2018/5/1

フラワーフェスティバル  芸能

4月29日(日)は南大沢で「第20回記念フラワーフェスティバル由木」があるというので行ってみた。

天気はすこぶる良く、快晴。
めじろ台駅からは京王片倉駅まで行って、歩いて10分程でJR横浜線の片倉駅に着く。
ここの連絡がもう少し近ければ良いのに、といつも思う。

片倉駅から橋本駅まで行って、京王相模原線に乗り換える。そして2つ目の南大沢駅で降りた。

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時刻は10時50分。
私は「花」より団子ならぬ「ステージイベント」がメインで来たのだった。

もうイベントは進んでおり4番目の「上柚木囃子連」から見た。
笛、太鼓に合わせて獅子を舞う。曲の途中でも頻繁に太鼓奏者や笛奏者が交代していた。

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先ずキツネが出てきて踊り、次に子供の「おかめ」も踊る。
「おかめ」が可愛らしい。そのあと「ひよっとこ」が出たが、踊りはすごく上手かった。

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3人目の獅子舞に小学生の男の子が演技していた。なかなかのものである。

11時過ぎたので「フラワー」や「屋台」の見学をして、南大沢駅前の「フレンテ南大沢」ビルに入り、5Fのレストランに向かった。混むから早めにと思ったが、やはり混んでいた。

5Fは「ミートレア」と称して肉の店ばかりだ。その中でG店を選んでハンバーグを食べる事にした。
待つこと20分位で入れた。和風スペシャルハンバーグで2種のハンバーグの上に「大根おろし」と「ネギ」が乗っていた。鉄板の上で醤油を流すとジュウジュウと音をたてて跳ね上がった。

1ドリンク制でセルフ。ペプシの紙コップに氷を入れ、小さな冷蔵庫の中の水を探したが手前に緑茶があったので、それを入れた。水のつもりで飲んで食事後、コーヒーを飲んだ。

その時、コーヒーカップが汚れていたので店員に注意をして、もう一杯コーヒーを入れて飲んでいた。
しかし、店員が見に来て「1ドリンク制だから本来はコーヒーは無しです」と注意をされた。

そう言われればそうだったのだ。「知らなくてすみません」と言って、レジではお詫びした。知らないと言う事は恐ろしい事だ。プラス200円払うつもりだったが、お兄さんが「いいです」と言ってくれた。

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再び12時30分過ぎにイベント会場に戻った。八王子市消防団音楽隊は12人位の小編成。

昔ブラバンだった私にとっては、寂しい演奏だった。各楽器が1人では重層的な演奏が期待出来ない。加えて炎天下で演奏するのはつらい。風もあり、なんども楽譜が舞っていた。

金属の楽器だから私も昔吹いたユーホニュームは歌口(マウスピース)は熱くなり唇は渇くし、上に向いているラッパ(朝顔)は高温で、素手で触れば火傷をするくらいだ。

「サウンド・オブ・ミュージック」「私のお気に入り」「ドレミの歌」等を演奏した。

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続いて「Pumehana Hura studio」のフラダンス。

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小さなフラガールがお互いを見ながら、何と可愛いことでしょう。

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大人も入りそう揃い。カラフルできれいだ。

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「ジャズダンスWith」動きが激しいのでなかなかいい写真は撮れない。
時々ピストルで撃たれた。カッコいい御嬢さんたちで、まるでエグザイルを見ているようだった。
大人になって成熟したダンスも期待出来る。

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タヒチアンダンス。「Studio Moemoeaa」

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お子さんが胸に椰子の実をつけて、何たら可愛いこと。

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大人も出てそう揃い。大人が出ると子供の小ささが目立つ。

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「AKAHAI Papa Lehua」フラダンス。
バックでは男女2人の生演奏が何とも心地よい。ハワイアンは裏声が何とも言えない位でハモリが良い。

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タヒチアンは激しい踊りだが、フラダンスは優雅だ。
フラダンスは「愛」や「恋人」を表現するとか言っていたが、大人の中の中央の子供がこれ又、表情豊かにしなやかに、大人以上に上手かった。

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ポップスで「岬めぐり」などを演奏したので、こちらも口ずさむ。
楽器演奏はまずまずだが、ボーカルはプロと比べると難しいね。

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「Shiny Danceトワラーズ」による、バトントワーリングとチアダンス。
バトンは中学生や高校生かな。時々バトンを落としてしまうのは愛嬌。
サッと拾って演技を継続するのが上手い。

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チアガールは小学生以上だろう。

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これもタヒチアンダンスで「TIARE APETAHI」。

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白い肌に黄色い巻きスカートがまぶしい。

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このような巻きスカートだと「ゴーギャン」を感じる。

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このグループは何度も衣裳を変えて楽しませてくれる。

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最後は子供から大人まで。十分楽しんだ一日でした。
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2018/3/20

たまプラーザで落語  芸能

たまプラーザとは「田園都市線」の駅名である。
今では都心の「半蔵門線」とつながっており、溝の口でも「大井町線」に接続する。

昔の私の記憶によると、なんでも「プラーザ」なんてぇ英語の名前を付けたのは、日本で初めてだそうである。

私がその「たまプラーザ」の駅前の百貨店に勤務していた頃の話だ。
経理を担当していたから、渋谷の大手銀行に行って「たまプラーザ」と言ったところ、若い女性に「鎌倉?」と聞き返されたり、何を想像したのか笑い出されて、恥ずかしかった。

「たまプラーザ」を略して「たまプラ」に3月13日(火)久しぶりに行って来たのだった。
それは「わっしょい!落語会」=立川談修落語独演会があったからである。

既報のとおり、談修との仲であるから、彼のHPを見て狙っていた。
ところが、一か月以上前から「予約で満席」の表示があって、「キャンセル待ち状態です」を見てあきらめかけていた。

それでもと思って直前に事務局に恐る恐る電話をかけたところ留守電で、一度は「やめようかな」と思った時に、先方から「着伝を見て電話」をしてくれた。

事務局すなわち「遊馬亭保育」さんがプロデュースで、私は「以前たまプラで働いていた事と談修さんとの仲を話した」ところ、聴きに行く事が出来た。

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もう10何年ぶりかなあ。たまプラ−ザ駅前は近代的にすっかり変わり、百貨店の広告塔も「東急SC」から「たまプラーザTERRACE」に変わっていた。

開店時の昭和57年10月2日からもう35年で、5Fのレストランは全ての店舗が入れ変わった。
時代の流れで売り場も変わり、5Fに子供服売り場が移り、4Fの家具売り場は無くなっていた。

見学はそこそこに落語の会場に向かった。
場所は百貨店の右横を通って、10分で会場の「さんかくBASE」に着いた。

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実は昨年も違う場所での「たまプラ−ザ談修落語会」があり、満席であきらめていた。

だから今年は何としてでも行きたかった。

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会場に入って満席(50席くらい)の理由が分かった。「遊馬亭保育」さんがプロデュースして近隣のお客さんを集めて、毎月様々なイベントを企画しており、皆さんは名札を付けていた。
(来月はバスで都内の桜見学、国会議事堂の見学をするそうだ)

従って遠くから行ったのは私だけだった。
11時30分から「ランチボックス」をいただく。入場料は落語とも2000円である。

落語は12時30分から始まった。

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演目は3題で「一目(ひとめ)上がり」「長短」「蛙茶屋」であったが、ネタはあらかじめ聞かされていなくて、終了後に貼り出すと言われていたから、客は知らされないで落語を聴きだしたのだった。

談修のマクラは「最近、落語を聴きに来る人が多くなって参りましたが、後期高齢者が多い。」「たまに真ん中あたりに大変な美人が座っている時がある。」「そういう時は、そわそわして、落語を忘れたり、話があっちに行ったりこっちに行ったりと始末が悪い。」「その点、本日はやりやすい」と先ず笑いを取る。

と知らない内に「落語」にすっと入った。
「落語」は何回か聞いたことがあるから、何の演目かを考えたが知らない演目だった。

実は終了後に私は演目を見ないで帰って来てしまったので、話を思い出すしかなかった。
ネットで調べて「一目上がり」と「蛙茶番」は分かったが「長短」のキーワード」を入力しても出てこなかった。

「演目」を寝ながら考えたが分からないので「保育」さんにメールしたところ、親切に返信が来た。「長短」であった。

「一目上がり」は「七福神」とも称される。
掛け軸を褒める話で、「賛=サン」から始まり「詩」「悟」、六が無くて「七福神」、八が無くて「芭蕉の句」が落ちとなる。

さらに「長短」や「蛙茶番」の詳しい内容は書き切れないので、興味のある方はネットで調べて欲しい。

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談修師匠は滑舌良く聞きやすい。とにかく私自身良く笑った。

修了後に談修さんに会い、飯田市での共演のチラシや、その時の地元の新聞を見せた。
落語の「文七元結」の菩提寺「長昌寺」の住職は「私の同級生だ」と言ったところ、「そうだったんですか」

記念のツーショットの写真だが、私はアップに耐えられないのでトリミングしてしまった。

このところ立て続けに落語の話になってしまい、尺八より落語のブログが多くなってしまった。
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2018/2/15

木久扇は元気  芸能

2月12日(月・祝)に八王子オリンパスホールにて開催された「八王子2017あきんど祭りー新春お笑いチャリティー演芸寄席」に行って来た。

2017とは古いが、昨年末に八王子商店会連合会に加盟する商店で買い物をした方に抽選で招待があった。
私の住まいのめじろ台には「めじろ台商店会」と「めじろ台駅前ショッピングセンター」がある。

実は妻の知人から2枚頂戴したのだった。チケットにはペア1000組2000名様ご招待とある。

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当日は午後2時30分開場の3時00分開演だったので、八王子駅には1時30分に着き、駅ビル南館の「凛や」で昼食をとろうとした時、かなりの人数が列を作ってオリンパスホールに向かって移動していた。
それを見て1階席をほとんどあきらめていた。

「凛や」では少し待たされてから「季節の天婦羅御膳」をいただいた。ここは蕎麦が新潟の「へぎそば」を使用している。
かやくご飯、暖かい蕎麦、天婦羅、和菓子付きでボリュームもあり、美味しくいただいた。

2時過ぎに「凛や」を出て、会場に向かった。
案の定長蛇の列で、それでも開場は10分程度早めに始まり、順序よく並んで会場に入った。

かつて知っている会場ゆえ、1階の入口から右側の席をめざして急いだ。
1階席の中間の通路よりやや後ろの右側のいい席を確保出来た。前の席とは重ならず、舞台は見易かった。1階席はほぼ満席であった。

3時ちょうどに始まった。司会は桂幸丸(ゆきまる)で桂米丸の弟子である。
HPによると63歳で「芸名は音で読まないでほしい」と書いている。

この司会が実に面白く上手く、聞き易かった。時に「ものまね」を入れたりして進めた。

先ずは八王子商店会連合会の会長や、石森市長などの挨拶があって、八王子第一小学校合唱団による歌唱があった。

「上を向いて歩こう」や「たとえば君が傷ついて」と歌い出す「ビリーブ」を上手に歌ってくれた。
「上を向いて歩こう」は手拍子と一緒に歌え、と言われて歌った。この一体感がいいね。

続いて曲芸は太神楽(だいかぐら)の「鏡味味千代」(かがみみちよ)で30歳過ぎてから芸の世界に入門だと言うから驚く。

五階茶碗はオーソドックスに口に棒をくわえてその上に、バランスをとって板や、毬、茶わんなどを次々と載せて行く。時々しゃべくりもしながらの芸だから大変だ。

海老一染之助、染太郎よろしく「傘」の上に毬を回したり、最後は四角い升だ。見事であった。
「おめでとうございます」

司会を務めた「桂幸丸」は福島県出身の日本大学出であり、92歳になる桂米丸の話、物まねや「吉田茂伝」で笑わせた。落語と言うより漫談であった。

休憩をはさんだ後は「東京五輪音頭」をおばさん達がそろいの浴衣を着て踊った。
当時の三波春夫は知っているが、今度は「2020東京五輪音頭」を石川さゆり他が歌っている。

ただ、歌詞を変えて「あの日ローマで眺めた月が」が「あの日リオデジャネイロで眺めた月が」と変わっただけである。テンポは速く、踊りも忙しい。

林家木久蔵は「笑点に出ている黄色い着物の息子です」と開口一番でどっと笑いを取る。
以前より滑舌が良くなり、落語も上達した。

三味線漫談は「林家たい平の一番弟子の林家あずみ」で、「一番弟子と言っても実は私しかいないんです」
三味線を弾きながら、歌いながら、ダジャレも言いながらの芸である。
京都出身で美人の上に三味線も歌も上手い。「ここは八王子ですから、長崎ぶらぶら節を歌います」なんて笑わせる。

「おてもやん」や「おきよ しゃもじ」はそれだけの歌詞を三下り・本調子・二上りと三味線の調子(調絃)を頻繁に変えながら歌った。

大トリは「木久ちゃん」こと「林家木久扇」である。
80歳になると言うのに、TBSの収録を終えて駆けつけたと言う。元気である。

舞台に出たと思ったら、いきなり左側の客席に向かってお辞儀、真ん中でお辞儀、最後は右側の客席に向かってお辞儀をしたと思ったら、舞台の袖に引っ込んでしまった。

早速「ボケ」の演出である。「笑点」の黄色い着物でなく、普通の地味な着物だった。
一時期、喉頭がんで声が出ず「笑点」でも苦しんでいた時期があり、良く復活したと感心する。

予定通り35分間、滑舌、テンポも良く、「田中角栄」や「立川談志」の物まねや、戦時中のつらい話の中では「空襲警報」のサイレンを上手くやって拍手をもらったら「本当はサイレン鳴らして拍手をしてはいけないんですけどね。」

昭和の懐かしい歌として「みかんの花咲く丘」と「港の見える丘」を歌った。
「港の見える丘」では、「前奏が長い。青い山脈もそうですけどね。どっから歌い出していいのか?分からないような前奏なんですよ。♪バッカバッカパパァーババーバカァ」と前奏を歌い出して「馬鹿馬鹿婆ぁってなんて言ってんじゃないですよ。」など大サービスだった。

よどみなく時間内で終わらすのは流石である。
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2017/11/20

立川談修の落語独演会  芸能

立川談志が最後の真打と認めた、「立川談修」の落語独演会を聴きに行った。芸術祭参加であるから、かなり力を入れているのかが分かる。

立川談修とは2010(平成22)年に飯田市長昌寺で尺八演奏と落語でご一緒して、真打の立川談四楼とも打ち上げで飲んだ仲である。(談修はその時は二つ目だったが、現在は真打)その談修から、「是非来て下さい」と手紙が来たのだ。

立川一門の談四楼・談修出演の落語は上野広小路亭へ何回か聴きに行った事があり、一度二人に日本酒を差し入れした事もあった。今回は独演会である。

11月6日(月)夜7時開演。場所は「日本橋社会教育会館」で以前、鈴慕会の演奏会を聴きに行った事があった場所だから、すぐ分かるハズだった。

ところがである。私にとっては大事件だったのだ。

その日は先ず新宿に出て、美味いステーキ専門店「ル・モンド」で11時前から並び4人目で、すぐ店内に入れた。いつもの「ヒレステーキ」である。柔らかく美味しい。

昼食後は新宿を見学するより、じっくり落語会会場の水天宮をタップリ見学して、夕食も済ませようと言う魂胆だった。

そこで先ず、半蔵門線で水天宮前駅に着き、未だ行った事の無かった水天宮にお参りをした。改築をしたので綺麗だった。

時間は十分あったので駅前にあった「コーヒー専門店」に午後1時過ぎに入った。都心の一等地で220円の表示があったブレンドは安いと思って入ったのだが、「全席喫煙可能ですが、よいですか?」と言われ、少しは我慢するかと入ったのだ。

隣の女性が煙草を吸っていて、煙がただよっていた。少しは我慢したが、人数も増え段々煙に攻められて来たのであわてて出た。

そこで、会場を見ておこうと思い探した。これが勘違いがあり、日本橋公会堂(日本橋劇場)を見ておいて「何となく以前と違うようだけど、多分ここだろう」で出てしまった。開場まで5時間もあった。(あらかじめ自宅の地図帳で調べたハズだったが)

私は慎重派なので、大概は早くに行って場所の確認をしている。他人と待ち合わせは他人を待たせないように十分配慮している。

日本橋の見学であるが、あてずっぽうに歩くと明治座があり、黒木瞳主演「京の螢火」の公演をしていた。
谷崎潤一郎宅跡も見つけた。

以前、印章店を経営していたので、印章店に興味はある。ある店で象牙の実印が38万円だったから、ビックリした。

所々に地図が書いてあるので、見ながら歩いたのだが、いかんせん時間が余る。
それでもやっと4時30分になり、「エクシオール」に入ろうとメニュー看板を見ると、美味そうな「バニーニセット」があった。

ブロッコリーとサーモンサラダが長方形のパンにはさんである。飲み物はカフェラテ。「バニーニセット」はやや塩が効いていたが、美味かった。710円である。

ここで約1時間半ねばり、余裕を持って6時過ぎに店を出て、会場に向かった。

6時30分開場だから、ぼちぼち集まっているだろうと予測して行ったのだが、会場に当たる4Fは暗かった。その時点で私は会場を間違っていた事に初めて気が付いた。「しまった」!

「どこだー」と心で叫び、外に飛び出した。
もちろん会場の地図はチラシに載っているので分かるハズだったが、やや不鮮明でもあった。
以前も実は、道に迷って途中で聞いていた。

あわてて近くの中華料理店の店員さんに聴いたところ、「あちらの方」と指さしてくれた。
それからは走る、走る。

ところが、見つからない。「松屋」から出て来たサラリーマンに聞いたが分からない。
不動産屋のチラシを撒いていたお兄さんに聞いたところ、やっと駆けつけてセーフであった。

開場に間に合い、前から6列目位の右方面の左が通路側で見やすく、いい席がとれた。8割位の客で盛況だった。

タイトルは「談修インザダーク5」で演目は落語3題の「身投げ屋」「応挙の幽霊」「妲己(だっき)のお百」。
チラシには「落語の影の部分をお届けする」とある。

スタッフは皆「なまくら」の名前の名札を付けているので「変だな」と思ったら、「なまらく」で、すなわち「生の落語」の事だった。

「身投げ屋」は隅田川にかかる両国橋の上で、身投げのふりをして、声をかけてくれた人に銭をせびると言う話で、これが又違う父子の身投げ屋に騙されるのだ。

「応挙の幽霊」は円山応挙の幽霊の掛け軸が売れて、喜んで主人が酒を飲んでいると掛け軸の中から綺麗な幽霊が出てきて、一緒に酒を飲むのである。
談修の一升瓶を注ぐ様や、ぐいっと飲むシーンが上手い。

「妲己のお百」は本当に怖い話である。毒婦と喧伝された江戸中期の女性のお話で、幽霊が出てくる時に突然、照明を暗くして、床を拍子木でバタバタやったから、びっくりしてしまった。
談修は古典を大事に演じ、声の張りがしっかりとしており、滑舌よく早口でないので聞きやすい。

芸術祭参加であるから、是非「優秀賞」を取っていただきたい位の出来だった。

終わって、皆さんが列を作って談修さんに挨拶を交わしていた。
私は年賀状もやりとりしているが、顔を見て話すのは、飯田市の公演以来だから、7年振りである。

顔は分からないだろうと思ったから、以前いただいた談修さんの名入れの「手拭」を見せながら「尺八の北原です。とても良かった。これからも頑張ってください」と握手をしてきた。
始めはきょとんとしていたが、やっと分かったようで、嬉しかった。

大勢の人でごったがえししていたから、早々に引き揚げた。

帰りも方向がハッキリ分からず、適当に歩いていたら人形町に出てしまい、あわてて反対方向の水天宮前駅に向かった。

私は未だガラケーでネットでは調べないので、今の時代はスマホの「GPS」で調べるべきだろうか?
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2016/12/19

今田人形展  芸能

師走である。師走とは、いろいろな説があるが、私が走る訳ではない。

暮れも押し迫った17日(土)に渋谷の「アートギャラリー道玄坂」で、「今田(いまだ)人形浄瑠璃展」を見に行ってきた。

今田人形とは、南信州の伝統芸能で、飯田市の無形文化財になっている。
在京飯田高校同窓会でいただいたチラシに興味を抱き、東京で見られるとはと足を延ばした。

25年くらい前までは仕事で渋谷に頻繁に来ていたから、今の変貌ぶりも見たかった。

結婚式を挙げた東急文化会館は「ヒカリエ」に変わり、東急百貨店東館は解体した。渋谷駅は大工事中である。

会場は午後1時からだから、早めの12時過ぎに着いて井の頭線駅ビルのマークシティ内のレストランで昼食をとった。素敵なレストランが多く大変混んでいたが、運よく「菜な」と言う和食店を見つけ、個室に案内されて掘りごたつ式のテーブルについた。

メイン通路の裏側にあり、隠れ家的な店で、何も隠れる事はないが、対面(といめん)は残念ながら妻である。私は「ぶり照り御膳」をいただいた。これが美味。

1時過ぎに会場に入った。
実演は1時30分からなので、一番前の席を確保した。
私が5月に「宮城記念館」で尺八を演奏した時に、お世話になった高校同窓生もいた。

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最初に、係りから説明があり実演が始まった。
演目は「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)政岡忠義(ちゅうぎ)の段」
奥州伊達藩のお家騒動の物語。

写真左が太夫(たゆう)で、右が浄瑠璃三味線(太棹)
後ろの「松」の幕がいい。

今田人形は宝永元年(1704年)に信州今田村で誕生して310年余。
場所は天竜峡の近くで、飯田市龍江に人形座がある。

座員は20名で、20歳代から100歳を越える人もいるそうだ。それぞれ人形操り、太夫、三味線を担当する。(ここから2人がプロになったそうだ)
(Youtubeで見られる)

平成3年にはフランスで公演、平成16年には台湾、平成19年はアメリカのシカゴ・ミズーリ大学で講座。

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先ず、「娘」を使って3人で実演。娘の右側の人が、「かしら」と右手、左側の人が左手、後ろの人が足を担当する。

写真の娘は泣く演技もするが、他の娘は口を開くと、鬼みたいな顔になる。

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「文七」人形。
かしらと右手を操る人は高歯を履いており、左手担当者は人形がお客に見えるように、身体を開いて操作をしなければならない。

後で人形を持たせてくれたが結構重い。

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男の人形は、眉毛が上がったり下がったり出来る。

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寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
今度は本格的に実演なので、人間は顔を出さないで黒子になる。

天下泰平、五穀豊穣を祈願するご祝儀の舞。
四隅と中央の五方を清め、にぎやかに舞う。

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場所が狭かったので、演者は大変だった。

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私は何しろ一番前の席に座っているので、覆いかぶさってくる感じ。

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やがて鈴を持って四方に種をまく。
結構激しく舞うので、ハプニングが起きた。

何しろ、3人の黒子である。狭い所を行ったり来たりで、つい履いていた草履を演者同士が踏みつけたらしく、左手担当の左草履が途中で脱げてしまった。

黒子で下が見えない。仕方ないからそのまま演じていた。

最後の決めのポーズ。
約8分の演技だったが、激しいので汗をかいていた。

ほとんどの人は仕事もあるので、練習が大変だ。3人の呼吸が合わないとバラバラになってしまう。

この後、我々は実際に人形を使って操ってみたのだけれど、とても大変だった。
夢中でやっていたもんで、写真を撮るのを忘れたに。

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実演終了して今田人形保存会の吉澤健会長の挨拶。そして右側は木下文子人形座事務局長、演者。

実はここで世間は狭いを実感したのだった。
何より、高校同級生のTA君が今田人形座の座員だったと聞かされたのは初めてであった。

彼は飯田市でフォークソングの有名人だし、私も尺八で一緒のステージに立ったり、同期会後の同級会ではいつものスナックで、彼のギターとオンステージを繰り広げる仲である。

又、高校同期のKI君も龍江地域づくりの副会長で来ていた。

さらに、龍江には私のいとこが住んでおり、皆さんいとこのSAさんを十分知っていたし、私の父方の「ことによると親類かも」と言う人も現れたのである。

会場はと言えばこれ又、高校の先輩が脱サラ後、経営しているのである。
その先輩も「宮城記念館」での私の尺八演奏を聴いており、その時に名刺もいただいていた。
もちろん、尺八の演奏のことを良く覚えていらしゃった。

人形浄瑠璃のその他の有名な演目は「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」や「東海道中膝栗毛」などがある。
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2016/8/8

八王子まつり  芸能

8月6日(土)八王子まつりに行って来た。猛暑である。

普段、外でじっとしていることが無い私にとって、汗だくの鑑賞だった。

昨年と全く同じところで、同じ太鼓を見たのである。

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今回の写真は太鼓に限定した。太鼓まつりは甲州街道で午後2時から始まった。
先ずは佼成太鼓から。見たところ昨年とほぼ同じメンバーである。
配置まで一緒だ。

昨年はマイクのオジサンにペットボトルを頂いたので、お礼も兼ねて始まる前に挨拶をした。

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マイクのオジサンは、「もっと前に来て並んでください。スカートの人はきちんとしてくださいね。そうしないと太鼓が叩けなくなっちゃうから」と意味ありげな司会で笑わせる。

とにかく、地べたに座ったものだから、音と振動がもの凄く、身体全体に伝わってくる。

歌丸のある落語に、花火のシーンがあり「ドーン」が良く、響きが無いと「ドドドドド、ドウドウドウ」では色気が無い、と言っていた。

それなんだ。CDでは伝わって来ない鼓動だ。

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最初は座って見たが、アスファルトの照り返しで熱い。奏者もだんだん乗って来て、草履を脱いで裸足だ。

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昨年は佼成太鼓に限定して2時間たっぷり見たが、今年は数多くの太鼓も見ようと思った。
女性グループで飛んだり跳ねたりするが、衣裳で暑そうだ。

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可愛い小・中学生。私も小学生の器楽班で小太鼓を叩いていたから好きである。

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男性は上半身裸である。
太鼓界で1は林英哲であろう。彼は佐渡の鬼太鼓座から鼓童を経てソロとして独立し、今では世界中で活躍する。

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甲州街道を50mから100m離れて、次の太鼓も見る。

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真ん中の大きいのは桶胴という。

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甲州街道は長い。ザ・エルシィまで来てしまった。
20年程前の事だった。ある知人に頼まれて、このザ・エルシィの宴会場でスポットライトを浴びて「仁義」を尺八で演奏した事がある。

「富士電機」の忘年会のアトラクションとして、ピアノトリオの前に出演した。
紋付袴姿で一曲だけだったが、3万円いただいた。さらにビールと食事もいただいた。割りの良い仕事だった。

暑い中、甲州街道を戻るのに、もの凄い人でなかなか進めなかった。急がねばならぬ用事があったのだ。
実は4時に、かつての弟子と会う約束をしていたからだった。

20年位会っていなかった、かつての弟子と一番弟子の名称は誰にも渡さないと言う、一番弟子も交え、「徳樹庵」で久し振りの出会いを楽しんだ。
先ずはビールで乾杯となった。その後は「浦霞」。

当然、かつての練習曲の話や、その他の共通の弟子についての近況報告であった。
どうも私は口が悪く、稽古中弟子に対して「ヘタだなぁ」みたいな事を言ったようである。

こういう事は言われた本人は覚えているが、言った本人は大抵「覚えていない」である。
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2016/3/30

'16飯田お練りまつり  芸能

今年の「飯田お練りまつり」に行って来た。珍しくお天気に恵まれて、過去最高の人出で35万人だったそうだ。
6年に一度のお祭りだから、この日が待ち遠しかった。

私は中央高速のバスに乗り、3月26日、27日とも見学した。
47団体による出し物があるのだが、圧倒的に獅子舞が多い。
中でも日本一と言われる「東野大獅子」が凄い。そのオンパレードをご紹介しよう。

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宇天王が獅子の前に、仁王立ちから始まる。

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起源はおよそ350年余前、当地の武運と安泰繁栄を願って大宮諏訪神社に加護祈願したことに始まったといわれる。
眠れる大獅子を起こすための優美で華麗な舞。屋台の中に笛・太鼓が入っている。

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起こされた大獅子は、テンポの速くなった笛や太鼓の調べにより、荒れ狂うように勇壮豪快に舞い、道路いっぱいに右に左と頭を振る。

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頭の重さは30`。重いから一つの演技で何人も途中で交代する。

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観客が怪我をしないように、座布団で受ける。
大獅子が一気に20m〜30m走る時には、中の笛、太鼓の人も一緒に走るのだ。
宇天王との紐を取り外すところ。

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演技が終わって、頭を支える。

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ここで記念撮影の時間となる。飯田駅前では長野県知事もかけつけて見学、記念撮影もされていた。

実はこの間何回も見たが、人がいっぱいでなかなか前で見られなかった。この時は先んじて所望席のすぐ裏に陣取った。

飯田お練りまつりはかなりの人がYouTubeに「東野大獅子」や「大名行列」の動画をアップしているので、ご覧ください。

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本町三丁目の出し物「大名行列」で、黒塗り桐紋の先箱は江戸時代からの本物。

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私も54年前の中学1年生時に鉄砲担ぎで出演したことがあるんだに。
詳細は事前にブログに書いたので参照(今年の2/21)

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富士形(ふじがた)と言われる槍。

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高校同期のK君が現役で、槍の演技をしている。若い!
槍を投げ終えたところ。

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草履と傘の演技。18歳と19歳と若い二人だったが演技は立派だった。

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傘は高く上げたり、片手で廻したり、首に廻す、背中から前に交互に廻すなどの演技に拍手喝さいだ。

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蓬莱大鳥毛。豪華で風格があり重さは25`だそうだ。
毎回力持ちが演ずる。背面は新築した飯田市役所。

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命響館の大太鼓は日本最大級の六尺の大きさで、腹にドンドンと心地よく響く。

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駄科南平獅子舞。親子のツイン獅子。

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飯田お練りまつり本部前の上村中郷獅子舞。200年の歴史があると言う。ひょっとこと雌獅子。

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箕瀬町にある長昌寺の「元結文七」の墓。落語「文七元結」の主人公、桜井文七の菩提寺で以前、立川談四楼・立川談修の落語と私が尺八を演奏した処だ。

地元の新聞には東京銀座の「NAGANO館」でも昨年から「飯田お練りまつり」をアピールした為か、かなりの人出であったと。
私も、事前にブログに書いたところ、尺八仲間のK君が日帰りで新宿から飯田に行ったとの事。大変感動したと言ってくれて、うれしく思った。

日曜の帰りは混むだろうと、我々は天竜峡近くの「久米川温泉」に泊まり、翌日は桜見学とした。

飯田は知らなかったが一本桜の名所があり、愛宕神社境内にある「清秀桜」は樹齢推定760年だそうだ。又、長姫の江戸彼岸(安富桜)は県指定天然記念物で樹齢推定450年以上。国内十指県下一の名声もあり、見事な胴回りであった。ただ、3分咲きまでもいかなかったのは残念だった。

もう6年後は待ち通しいが、果たして私は次回も見られる体力があるだろうか。
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2016/2/21

飯田お練りまつり  芸能

信州飯田では六年毎にお練りまつりがある。
寅年と申年であり、今年がちょうどその年に当たり3月25日(金)から26日(土)27日(日)の3日間行われ、私は行く予定である。

何故か公式HPなどは7年に一度と表示されていて、不思議に思っている。
詳しくは「飯田お練りまつり」で検索ください。
興味がある人は是非行ってもらいたい。「リニア」は未だだから、新宿から中央道の高速バスで行くのが一般的である。

飯田の人が言う飯田弁なら「飯田においなんよ」とか「飯田においでなんしょ」である。

何しろ6年に一回しか見られないのである。
諏訪の御柱まつりと同じ年だから覚えやすく、私は高校まで飯田で育ったのでその後も毎回のように行っている。

出し物はいろいろあるが、特にお薦めしたいのは約400年の歴史ある「東野大獅子」と「大名行列」である。

「東野大獅子」は日本一とも言われる、大きな獅子頭でそのスケールの大きさに圧倒される。
前回6年前は残念ながらデジカメを忘れて、携帯のカメラで撮影したが、いち早くお知らせしたいのでここにアップする。


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ご所望した商店主らは、赤い毛氈に座って真正面で舞の演技を見られる。

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宇天王のメンバーは12人の交代で行う。概ね背の高い人が選ばれるようだ。
小さい頃に見た時は怖くて仕方なかった。

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宇天王が眠っている獅子を起こすところから始まる。

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眠りから起こされた獅子は、大暴れをし手が付けられない状態になるが、宇天王の優美で華麗な舞と笛や太鼓の調べによって、勇壮豪快な獅子が段々と気を落ち着かせ、静かになって行く様が見ものである。

獅子頭の重さは30`で数十秒毎に交代で20人編成になっていて、それが4班に分かれている。重たいので長くは舞えないそうだ。

頭から屋台までの長さは25m、頭は総勢120人、笛60人、小太鼓・大太鼓38人、王様が12人、計230人の構成で役員も含むと320人体制だと言う。


舞は「大門口の舞」「まだかの舞」「道中起しの舞」「道中ばやし」がある。一気に駆け出したり、引っ込んだり、右に左に頭を振る演技であり、見学者に怪我はさせられないから、係りが座布団で防御するのも大変である。

小さい頃から、この笛太皷の曲が好きで、心が躍る。私の見学時は追っかけで、どこまでも付いて行くのである。

1998(平成10)年の長野冬季オリンピックの閉会式アトラクションに出演し、リンクの周りを演技したのだが、会場が広すぎて迫力が無かったのは残念だった。

「大名行列」は本町三丁目の出し物で、実は私の実家は本町三丁目なのである。

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先頭から最後まで50m以上の長さの行列で、国宝級の槍や薙刀があるそうだ。
明治5年のお練りから参加して、行列、所作など往時を思い出させる。
行列は奴さんが「エーハリワサートーナー」「エーヨヤサートーナー」と歌うようにゆっくり進んで行く。

槍は結構重く、演技で投げ合うので受け取るのも大変である。

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行列とは別に、ご所望により「傘」や「草履」の芸を披露する。
「草履」などは空高く上げたり、くるくる回しながら上げたり、随分工夫をしながら演技をしているが、中にはふざけて高く上げ過ぎて、屋根に上げてしまった事もある。

演技者は当然地元であり、皆素人であるから開催の1か月ぐらい前から、毎夜練習をしている。

実は悲しい思い出があるのだ。
私が中学1年生で妹は小学4年の時だった。私の住んでいた住所は大横町といって本町が縦の通りなら、大横町はクロスした横の通りだったが、飯田市の正式の表示は本町三丁目大横だった。そこで妹と出演した。

学生だから土日の2日間、笠や袴、草履などの衣裳をつけて鉄砲(布袋に入れた木の棒)をかついで出たが、雨に降られたり時には雪も舞うほど寒い時もあった。

ある時、昼になるとあらかじめ各家庭に事前に知らせてあるとおり、それぞれ弁当が届けられていた。順番に名前を呼ばれて皆うれしそうに、受け取っていたが、なかなか私は呼ばれなかった。

段々悲しくなりついに泣き出してしまった。どうやら我が家は連絡が漏れたらしい。
電話で連絡を受けた親父が、あわてて弁当を持参した。

妹と涙を流しながら、いただいたのであった。美味い訳がない。
「大名行列」を見るといつも思い出す、悲しい思い出である。
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2015/8/8

八王子まつり  芸能

8月8日(土)八王子まつりの様子

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上の写真はいづれも居囃子。

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市内20ケ所で太鼓が行われたそうだが、佼成太鼓に決めて落ち着いて見る事にした。

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東京では昨日まで8日連続猛暑日であったが、本日は時々雲も出ていた。それでも私が見ていた場所は西日で暑かった。扇子を片手に日を遮ったり、ときどき、むしろ太鼓に合わせてリズムをとっていた。
上の写真のおじさん(68歳)が、打ち手にポカリスエットを配っていたが、何故か私にもポカリスエットボトルをくれた。

会長らしくマイクで進行しており「私より年上の人にあげた」と言っていたが、多分私は扇子でリズム良く、時には真似をしたり指揮者みたいなパフォーマンスしたから喜んでくれたのだろう。(実際は一つ下の67歳だ)

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桶胴太鼓のおじさんは63歳。「躍動感あふれて上手いね」と言ったら「太鼓は命だから」と笑って答えた。

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一番大きな太鼓。近場で聞けば迫力満点。「ドンドコドンドコ」が腹に響き渡る。時にはジャズ的なリズムもあり、十分満足出来た約2時間の佼成太鼓。
疲れを知らないおじさんパワーの炸裂だった。
外人さんもつきっきりで写真を撮っていた。
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2015/7/20

落語と尺八  芸能

落語と言えば「寿限無」は誰でも知っているであろう。今ではYouTubeでも見ることが出来る。
「寿限無」は前座のネタらしいが、この長い名前を今、私は覚えようとしているが、なかなか覚えられないのである。

落語は以前から好きで、落語の文庫本シリーズで「春」「夏」「秋」「冬」を買って全部読んだ。
中でも「千早振る」がおかしく好きだ。「千早振る神代もきかず竜田川ーーー」という百人一首をもじり、竜田川というお相撲さんに転化して話を進める、面白おかしい落語である。まあ私の好きな分かりやすいダジャレのオンパレードだ。

2010(平成22)年10月、信州飯田の長昌寺で「文七元結奉納落語の会」があった。これは落語に「文七元結」(ぶんしちもっとい・ぶんしちもとゆい)というのがあり、そのモデルの桜井文七のお墓が菩提寺「長昌寺」にあるのである。
桜井文七は飯田の元結を、江戸に出て広めた功績がある。元結は日本髪やお相撲さんのマゲを結う時に使用する細いヒモで、水引が使用される。大変丈夫なのである。

「文七元結」の落語は、その桜井文七が元結の店を始める前の話で、人情話の大ネタらしい。(詳細はウィキペディアでご覧ください)
この「文七元結」を当日、立川談四楼がやった。又、当時二つ目ながら、生前の立川談志に真打を認められた立川談修は「目黒のさんま」。殿様の「さんまは目黒にかぎる」はいつ聞いても笑ってしまう。
両者、熱のこもった迫力ある落語であった。

そして、私は長昌寺の住職とは中学・高校の同級生で友人であった縁で前座として、尺八本曲「三谷菅垣」「奥州薩慈」を演奏した。

打ち上げで、立川談四楼、立川談修、住職、スタッフ、私も円卓を囲んで、中華料理をいただいた。談四楼の滑舌はすごく、止まらなかった。それに紹興酒を軽く1本空け、さらに2次会に行ったようだ。元気そのものだ。
立川談修とは、そこで懇意になり年賀状のお付き合いが始まり、今は真打になって、新聞・テレビに出だした。

昨年(平成26年)12月中旬、上野広小路亭のお知らせを見て、談四楼・談修他の出演の落語を聞きに行った。
昼席は1500円と安く、4時間たっぷり。中には「安来節日本一」(どじょうすくい)の落語家(立川平林)もおり、十分楽しめた。

演目は忘れたが両人に日本酒を差し入れたところ、後日お礼のハガキをいただいた。

談四楼は文才があるので、著述家として何冊も本を出版している。私も「話のおもしろい人、ヘタな人」を購入した。落語家の裏話やうんちくが良く解る。
ツイッターもしており、こまめに更新しているし、某週刊誌に書評も載せている。
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