'16飯田お練りまつり  芸能

今年の「飯田お練りまつり」に行って来た。珍しくお天気に恵まれて、過去最高の人出で35万人だったそうだ。
6年に一度のお祭りだから、この日が待ち遠しかった。

私は中央高速のバスに乗り、3月26日、27日とも見学した。
47団体による出し物があるのだが、圧倒的に獅子舞が多い。
中でも日本一と言われる「東野大獅子」が凄い。そのオンパレードをご紹介しよう。

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宇天王が獅子の前に、仁王立ちから始まる。

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起源はおよそ350年余前、当地の武運と安泰繁栄を願って大宮諏訪神社に加護祈願したことに始まったといわれる。
眠れる大獅子を起こすための優美で華麗な舞。屋台の中に笛・太鼓が入っている。

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起こされた大獅子は、テンポの速くなった笛や太鼓の調べにより、荒れ狂うように勇壮豪快に舞い、道路いっぱいに右に左と頭を振る。

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頭の重さは30`。重いから一つの演技で何人も途中で交代する。

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観客が怪我をしないように、座布団で受ける。
大獅子が一気に20m〜30m走る時には、中の笛、太鼓の人も一緒に走るのだ。
宇天王との紐を取り外すところ。

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演技が終わって、頭を支える。

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ここで記念撮影の時間となる。飯田駅前では長野県知事もかけつけて見学、記念撮影もされていた。

実はこの間何回も見たが、人がいっぱいでなかなか前で見られなかった。この時は先んじて所望席のすぐ裏に陣取った。

飯田お練りまつりはかなりの人がYouTubeに「東野大獅子」や「大名行列」の動画をアップしているので、ご覧ください。

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本町三丁目の出し物「大名行列」で、黒塗り桐紋の先箱は江戸時代からの本物。

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私も54年前の中学1年生時に鉄砲担ぎで出演したことがあるんだに。
詳細は事前にブログに書いたので参照(今年の2/21)

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富士形(ふじがた)と言われる槍。

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高校同期のK君が現役で、槍の演技をしている。若い!
槍を投げ終えたところ。

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草履と傘の演技。18歳と19歳と若い二人だったが演技は立派だった。

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傘は高く上げたり、片手で廻したり、首に廻す、背中から前に交互に廻すなどの演技に拍手喝さいだ。

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蓬莱大鳥毛。豪華で風格があり重さは25`だそうだ。
毎回力持ちが演ずる。背面は新築した飯田市役所。

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命響館の大太鼓は日本最大級の六尺の大きさで、腹にドンドンと心地よく響く。

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駄科南平獅子舞。親子のツイン獅子。

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飯田お練りまつり本部前の上村中郷獅子舞。200年の歴史があると言う。ひょっとこと雌獅子。

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箕瀬町にある長昌寺の「元結文七」の墓。落語「文七元結」の主人公、桜井文七の菩提寺で以前、立川談四楼・立川談修の落語と私が尺八を演奏した処だ。

地元の新聞には東京銀座の「NAGANO館」でも昨年から「飯田お練りまつり」をアピールした為か、かなりの人出であったと。
私も、事前にブログに書いたところ、尺八仲間のK君が日帰りで新宿から飯田に行ったとの事。大変感動したと言ってくれて、うれしく思った。

日曜の帰りは混むだろうと、我々は天竜峡近くの「久米川温泉」に泊まり、翌日は桜見学とした。

飯田は知らなかったが一本桜の名所があり、愛宕神社境内にある「清秀桜」は樹齢推定760年だそうだ。又、長姫の江戸彼岸(安富桜)は県指定天然記念物で樹齢推定450年以上。国内十指県下一の名声もあり、見事な胴回りであった。ただ、3分咲きまでもいかなかったのは残念だった。

もう6年後は待ち通しいが、果たして私は次回も見られる体力があるだろうか。

飯田お練りまつり  芸能

信州飯田では六年毎にお練りまつりがある。
寅年と申年であり、今年がちょうどその年に当たり3月25日(金)から26日(土)27日(日)の3日間行われ、私は行く予定である。

何故か公式HPなどは7年に一度と表示されていて、不思議に思っている。
詳しくは「飯田お練りまつり」で検索ください。
興味がある人は是非行ってもらいたい。「リニア」は未だだから、新宿から中央道の高速バスで行くのが一般的である。

飯田の人が言う飯田弁なら「飯田においなんよ」とか「飯田においでなんしょ」である。

何しろ6年に一回しか見られないのである。
諏訪の御柱まつりと同じ年だから覚えやすく、私は高校まで飯田で育ったのでその後も毎回のように行っている。

出し物はいろいろあるが、特にお薦めしたいのは約400年の歴史ある「東野大獅子」と「大名行列」である。

「東野大獅子」は日本一とも言われる、大きな獅子頭でそのスケールの大きさに圧倒される。
前回6年前は残念ながらデジカメを忘れて、携帯のカメラで撮影したが、いち早くお知らせしたいのでここにアップする。


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ご所望した商店主らは、赤い毛氈に座って真正面で舞の演技を見られる。

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宇天王のメンバーは12人の交代で行う。概ね背の高い人が選ばれるようだ。
小さい頃に見た時は怖くて仕方なかった。

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宇天王が眠っている獅子を起こすところから始まる。

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眠りから起こされた獅子は、大暴れをし手が付けられない状態になるが、宇天王の優美で華麗な舞と笛や太鼓の調べによって、勇壮豪快な獅子が段々と気を落ち着かせ、静かになって行く様が見ものである。

獅子頭の重さは30`で数十秒毎に交代で20人編成になっていて、それが4班に分かれている。重たいので長くは舞えないそうだ。

頭から屋台までの長さは25m、頭は総勢120人、笛60人、小太鼓・大太鼓38人、王様が12人、計230人の構成で役員も含むと320人体制だと言う。


舞は「大門口の舞」「まだかの舞」「道中起しの舞」「道中ばやし」がある。一気に駆け出したり、引っ込んだり、右に左に頭を振る演技であり、見学者に怪我はさせられないから、係りが座布団で防御するのも大変である。

小さい頃から、この笛太皷の曲が好きで、心が躍る。私の見学時は追っかけで、どこまでも付いて行くのである。

1998(平成10)年の長野冬季オリンピックの閉会式アトラクションに出演し、リンクの周りを演技したのだが、会場が広すぎて迫力が無かったのは残念だった。

「大名行列」は本町三丁目の出し物で、実は私の実家は本町三丁目なのである。

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先頭から最後まで50m以上の長さの行列で、国宝級の槍や薙刀があるそうだ。
明治5年のお練りから参加して、行列、所作など往時を思い出させる。
行列は奴さんが「エーハリワサートーナー」「エーヨヤサートーナー」と歌うようにゆっくり進んで行く。

槍は結構重く、演技で投げ合うので受け取るのも大変である。

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行列とは別に、ご所望により「傘」や「草履」の芸を披露する。
「草履」などは空高く上げたり、くるくる回しながら上げたり、随分工夫をしながら演技をしているが、中にはふざけて高く上げ過ぎて、屋根に上げてしまった事もある。

演技者は当然地元であり、皆素人であるから開催の1か月ぐらい前から、毎夜練習をしている。

実は悲しい思い出があるのだ。
私が中学1年生で妹は小学4年の時だった。私の住んでいた住所は大横町といって本町が縦の通りなら、大横町はクロスした横の通りだったが、飯田市の正式の表示は本町三丁目大横だった。そこで妹と出演した。

学生だから土日の2日間、笠や袴、草履などの衣裳をつけて鉄砲(布袋に入れた木の棒)をかついで出たが、雨に降られたり時には雪も舞うほど寒い時もあった。

ある時、昼になるとあらかじめ各家庭に事前に知らせてあるとおり、それぞれ弁当が届けられていた。順番に名前を呼ばれて皆うれしそうに、受け取っていたが、なかなか私は呼ばれなかった。

段々悲しくなりついに泣き出してしまった。どうやら我が家は連絡が漏れたらしい。
電話で連絡を受けた親父が、あわてて弁当を持参した。

妹と涙を流しながら、いただいたのであった。美味い訳がない。
「大名行列」を見るといつも思い出す、悲しい思い出である。

八王子まつり  芸能

8月8日(土)八王子まつりの様子

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上の写真はいづれも居囃子。

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市内20ケ所で太鼓が行われたそうだが、佼成太鼓に決めて落ち着いて見る事にした。

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東京では昨日まで8日連続猛暑日であったが、本日は時々雲も出ていた。それでも私が見ていた場所は西日で暑かった。扇子を片手に日を遮ったり、ときどき、むしろ太鼓に合わせてリズムをとっていた。
上の写真のおじさん(68歳)が、打ち手にポカリスエットを配っていたが、何故か私にもポカリスエットボトルをくれた。

会長らしくマイクで進行しており「私より年上の人にあげた」と言っていたが、多分私は扇子でリズム良く、時には真似をしたり指揮者みたいなパフォーマンスしたから喜んでくれたのだろう。(実際は一つ下の67歳だ)

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桶胴太鼓のおじさんは63歳。「躍動感あふれて上手いね」と言ったら「太鼓は命だから」と笑って答えた。

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一番大きな太鼓。近場で聞けば迫力満点。「ドンドコドンドコ」が腹に響き渡る。時にはジャズ的なリズムもあり、十分満足出来た約2時間の佼成太鼓。
疲れを知らないおじさんパワーの炸裂だった。
外人さんもつきっきりで写真を撮っていた。

落語と尺八  芸能

落語と言えば「寿限無」は誰でも知っているであろう。今ではYouTubeでも見ることが出来る。
「寿限無」は前座のネタらしいが、この長い名前を今、私は覚えようとしているが、なかなか覚えられないのである。

落語は以前から好きで、落語の文庫本シリーズで「春」「夏」「秋」「冬」を買って全部読んだ。
中でも「千早振る」がおかしく好きだ。「千早振る神代もきかず竜田川ーーー」という百人一首をもじり、竜田川というお相撲さんに転化して話を進める、面白おかしい落語である。まあ私の好きな分かりやすいダジャレのオンパレードだ。

2010(平成22)年10月、信州飯田の長昌寺で「文七元結奉納落語の会」があった。これは落語に「文七元結」(ぶんしちもっとい・ぶんしちもとゆい)というのがあり、そのモデルの桜井文七のお墓が菩提寺「長昌寺」にあるのである。
桜井文七は飯田の元結を、江戸に出て広めた功績がある。元結は日本髪やお相撲さんのマゲを結う時に使用する細いヒモで、水引が使用される。大変丈夫なのである。

「文七元結」の落語は、その桜井文七が元結の店を始める前の話で、人情話の大ネタらしい。(詳細はウィキペディアでご覧ください)
この「文七元結」を当日、立川談四楼がやった。又、当時二つ目ながら、生前の立川談志に真打を認められた立川談修は「目黒のさんま」。殿様の「さんまは目黒にかぎる」はいつ聞いても笑ってしまう。
両者、熱のこもった迫力ある落語であった。

そして、私は長昌寺の住職とは中学・高校の同級生で友人であった縁で前座として、尺八本曲「三谷菅垣」「奥州薩慈」を演奏した。

打ち上げで、立川談四楼、立川談修、住職、スタッフ、私も円卓を囲んで、中華料理をいただいた。談四楼の滑舌はすごく、止まらなかった。それに紹興酒を軽く1本空け、さらに2次会に行ったようだ。元気そのものだ。
立川談修とは、そこで懇意になり年賀状のお付き合いが始まり、今は真打になって、新聞・テレビに出だした。

昨年(平成26年)12月中旬、上野広小路亭のお知らせを見て、談四楼・談修他の出演の落語を聞きに行った。
昼席は1500円と安く、4時間たっぷり。中には「安来節日本一」(どじょうすくい)の落語家(立川平林)もおり、十分楽しめた。

演目は忘れたが両人に日本酒を差し入れたところ、後日お礼のハガキをいただいた。

談四楼は文才があるので、著述家として何冊も本を出版している。私も「話のおもしろい人、ヘタな人」を購入した。落語家の裏話やうんちくが良く解る。
ツイッターもしており、こまめに更新しているし、某週刊誌に書評も載せている。
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