2018/2/13

壊れた時計  随想・徒然竹

前回のブログで掛け時計が壊れて捨ててしまおうと書いたが、思い直して修理することにした。
やはりもったいないの精神だ。

クリックすると元のサイズで表示します

私が結婚した時に後輩からいただいた時計だから、大切にしたかった。
39年間働いてくれたが、電子部品を交換するだけで見事によみがえった。
しかも、くぐもったガラスも綺麗になり、新品同様になってうれしい。

西八王子駅の北口にあるU時計店で、親切なご主人が5千円で直してくれた。
その上、サービスでLEDの懐中電灯までいただいた。

早速、つけて見た。どうも釘にかける場所を前回は外枠にかけていたから、はずれたと思う。
今回はしっかりとかけたから、ドアの反動では落ちないだろう。

主人いわく「これでしばらく持ちますよ」と言われ「時計の寿命より私の方が先に行くかも」と言ってしまった。ひょっとしたら100年持ちますよ。

クリックすると元のサイズで表示します

この時計は写す時に斜めに置いたから、変な感じである。
考えたら結構、時計をいただいている。
これは会社を卒業した時にいただいた。木枠の真ん中は「たち吉」のお皿の置き時計である。

大和市に以前住んでいた頃、狭い家で置き場所がなく押入れにしまって置いたのだが、引っ越しで見つけた時には乾電池が液漏れして使用不可能の状態だった。

時計はやや見にくいが捨てるには忍びなかったので、新宿のK百貨店の陶器売場「たち吉」で聞いてみた。
「もうこれは取り扱ってはいない」とは言うものの、修理は可能だった。
上記と同じ後ろの電子部品の交換で、よみがえった。
これは大事に○○に置いてある。

兄の結婚返礼品も掛け時計で、我が和室にかけて時を刻んでくれる。
5月に三代目青木鈴慕になる彰二氏の結婚返礼品も置時計で、玄関に鎮座しており、出かける時は必ず見て出かける。

又、私がNHK育成会に通っている頃、「学生三曲連盟」の演奏会で「琵琶と糸竹のための二章」を指揮した時に、お礼として円柱形の置時計をいただいた。

表現は難しいが、上部は丸みのあるガラスで、周りは円柱形のガラスが覆い、中にぜんまい式の金ぴかの時計があるタイプだ。下で振り子にあたる金の玉が4個ぐるぐる回るやつだ。分かるかな?

外のガラスはかぶせるタイプだから、ぜんまいを巻く時にはガラスを割らないように外さねばならない。

下側四隅には、でこぼこの高さを調節する足が付いていた。水平でないと振り子が回らないのだ。
しばらく使っていたのだが、ぜんまいを巻くのがおっくうとなってしまった。
巻かないと時は止まる。

そんな訳で、今はもう手元には無い。
0

2017/12/28

キタサンブラック優勝  随想・徒然竹

第62回有馬記念が12月24日中山競馬場であり、「キタサンブラック」が優勝した。
騎手は武豊で、オーナーは北島三郎である。

「キタサンブラック」は史上最多タイの中央G1 で7勝目を挙げた。過去には「ディープインパクト」がいる。

レースをテレビで見ていたが、最初から飛ばして先頭で、最後は少し追いつかれそうになった。しかし最後まで先頭だった。

通常の馬より、筋肉が発達していて、登り坂の訓練を何回も繰り返したそうだ。やはり練習がものをいう。

余談だが、私は会社勤めのころ同僚に「キタサン」と呼ばれた。
「北原」だから「キタさん」である。でも腹黒ではないので、ブラックでは無い。

「サブちゃん」とは、私が浅草国際劇場の「北島三郎ショウ」で10日間尺八伴奏をした仲(?)である。

「キタサンブラック」は競走馬としてはこれが最後で引退するが、有終の美を飾った。
私は引退するわけにもいくまい。

競馬はやらないが、思い出がある。1965(昭和40)年の有馬記念は「シンザン」が優勝をした。
「シンザン」は八大競争の勝利数から「五冠馬シンザン」と言われた。

その年だったか、暮れの紅白歌合戦を見た時のことだ。
司会は宮田輝アナウンサーで、男性のコーラスグループ「ダークダックス」の時に「藤田まこと」も現れて、その時「五冠馬シンザンのいななきです」と鳴き声が流された。

藤田まことは役者であり、お笑い芸人、歌手でもある。あだ名は顔が長いので「馬」であって「来年は藤田まこととダークホースと名前を変えます」と笑わせた。

当時は録画するビデオは無いので、テープレコーダーに録音をして、何度も繰り返して聞いたので良く覚えている。

クリックすると元のサイズで表示します

ブラック関連で思い出した。
これは「長谷園(ながたにえん)」の炊飯土鍋「かまどさん」である。
お茶漬けの「永谷園」と読み方は同じだが別会社で、我が家で重宝している。
東日本大震災の時大停電があり、それまでは電気炊飯器を使用していたのだが、ガスによる土鍋に変えた。

元々は前からあった、料理用の白い土鍋でご飯を炊いていたが、蓋が壊れ、ガラス製の蓋で飯を炊いていた。ところが蒸気孔が無いので見ていないと、すぐに吹きこぼれてしまうので工夫して、割りばしを蓋と土鍋の間にはさんで、吹きこぼれそうになると、あわてて蓋を開けていた。

そんな時にテレビ東京の「カンブリア宮殿」で紹介されたのを見て、直接窯元へ電話して今年の4月に2合用を購入した。

土鍋は約10分間中火で、蒸気が出たら2分後に火を止めて、20分蒸らすだけ。中蓋がしっかり押さえているので吹きこぼれ無く、楽である。
これは旨い。特に最初に目留として炊いた「おかゆ」がとても旨かった。

三重県伊賀市の伊賀焼窯元で、テレビで見た7代目の長谷優磁(ゆうじ)氏の笑顔がとても良かった。

最近ではK百貨店やアートマン、高尾イーアスの「織部」でも売っている。


クリックすると元のサイズで表示します

こちらは「めしびつころりん」である。
上記「かまどさん」を買う前に、新宿にあった「通販生活」の店舗で見つけた。

「残りご飯の余分な水分を吸う陶器だから、電子レンジで温め直しても味が落ちない」と宣伝文句にあった。これも伊賀焼である。

炊き込みご飯など、大量に作った時などこれに入れて「チン」すれば、パサづかず美味しい。

いよいよ年の瀬である。

クリックすると元のサイズで表示します

我が家の庭には今年も「万両」の赤い実をつけてくれた。今年は良く出来た方だ。

万両は葉の下に実が成り、千両は葉の上に実が成る。

時々小鳥が来て、実を食べて、そこらへんに糞をするものだから、その糞のところから、又「万両」が生えて来る。
0

2017/1/17

鳩が豆食ってぱ  随想・徒然竹

ジュリーこと沢田研二は、私と同年である。

今でこそ、若い人は知らない人が多いが、私が25歳の頃、会社の新入社員教育で「そろばん」を教えた時に、「私は、ジュリーと同じ歳である」と言ったところ、若い女性は「エー!」と驚きの声を上げたが、どう言う意味だったのか。多分私の方は老けて見えたのであろう。

ただ私は、「ジュリーと同じだ」と言えば歳が分かると思ったのだ。それ位有名だった。

彼も歳をとり、今年1月8日のNHKホールでのライブで「Pray〜神の与え賜いし」の歌詞を忘れ、もう一度歌って、土下座をしたそうだ。某週刊誌には「頭がスパークした」と書いてあった。

そう言う同年の私も、物忘れが多くなってきた。

先日は尺八の稽古の時、レとチと頭で理解しているのだが、楽譜は「チ」であっても「手」は「レ」を瞬間的に吹いていた。

特にいけない、悔しいのは、出かけるときに何かを忘れることである。

昔から、「鳩が豆食ってぱ」と言う呪文みたいのがある。

これは、ひらがなに直せば「はとがまめくってぱ」であり、持参するリストの頭文字である。

「は」はハンカチ、「と」は時計、「が」は「がまぐち」すなわち財布、「ま」は万年筆、「め」は名刺、「く」は櫛、「て」は手帳、「ぱ」はパスすなわち通勤定期である。

私は、これでは足りないので、自分用にリストを作って出かけることにした。

「鳩が豆はってパホーマンスか」としてみた。
ひらがなで書けば「はとがまめはってぱほーまんすか」となる。

「は」は「ハンカチ」、「と」は「時計」、「が」は「がまぐち=財布・楽譜・楽器=尺八」、「ま」は「万年筆・シャーペン・ボールペン」、「め」は「名刺」、「は」は「歯ブラシ・歯間ブラシ」、「て」は「手帳・メモ帳・ティッシュペーパー」、「ぱ」は「パス=スイカ」、「ほ」は「本」、「まん」は「万歩計・マスク・マフラー」、「す」は「スマホ=携帯」、「か」は「カード類・カメラ・カイロ」である。

このメモを机の上に置いておき、出かける時にチェックするのである。
これで、どうやら忘れ物が少なくなった。(メガネに帽子は、私には当たり前)
もちろん、スーパー銭湯に行くならば「タオル」や、スーパーに行くなら、今時「レジ袋」も必要だ。

演奏会には尺八が必要だが、一尺八寸管や、時には一尺六寸管、二尺管の時もあるので、間違えたら最悪だ。

正式な演奏会の時には、紋付、袴をつけるが、ある時、白足袋を持参したは良いが、履いてみたら左足二枚の時があり、裏返して履く手もあるようだが、無理して履いたところ、右足が痛いのなんの非常に困った事があった。

靴下なら、左右どちらでも良いのだが、足袋は左右決まっているので、不便ではある。
0

2016/10/14

同じ釜の飯  随想・徒然竹

「同じ釜の飯を食べる」は一緒に生活する意で、家族は当然だが大学生の時は寮生活だった。

信州飯田から、M大学合格と同時に武蔵境にある長野県のS舎に面接を経て入寮した。駅前から歩けば20分位かかるので、通常はバスで桜堤の「公団中央」で下車した。

私が入寮した当時は木造建物が古く、旧館の裸電球で薄暗い10畳ほどの部屋に3人が入った。3隅に机を置き、その上に蛍光灯スタンドを各自用意して勉強をした。

セキュリティーなんぞ無く、泥棒が入り、先輩は財布を盗まれた。
勝手に入れたので、考えたら当たり前だったが、当時は未だ治安が良かった。

寮母さんが住み込みでいるので、朝・夕とも食事付き。風呂は我々が当番を決めて毎日交代で石炭を焚いた。
そこでは4年間お世話になった。様々な思い出があるがここでは省略する。

20年前には、土地を有効活用する為に老人ホームと一体化した「ケアハウス」が出来て、寮生は1人部屋になった。
その竣工記念のパーティーに出席して、久し振りに同僚に会った。

そして又、今年9月舎友会が飯田橋のアルカディアであり、タイトルは「武蔵境再建60周年記念式典」だった。創立では110周年にもなる。

名簿によると過去には凄い人の名もある。同期には会社の社長や弁護士もいる。

さて、当日懐かしい同期や、先輩方にお会い出来た。
1学年上の金田憲治氏は、今年下条村の村長になっていた。
私が下条村でかつて「長野オリンピックにエールを送ろう」と企画された催しで、下条村中学校で尺八演奏をした時に、金田憲治氏にお会いしていた。

小冊子も出来たので、皆さんの近況が良く解る。
私の文章は寮の先輩に尺八出演の機会をいただき、飯田市で初ライブや、稲荷町の龍谷寺での尺八演奏につながったと載せた。

話は変わるが9月30日に調布で飲み会があった。

飲み会は昼12時からなので早めに着き、調布を散策する事にした。もちろんゲゲゲの鬼太郎などの彫像を写す為だった。以前場所が分からなかったが、ネットで調べたところ天神通り商店街に並んでいた。

そこへ行く前に、通りの看板に「大西楽器店」を見つけた。矢印にしたがって歩いて行くとすぐ近くにあり、邦楽専門の箏・三絃・尺八を扱っていた。
尺八は「誠和音芸」銘があり、吹いてみたが私には上手く鳴らなかった。

クリックすると元のサイズで表示します

天神通り入口を見上げると、成るほど鬼太郎は上にいた。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

これらの写真は10月14日に再び訪れた時のである。なんでーか?
実は前回のは誤ってパソコンに「貼り付け」失敗して消してしまったからである。


散策後の12時から「調風」で飲み会である。
以前から懇意にしている、尺八で取り持つ縁の飯田高校の大先輩のTAさん(87歳)と、やはり柳井調風氏の弟子である、KA氏の3人であった。

クリックすると元のサイズで表示します

「調風」は調布駅東口を出ると、すぐのところにある。
あらかじめコース料理をTAさんが頼んでいてくれた。どうもTA氏が私の事を吹聴したらしく、KA氏が私に会いたいと言ったらしい。

KA氏は初対面だったが、歳も近くお互い尺八の話で盛り上がり、やはり尺八の話は面白い。(彼は箏まで習っていると言う)
あの曲この曲、あの人この人とバンバン次から次へと話題が出て来る。

酒も進み、料理も美味い。あっと言う間の2時間だった。
名残惜しいので、近くの喫茶店に行き全員暑いのでアイスコーヒーを注文する。

記念撮影は「従業員に写してもらうかな」と私が言ったのを聞いていたらしい、近くにいたカッコいいお兄さんが進んで「撮りますよ」と撮ってくれた。

余りにもカッコいい男なので「俳優かな?」と言ったら、一緒にいて勘定をしていたおばさんが「そうですよ」と言った。いったい誰だろうか。

せっかく撮った写真も、これ又データから削除してしまい残念。ただ一度はパソコンに取り込んで、スライドショーで見たのだが。
0

2016/8/26

「コンビニ人間」を読んで  随想・徒然竹

この度の芥川賞受賞は村田沙耶香の「コンビニ人間」だった。
興味を持って図書館に行き、文藝春秋の9月号で全編を3日間通って読んだ。

私が初めて仕事に着いたのは「スーパーマーケット」の会社で、当時はまだ「コンビニ」は無かった。
仕事内容は事務職だったが、日曜日や暮れの繁忙期には売り場で、陳列の手伝いをした。

その為か最近、スーパーやコンビニに行き、陳列が乱れていると無意識に直す時がある。

コンビニはスーパーの小型だから、基本の商品を売るというのは同じである。
従って文章的に内容が解るし、その文章が誠に読みやすく、働く人の人間模様描写が上手い。
実際に著者は、コンビニで働いているからバックヤードなどの様子も解るように書いている。

ネタバレしない程度に書くと、主人公はまるで本人みたいだが、実際はちがうと著者は言っている。

主人公の古倉さんはコンビニでパートとして働いている。そこではレジや接客、陳列、発注業務もテキパキとこなす、独身女性である。

たまに女子会に参加すると、「何故結婚しないのか」「社員として働かないのか」とか質問される。

様々な人間が働き、ある時白羽君なる若い男性が採用されて、そのキャラクターがユニークで彼との話がどんどん面白くなっていく。

村上龍も山田詠美も絶賛の小説だ。

話は変わるが、昨年から読んでいた夏目漱石の「吾輩は猫である」をやっと読み終えた。
猫を通して見た人間の有様だが、彼特有の風刺であるが何しろ矢鱈と漢文が出てきて、その度に「注」を見るのが面倒だった。

いつ終わるのかと心配になっていたが、猫の結末は意外だった。

8/27の東京新聞夕刊に「吾輩は猫である」の紹介があった。かなりあらすじを書いてあるが、最後には次の文章があった。
『吾輩は舌鋒鋭く人間を批判することもあれば、人間の愚かさを受け入れて温かく見守ることもある。最大の魅力は猫の冗舌な語りそのもの。いつ読んでも、何度読んでも楽しめる名作だ。』

本は余り読む方ではないが、若い時に読まなかった分を取り戻そうと、少しづつ恥をかかない程度に読み始めている。

谷崎潤一郎の「春琴抄」「痴人の愛」「刺青・秘密」を読んだが、とにかく文章が上手い。
特に好きなのは「陰翳礼讃」である。

私が行く図書館には「週刊文春」「週刊新潮」が争奪戦だ。
大概は誰かが見ているので、書棚には無い。
ある時、その書棚に無いから目の前のソファで誰かが返却するのを待ち構えていた。

すると、私の隣の中年男性の携帯電話が鳴り、その人はあわてて席を外した。
席を見ると2冊置いてある。なにげなく見ると例の2冊である。
ルールでは2冊取らないでと書いてある。

携帯の人が帰って来たのをじっと見ていた。その人は1冊を読みだし、もう1冊はお尻に隠した。
すかさず、お尻の本を見て「それを見せてください」と言ったら、仕方なく睨み付けながらも渡してくれた。

他の図書館にはその2冊は無いが、週刊誌の「SPA」がある。
これは、中にヌード写真があり、堂々と見るには憚れる。
現に女性司書が頻繁に目の前を通るのである。
0

2016/4/18

トロッコの思い出  随想・徒然竹

地震・雷・火事・親父とは昔から言われる怖いものである。

地震は気象庁の無い頃から、一番に怖いものだったのであろう。何しろ未だに日時の予測が出来なく、突然下からドカーンと来るからである。

熊本は、会社退職時に一人旅行をして、熊本城、水前寺公園など感激したものであるが、熊本城がまさか崩れるとは思わなかった。

火事と言えば、歌舞伎町のゴールデン街火事は以前飲んだ近くだし、3月初旬に見学に行ったばかりである。

親父はもう怖くない。オオカミでは無くなった。やさしい。妻に負ける。これは俺だけであろうか。

今なら、地震・原発・テロ・ミサイルなのか。

さて、本題の「トロッコ」である。
「トロッコ」と言えばもう、芥川龍之介の短編小説「トロッコ」である。

小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平が八つの年だった。・・・で始まる。(明治41年12月に開通)

あらすじは・・その工事現場で使う土砂運搬用のトロッコに良平は興味を持っており、ある日、トロッコを運搬している土工と一緒にトロッコを押すことになった。
どんどん進んで遠くまで来てしまったが、途中で土工に遅くなったから帰るように言われて、良平は一人暗い坂道を駆け抜けた。家に駆けこんだ時、泣き出してしまう。
その時のことを、大人になった良平が回想するシーンが、最後に出て来る。

この題材はジャーナリスト力石平三の実体験の潤色らしい。

この「トロッコ」を題材に尺八家の堀井小二郎が朗読と邦楽器のコラボレーションの作曲をした。(堀井小二郎は福沢諭吉の孫だった)
言わば交響的物語「ピーターと狼」みたいな作曲だ。

私が大学3年の時だった。ラジオでこの曲を聴いて演奏会でする積りだった。
堀井小二郎宅は大田区池上にあり、一人で出かけた。

7孔尺八演奏家でもあり、尺八曲も何曲か作曲していた。
頼み込んで「トロッコ」と尺八二重奏曲「流転」などの楽譜をいただいた。

この「トロッコ」を2年生にやらせたが、少し難しかったかも知れない。
すっかり忘れていたが、46年振りに楽譜が見つかった。
それによると楽器編成は、尺八4本、箏3面、十七絃、打楽器として、鉄琴、やすり、ギロだった。

鉄琴、やすり、ギロは堀井先生からお借りした。これは土木作業の工事現場の音としての効果音である。
なかなか考えたものである。

先ず、箏のトリルで始まり、尺八がメロディーで加わる。そして尺八のカデンツァもある曲調から、工事を思わせる打楽器が入ってやっと朗読の「小田原熱海間に」と始まる。
トロッコに乗って走るシーンは箏の「シューシュー」の技法で段々早くして行くところは、本当に走って行く感じが上手く表現されていた。

多分、私が指揮者をしたと思う。
朗読は男性のイケメンであり、声も透き通ってきれいだった。
あらかじめ楽譜上に、ここから朗読の目安が書いてあったが、実際にはところどころ鉛筆で書き直してあった。放送のテープを参考にしたのか、あるいは独自に考えたかも知れない。

小説の最後の大人になっての回想シーンの朗読は無かったと思う。

さて、実は、私にこのような実体験があったのだ。
まさしく私も同じ思いだった。それは七つの年だった。

正月に父の小学校同級生の新年会が、生まれ在所の信州時又の割烹「油屋」であった。
時又は当時竜丘村で今は飯田市。「油屋」は今でも存在するらしい。

私の実家は旧飯田市内で、飯田駅から電車で時又駅まで約20分位で着いた。
途中、酒屋に行き父は酒を買い、その時にお年玉として、小さな徳利を貰った。

これを私にくれると言われて、嬉しくてたまらなく自宅に帰っても「僕のだ」と言い張って大事にしていた。それで酒を飲んだ事は無い。
大学生になって帰飯した時にもあり、懐かしかった。

父の実家がある竜丘村長野原までは、時又駅から田んぼや坂道、藪の中を登って20分位かかった。先ず、私を親類に預けるのである。親類には一歳上のいとこがいた。
そこで、かるたなど遊んだと思う。
しかし、帰る時は一人である。その時までは何も考えてもいなかった。

夕方、別れを告げて「時又」の駅に向かったところちょうど、結婚の行列に出くわした。
そのお嫁さんに見とれてしばらく見ていた。時計など持ち合わせてはいない。
おばさんはちょうど良い時間に送り出してくれたはずだ。

お嫁さんを見終わって、「時又駅」に着いた時はもう電車は出発してしまった。
飯田線は本数が少ない。路頭に迷って、少し引き返してはみたものの、途中まで戻っても仕方がない。
行き場所に困って一人寂しさを覚えた。山の中の夕暮れは早い。

次の電車に乗り、悔しさと反省もしただろう。悲しさを電車の中で窓際に立って、ひたすらこらえていた。

自宅に着き、母の顔を見て一気に泣き出した。まさに良平と同じである。
0

2016/3/14


枕(マクラ)と言えば、落語の本題に入る前の話で、時事ニュースや本題に関した話など結構面白く、知らない内に本題に入るのが名人である。

さらに思い出すのは、「枕草子」で平安時代に清少納言により執筆された、随筆である。

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆくーーー」
「夏は夜。月のころはさらなりーーー」
「秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。−−−」

この烏が飛ぶ様の、「三つ四つ、二つ三つ」の表現が、「実に素晴らしい」と高校の国語の轟先生から教わって、私も感嘆の声を上げた、とはオーバーだろうか?情景が目に浮かぶのである。

何しろリズム感があって、普通に「一つ二つ、三つ四つ」では面白くないからである。

そんな高校時代から50年。肩痛やら、いびきなど眠りに悩まされてきた。

2年前に地元紙に載った、「まくらぼ」の宣伝を見て八王子東急スクエアに出かけた。
「まくらんぼ」ではありません。

「オーダーまくら」として、「人生の3分の1は睡眠の時間です」がキャッチコピーだ。
「永久メンテナンス付き」ともあった。

自分にあった枕を作ってくれるのだ。25000円(税別)とちょっと高いが、肩が痛いのは枕のせいだと思っていたので、相談してみた。

人はそれぞれ頭の形が違うから、私の頭を計測し私に合わせた枕を作ってくれた。
この時点では、もちろん半信半疑である。

自宅に持って帰って使用したところ、うまくフィットして家人に「いびきがうるさく無くなった」と言われたし、肩の激痛が改善したのは良かった。

買ったのは年末のセール期間中で、抽選のため名前などを書いて箱に投函した。
私はくじに当った試しが無いくらい、運が悪い。

ところが、5000円分の商品券が当った知らせが来たのだ。(500円券を10枚)
喜んで、東急スクエアのレストランで使いまくった。

8階のそば・丼の「笹陣」、イタリアン「ナポリピッツァ&パスタ マル」、9階の和食居酒屋茅ヶ崎「海ぶね」を利用して、特に「マル」のランチが気に入った。
平日のランチは2種のパスタとサラダや、ドリンクがついて、お得である。

いつ行っても知っている係り3人が、気持ち良く迎えてくれて味も良い。

先日は、枕の「無料メンテナンス」の知らせがあり、高さの調節をしてもらった。
やはり使えばへこむので、調節は必要である。
枕は割と大きく、中は8か所のポケットがあり、それぞれ堅さの違うビニールパイプが入っている。

除菌などしていただいた為かなりの時間を要したが、代わりの担当者がそばに来たので、つい私のこのブログについて話をしたら、「非常に面白く楽しい」と喜んでくれた。
話に夢中になり、時の経つのも忘れていた程だった。

そうこうしてしているうちに、メンテナスが終了して枕を受け取った。
無料でしかも、風呂に入れるイタリア製の「バスソルト」をプレゼントしてくれた。

3〜4人の係りの人が丁寧に見送ってくれた。皆さん笑顔で気持ちが良い。

このブログをアップするような話をしたので、多分見てくれるかもしれない。
0

2016/3/12

他人の空似  随想・徒然竹

カテゴリーを吉田兼好の「徒然草」をもじり、「随想・徒然竹」としてみた。
「つれづれぐさ」なら私は「つれづれだけ」と発音しようかなと思った。

誰でもそうであるように、「誰々に似ている」と言われると、うれしい時もあれば嫌だなと思う時がある。

私も過去、何人にも「誰々に似ている」と言われてきた。
面と向かって笑いながら言われると「ムッと」する時もある。

小学校3〜4年の時だった。
当時の内閣総理大臣は岸信介(1898〜1987)であったが、未だテレビが無い時代だ。
一般の人はラジオで聞くか、新聞の写真で見るしかない。

岸総理は1957(昭和32)年2月から1960(昭和35)年7月まで内閣総理大臣だったが、彼に私が似ていると自宅に来た爺さんが言っていた。私は嫌な気分はしなかった。

ところが、どこで噂が広がったのか知らないが、運動会での「かけっこ」の時に走っていたら何と「岸がんばれ」と声がしたのである。ハッキリと聞こえた。決して爺さんの声ではなく、若くハリのある透る声だった。あきらかに私に向かって発せられた言葉だ。

皆そう思っていたのかも知れない。丸刈りの坊主頭だったが似ていたのだろう。

尺八を始めて4年頃、青木鈴慕先生に連れられて演奏会に出た時、係りの人に「兄弟ですか?」と聞かれ、これには先生もビックリで笑っていた。演奏のスタイルは似るであろうが、顔はどうなんでしょう。

長じて会社で言われたのは「チャールズ皇太子」これは良い。

会社の旅行で若いアルバイトの女性に言われたのは「チンペイちゃん」これは知らなかったが、谷村新司のあだ名だった。少し頭が禿げ上がってきた頃だ。

自営業で新宿に通っている頃の総理大臣は「福田康夫」で私と同じ名(本名)である。
その彼に似ていると、中華店の主人が言うのである。またしても内閣総理大臣で悪い気はしない。

最近になって言われたのは、元中日の和田一浩選手。
元の会社の先輩で、新宿で会って時々飲む度に言われる。

残念ながら昨年引退したが、現役時のスポーツニュースでテレビに出る度に、私もバットを構えた横顔が似ていると思った。
HP掲載の写真をご覧になれば、似ていると思うかも知れない。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ