同期会で尺八演奏  音楽

5月28日(日)に信州阿智村の昼神温泉「天心」にて、高校卒業50周年記念同期会が行われた。

中央道日野バス停から8時38分発の高速バスに乗り、先ず飯田に向かった。天気は良好。座席は2Aでうれしい事に、今回の隣の席は空席だった。

バスは順調に走り、「伊賀良」で下車した。申し込み時は「飯田駅前下車」の予定だったが、宴会の余興で同級のT君とギター共演をする為、皆より早めに行き、リハーサルをする必要があった。

T君との待ち合わせ時間調整の為、近くの蕎麦屋「A」で五目そばをいただき、まだ時間があるので、オーガニックとうたった「コーヒ―」も注文した。
小さな籠の中に、シュガーが2本入っており、1本を取ったところ何と使い古しの空の袋だった。
そこでもう一本のシュガーを入れた。

一応、注意をしようとピンポンを押して、来た係りの人に注意した。やや疑ってはいたが、「本当だよ」と言った。コーヒーは美味かった。しかし精算時にコーヒー代は入っていなかった。サービスしてくれたのだ。

得した気分で、1時過ぎ迎えのT君の車に乗り込み、昼神温泉に向かった。

早く着いたものの、宴会場の隣の部屋が使用中だったので、3時まではリハーサル出来なかった。
3時受付開始だから、もう同級生は三々五々集まりつつあった。

3時過ぎて、マイクのセッテイングや音量、エコーの調整をした。
T君とは母の葬儀の後(4月5日)に、一度練習はしていたが、伴奏のキッカケを再確認する必要がある。

「あの素晴らしい愛をもう一度」「若者たち」「青春時代」の3曲でボーカルをもう一人同級のO君にやってもらうことにした。
私は、この日のためにT君に借りた楽譜を移調して、五線譜に書き直して臨んだ。

多少間奏を入れ直し、どうにかキッカケは分かり、間違っても宴会のどんちゃん騒ぎの中だから何とかなるだろうと思った。

高校卒業50周年記念式典は4時30分から始まり、校歌斉唱もして5時には終わった。総勢110名も集まったから大したものだ。
ホテル前で記念撮影後宴会場に移り、5時30分から宴会が始まった。

私のA組は一番多く出席して16名。舞台に一番近くだった。
実は、この宴会で乾杯の前に尺八の演奏を依頼されていた。
司会者の紹介で開会後、すぐに舞台に上がった。

リハーサル時には、「尺八演奏の前に話をするぞ」と言っていたものの、司会者が「春の海を演奏します」と言ってくれたので、いろいろ考えてきた言葉は発せず、いきなり演奏に移った。

「春の海」は三部形式でA.B.A'であるが、全曲は長い。
そこで、いつもはAのみだが、今回はAとBの途中までにした。後で会長に「長さ的にこれがちょうど良かった」と言われた。

大きなミスはなかったが、静まりかえった会場の中、多少緊張で上がったかも知れない。
音の伸びがいまいちだったかな。

いままで見せなかった難しいテクニックを、披露出来たとは思う。
(今まではたいがい、演歌ばかりだったから)
この宴会のトップバッターに尺八演奏を選んでくれた幹事の方々に、感謝する次第である。

クリックすると元のサイズで表示します

乾杯後「30分間はひたすら食べること」の司会者の名言で、料理に舌鼓を打った。
30分も過ぎると、皆活発に動きだし、それぞれ目当ての人と談笑しだした。

クリックすると元のサイズで表示します

壮観な人、人、人。中には50年振りに会う人もいるかも知れない。
何人かの知り合いは、私のところに来て尺八の演奏に対する好評を述べてくれた。

同級のY君は、吹奏楽班で一緒で彼はトランペットを演奏していたが、私に触発されたのか彼も尺八を購入していた。
昨年の在京同窓会で尺八を持っていると話を聞いていたので、持参してもらった。
宴会の前に、少し尺八の音の出し方や、簡単なテクニックを教えた。

尺八は都山流の歌口で「露秋」銘だった。乾いた感じの素材で、音程が少し悪くやや鳴りにくいが、継続して練習してくれればうれしい。

1時間もすれば会たけなわで、あちらこちらと人がうごめいていた。
そうした中でのギターとの演奏は、ほとんど無視された。
やはり無理である。大声が飛び交う中、演奏が始まった。

残念ながら、写真の撮影依頼するのを忘れて、演奏写真が無い。

最初は「あの素晴らしい愛をもう一度」で「若者たち」「青春時代」と続いた。
あらかじめ歌詞を各テーブルに配って置いたが、果たして何人の人が見て一緒に歌ったことか。

クリックすると元のサイズで表示します

最後はやはり応援団の出番である。応援歌などを歌い「フレ―フレ―飯田」で〆た。

宴会は19時30分に終り、日帰りの人はバスで飯田まで帰り、宿泊の人は各クラスに分かれて2次会に移った。

私のA組は女性も交えT君のギターや私の尺八で、懐かしい「悲しい酒」や「天城越え」、フォークソング等を歌った。皆元気である。

午後10時には解散して、展望風呂に入って疲れを取る。
部屋は4人の和室。11時消灯したが、演奏の出来栄えとか、翌日箏の先生との「春の海」合奏のメロディーが頭に浮かんで、ほとんど眠れなかった。イビキをかいていた友人がうらやましい。

翌朝は5時過ぎにO君と1階の露天風呂に入った。ぬるぬるとして美人の湯だそうだ。

6時過ぎに昼神朝市に行った。ここで実家と箏の先生への土産(百合まんじゅう)を買った。
自宅へはブルーベリーのジャム。

9時の飯田行のバスに乗る予定だったが、それより早くI君が車で実家まで送ってくれた。
「持つべきは、いい友達だなあ」と言ったら、「北原らしいな」と言われた。

約束の10時に箏のO先生宅に伺った。
O先生とは20代の頃、東京でのおさらい会に尺八の賛助出演をした事があり、以来長い。

O先生は飯田高校邦楽班の箏の指導をしており、毎年県代表だし、全国大会で、文化庁長官賞や文部科学大臣賞(優勝)を受賞している。凄い指導者である。

「春の海」は飯田のライブで合奏した事があるから、初めてではない。
もちろん全曲とおしで2回、合奏した。
録音もしないし、観客もいないので誠にもったいない演奏であった。
昨日より、上手く演奏出来た。

昼は兄と今宮神社の「半平」に行き、お気に入りの「ざる蕎麦と五平餅セット」をいただいた。
やはり五平餅は美味い。2本ついて700円とは安い。

東京行きのバスは午後2時に飯田駅前発。
同期のY君も一諸だった。彼は今回バスに乗るのは初めてだと言う。
今まで車だったが、廃車にしたそうだ。皆少しずつ歳を取っていく。

さあ2時のバスが来た。乗ろうとした時、彼の帽子がベンチに残っていた。
もちろん彼を呼び返してことなきを得た。

忘れ物が多くなる歳になった。そう言う私もホテルの部屋でシャーペン(製図用)を落として、友人が追っかけ出発寸前の私に届けてくれた。私にとって大切な気に入っている物だった。

一緒に乗ったY君は一番後ろの席。私は一番前の運転席の後ろの席。ここはロケーションが良く、好んで予約している。

彼は、ゆったりとダブルの席(隣が空席で1000円プラス)だそうだ。
「隣に来いよ」と誘われたが、静かにしたかったので丁重にお断りした。
ところが私の隣も空席でラッキーだった。

私は日野バス停で降りた。Y君は新宿バスタまでなので、彼をバスの外から見送った。
何を慌てたのだろう、私はペットボトルに入れた飯田の美味しい水をバスの中に忘れて来てしまった。

改めて、高校同期会の幹事及び、この会に携わった方々にお礼を申しあげます。

千の風になって  音楽

「千の風になって」の楽曲は、作詩者不詳で新井満がこの英詩を日本語に訳し、自ら曲をつけたものである。

3月に母が亡くなったのに続いて、5月8日に同居の義母が食道の病気で亡くなった。88歳のお祝いをした後だった。

2月に緊急入院してずっと点滴状態だったが、喉を広げる手術(口から)もして、4月には自宅に引き取り、終末介護をしていた。

最後までボケてはおらず、話も良く解り、死の前日にはビールを要求して、少しだけ飲んだ。
そして我々が見守る中で静かに翌日、旅立った。

5月11日が葬儀で、私は「千の風になって」を尺八演奏した。
これは「邦楽ジャーナル」に載っていた楽譜を使用した。箏との二重奏曲になっていたものを、尺八独奏で一番、間奏、二番と演奏した。

この曲は以前、ハ長調やヘ長調で練習をしたことがあった。
ハ長調はテクニック的には演奏出来るが、高音域が演奏しづらい。ヘ長調は演奏しやすいが、普通では高音域が出ない。甲(かん)や呂(ろ)に上げたり下げたりすれば出来るが、自然ではない。

したがって「邦楽ジャーナル」の変ホ長調が演奏しやすい。理にかなっている。
楽譜が手元にあっても練習はしてなかった為、あわてて探したら、はまった。ぴったりである。

葬儀屋さんとの打ち合わせで、尺八の献奏をすることになり、この「千の風になって」を選んだ。

故人はピアノを演奏したし、音楽は好きだった。一応私の尺八を生前認めてくれていた。

11日の葬儀は家族葬的な簡素なスタイルで、お寺の小ホールで行われた。
葬儀屋さんの進行で、個人の経歴の紹介のあと、尺八の献奏であった。

義母とは、新宿の印章店で7年間一緒に働いたし、ここ10年間は二世帯同居である。
さらに、昨年7月には私達とシンガポールまで旅行に行った。本当に元気に歩き回り、食べまくった。(シンポール旅行記のブログあり。参照)それらのことを述べて演奏に移った。

通常ツのメリで演奏するところは、ハのカリで演奏した。
音量があるし、気分的に良いと思ったからである。無事に演奏を終えた。

尺八の極意はこの「メリカリ」奏法で、今流行りのフリマアプリの「メルカリ」と言葉が似ていて、ニュースを見て「メリ、カリ」或いは、動詞の「メル、カル」かと思った。

葬儀の翌日は、私の母の49日法要であった。
12日中央高速バスで飯田市に行って実家に泊まり、13日は土砂降りの中、寺の本堂で行われた。
本堂に寄付の名簿が掲げられており、私の父の名前を初めて見つけた。結構な金額で貢献していたのだなあ。

納骨は土砂降りの為出来ず、翌日兄達がすることで落ち着いた。

会食は三宜亭。200年を誇る庭園のつつじを鑑賞出来た。

クリックすると元のサイズで表示します

私は15時の飯田駅前発バスで東京へ帰るので、着替えもあり、忙しかった。

帰りのバスは空いていたが、何故か私の隣は恰幅の良いお兄さん。
私は窓側で、まさかの窮屈さで、嫌がっていた。途中の双葉サービスエリアでの休憩後、運転手に断って一人で前の席に移動した。
こういう時は、おでぶちゃんが先に気を使って欲しかったな。

今月は28日が同期会で再び飯田へ行く。又、8月の混んでいる新盆でも行かなくてはならない。

余談だが、母の葬儀で「花籠」の小さい熨斗袋をいただいた。袋の中には5円玉が入っていた。
これは、「高齢者の葬儀の際には長寿にあやかるため」だと言う。
(母は満97歳だった)

葬儀の時にいただいた「花籠」は、自宅に戻ったら探しても無かった。
無いはずである、49日法要で飯田の実家に行って、兄に借りたスポーツウエアを来た時、ポケットに入っていたのである。

カラオケで尺八  音楽

カラオケ店で尺八を演奏するのは楽しい。
テレビの番組では、フルートの練習をしたり、落語家も弟子に教えるのに最適だと言う。

確かに音の出る演奏は家人には「うるさい」であろう。
その点、カラオケ店では誰にも文句を言われず、音響設備の整った個室で十分堪能出来るのである。
ボリュームもエコーも自由自在に変更出来る。
その上、録音も出来る。

しかし、カラオケ店で歌うにもキー設定の問題がある。
自分に合う高さだ。男性と女性では音域が違うし、人によっても違う。

ましてやプロの歌手は音域が広い。五木ひろしは低音も高音も良く出るし、前川清はかなり高音だ。

そこでキーを自分に合わすことになる。ひとまず歌は置いておくことにしよう。

問題は尺八である。
通常持っている一尺八寸管で吹けなければ素人には困難だ。
そこでキーの方を変更して、演奏しやすい一尺八寸管に合わすのである。

ここではプレミアDAMの機種についての結果を報告しよう。

そうすれば皆さんはカラオケ店でキーを少し変更すれば、すぐに演奏出来る。
ここにいくつか曲を掲げてみる。
(注意)このキーはセット表示された曲のキーであり、原曲とは違います。

童謡・文部省唱歌

ふるさと         ±0
もみじ          ±0
花(滝廉太郎作曲)  ±0
浜辺の歌        ±0 
椰子の実        −2
里の秋          +2 
おぼろ月夜       +5
さくらさくら        +5 (琴古流入門の楽譜による。ただし最後のメロディーが若干違う。)



歌謡曲

千曲川        ±0
風雪ながれ旅    ±0
みちづれ       −1
星影のワルツ    −2
柔           −2    
天城越え      −3
王将         −3
北国の春      −5
仁義         +2 

余談だが長野県歌の「信濃の国」は+2である。

+1は半音高くで、+2で一音高くなる。
−1も同様に半音下げる表示だ。

カラオケ店はいろいろあるが、会員になっていれば安い。
しかも、時々割引券をくれるから、それを利用すれば、例えば平日の午前中に開始して2時間、1ドリンク制だと先日は464円だった。

ちょっとした喫茶店でコーヒーを飲むより安いのである。

私は大概1時間は好きな歌を歌って、残り1時間を尺八で演奏だ。
普段はホットコーヒーを注文するが、ある時、生ビールが\108の時もあったから驚くほど安い。

カラオケを上手く利用して、尺八を上手くなろうと言う訳だ。

気を付けるのはリズムと音程である。
本当に気持ち良くなって帰れるんだから。

YouTubeで検索すれば、カラオケで尺八の演奏はいくつかあり、参考になる。
ただ、このカラオケで歌を歌いそれをアップしたら、著作権隣接権で訴えられた人がいるので、注意されたい。

かあさんの歌  音楽

NHKの「みんなの歌」で多く知られるようになった「かあさんの歌」は作詞・作曲とも窪田聡である。1956(昭和31)年発表。

戦時中、窪田の母親が長野市に住んでいたらしく、歌詞の3番に「もうすぐ春だで」と言う箇所がある。
これは長野県の方言である。

3月30日の夜、母が亡くなった。

母は童謡が好きで、介護施設ではいつもピアノを弾いていた。

それを思い、母の葬儀があった4月4日の葬儀では、読経のあと私は尺八独奏で「かあさんの歌」を演奏した。

実は告別式のあと、葬儀のセッティングがあった時、マイクのテストをさせてくれた。やはりプロの葬儀屋さんだから、感度・エコー・ボリュームなど完璧だった。会場(かざこしホール)いっぱいに響き渡った。

満足して、控室に行ったところ「まる聞こえ」だったと聞かされ、冷や汗をかいた。

何より、不必要な発言をしなかったのは良かった。妻はハラハラしていたそうだ。

そして本番。気分は高揚してくる。昨晩から緊張で寝つきは良くなかった。
通常の演奏会と違い、どうも近親者がいると、カッコつけか上がってしまう。

今回は慣れた竹の尺八では無く、最近手にした「木の尺八」だった。
不慣れもあり、強めに吹こうとした瞬間、高音の「ピ」音が鳴ってしまった。

我慢して、最善を尽くし曲を終えた。

その後、「弔辞」は何と、甥の娘の小学3年生の女の子が、実にハッキリと堂々と、上手く「弔辞」を読んで参列者を感激させて、私は恥ずかしかった。

母は97歳の老衰で、静かに逝き、大往生だった。精進落しの後の会食では「赤飯」が出た。まるでお祝いではないか。

今後は49日や「新盆」、一周忌に飯田に行く事になる。飯田を通るリニアは未だ先の事で、当面私は中央高速のバスで飯田まで往復する。

実家は祖父が、繭糸店を営み、父は宅地建物業を始めた。
今は兄が「平和不動産」を営んでいる。

リンクに「平和不動産」を表示したので、ご覧いただければ幸いである。
リニアが通ったら、飯田は東京を出たらすぐに着く。いまのうちに別荘などいかがだろうか。

小鳥の歌  音楽

「小鳥の歌」を門下生に稽古した。

1928(昭和3)年、宮城道雄作曲の箏、尺八の二重奏曲である。

可愛らしく、面白い曲で、小鳥がさえづるような奏法がある。(カラカラなど)
門下生が6寸管を購入したので、一番先に稽古するのが「小鳥の歌」である。

私は久しぶりに教えるので、一人で練習していたところ、家内が「外で小鳥が呼応して、ぴちくり鳴いていた」と言う。
私の演奏に鳥を感じたかも知れない。これは嬉しかった。

琴古流の楽譜には、尺八でも二重奏出来るように書いてあったので、稽古時に二重奏で演奏してみたら、とてもきれいだった。

宮城道雄は「花鳥風月」にすばらしい才能を発揮して、数多くの作品を残した。

とりわけ「鳥・虫」の作品は多く、「初鶯」「ひばり」「せきれい」「こおろぎ」「鈴虫」「虫の武蔵野」等で、「春の海」にはカモメが鳴く部分があるし、「春の訪れ」も小鳥が鳴いている。

私が最初に合奏した「春の訪れ」は昭和46年4月29日の「松尾恵子おさらい会」である。私は大学を卒業しており、NHK邦楽育成会に通っていた。
青木鈴慕師から依頼があり、先生と2人で賛助出演だった。

私は相手の門下生と合奏したのだが、初めて「ギャラ」を頂いた。もっとも青木先生が頂いた中から、先生が封筒に「お車代」として書き、頂いたと思う。未だ、勉強中の意味である。

何故、日にちを覚えているかと言うと、その日は天皇誕生日の祝日であり、土砂降りの雨であった。
午後から鈴慕会の一つ先輩の結婚式が「椿山荘」であり、先生も早めに出演して、先生の車で一緒に会場に向かったのである。
先生は仲人であり、その為に、演奏会も結婚式も紋付・袴姿で、誠にあわただしく、忙しい先生であった。

「ことりのうた」と言えば、他に作詞与田準一、作曲芥川也寸志がある。

私は知らなかったが、知り合いの小学生に教わった。

「ことりは とっても うたがすき かあさん よぶとき うたでよぶ ぴぴぴぴぴ ちちちちち ぴちくりぴ」

ところが、いきなり替え歌で教わったのである。
「よぶとき ○ーでよぶ ○○○○○ ーーーーー」
お母さんが聞いたら「いやーねえ」と言うだろう。

庭に来る鳥は、すずめ・しじゅうから・せきれい・むくどり・めじろ等。
高尾山に行けば、うぐいす・ほととぎすが鳴いている。

いつか宮城道雄の「初鶯」を助演した時、数人の箏の本手と替手が合わず、鶯の飛び交う様がドタバタとなって私は合わせづらかった。

舞台の袖でそれを聞いていた箏屋さんは「ウグイスが何羽も、そのうちカラスまでが出てきたなあ」と笑って言っていた。

小鳥は可愛い。
私が中学生の頃、同居の祖父(母の父)が「カナリア」を飼っていた。割と大きめの木製の鳥籠だった。
すごく、いい鳴き声だった。おじいちゃがエサと茹で卵半分をよく上げていた。

そんな思いもあり、長女が小学校に入った頃、娘の為に「カナリア」を飼う事にした。

当時、T百貨店に勤務で、屋上に「小鳥・金魚・犬のトリミング」店があり、店長に相談したら、鳴き声がすばらしい「ローラーカナリア」をつがいで仕入れてくれた。

それはすばらしい雄の鳴き声で「ルルルルルージョビジョビジョビ」とけたたましく鳴くのである。それは家じゅうに鳴り響いた。びっくりする程だった。

長女はそれを作文に書いたが、私が安直に名づけた「カナちゃん、リアちゃん」がタイトルだった。
時には面白がって部屋の中で、手に載せようとカゴから出して飛ばしたが、鴨居に停まって糞をしたり、ふすまにぶつかるのですぐに止めた。

私は、勤務で忙しくカナリアの世話は家内に大変迷惑をかけたと思う。
ある天気の良い日、庭に出して日光浴をさせようと、洗濯物干し棹にかけたところ、いつの間にか猫に襲われた。

あわてて、近くの獣医師のところに駆け込んで事なきを得た。
それでも、つがいは立派に卵を孵化させて二羽産んだのである。
店長に話したところ、びっくりして「良くやったね」と褒められた。

成長は早く、一羽は次女の友人に上げた。もう一羽は弱って死んで、庭に丁寧にお墓を作り葬った。

その後は多分、親鳥は扉を開けた時に粗相して、外に逃げたので、そのままである。
行先を心配したが、もう戻る訳は無い。

小鳥の鳴き声を音楽に取り入れた有名な曲は、ベートーベン作曲の「交響曲6田園」の第二楽章だ。
高校生の頃、ウィーンフィルでピエール・モントゥー指揮のレコードとスコアを買って、ステレオの前で指揮棒をよく振った。

第二楽章の後半でフルート、オーボエ、クラリネットにより次々と演奏されるが、極めて緻密に計算された作曲で、フルートのトリル(うぐいす)に続いて、オーボエが「ピッピピ」と吹く(うずら)と最後の音に重ねて、クラリネットが「カッコ―」と鳴く。誠にカッコ良い。

実にうまい作曲だ。これが二回繰り返される。ベートーベンの作曲はしつこい位繰り返しが多いが、飽きない。

AKB48と共演  音楽

先ずは、皆様 明けましておめでとうございます。

「一年の圭は元旦にあり」と申します。字が違う?そうだ錦織圭のテニスの決勝戦を見ていたら圭となってしまった。
そうです「一年の計」です。

最近は新聞の日曜版にあるクイズで「次の漢字の誤りを直しなさい」とあっても、なかなか正しい漢字が思い出せない年令になった。

さてもさても「一年の計」か。何も浮かばないなー。
仕方ないからポケーとテレビを見る。

何とオジサンがAKB48と共演しているではないか。私ではない。友人(小学校の同級生)である。誠にうらやましい。

とんでも無い事だ。いやー良い意味でだ。

若者の「ひどくヤバくね!」と言ったニュアンスか? 驚きである。

かいつまんで説明しよう。

時は元禄ではなく、平成29年正月の9日夜9時だった。(やけに9が続くね)
いつもは平日の夜9時からはNHK「ニュースウオッチ9」を見るのだが、この日はTBSの「さんま玉緒」の番組欄で「ゆずと吹奏楽」に興味を持った。

「ゆず」は長女が以前からファンであり、話のタネとして見ておこうと思ったのである。しかも吹奏楽と共演である。私も吹奏楽出身であり、これは見ようとした。

9時丁度にTBSにチャンネルを切れ替えると同時に、飯田市のおじさんコーラス「バッカス」が有線放送大賞でAKB48と共演と、画面に出てきた。

耳を疑い、目も疑い、「本当かい?」と思った。
「バッカス」と言ったらローマ神話の酒の神であるが、私は友人が男性コーラス「バッカス」に属しているのを知っていた。

友人は浦野光永君で、小学校5〜6年次の同級生である。しかも共に祖父が兄弟だから、はとこ(またいとこ)という遠い親類だ。

彼は小学校の頃から歌がうまく、合唱班で確か長野県代表で東京の九段会館まで行ったのではないか。

「バッカス」は定期的に演奏会を飯田市で開催しており、彼はバスらしい。
実は本業は耳鼻咽喉科の先生である。
(今年も年賀状が彼から来たが、一切その番組の知らせは無かった)

おじさんコーラス「バッカス」がどの様にして「有線放送大賞」を受賞して、何故AKB48と共演出来たか、私には分からない。

とにかく、平均年齢57歳の10人が飯田市からマイクロバスに乗って、東京のTBSスタジオまで来るシーンから始まった。

TBSスタジオでAKB48の本物と会い、彼らは大感激だ。
それだけではなく、「365日の紙飛行機」の歌の共演である。

振付まで習い、センター(真ん中で歌う人)まで投票で決めて、白いおそろいのスーツ姿で順番にAKB48と共に出てきた。
まるで紅白歌合戦を見ているようだ。

彼は4番目に3人一緒に出てきて、ほぼ真ん中で歌っていた。
晴れがましい顔、顔、顔。おじさん達は大喜びであった。

もちろん男性コーラスとAKB48が十分ハモッて、それはきれいな合唱だった。

私は「さぶちゃん」と共演したが、AKB48と共演したいものである。

AKB48出演の後、「ゆず」と吹奏楽との共演を見た。
よりによって、吹奏楽はこれ又長野県の「松商学園高校」である。「松商」と言えば高校野球の甲子園行きの常連校である。

立派な演奏だった。今の人はだんだん芸能人と近くなって行くなあ。

私はユーホニュームを担当したが、本日のテレビで「はるな愛」が「実は吹奏楽でユーホニュームを吹いていたから、肺活量はある」と言っていたが、むしろ無かった。

私自身の肺活量は「ある」と思っている。

尺八演奏は、肺も使うし、頭も、手も使うから長生きするはずだ、と思っている。

府中ジャズフェスティバル  音楽

府中ジャズフェスティバルが10月9日(日)にあり、聴きに行って来た。

初めて知ったのだが、毎年府中市のいたるところで開催されるらしい。
私が行ったのは、分倍河原の駅前にあるビアホール「BOONブーン」が会場だった。

午後から1時間毎にバンドが代わり、4時から甥が所属する「早栄軒」なる4人のグループを聴いた。
彼らは早稲田大学出身で、学生の頃から継続している。
私は、彼らが学生の頃一度聴きに行った事があった。あれから25年以上経っている。

1ドリンク制で私はビールを注文した。当然、誘ってくれた姉や甥の兄弟関係者も集まった。

甥はずっとドラムを担当している。たいしたものだ。
私も、小学校では器楽班で小太鼓を叩いていたから、所謂血筋であろう。

何となく「ラーメン屋」のイメージのグループ名で、曲もやや面白おかしく、「餃子」や二度付け厳禁「串カツ」などの曲である。

ボーカルの説明で曲が進むのだが、演奏の前に彼らは相当飲んで来たらしい。しかし、ボーカルはダジャレなどを交えながら、楽しく曲を進めた。

曲の途中では「堺すすむ」のネタを披露したが、私はワクワした。なんでーか?
「前田健太とイチローが勝負した。どちらが勝ったか?」
私はすぐ「カタカナ」と叫んだ。解るであろう。ダジャレが。

もう一つ。
「パン屋さんであんパンと、メロンパンと、食パンが並んでいた。ジャムパンが『おーい』と声かけた。振り返ったのはだーれか?」
これもすぐ「ミミ」と叫んだ。そう食パンには耳があるから。

ボーカルのハーモニカはプロ級だった。上手い。
実質40分間の演奏はアッと言う間だった。

終了して、寄付した人には「ピンバッヂ」をくれると言うので、500円玉を用意された瓶に入れ
「JAZZ in FUCHU」のバッヂを貰って来た。

ジャズフェスティバルと言えば、阿佐ヶ谷でもこの時期に行っている。
中学の同級生TO君に誘われて、阿佐ヶ谷に出没したのは2年程前の事である。

彼のいとこが経営する焼き鳥屋「さつまや」が南口の通りにあり、何回か伺った。
たまたま土曜日だったのか、知らずに行ったところ、通りの空き地でジャズを演奏するところだった。

未だ、友人は来ていなかったので路上で聞く事にした。無料で折りたたみ椅子まで出ていた。
3〜4人のグループでボーカル、ギター、クラリネット、ドラムで曲は余り知らなかった。

その後、友人と合流して「さつまや」で飲みだしたのだが、御主人がジャズの世話役もしていて、行ったり来たりしていた。
そのうち演奏を終わったバンドマン達も、店に現れて祝杯を挙げていた。

ジャズの本場は、アメリカである。
28年前の1988年10月にNCR米国流通業視察の出張で行った時に、ニューヨークの「ブルーノート」では無かったが、NCRの担当者が「ジャズライブ」の店に連れて行ってくれた。

そこでは入口でいくらか払い、ドリンクを注文して5〜6人のジャズバンドを聴いた。
黒人の女性がパワフルに歌っていたのが印象的だった。
尺八持参なら飛び入りで演奏したかも知れない。それは無いか。

ジャズと言えば尺八で「テイクファイブ」「イパネバの娘」「茶色の小瓶」「アメリカン・パトロール」等を練習したり、発表した事もあった。
又、「A列車で行こう」や「ムーライト・セレナーデ」や「イン・ザ・ムード」「シング・シング・シング」「枯葉」が好きだ。

おさらい会  音楽

「おさらい会」とは門下生の発表会である。

「温習会」「発表会」などいろいろな会名があるが、私が属している鈴慕会では「鈴慕会芸術祭尺八演奏会」と凄い会名がついていて、毎年暮れの第二日曜日と決まっている。

手元のプログラムを探したところ昭和58年度は「鈴慕会尺八温習会」となっており、昭和60年度には「鈴慕会芸術祭尺八演奏会」に代わっている。

これは、新年の総会の時にある門下生から青木鈴慕先生に提案があり、「芸術祭」になったのである。
芸術祭と名付けた為か、先生は「大賞」「優秀賞」「奨励賞」を設けた。
第一回目の「大賞」は尺八道に熱心なおじさんに決定した。やはり「大賞が欲しい」と思い、私は気合を入れて練習に励み、1986(昭和61)年に「萩の露」を演奏して「大賞」を受賞した。

「大賞」は翌年2月の総会・新年会で発表される。本来はそこで、表賞状と横にしても「楯」と自分の名入りの二つ折れ牛革の尺八袋を頂ける事になっていた。
ところが、先生がお忙しかったのか用意出来ていなかった。

その内、先生は忘れてしまったらしい。こちらは残念至極だった。翌年の芸術祭も終り、内輪の忘年会の席で意を決して「未だ頂いていません」と、申し上げた。

結局、2年後の新年会で「北原が強硬に言うので」と半ば笑いながら渡して頂けた。
表彰状は額に入れて、しばらくは自宅に飾ったのだが、めじろ台に引っ越してからは倉庫にしまってある。楯は本棚のどこかにあり、尺八袋はカビ臭く色落ちもしてきたが愛用している。

さて、我が尺八の門下生と箏・三絃も含めて9月22日(祝)午後1時から「北原箏・三絃・尺八教室 おさらい会」を開催した。

私の出演は野村正峰作曲「かがり火」、宮城道雄作曲「泉」と琴古流本曲「三谷菅垣」であった。

「かがり火」は昨年も演奏したのだが、箏のメンバーが違うので致し方ない。
「泉」はNHKで録音したし、芸術祭やライブなど演奏してきたのでお得意のはずだった。

ところが、いつも使用している6寸管は8寸管と律が合わないと言われ、しばらく使用していなかった高級の永廣真山銘の6寸管を使用した。

慣れない尺八で、指孔の感覚が違い、演奏方法もその尺八毎にクセがあるので、結局ものに出来ず、ピー音を出したり自分としては不本意だった。

「三谷菅垣」に至っては、弟子のF君との合奏で私は2尺管の低音を担当したが、めったに2尺管を演奏しないし、リハーサルで私の方が律が高いと判明した。
チューナーで図ったところやはり高い。仕方ないので中継ぎを少し開けてメリ気味に演奏したから思い切っての演奏は出来ず愕然としたのだった。

門下生の若い新人E君は「さくら・夕焼け小焼け」で初舞台。緊張したようだ。
「六段の調べ」のN氏はゆっくりめに演奏だが、聞いていてハラハラだった。その為、写真撮影を忘れてしまった。

「茶音頭」「三谷菅垣」はF君。大学時に尺八を手にして約10年だから、スイスイと曲が進む。
箏との合奏も感が良く、私の存在を脅かしそうである。

ビートルズ  音楽

ビートルズが来日して日本武道館で演奏したのは、50年前の1966年6月30日だそうだ。

ちょうど、その時私は高校三年生だった訳だ。
所属した高校のクラスには早くも「ビートルズファン同好会」みたいな集まりが存在し、同級生が所属していた。

私はブラバンで行進曲やら序曲、コンクール用の曲の練習に明け暮れていた。
音楽好きが高じて、クラシックギター(カルカッシ教則本・禁じられた遊びなど)の練習や自宅にあったオルガンを独学で弾いていた。

高校のブラバンが練習する講堂には、音の狂った古いアップライトピアノがあり、バイエルやソナチネなど先輩と競争するように弾いていた。

もちろんテレビで歌謡曲は聞いていたけれども、がなり立てる「ビートルズ」には眉をひそめていた。批判していた訳である。歌詞が英語だから余計内容が判らなかったのだろう。
同級生と議論した事もあった。私は当時クラシック至上主義だった。

そのがなり立てる曲と言うのは「ロックンロールミュージック」だった。

高校を卒業して、東京の大学生になった頃には、巷にかなりビートルズの曲ががかかっていた。知らない間に自然と曲が体内に入って来ていた。
夏休みに田舎に帰った時、兄貴が買ったビートルズのレコードがありその中の「ロックンロールミュージック」を聞いた時、ジャケットに英語の歌詞が書いてあったので一緒に歌ってみた。

ノリが良く、段々曲を覚えて来たのでいっそ英語の勉強だと思い歌詞も覚えようとした。
だから今でも少しはそれらしく歌える。

Just let me hear some of that rock and roll music
Any old way you choose it
It's got a back beat you can't lose it----

ついでに覚えたのが「霧のサンフランシスコ」だ。これはトニー・ベネットが歌いヒットして他の人もカバーした。他の人は「思い出のサンフランシスコ」と邦題が変わるからややこしい。
これも大体覚えている。

I left my heart in San Francisco
High on a hill it calls to me----

ビートルズは次々ヒットを飛ばし「イエスタディ」や「ミッシェル」など静かで抒情的な曲もある。

そのうち日本にもバンドが出来て、「ブルコメ」「タイガース」「スパイダース」「カーナビ―ツ」「オックス」「ワイルドワンズ」などなど。皆長髪で我々もこぞって長髪にした。

エレキギター全盛となり、「ベンチャーズ」には憧れて、ギターで練習をした。
あのテケテケである。「ダイヤモンドヘッド」「パイプライン」など何回も練習をしたが、グループを組むほどではなかった。

その頃にはもう村岡実も尺八でビートルズを演奏していた。
そんな影響もあり、私も楽譜を購入して「イエスタディ」や「ミッシェル」などを練習したところ、多少技術的に半音や転調部分の難しいところがあるが、なんとかものに出来た。

多分、文化祭で演奏しようと思ったが中止になり、どこかのライブで演奏した事があると思う。
あれ程否定していた俺だったが、気に入っているのである。

面白い歌・勘違いの歌  音楽

世の中には面白い歌や、意味不明の歌や勘違いして聞いていた歌などがある。

最近パソコンの利便さによって、明らかになった曲もある。

なんと言っても筆頭は誰でも知っている「ふるさと」で歌詞の「うさぎ美味し、かの山」の勘違いであろう。どうしても追いしが、美味しいになってしまう。

調べても意味不明で有名な曲は「じんじろげ」だ。
作詞は渡舟大、作曲は中村八大。森山加代子の歌である。(インドに元歌があったらしい)

ジンジロゲーヤ ジンジロゲ ドーレドンガラガッタ ホーレツラッパノツーレツ
マージョリン マージョリンガラ チョイチョイ ヒッカリコマタキ ワーイワイ
ヒラミア パミヤア チョイナダディーヤーーーー

何の事だかさっぱり解らない。
知らない人はYouTubeをご覧になると良い。

時代を遡って1956(昭和31)年のヒット曲は「愛ちゃんはお嫁に」。私が8歳の頃だ。
作詞は原敏雄、作曲は村沢良介。鈴木三重子歌である。

さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の嫁になる
俺らの心を知りながら でしゃばりおよねに 手をひかれ 愛ちゃんは太郎の嫁になる

私の親父は9人兄弟の4男で、長男の伯父さんの妻が「あいさん」であった。毎年兄弟の新年会が持ち回りであって、我が家でも随分騒いでいた。
興が乗ると、長男は太郎ではないが、盛んに皆こぞって「愛ちゃんは太郎の嫁になる」と大声で手拍子を打って、笑いながら歌っていたから私も自然に覚えてしまった。

考えてみればおかしいのは、男の歌(歌詞が)を女性が歌っているのだし、「でしゃばりおよね」とは。

この歌を検索してみたところ、T大学のK教授が解説している。
曲名は「愛ちゃんは太郎の嫁になる」の方が良かったのではないか、とか「およね」は女中ではないかと言う。
最近不思議に思って、もしかしたら「停車場におよねに」と思ったが、やはり「でしゃばり」だった。

「ラクカラーチャ」の歌はメキシコ民謡で、ゴキブリの事らしい。
自宅を探したところ、小6年生の音楽の教科書が出てきて、それに載っている。
ただし、「車にゆられて」(ラ・クラカーチャ)とある。まさか「ゴキブリの歌」ではまずいだろう。

途中から、ラクカラーチャ ラクカラーチャ ゆらゆらゆれて ラクカラーチャ ラクカラーチャ 牧場のなかを
と続く。
流石に小6の教科書だ。「ラクラカーチャ」の意味をゴキブリではなく、あぶら虫の表示にしてある。

これを私が中学生の頃NHK「みんなの歌」で放送されているのを聞いて、「楽なかあちゃ 楽なかあちゃ」と母親の前で歌ったのだ。

もちろん冗談だった。これを聞いて母は怒り出すどころか、笑いながら聞いていた。
これに気を良くして私のダジャレ人生が始まったと言っても過言ではない。

「ルイジアナ・ママ」は飯田久彦が歌った。
あの娘はルイジアナママ やって来たのはニューオリンズーーーー
マイ ルイジアナママ フロム ニューオリンズ

このfrom NewOrleansて言うのをてっきり「ルリオリン」と思い一人でそう歌っていた。

「ギンギラギンにさりげなく」は作詞は伊達歩、作曲は筒美京平でマッチの歌。
覚めたしぐさで熱く見ろーーーー
ギンギラギンにさりげなく さりげなく 生きるだけさ
I get you baby, I need you baby, I want you baby, Right on !!

これを私には「アワッチュ ベイビー アワッチュ ベイビー」に聞こえたのである。
誠に意味不明で歌っていた。

会社勤めの頃には、スナックでカラオケも流行り、同じ部署の若い女性とも良く行った。
当然若い女性は今流行っている歌を歌う。

中森明菜の「DESIRE」
その中にGet up, Get up, Get up, Get up, burning love
と言う箇所があって、彼女は「ゲラ ゲラ ゲラ ゲラ マリア」と歌っているように聞こえた。
彼女に「ゲラ」の意味を聞いたところ「知らない」と言われた。 

私は英語は苦手だが、綾戸智恵が小学校での先輩の授業でビートルズの「Let It Be」を、「聞いたまま歌ってみなさい」と言っていた。
日本語で普通に書けば「レット イット ビィー」だが、歌う時は「レルイルビー」みたいでも良いとも言っていた。

「もぐら祭り」は若い頃、尺八のお弟子さんらと新宿、歌舞伎町でよく稽古の帰りに飲んだ時に、「スガンさん」と言う飲み屋のママさんに教わった。まあ2階の狭いスナックだった。

もぐらの祭りは暗闇まつり 年に一度の暗闇まつり 好きなお方と手に手を取って
歌って踊って夜が更ける もぐらの情熱は グツグツ燃え上がる ああもぐら祭り
ジャンジャラスッポンポン ジャンジャラスッポンポン ジャンジャラスッポンポン 
  
このジャンジャラスッポンポンは調子が良く2部合唱も出来て、このジャンジャラスッポンポンをずっと繰り返して歌う人と分けて歌う事が出来る。楽しい歌だ。

これをYouTubeで見つけたからびっくりした。岐阜大学生がアップしているのでご覧ください。
踊りながら歌っているのである。

多少歌詞が違うが、私のは「スガンさん」で教わった通りである。

今日は「ゴキブリ」やら「もぐら」の話で、食事中の方には失礼いたしました。





AutoPage最新お知らせ