琶滝コースから3日後のことで、今年7回目になる。

「転びましたか?」と、言われたおじさんは毎週どこかに登っているようである。
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