北原鈴淳尺八教室in八王子  音楽

  
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  指導者  鈴慕会 大師範

            
            北 原 鈴 淳







音楽歴  
長野県飯田市立追手町小学校5〜6年で器楽班に入り、小太鼓を担当。

東中学校2年から飯田高校の吹奏楽班でユーホニュームを担当(5年間)

大学の三曲研究部で琴古流尺八を始め、故二代青木鈴慕・人間国宝(2018年8月21日死去)に師事
      
1972(昭和47)年1月 浅草国際劇場の「艶歌のすべて 北島三郎ショウ」 で10日間「仁義」「盃」「誠」を尺八伴奏
      
1976(昭和51)年 渋谷東邦生命ホールで尺八リサイタル
曲目「みだれ」「一定」「箏四重奏曲」「詩曲」「鹿の遠音」「千代の鶯」

1991(平成3)年3月 NHKFM放送「邦楽のひととき」
に「明治松竹梅」出演
さらに1991(平成3)年7月「泉」、1992(平成4)年「末の契り」、1992(平成4)年6月「泉」再放送、など出演

      
2007(平成19)年 北原尺八教室をめじろ台に開設

2016(平成28)年、芸歴(芸道・竹道)50年を迎えた

稽古場 東京都八王子市めじろ台2丁目
      (京王線めじろ台駅徒歩6分)
     
      電話 042−668−1278
(お問い合わせは午前8時〜午後8時まで)

稽古日 日曜日・月曜日・火曜日・木曜日(午前10時から午後5時までの予約制)        
    ご希望により他も可能な日(午前中など)があり、ご連絡下さい。
月謝   
月2回、5000円 (1回約50分間)
月3回、7000円 (1回約50分間)
月4回、8500円 (1回約50分間)
ワンレッスン、3000円 (約1時間)

その他、ご希望により特別ワンレッスン2時間を設けます。(5000円)

入門料 3000円(ホームぺージご覧の方は半額の1500円)
      入門者には自費出版のCD1枚差し上げます。

初心者から対面式で一人一人指導します。まずは基本の音出しから。
 古曲を中心に宮城曲、現代邦楽、歌謡曲までご希望にも応じます。

琴古流本曲 三谷菅垣・雲井獅子・虚空鈴慕・鹿の遠音 など

地唄筝曲  黒髪・千鳥の曲・笹の露・残月・八重衣 など

宮城曲   春の夜・春の海・初鶯・泉・虫の武蔵野 など

現代邦楽  風動・詩曲・一定・萌春・出雲路・箏四重奏曲 など

その他ご希望により 童謡・唱歌・歌謡曲(著作権法に触れない曲)など

体験レッスン 500円(約60分) ご予約ください

初めての方には、安価な樹脂製の尺八「悠」(¥11000+税で、良く鳴ります)を取り寄せます。竹製欲しい方は、別途ご紹介します。
取りあえず、貸し出し用のプラ管あります。

練習の状況により箏や三絃と時々合奏練習をして、年に一度は稽古場でおさらい会をします。

1976年北原康夫尺八リサイタルより、
杵屋正邦作曲・尺八独奏曲「一定」(いちじょう)が聞けます。
長澤勝俊作曲
「独奏尺八のため詩曲」
上記、青色線をクリックしてください。

金曜日・土曜日は箏・三絃教室も開いています。
こちらのホームページをご覧ください。
http://ivory.ap.teacup.com/koto8/


近況と雑感(4/21) 

2月5日に頼んだDVDが4月16日にやっと出来て受け取った。カビの除去やコロナの影響で遅くなったようだ。

昭和61年の「萩の露」、62年の「壱越」は私が38歳頃の演奏である。所どころ間違って演奏しているが、勢いがある。頑張って演奏しているなと思う。

八王子市では新型コロナワクチンの接種が始まった。
私も高齢者でお知らせが来たが、開封しただけで、もう受付終了だって。

先日、テレビで大阪桐蔭高校の吹奏楽の演奏を聞いた。とても素晴らしかった。

100人以上部員がいるのだろうか。パフォーマンスもあり、何曲も演奏したが良くそろうものだと感心する。我々が高校生の時は25人がやっとだった。

卒業して音楽への道に進まない人も多く、残念ではある。

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春本番である。自宅のささやかな芝桜も急に満開となった。
雑草取りが大変だ。雑草とは言っても名前はある。名前を知りたくて図鑑を買った。可憐な花を咲かせるのは、そのままにしておく。

雑草ではないが地下茎のドクダミ、ミョウガ、紫蘭、スズランがどんどん延びる。ドクダミは取っても取っても生える。困ったものだ。

花ニラもきれいな花が咲くが、ニラと間違えて食べると毒なので、除去している。

昨年暮れに蒔いた「万能ねぎ」がやっと収穫出来て、そばつゆに入れて食べた。まあまあである。冬は太陽が当たらないので半分諦めかけていたのだ。

それでも少しづつ大きくなって来たので、収穫に至った。
再来週には又、今年も枝豆を蒔こうとしている。

ある週刊誌に五木寛之のコラムがある。
最近、漢字がすっと書けない。躓く(つまずく)なんて思いつかない。
そこで考えたのは、「質屋に向かって歩いたら、足で躓いた」で漢字を覚えたそうだ。なるほど、これは忘れない。


門下生へ
皆さんお元気ですか?早くコロナ禍が終息すればいいですね。



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「飛躍」の思い出  音楽

「飛躍」の思い出と言ったところで、普通の人には分からないだろう。「跳躍」ではありません。

実はこれから述べる「飛躍」とは、久本玄智作曲の「飛躍」の事である。

長くなるので独立した文章にしたい。
私が大学3年生の頃、飯田市の箏の先生のおさらい会で「飛躍」を箏と合奏した。
その「飛躍」を又今、妻の門下生と合奏しようと言う話が出て来たのだ。

私の頭の中では年中「飛躍」のメロディーが鳴り響いている、と言うくらい印象深い曲である。ある程度は覚えている。

しかし、楽譜を探してみたら無い。発行元の出版社はもう無いと聞いていた。
仕方ないからYouTubeで他人の演奏を聴いて、楽譜を書こうかなと思ったくらいだ。

ところが救世主が現れた。琴古流楽譜を扱っている竹友社が販売している情報を得て、やっとこさっとこ手に入った。

解説では尺八、箏二重奏曲で洋楽のロンド形式。
快活な旋律によって飛躍の気分を表した曲。
近代的な感覚をもった曲で、特に若い人に喜ばれている。

しかし、作曲は1931(昭和6)年で、戦前であり、私は未だ生まれていなかった。

飯田市の箏の先生とは故駒瀬竹子先生である。当時で80歳くらいだったろうか。
知り合ったいきさつの話をしよう。

高校生の頃は自転車で学校まで通っていた。
自宅のある旧飯田市は段丘の上にあり、高校は段丘の下側であるから、行きは広い崖路をスピードを出して下りて行く。

帰りは大変だ、立ちこぎで行きの道を全部は上がれない。途中で横道を行くことになる。

飯田市は碁盤の目のような道路になっており、その後はどこの道を通っても自宅に帰る事が出来る。縦の道が坂になっており、横道はほぼ平らである。

ある時、仲之町なる道を通りかかった時に箏の音が聞こえて来た。高校時代は吹奏楽班だったので未だ尺八に興味はなかった。

ところが、大学に入ってなんと尺八を手にしたのである。
そこで夏休みに駒瀬先生宅を訪ねたのが始まりじゃ。

先ず大学1年生頃から、「六段の調べ」や「千鳥の曲」などの合奏をしてみた。
私が行く時には門下生の上手な人も呼んでくれて、夏休み、正月休み、春休みなど通った。

「ゆき」も先生と合奏したのを覚えている。
そして大学3年の夏休みだろうか、先生のおさらい会で「飛躍」を可愛い小学生とも合奏したのだ。

大学3年生の時は当時あった「太宰楼」の舞台で演奏して、終了後は記念撮影して、打ち上げ。

大学4年生の時は「三宜亭」で演奏と打ち上げを行った。先生から「あなたは学生さんだから、無料で良いよ」と言われた。ギャラは無くて7万円の接待では無い。可愛いものだ。

「三宜亭」では母も親類のおばさんも聞きに来てくれた。
地元の尺八演奏者もいて、酒を飲んだが「健康第一に気を付けてくれや」と言われた。

そのおさらい会で知り合った尺八の中川青童氏に誘われて、正月に市田(天竜川舟下りの出発点)のご自宅に伺った事がある。

当時は75歳位のお爺さんで、尺八の練習ノートを見せてくれてびっくりした。

上段に地唄の曲名が書かれており、その下側に練習した回数の「正」ちゃんマークがいっぱい書いてあったのだ。「八重衣」などかなりの練習回数であった。

正月だから酒、肴もいただいた。
話を伺うと、息子さんも尺八を演奏しており、「息子の残月の演奏テープだ」とカセットテープをいただいた。

驚いた事に箏が小林玉枝、三絃が井上道子だから凄いメンバーだった。
帰ってから何度も聞かせてもらった。息子さんは未だ私にとって見知らぬ人だった。

ところが、その息子さんに東京で7〜8年前に偶然縁があって、一緒に飲んだのである。
しかも、その時のテープをお返しをした。(本当は頂いた物だが)

聞いてみれば私の高校の先輩であり、ちょうど10歳年上だった。本当に不思議な出会いだった。

再び中川青童氏の話である。ほろ酔いかげんで中川宅を出たのだが、もうすっかり暗くなっていた。私の実家は街なかで街路灯がついて明るい。

しかし田んぼの中を通ってJR飯田線の市田の駅まで行くのに、月も明かりもほとんどなく、手探りでやっとこさっとこ市田駅に着いたのだった。側溝に落ちなくて良かったと思ったくらいだ。

東京に戻って当時の青木鈴慕先生に、たまたま何かの時に中川氏の話になり「中川さんは地元で邦楽を広めている大変な功労者だ」と褒めていて、先生までも知っていたとは、どこかで繋がっているのだと思った。

駒瀬先生は品の良いおばあちゃんで、カメラが趣味だった。
私が23歳の頃、つてがあって尺八の門下生が一人出来た。そのYさんも連れて夏休みに浴衣を着て駒瀬先生と合奏し、写真も撮っていただいた。

話がどんどんそれるが、合奏を終わって私の中学の同級生Mさんが経営する居酒屋に行った時の事である。

たまたま彼女に尺八を聞かせようと他のお客様に許可を得て、「仁義」などを演奏したところ、あるお客さんが言い寄って来た。
その人に、えらい褒められたのである。

聞けばT設計事務所の人で、元はテイチクだかのミキサーをしていたから、耳は確かであった。話が合って、ごちそうになり、その上「芸者置屋に行こう」と我々二人を誘い出し、ある料亭に行ったが、もう遅く皆帰ってしまったらしい。

大広間で女将さんと4人で世間話をして帰った。ドラマになりそうな、こんな事を思い出した。

駒瀬先生は趣味のカメラで展覧会をしたり、講演をしたらしい。地元の新聞に掲載された。
その頃、先生と年賀状のやりとりをしていたが、駒瀬先生が講演の最中に突然倒れ、そのまま亡くなったみたいだ。

その事が載った地元紙を母が送ってくれて知ったのだが、暮れも暮れ25日頃の事で、要領の良い先生はもう年賀状を私に出していたから、亡くなった先生から年賀状が届いたのである。

妻を連れて紹介をした後だったので、私が30歳過ぎの話である。合掌。
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YouTubeで邦楽  音楽

YouTubeで邦楽の演奏がかなり増えてきた。
大先生達の貴重な映像などもアップされて、参考になる。

最近、藤本昭子の演奏を見た。かなりの数のアップで全てが素晴らしい。

藤本昭子は人間国宝だった藤井久仁江の娘である。(阿部桂子は祖母に当たる)

特に宮城道雄作曲「春の夜」は箏本手藤本昭子、箏替手塚本徳(めぐみ)、尺八田辺頌山の演奏には感激した。

この曲は名曲中の名曲だと思う。
塚本徳さんはNHK育成会で私と同期であり、私のリサイタルでは舩川利夫作曲「箏四重奏曲」の賛助をお願いしたし、木犀会では岩城弘子さんと共に「春の夜」を演奏した仲だ。

この曲を演奏会にかける時、青木鈴慕先生に習い「暗譜で演奏する」旨話したら、目の色を変え「いつ演奏会だ?」と演奏会に来ていただいた。それ程の曲だ。

田辺頌山は都山流の奏者だが、よく考えた演奏で所どころ琴古流の手である「ウ」を使用して陰にこもった音色を聞かせる。

速いところはチのメリのままで、その使い分けが素晴らしい。

それにしても誰か、尺八の稽古の映像を流してくれると、初心者には分かり易いだろう。
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古関裕而と朝ドラ「エール」  音楽

作曲家古関裕而(1909年〜1989年)モデルのNHK朝ドラ「エール」が終了した。

朝ドラを最初から最後まで見たのは、初めてである。
最終回には感激した。NHKホールで出演者が古関のヒット曲を歌ってくれたのだ。

私の好きな「イヨマンテの夜」がやっとフルコーラスで聞け、「モスラ」「栄冠は君に輝く」「高原列車は行く」や「長崎の鐘」も聞けた。

ドラマは古関裕而と妻の物語で、窪田正孝と二階堂ふみが立派に演じた。

特に二階堂ふみは迫力ある、感情の激しい「音」役を演じたのは良かった。

ただ全編を見ての感想は、出演者の恋愛から結婚の場面が多すぎた。もう少し古関の曲を流して欲しかった。

今年はコロナの影響もあって撮影が減らされ、私が最大の興味を持っていた「オリンピックマーチ」の作曲場面や、国立競技場でのオリンピック開会式の模様があまりにもあっけなかったのは残念だ。

改めてYouTubeで「オリンピックマーチ」を聞いたが、名曲だ。

NHKの「ビッグショー」を見たところ、作曲家の服部良一も出演していて「マーチじゃ古関さんにはかなわない」と言わしめた。

NHKのスポーツの番組では必ずテーマ曲として「スポーツショー行進曲」もおなじみだし、昔買った行進曲のレコードには軍歌「若鷲の歌」なども、マーチに編曲されてた。

服部良一も「青い山脈」などの名曲がある。

それにしても古関裕而が作曲にあたり、ピアノなどの楽器を使わないで作曲したことには驚嘆した。天才は頭の中で曲が出来上がっているらしい。

気に入ったドラマや映画が終了すると、寂しさで○○ロスとか言うそうだ。
私も朝ドラロスになったみたいだ。
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芸能人・作曲家の死亡  音楽

「僕は泣いちっち」を歌った守屋浩が9月に81歳で亡くなった。
1959年のヒット曲だから、私が11歳の時である。

この曲は大学の同級生の親友の十八番だった。「〽僕の恋人東京へ行っちっちーーー」
新潟県出身の彼と、長野県出身の私とは気が合った。

二人は共有する思いがあったのか、上京してこの歌に魅せられた。彼とは疎遠となったが、何故か思い出される。

今度は10月7日、作曲家の筒美京平が80歳で亡くなった。
ヒット曲は「ブルー・ライト・ヨコハマ」「また逢う日まで」「さらば恋人」「魅せられて」他多数ある。

私のバカ話である。当時会社勤めで会社の慰安旅行があり、私が幹事で120名をバス4台に乗せ熱海方面へ行った。その時の宴会は私が司会で、余興は各店(スーパー)の対抗であった。

私は総務部の代表として、「ジュディ・オング」の「魅せられて」の物まねをした。

歌はカラオケで部下の若い女性が歌い、衣装は総務のおばさんがレースで、それらしく作ってくれて、当日は口紅も付けて華麗に(?)舞い、踊った。

そして見事に優勝したのである。証拠の写真もある。とても他人には見せられない。

そのまま舞台から会場内に飛び降りて、駆け回ったところビールまで浴びせられた。苦い思い出である。

今年はベートーヴェン生誕250年でNHKの「らららクラシック」などで特集している。
私はクラシック音楽の中でベートーヴェンが一番好きである。

彼の不屈の精神に共感する。
交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノ独奏曲など数多くあるが、何といっても私は交響曲の「田園」が好きである。

二番目は「エグモント」序曲、三番目が「運命」、四番目は「第九」、そして「英雄」である。

大学生の頃「田園」のレコードとスコアを買って、田舎でステレオを聞きながら指揮者の練習をした程である。これを聞くと高校生までの田舎を思い出す。一度はオーケストラを指揮してみたいな。

「エグモント」序曲は私が高校生の時、ブラバンのライバル校の当時「飯田長姫高校」が女子高校の文化祭で演奏をした。これを聴いたときに、凄くかっこいいと思った。未だに好きで時々、YouTubeで聞いている。

「運命」は何と言っても最初の「ジャジャジャジャーン」である。譜面では最初は休止符で始まる。その切迫感が凄い。

しかし、ベートーヴェンの曲は「しつこい」。特に運命は、終わったようでなかなか終わらない。
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昔取った杵柄 そのA  音楽

私が生まれ育った信州飯田の実家は、私が高校受験までテレビが無かった。
それまではラジオを聞いていた。

中学生の頃、ビクターの横幅が広いステレオをやっと買った時の衝撃は今でも覚えている。
視聴盤をもらい、蒸気機関車が汽笛を鳴らしながら走って来るのだが、はっきりと左のスピーカーから段々大きな音になって、「シュッシュポッポ」と右側のスピーカーに通り過ぎて行ったのだ。

迫力満点で、すっかりうれしくなった。
その時は中学でブラバンに入っていたので、陸上自衛隊中央音楽隊のマーチやアメリカのミリタリーマーチのレコードを買い、頻繁に聞いた。

祖父は三波春夫が好きだったので民謡レコードを買い、これも良く聞いたものだから、曲をそらんじる事が出来、その後の民謡尺八につながっている。

視聴盤には「アイーダ」など色々あったが、中でも「べサメ・ムーチョ」が原語で歌われており、何となく覚えた。
新宿で商売している頃、スペイン語関係のお客さんが来た時に、実は「ベサメ・ムーチョ」がめちゃくちゃ歌える旨を話して歌ったところ、大体発音があっていると言われた。

話は戻すが、夕食後のNHKラジオ「一丁目一番地」などを、ラジオにかじりついて聞いていたのを思い出す。
「さえこ」さん役の黒柳徹子は上手く、面白かった。

テレビを買ったのは高校一年生の1964(昭和39)年の東京オリンピックに合わせてで、感激した。

テレビは歌謡曲中心に見ていたのだが、やがてエレキギターブームとなる。
御多分に漏れず、私もギターを弾きたくなった。

隣のおじさんは「湯の町エレジー」「影を慕いて」をきれいに弾いていた。
それに触発されて、父にギターを買ってもらった。

父行きつけの「古道具屋」だと思うが、音楽に詳しくない父は中古の「スチールギター」を買ってきた。

隣の息子は私の小学校と高校生の同級生で、彼もギターをやって、「テケテケ」もやった。
ベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」や「パイプライン」などである。
「歌謡曲」の楽譜も買い、「湯の町エレジー」「影を慕いて」も練習した。

1966(昭和41)年、ついにNHKで阿部保夫のギター教室が始まった。

そのテーマ曲にすっかり魅せられてしまった。ソル作曲で今でも覚えている。
その曲をずっと探していたのだが、最近やっと見つける事が出来た。

それはソル作曲「魔笛の主題による変奏曲」でYouTubeでやっと聞けた。

上京して大学生になるとガットギターを購入して「カルカッシ教則本」で基本の練習をした。
大学の同級生にスペインギターに入った友人がいて、一緒に「禁じられた遊び」や「アルハンブラの思い出」も練習した。

めじろ台に引っ越して来て、「もう弾かない」と処分してしまったが、最近また弾きたくなったので困っている。

めじろ台にはプロの小川和隆氏が住んでおり、何回か聞きに行った事がある。
引っ越して間もなく、尺八の橋本竹咏(鈴慕会の時の後輩)と小川氏の演奏会も聞きに行った。

小川氏は小原聖子の弟子であり、私が飯田市のライブでギターと合わせた桑原利彦氏と同門だった。
私も体験レッスンでギターを一回習い、その縁で一緒に食事がてらビールを飲み交わした。

彼は10弦ギターを使用しており、やはり「禁じられた遊び」や「アルハンブラの思い出」をいい音で聞かせてくれる。 

お弟子さんのおさらい会にも行ったが、皆上手い。11月にも発表会をするそうだ。

また、YouTubeで村治佳織などを聞いていると、本当にしみじみする。

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昔取った杵柄  音楽

自宅にいる時はYouTubeで良く音楽を聴いている。
邦楽から吹奏楽、オーケストラ、ピアノなど、何でも聞くうち自分もピアノを弾きたくなった。

現在ヤマハのアップライトピアノが自宅2階にある。
それはつきみ野にいる頃、家内の友人Mさんが使っていた中古を買ったのだ。
一般的な黒色でなく、木目が美しくいい音がして時々弾いていた。

12年前、家内の両親と2世帯同居する時に、義母の古いピアノを処分して、そのピアノを2階に置いたのだ。
義母はシルバー教室でピアノ練習しており、発表会ではかなり難しい曲を弾いていた。

「子犬のワルツ」や「ノクターン」など弾きこなしたから、私より上手い。
したがって同居してからは義母がピアノをほぼ独占していた。

私の娘も弾きたかったので、別に電子ピアノ「KORG」を購入していた。

2年前に義母は亡くなり、今度は娘がアップライトピアノを弾くので、電子ピアノは使用していなかった。
そこで今度はいよいよ私が弾きたがったのである。

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(置いてある楽譜はモーツァルトのピアノソナタNo11 K331)

実は独学で昔ピアノを弾いたことがあったので、またソナチネや「エリーゼのために」「乙女の祈り」を練習しだした。昔取った杵柄である。

バイエルもそうだが、若いうちに覚えたものは今でも出来るから不思議だ。

母は音楽好きで実家には「オルガン」があった。
ペダル式で、それでも「フルート」とか「チェンバロ」などの7個のレバーがあり、手前に引くと色々音色が変わって面白かった。

かなり貴重なリードオルガン(三省堂製)で、今ではどこかに保存されていると聞いた。

調べてみると三省堂が長野県の海保オルガンに、明治から大正にかけて作成依頼したようだ。
小学校の教室にあったオルガンより立派であったが、ソナチネなどを弾くようになったら高音の鍵盤が少なかった。

私が最初にオルガンを弾いたのは、小学校6年生時の音楽会で「金婚式」だった。
パート譜を母に教わって、どうにか演奏会で弾けた。

その頃、小学校の昼休みに音楽教室にあったピアノで「ねこふんじゃった」を弾いたりしていたところ、音楽の担当先生に「黒鍵ばかり弾いているとピアノが壊れてしまう」と注意された。

その音楽担当の先生は、山中先生で実はすごい先生だったのだ。
全国NHK合唱コンクール小学校の部で、わが追手町小学校は全国優勝した時の指揮者をしたのである。昭和31年度の課題曲「わかいおじさん」で、逆算すると私が小学2年生だった時である。

2重唱の曲で、よく母に歌わされ?二人でハモった。私が高音、母は低音だった。
母が90歳の頃、認知症になり「わかいおじさんを歌わまいか」と言ったら、忘れて悲しくうつむいていたのが、気の毒だった。

何年か前、西新宿で自営業の時、突然NHKラジオで追手町小学校の「わかいおじさん」が流れてびっくりし、そして感動した。
今YouTubeで聞けます。

姉は小学校の担任に習い、妹は高校の音楽の先生について習った。
私は妹の演奏している曲に興味を持ち、やたらと練習していた。

「バイエル8番」の生徒が妹で、先生が母の連弾がうらやましく、私も練習した。
「ドミドミ ソドドド レレレレ」という曲である。

高校生の頃は「バイエル」から「ソナチネ」を独学で練習していたが、自宅は商売をしており、お客様が来てもガンガン弾いていたので父には「うるさい」と怒鳴られた。

しかし母は成長を楽しんでいたのか、一言も文句は言わなかった。
荒々しくペダルを踏むもんだから、よく布部分が破れて、母は頻繁に修理していて大事に使い、処分の話が出ても頑として受け付けなかった。

しかし最終的には実家の建て替え時に処分して、その後母は電子ピアノを購入した。

高校では吹奏楽班に属しており、練習は「講堂」であった。
講堂には古くて音程の悪いピアノが一台置いてあり、それを休憩時にソナチネ1番などを良く弾きだした。

それを聞いていた同期の友人は「その曲を聞いたら、将来きっと君の事を思い出すよ」と言われたが、昨年電話した時にそんな話もしたのだった。

そんなおんぼろピアノだったが、実はそのピアノは1902年ヤマハ製だった。
2000年に飯田高校創立100周年記念式典があり、その時にそのピアノを修復してピアニストが演奏を披露した。とにかく大変貴重なピアノだったらしい。

写真にあるモーツァルトピアノソナタ11K331の楽譜は、中学で音楽の時間に聞いた曲だ。
テーマと5つの変奏曲、3楽章は有名な「トルコマーチ」である。

つきみ野にいる頃、家内は第1楽章は弾いていた。(若い頃は習っていた)
それを聞いて発奮して挑戦してみた。ろくに出来ないのにトルコマーチまで触ってみた。
私は基礎が出来ていないから出来る訳がない。

しかしYoutubeでプロの演奏を聴いていると、いとも簡単に弾いているので、なんか出来そうな気がするのである。

モーツァルトピアノソナタK545など、ピアニストのラン・ランなんて素晴らしい。
彼は5歳の時ピアノリサイタルで弾いたそうだ。まさに天才だね。

私が弾くと指が突っかかってばかりで、家内に笑われる。

バッハ、ショパン、シューマン、ドビュッシーなどの高尚な楽譜があるが、私はやはりソナチネやモーツァルト、そして「詩人と農夫」も弾きたい。
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「春の海」幻想  音楽

正月は箏と「春の海」の合奏練習をした。やはり「春の海」は良い曲だ。
まだまだしばらくは自信を持って、この曲が演奏出来そうだ。

「春の海」で思い出したが、図書館で「週刊文春」を見たところ、哲学者でコラムニストの土屋賢二が「春の海」の題でコラムを書いていた。

何しろ数十年前の20歳台の話だが、母が箏の先生で、正月に「春の海」を演奏する事になった。
当時リコーダーしか演奏したことがなかった土屋氏が、500円の尺八を買って数週間猛練習をして、本番の舞台に立った。

しかし、音が出ない。ヒューヒューなるだけで、必死に吹いたが最後までヒューヒューだったと言う。実に可哀そうな話で、その気持ちが良く解るのである。今だから笑える話で、尺八吹きなら皆経験している。

そもそも私が尺八を始めたのは中学校の音楽鑑賞で「春の海」を聞きすごく感動して、いつかは尺八を習いたいと思っていたからだ。

その時のレコードは箏の宮城道雄とバイオリンのルネ・シュメーだった。
尺八は吉田晴風、フルートは吉田雅夫も演奏して世に広めた。

ごく最近まで神社や百貨店内で流れる「春の海」のほとんどは、箏宮城喜代子と尺八は二代青木鈴慕であった。

我々は中学の授業で聞いたのだが、娘達は小学校で鑑賞している。

私は大学に入って尺八を始め、「春の海」はおさらい会や結婚式、田舎でのライブなどで演奏して来た。

ところで表題の「春の海」幻想だが、宮城道雄作曲「春の海」をモチーフに牧野由多可作曲「春の海幻想」という曲がある。

数多くの尺八演奏家が舞台で演奏している。
ある演奏会のパンフレットに牧野が「もし宮城先生が生きておられたら褒めてくれるかな」と書いていた。

手元に楽譜はある。練習していつか演奏したいと思っている。
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津軽三味線 輝&輝  音楽

7月14日(日)ラドンナ原宿で行われた津軽三味線デュオ「輝&輝」(キキ)のライブに行って来た。
ラドンナ原宿はミュージックレストランで、原宿にある。

家内、娘と行ったのだが、新宿で軽く昼食を取ってしまい失敗したと思った。

ラドンナは食事を取りながら演奏を聴くライブハウスで、他人の食事が美味そうだったのだ。
我々は、コーヒーなどで済ましたので、私は反省をした。

ライブは12時から始まった。輝&輝は白藤ひかりと武田佳泉(かなみ)の2008年結成のデュオで、共に数ある津軽三味線のコンクールで優勝の経験のある、若手実力派の演奏家である。

最近は売れっ子で、毎日のように演奏会があるし、NHKテレビ火曜日の「うたコン」にも出演していたから知っている人もいよう。

今回は武田佳泉の「三十路祭」と題して、30歳をお祝いしての演奏会だった。


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不思議な縁であるが、私は9年前に通りすがりの新宿西口広場で、白藤ひかりの津軽三味線を聞いていたのである。


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2010年、これが偶然私の携帯で撮った写真で、いずれ出て来る人だと大事にしていた。したがって私は9年振りに彼女に会った事になる。
その上、娘が何年も前から輝&輝のライブに行っていたのだった。

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そんな縁で行って見ると会場は満席。もちろん我々は1か月前に予約をしていた。

第一部は民謡を中心として、津軽じょんから節や、熊本出身の民謡歌手「平山美里」を迎えて、おてもやんを聞く。可愛くもあり、美声である。

輝&輝の色違いの浴衣も良いし、太鼓まで交互にたたいていた。

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こちらのゲストは民謡の「先生」と呼ばれていた、梁川氏(NHK出演者名鑑によると福士豊桜)で斉太郎節を、きれいな透き通った高音の声で、上手に歌った。

今度、私もカラオケ店で歌おうと思う。

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第二部は服装も洋装のドレスに変わり、ピアノ、パーカッションも交えてノリの良い演奏をした。

武田佳泉の誕生日祝いにとメンバーがメイプルウィスキーをプレゼント。「うれしい」とだきしめる。

修了後は白藤ひかりさんと面識のある娘は話をしたが、私も「9年前新宿の西口広場で聞きました」と喜ばせた。

♪♫♩♭♯♮♪♫♩♭♯♮♪♫♩♭♯♮♪♫♩♭♯♮(音楽の記号)以下話が変わっていきます。

ところで私は津軽三味線と縁が深い。かなり演奏会を聞きに行っていた。

津軽三味線と言えば初代高橋竹山(1910年〜1998年)で、私が20歳台の頃、渋谷のジャンジャンで脚光を浴びていたので、レコードを購入し当時、川崎市のアパートで毎日出勤の前に聞いていた程である。

竹山は北島三郎の「風雪ながれ旅」のモデルであるし、映画「竹山ひとり旅」(林隆三主演)はDVDを借りて見た。

昨年、映画「津軽カマリ」(カマリ=匂い)を見たが、初代高橋竹山とその弟子たちの話や演奏が聞けた。
二代高橋竹山がメインで出演しているが、彼女が竹与を名のった頃からの知り合いである。

当時、尺八を教えていた預かり弟子の親類が竹与さんで、大和市つきみ野に住んでいる頃、自宅にいらっしゃった。

その竹与さんに未だ小さかった娘が、だっこされた写真もある。

そのおかげで、初代高橋竹山と竹与さんの演奏会を新宿厚生年金会館で聞いたのは貴重だった。
竹山の話す津軽なまりが懐かしい。

津軽三味線は叩き三味線と弾き三味線があるが、竹山は弾き三味線である。
野太くも繊細なきれいな音色で、感動した。

竹与さんは二代高橋竹山を許され、渋谷ジャンジャンでの演奏会を聞きに行ったし、CDもいただいた。

津軽三味線の大御所は、木田林松栄(?〜1979年)、三橋美智也(1930年〜1996年)、山田千里(1931年〜2004年)、沢田勝秋(1944年〜)などがおり、若手では木乃下真一(1965年〜)、上妻宏光(1973年〜)、踊正太郎(ようしょうたろう)(1977年〜)、吉田兄弟らがいる。

踊正太郎は全国大会で優勝もしているが、つきみ野の町内のKさん宅の敷地内に「やまぼうし」なるプチホールを作った時に聞きに行った。

さらに女性デュオの「あんみ通」がいる。1999年結成。
安仲由佳と金田一公美である。

公美ちゃんは私の大学の先輩M氏の仲間の金田一氏の姪で、最初は大田区のアプリコホールに聞きに行った。

(M氏とは不思議な縁で、大学生の時に長野県の寮に入っており、その時の先輩でもある。2006年には稲荷町龍谷寺で、柳家福治の古典落語勉強会をM氏が企画した時に私は、尺八演奏を頼まれて何曲か演奏をした。その時は他に相撲甚句、かっぽれの踊りなども出演して、打ち上げもご一緒出来た)

津軽じょんから節やテイクファイブ、オリジナルまで演奏。公美ちゃんは歌も上手い。

次は渋谷クラシックス、そしてめぐろパーシモン、お江戸日本橋亭まで聞きに行った。
毎回ゲストが変わり、箏や笛、長唄三味線も楽しめた。

さらに演奏会後はM氏や金田一氏らと飲み会で、楽しさは倍増した事は事実だった。

六本木のバーでは尺八のゲストが私ではなく、ブルース・ヒューバナー氏。
彼は芸大出で上手く、二代青木鈴慕師にも習ったと言う。
休憩時に話を聞いたところ、青木先生は「厳しいね」と言って笑っていた。

知り合った金田一氏からあんみ通のCDを2枚もいただいたし、私が西新宿の印章店を経営していた関係で、年賀状の印刷を何年も承った。
さらに、公美ちゃんの母から封筒の印刷を何回か頼まれた事もある。

上妻宏光は「題名のない演奏会」に良く出演するし、サントリーホールで藤原道山の尺八リサイタルで共演したのを聞いた。誠に器用である。

公美ちゃんと上妻氏は同じ先生に習ったそうで、そんな関係か、私の店に奥様が見えて、シャチハタネームの特注をされた。

「上妻」と聞いて私は条件反射で「あの津軽三味線の上妻さんですか?」と。

こうした縁も尺八をやっていたお蔭である。
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カラオケ店  音楽

このブログを書きだしたのは平成で、完成が令和とは。

若い頃は「スナック」でカラオケを楽しんでいた。

会社勤めの頃は一次会で飲んだ後、二次会でよくスナックに行きカラオケで歌を歌った。
ある所では店内の音響機器で「カセットテープ」に録り、その場で聞かせてもらったが、私の歌はヘタで二度と聞きたくはなかった。

その後、自営業をしていた新宿では、新宿駅西口のパレットビルにあった「日本海庄や」が経営するカラオケ店「歌うんだ村」の会員になり、何回か通った。

ある時、友人と「日本海庄や」で飲んで同じフロアの「歌うんだ村」へ行こうと思い、飲み会の前に予約をしておいた。飲み会を1.5時間として1.5時間後にカラオケの予定だった。

ところが「日本海庄や」でコース料理を頼んでしまった為、混んでいたようで、最後の料理が来ない内にカラオケの時間になってしまった。仕方ないから理由を言って代金の精算をして、あわててカラオケに行った事があった。

そこには何回か通ったが、会員カードは作って1年で有効期限が来てしまう。そこは期限が切れても無料で更新出来た。

その後に新宿西口では「カラオケマック」を見つけて会員になった。
ここには随分と通った。何しろ24時間営業だから、いつ行ってもカラオケが出来るし、いつも割引券をくれるので安い。

私一人で行くときには尺八を持参して2時間予約して、最初の1時間はたっぷり歌を歌い、残りの1時間はカラオケで尺八演奏するのが常だった。

何回も友人などを連れて行った事があるし、飲んだ後にも小1時間歌う事もあった。

私は今現在、歌うリストを作り、それによって選曲をしているから効率が良い。
一人なら恥ずかしくないと時々採点してみると、最高で三橋美智也の「古城」が91点だった。

よくテレビでカラオケバトルを見るが、99点とか、中には100点も出るからすごいね。
新妻聖子は本当に上手いと感心するし、感動する歌手だ。
最近では吉木りさが、タレント部門で優勝したが、小さい頃から民謡で鍛えていた。やはり基礎が大事で、音程、リズムの正しさが必要だ。

カラオケ店で自分一人だとマンネリしてきて、若い人と一緒だと「ミスチル」などの知らない曲を歌われるので新鮮だ

新宿の自営業をやめてから自宅近くを探したところ、高幡不動駅近くに「歌うんだ村」を見つけた。

ここで又新規に会員になり、カードを作製したが、すぐに店名が「ファンタジー」に変更になった。しかし、カードはそのまま使用できる。

何回か通ったが、今度は少し足を延ばして、西八王子に行ってみたところ「シダックス」を見つけた。
会員になり二回ほど通ったところ、昨年「カラオケ館」に変わってしまった。
そのまま会員カードは使用できるらしいが、八王子に行った時に「カラオケ館」を見つけて、そこでも会員カードを作製してしまった。

それでいて今度は西八王子に「カラオケの鉄人」を見つけた。ここも結構安い。
三か月以内の特別優待割引券があるので、早く行かなくっちゃ。

従って、会員カードが五枚もある。

そうした中、4月に王子で尺八演奏会があった時に門下生二人と聞き終わった帰り、「カラオケマック」を見つけ、会員カードと割引券を示して3人で1時間程歌いまくり、居酒屋で喉を潤した。

Yさんは私が23歳の時に教えた門人であり、飲む方だけは継続している。一方、E君は今23歳だから奇遇である。

若い人の歌は元気が良い。「ミスチル」など難しくて、とても歌えない。やはり私は演歌で勝負だ。

カラオケ店では某落語家は、門下生に落語を教えるのに良いとか。尺八の練習にも良い。
近所迷惑にならないところが良い。

余談であるが、3月飯田市で所用があった折に、高校同級生T君を呼び出しスナックでカラオケを楽しんだ。

彼は飯田市でフォークグループ「夕顔」を結成して活躍しており、彼の楽歴40周年記念コンサートに私は招待されて、彼らのオリジナル曲に尺八の伴奏を入れたり、尺八の独奏を演奏させていただいた。

「夕顔」は長野県大会で優勝した事もある実力派で、T君はギターのコードを弾き、歌ももちろん上手い。

そんな縁で呼び出したのだが、もう一人カラオケ好きがいた。O君は高校同期生ばかりか、実は小学校の同級生だったのだ。随分前、高校同期会の二次会のスナックで偶然会い、カラオケが上手いと知ったのでついでに呼び出した。

私も何回か行った、T君行きつけの飯田駅前のスナック「信濃路」へ向かった。
一足早く私が地下一階の店内に入ると10人位の人に「ワー!」と歓迎を受けた。
どうやら、T君が前もって言ってくれたようで、全員が常連さんだった。

やがてT君、O君も来て、早速私はカラオケで尺八を手にして「仁義」でご挨拶をした。
1番を尺八で2番を歌で歌ったところT君は「歌はいいよ」と言われてしまった。

T君は主にフォークを、O君はムードあふれる選曲で、かなり盛り上がった。
お客さんは81歳から85歳が元気いっぱいに歌っていた。

「信濃路」は石原裕次郎を心酔するお客が多い。マスターがそうであるし、マスター自身裕次郎の歌も上手い。

そう思って裕次郎の「北の旅人」の尺八楽譜を持参したところ、運よくT君が選曲したので、あわてて尺八を出して合わせたところ、キーがぴったりでむしろ私がびっくりしたくらいだった。

しばらくするとO君が「いいマイクがある店に行こう」と言いだし、近くのスナックTに移った。
そこは凄かった。画面が4カ所もあり、音響が素晴らしかった。
ママが美人で歌が凄く上手く、O君とデュエットでハモリ、まったくうらやましかった。

O君とは小学校の一度だけの同級会で会ったり、中学、高校同期会で会う事はあったが会話は余り無く、こうして親しくカラオケや話が出来たのは幸いだった。

最後に3人で「快傑ハリマオ」を交代で歌ったのが圧巻であった。やはり同時代に生きた証である。
心残りは、私もフォークを歌ってT君とハモリたかったとT君にメールした。
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