2018/6/13

米朝首脳会談  旅行

2018年6月12日、ついに「米朝首脳会談」がシンガポールで行われた。

落語好きには「米朝」と言ったら、桂米朝を思い出すだろうし、「朝米」と言えば「長兵衛」を思い出すのは私だけか。

さて会談の内容は新聞などのメディアにゆずるとして、シンガポールについて書こうと思う。

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私達は2年前の2016年7月中旬にシンガポールに旅行して、16日・17日はグッドウッド・パークホテルに泊まった。

繁華街の「オーチャード」に近いホテルである。

その西側近くにある「シャングリラホテル」にトランプ大統領が泊まり、金正恩委員長は「ザ・セントレジス・シンガポール」に泊まったのである。

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私達は翌18日に「マーライオン」で有名なマリーナ・ベイ・サンズに泊まった。改めて撮った写真の未公開もあったので、ここに掲載したい。

マーライオンの裏側にそびえ立っているビルに家内の甥が勤務しており、その時に合流してシンガポールを案内してもらった。

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なんでここに掲載するのかと言うと、盛んにNHKテレビ「ニュースウオッチ9」のバックとしてここが映ったからである。

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これが「マリーナ・ベイ・サンズ」で我々6人は一番左側の50階の「スイートルーム」に泊まった。
屋上は地上200メートルでプールがある。もちろん我々男性はプールに入った。プールの縁に行けば怖い位だ。

証拠写真はあるのだが、ガリガリ痩せた私の上半身はとても見せられない。
この屋上を金生恩氏は見学したそうである。


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帆船を模して作ったホテルで、上層は反り返っているから、手前までが良く見える。

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私達が泊まった「スイートルーム」である。
申し込み時は2部屋だったが行き違いがあり、「スイートルーム」を用意してくれたのだ。

大きな風呂が二ヶ所、トイレは三ヵ所あり、キッチンに置かれていたネスカフェのバリスタコーヒーは飲み放題だった。

とは言うものの、実は朝食は1階のスーパーで前日購入したパン類だった。

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手前はマリーナ貯水池で、向こう側にマーライオンが見える。

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反対側のこちら側の海はシンガポール海峡。セントーサ島はこのずっと右側に位置するはずである。
我々は一度は計画の中に「セントーサ島」があったが、時間的に無理があり、この島には渡らなかった。

シンガポールはすばらしい。トランプ大統領も金生恩委員長も絶賛していた。
もう少しゆっくり観光でもすれば、その良さが分かると言うものだが、過密スケジュールでは無理だろう。
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2018/3/21

諏訪〜南信州  旅行

3月17日(土)朝7時29分発の八王子駅から、新型車両E353の「特急あずさ」に乗り、先ず上諏訪駅に向かった。

新幹線並みとはいかないけれど、揺れは少なかった。全席コンセント付きである。
富士山の見える左側の席を確保して、まさに良い天気で、よく見えた。

母の一周忌で田舎(飯田)に行く途中で上諏訪に寄ったのだ。

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上諏訪駅には9時14分着。時間の余裕があったので諏訪湖畔を歩き、「原田泰治美術館」を見学することにした。

諏訪湖に着いたところ、目の前に「D51」が展示してあった。
機関車は小学5年生の時、修学旅行で諏訪に来て初めて見た時、その車輪の大きさにびっくりした事を思い出した。
(飯田線は電車だから、汽車は知らなかった)

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上諏訪駅から諏訪湖畔を歩くこと、約35分で「原田泰治美術館」に着いた。
さすがに諏訪の風は冷たい。今の時期、晴れれば高い山に残雪がキレイだ。

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「原田泰治美術館」を訪れるのは3回目である。父の米寿のお祝いを諏訪のホテルで行った時と、私の家族と来たことがあった。

今回の企画は「美しい日本の童謡・唱歌展」であった。
実はこの原画展は、東京大丸ミュージアムで開催された時にも私は見に行って、原田泰治先生と写真を撮っていただいた。

その写真を撮ってくれたのが、高校同級のK君であり、今ここの館長だと聞かされ、びっくりしてしまった。

原田泰治の絵は朝日新聞の日曜版で知り、切手にもなったし、細かいところまで良く書かれていた。

素晴らしい絵画を見学して、カフェもあったので上諏訪駅前で昼食の予定を変更して、丁度11時になったのでここでランチにすることにした。100円の割引券をいただいたからである。

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ガラス張りのカフェから諏訪湖を望み、「梅としらすピラフ」をいただいた。「サラダ」「コーヒー」付きである。連れは「サンドウィッチ」でデザートの「ヨーグルト」付きだった。
(ガラス越しに写したが綺麗に撮れた)

今冬は格別寒く、全面結氷で御神わたりが見えたと言うニュ―スはご存じだと思う。
私の自慢はここで小さい頃、父に連れられてスケートをしたのである。
飯田から朝早く電車に乗り、一日がかりだった。

さらに「白樺湖」や「蓼の海」までバスで登り、スケートをした事もあった。屋外の天然氷だったので足元の冷たい事、この上なかった。

私の全盛期は清水宏保より遅いが、結構速かったよ。今でも自信はある。

「原田泰治美術館」から上諏訪駅行バスの時刻が合わず、タクシーを呼んだ。
上諏訪駅13時08分発の松本行に乗り、岡谷駅で飯田行に乗り換えた。

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めざすは飯田線の伊那大島駅で、15時22分着の予定だった。

ところが岡谷駅から「客の対応」で5分遅れで出発して段々遅くなり、ついに12分程遅れた(ほとんど無人駅だから、各駅で車掌が切符を回収したり、発行したりで忙しい)ので、伊那大島駅まで迎えのマイクロバスを予約した手前、心配をしていた。

宿は「まつかわ温泉清流苑」だ。
事前予約の時に「着いたら電話しましょうか?」と聞いたら「しなくても良い」と言う返事であった。

ところが下り電車と上り電車が同時に着き、下りが先に出発して、我々は飯田行の上り電車が通り過ぎるまで遮断機が上がるのを待っていた為、遅くなってしまい、マイクロバスが我々を置いて出発寸前だった。

あわてて車に手を振って載せてもらった。「もう来ないかと思った」と運転手さんに言われたが、我々二人きりの迎えであった。
(やはり電話しておいた方が良かったのかも知れないと思った)

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人気があるらしく駐車場はいっぱいだった。宿泊しなくとも温泉だけでも利用が出来る。

「清流苑」は松川町の経営で、実は深津町長は高校の同期で、東京の大学寮「信陽舎」でも一緒だった。
そんな事もあり、今回宿泊地に選んでみた。

夕食は6時からだったので、先ずお風呂に入った。
脱衣場で下着を脱いで、まさに入ろうとした時に「北原君」と声がかかった。

隣をみると、高校同級だったS君だった。彼は東京から地元に帰り、「3月いっぱい有効の温泉の割引券があるから」と来たらしい。

天然温泉で、しかも薬湯、スーパージェット、ラジウム、足湯、露天風呂、サウナと素晴らしい温泉だった。

夕食は宴会場で、「歌謡曲」が流れていた。「珍しいな」と思ったら、「清流苑情歌」だと言う。「林を通れば 蝉しぐれ−−−愛の宿 ああ 松川の 清流苑」

先ず生ビール。食前酒、ホタルイカ酢味噌、刺身、鯛花びらき焼き、しらうおの玉子とじ鍋、茶わん蒸し、鯉の甘露煮、春の天婦羅(独活=うど等)、ちらし寿司、デザートなどで腹一杯だった。

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清流苑のロビーを飾る、吊るし雛。

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18日(日)は6時に起床で、すぐに風呂に入ると誰も入っていなかった。さすがに露天風呂は寒いから止めた。
私一人の貸切を満喫する間もなく、オジサンたちがゾロゾロ入って来た。

朝食は通常8時のところ、電車の都合で7時30分にしてもらった。
サラダ、温泉玉子、アマゴ開き、キノコ入り鍋、納豆、ノリなどで、さらにクロワッサンやコーヒーも飲めた。

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          伊那大島駅から南アルプスを望む

飯田まで行くのに八王子駅から飯田駅まで通しで(3日間有効である)乗車券を買えば良いものを、何故か勘違いして伊那大島駅までを買ってしまったので、又飯田駅までの切符を購入しなければならない、という事にやっと気が付いた。

再びマイクロバスに乗せていただいて、伊那大島駅に着いた。
駅窓口で切符は買えた。駅ホームの待合室で80歳過ぎの元気なおばさんに方言で話しかけられた。
「わしゃーずっと伊那大島で住んでおるんだに」「清流苑を褒めてくれてうれしいよう」

伊那大島から見た南アルプスは壮大だ。写真では分からないが塩見岳などが遠くにそびえたっている。

電車は9時8分発の飯田行に乗る。

9時35分に飯田駅に着き、時間が無いので実家には寄らず、法事の会場である箕瀬町の「長源寺」に向かった。

10時に長源寺集合だったので、朝一番の中央高速バスでは間に合わず、一泊したのだった。

10時に親類も集合、10時30分から母の一周忌の法要開始。墓参りも済ませて「今宮半平」で昼食。

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「半平」さんの社長ご夫婦は飯田高校の後輩だとの話だった。
法事コースで刺身、鍋、天婦羅などで腹が一杯となり、写真の後に出て来た名物の「五平餅」は食べきれず持ち帰った。

帰りは飯田駅前発午後4時の「中央高速バス」で我々は一番前の席だ。途中富士山がうっすら眼前に見えた。

小仏トンネル辺りから渋滞で1時間30分遅れた。その為に、車中で「五平餅」が食べられた。相変わらず美味い味だ。

我々は「日野バス停」で降りたが、二人きりだった。こういう時は一番前の席が有効である。
「多摩モノレール線」の「甲州街道駅」まで歩き、高幡不動駅から「京王線」に乗った。

高幡不動駅から何と新しい座席指定車「京王ライナー」に、「これから先は座席指定券なしで乗れます」の表示があり、これまた新型車両に乗れた。

「北野」までひと駅で空いており、ほとんどの席が前向きである。自宅には22時過ぎに着いた。

このブログを書いている21日(春分の日)に何という事だ。雪が降り積もったではないか。
旅行中は天気に恵まれた事に感謝する。

4月に入ると桜で有名な高遠城址公園はJR「伊那市駅」からバスで行ける。
見事な桜見学の後に「松川町」にある「清流苑」に寄ったらいかがだろうか。
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2017/12/5

'17出雲旅行記 そのW  旅行

出雲旅行4日目(11月29日 水曜日)
前日の夜から雨が降りだした。旅行中は初めての雨である。

三朝川沿いのホテルだったので、川の流れの音は就寝中もしていた。
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ホテルから見た三朝川。川の右端左岸には露天風呂があり、おじさんが入っていた。

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朝風呂は昨夜とは入れ替え、右の湯に入った。とにかくいくつもの湯船があるので楽しめる。
日本一のラジウム温泉で、回遊式の大庭園風呂である。

ホテルエレベーター前では、7時には朝市を行っていた。
鳥取に来たら、錦織圭が言った「のどぐろ」である。自分達への土産とした。

昨夜、行けなかったホテル近くの「三朝バイオリン美術館」は雨の為、見に行けなかった。

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朝食はシルバー(魚)焼き、梅干し入り茶わん蒸し、天婦羅、湯豆腐、のり、ジュース等だった。

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ラウンジで珍しい「栃の実コーヒー」を飲む。美味い。独特の香りもある。

昨夜にライトアップされた庭園のもみじはきれいだったが、目の前は雨の庭園だった。

向こうに見える茶室みたいなところに、天皇陛下がお泊りになったそうである。

いよいよ最終日である。着替えをしようと思ったら、何とバッジが出て来た。二ケ目である。
考えたら、私はバッジを帽子につけており、初日の晩に「どじょうすくい」を見に行く為に外して、ニットウエアのポケットに入れたのをすっかり忘れていたのだ。

そして翌日、鏡台の前にあるバッジを私が着けてしまったのだ。
妻には悪かった。もちろん添乗員さんには内緒だった。

バスが9時出発の頃には、もう雨は上がっており、旅行中は一度も傘をささなかった。
いよいよ最後の見学地は鳥取の砂丘である。

バスは倉吉市の「鳥取二十世紀梨記念館」、「琴桜銅像」がちらっと見えた。さらに中国庭園や「はわい温泉」を左に見て、日本海に突き抜けた。

その後は、日本海を左に見ながら、沿岸を走る。
座席は毎日指定されるが、7列目だった。隣がいないので妻は左端窓際、私は右端窓際だった。妻は日本海が良く見えたハズである。

浜村温泉を通過するときには、吉永小百合主演「夢千代日記」の話を聞いたり、白兎伝説、鳥取砂丘コナン空港ではまさに飛行機が飛び立って行く様を見られた。バスガイドが走行中に見られるのは珍しい、と言っていた。
日馬富士が乗っていたのかしら。

やがて鳥取砂丘に着き、先ず「砂の美術館」を見学する。
屋外の展示でいきなりトランプ大統領に会う、とは思わなかった。

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ここは毎年テーマを変えており、今年は「アメリカ編」である。
見たい方は、来年の1月3日までである。

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展示室のエントランスは「ハリウッド」で私の好きなマリリンモンローが迎えてくれた。
その他チャップリン、ジョンウエイ、ジャックレモン、オードリヘプバーンかな。

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テーマは「アメリカの音楽」で後方に、ルイ・アームストングも見えた。
やはり砂であるから、写真は上手く写らなかった。

それにしても巨大な作品で、作者もアメリカ人のみならず、ロシア人までもが製作していた。

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奥は「マウントラシュモアとグランドキャニオン」であるが、その迫力が出せない映像で歯がゆい。

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「砂の美術館」を出ると、鳥取砂丘であった。ラクダが見える。

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有名なくぼみである。朝方雨が降ったので砂は湿っていて、砂は飛ばないし良かった。

我々は29日だったが、この砂丘で「ポケモンGO」のイベントが24日から26日まで行われ、約9万人も集めたそうで、週刊誌にはこのくぼみに大変な人出が写されていた。

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確かに、縞模様が出来ている。

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砂丘の突端は高くなっており、その先はやや急な坂で日本海はすぐ目の前だ。
帰りはリフトで上がってきて、着いたところがレストランだ。上手く出来ている。

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昼食は2階に上がり、四段重ねのせいろ(アサリご飯、イカスミ入りそば、鮭、など)と蟹酢、ボタンエビ。

蟹は食べやすかったが、ボタンエビは皮が剥いて無く、何匹も食べるのに手が汚れて、臭く大変だった。旅行中はほとんどが宍道湖(?)のシジミ味噌汁、カニ三昧、エビ三昧だったのは良かったが。

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鳥取砂丘を後にして、バスは鳥取自動車道を通り、一路岡山駅に向かった。
ずっとしゃべり通しだったバスガイドさんは、昼寝タイムを設けてくれた。
旅行中、私はバスガイドさんの話に聴きほれていたし、疲れも無くほとんど寝なかった。

途中ここでトイレ休憩をした後、ご当地ソングとして伊吹友里が歌った「好きだから松江」を歌ってくれた。上手い。
ご当地ソングの水森かおりが歌った「鳥取砂丘」ほどヒットしないので、残念だと言っていた。
(バスガイドさんは松江出身である)

そうこうしている間に、別れの挨拶が始まり、無事岡山駅に着いた。
バスガイドさんが旅行中話しをしていた内容を取って「50年後に又来るよ」と、冗談を言ってバスを降りた。

後は16時53分発の新幹線に乗るだけだが、待ち時間は1時間もあったので、買い物とコーヒーが飲みたかった。

買い物は新幹線の中で飲む「独歩」ビールと、ワンカップ「雄町」は自分の自宅用だ。
岡山駅ビルの「さんすて館」のVIE DE FRANCEでメロンパンとコーヒーを飲む。

やがて「のぞみ42号」が来た。

最高齢は89歳のおじさんで、杖をついてはいるもののカメラに必死であり、奥さんそっちのけで本当にバシャバシャ撮っていた。

旅行中は天気に恵まれて、大社様のご利益があったと思われます。

新幹線の中ではタルタルフィシュサンドと、キッシュロレーヌ、独歩ビールを堪能した。独歩は独特の苦みがあって旨い。

新横浜駅に着く頃、添乗員さんとお別れの挨拶時、デッキで家内が「早くお嫁さんに行くといいですね」と言ったので、私はすかさず「いや、結婚しない方がいい」「何で?」「ずっと添乗員さんでいてくれたら、又会えるから」と言ってしまった。

新横浜駅(19時54分着)では、添乗員さんは一度座席に戻ったが我々が見送っていたので、再びデッキに出てきて見えなくなるまで別れの手を振っていた。
やはり情の厚い日本人である。
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2017/12/4

'17出雲旅行記 そのV  旅行

出雲旅行3日目も晴れである。(11月28日 水曜日)
6時起床で、朝風呂に入る。

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9Fのラウンジから大山の日の出が見られると聞いたので、7時前に行ってみたのだが未だ早かった。(ピンボケしてる)

ラウンジは別のお客さん達の朝食場所だったので、日の出まで待てず部屋を出た。

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朝食は画像設定に失敗。残念ながら旨そうに見えないが、ハタハタ、カレイ、温泉玉子、蕎麦と湯豆腐、とろろなど。
ご飯が少なめだったので、珍しくおかわりをした。

バスは今度は前から2列目の左側で、良く前が見えた。

いよいよ期待していた「足立美術館」である。
ここは地元の実業家、足立全康(明治32年〜平成2年)が昭和45年に開館させた。

美術館と一体となった50,000坪の庭園は日本一と言われる。足立全康は小学生の頃から庭に興味を持ったそうである。

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団体で入ると、皆にスマホ的な音声ガイドを一人一人くれる。
日本人には説明書きを見れば分かるので、結局あまり使わなかった。
英語や中国語もあり、外国人には便利だろう。

名画、陶芸のコレクションもさることながら、庭園も素晴らしい。
ここは、館内にある「寿立庵茶室」の前である。

茶室の撮影に失敗したので映像が無いが、ここで和菓子と抹茶をいただいた。
抹茶はコレクションの器だから、一人一人違うのだ。

係りの若い女性から一人一人の前でお辞儀をして、抹茶を置いて行くのだが、その器の作者を述べて行く。

私のは巨匠「河井寛次郎」の息子さんの作品だった。
羊羹風の和菓子をいただいて、抹茶を飲んだがやはり苦い。

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枯山水庭は午前中の為、手前が日陰になってしまい残念である。
しかし、きれいだ。

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見事である。この日はNHKの中継もやるらしく、機材が運ばれていた。
ここに限らず、道中も天気に恵まれ、紅葉が実に綺麗だった。

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ここは池庭。やはり現地に行って見るのが一番だ。
美術館内は撮影禁止だから、映像は無い。

大展示室には、文化勲章受章者の作品ばかりを集めていたが、壮観である。
竹内栖鳳、上村松園、「王昭君」の安田靭彦、「楊貴妃」の小林古径、河合玉堂、鏑木清方、前田青邨、西山翠嶂、川端龍子、徳岡神泉。

そして横山大観特別展示室は、横山大観のオンパレードであった。
それは見事な「紅葉」などがあった。

陶芸館には「河井寛次郎」「北大路魯山人」の陶芸作品、新館では現代日本画の大きな作品が展示してあった。

タップリと時間を取ってくれたので割合しっかり見られた。

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美術館を出ると竹垣があり、本物の「紅葉」であったのでここで記念写真を撮った。

昼食はすぐ目の前の薬膳料理の「双葉」である。

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我々のツァーで昼は貸切。黒ムツ焼きに天婦羅などいただき、またもや「どじょうすくい」を見させてくれた。

ここのご主人で、「どじょうすくい」にも資格があり、彼は準師範だそうだ。
だから、前日の「どじょうすくい」より、幾分不慣れを感じた。

腰ふって歩くのが難しいらしい。鼻に一文銭を付けるのが本物だと言う。

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ここは国宝松江城である。四重五階天守、地下一階付となっている。1611(慶長16)年に堀尾吉晴が築城。

好天で素晴らしい。

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全国に現存する12天守の一つで城の高さは約30m。階段は急勾配だ。

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松江城の周りには堀川があり、遊覧船で見学できる。
このツァーは松江城見学か堀川遊覧船を選択出来て、我々は松江城にしたのだ。

昨年は松山城に高知城で、名城めぐりもかなりしてきた。

松江城からバスは宿泊地の、鳥取県三朝(みささ)温泉へと向かった。三朝温泉は有名らしいが私は恥ずかしながら、名前も読み方も知らなかった。
高濃度のラドン含有量を誇る。

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ホテルは三朝川に面している「依山楼岩崎」だった。

夕食まで時間の余裕があったので、温泉街を散策することにした。
すぐ近くにラジウムで有名なキューリー夫人の銅像があった。毎年キューリー祭りがあるそうだ。


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地図を頼りに散策をしたのだが、繁華街と言っても昭和の風情を残した、こじんまりとした町だった。

風呂は一階にあるのだが、幾つもの湯船があり、階段を上がって二階にも風呂があった。左の湯に入る。
ラジウム蒸気風呂もあったが、時間外だった。

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夕食は最終日の宿泊だから解禁して、生ビールを飲む。

食前酒は北条ワインかりん風味に始まり、砂丘長芋蟹豆腐、刺身、マーブルポーク蒸し焼き、カニみそ豆腐、海老芋、鳥取牛・とちもちしゃぶしゃぶ、紅ズワイ、らっきょう、プリン等だった。

仲居のおばさんが一人で、てんてこ舞で見るに見兼ねて、私はタジン鍋の蓋をワゴン車に置きにいった。

夕食中、携帯電話がブルブル鳴ったので出てみると、尺八の後輩から飲み会の知らせで「今は出雲の方に旅行中だから、後程連絡する」と言って、この時の話を肴に後日飲んだのだ。

手荷物を減らすため、宅急便の手筈を取った。

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夜8時30分から、1階のラウンジでビィオラの演奏があると聞いたので出かけた。
生原幸太さんで「ふるさと」や葉加瀬太郎の曲を演奏してくれた。

彼は「山陰のトワイライトエクスプレス瑞風」車内でも演奏をしているそうだ。私は独奏を聴くのは初めてだった。

ラウンジのガラス越しのライトアップされた、もみじが実に綺麗で、ビィオラはその豊穣なる響きとテクニックの素晴らしさで聴きほれた。特に和音まで綺麗だった。

近くに「三朝バイオリン美術館」があり、バイオリン製作の講師を昨年まで行っていたそうだ。

演奏終了後は話がしたくなって、尺八の「藤原道山を知っていますか?」と聞いたところ知っていると言う。

もう客はいなかったが、私のリクエストで「A列車で行こう」を頼むと、ものの見事に演奏してくれた。音楽仲間は話が合う。

彼の演奏はYouTubeで「ビィオラ 生原幸太」で聴けます。
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2017/11/30

'17出雲旅行記 そのU  旅行

玉造温泉2日目晴れ。(11月27日 月曜日)

5時30分に起床して、すぐに今度は1Fの風呂に入る。これは気持ちの良い風呂だ。
美肌の湯と言う位、肌がすべすべになった。

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朝食は6時40分からの和・洋・中バイキングで何でもござれだ。
やはりバイキングだと、おかゆを取る。納豆、豆乳豆腐、マグロカツ、ハタハタや目玉焼き、等にフルーツ。最後にはカフェラテも飲んだ。

ここは全てに美味しく、精算後に「ここが今までで一番おいしかった」と、鞄を運んでくれたおっさんに伝えた。

さあバスにと思ったところ、妻が「旅行社のバッジが無い」と騒ぎ出した。慌てて妻は探しに部屋に戻ったのだが、無かったと言う。

仕方なくバスに乗り込んで添乗員さんに訳を話したら「いくらでもありますからいいですよ」と優しく行ってくれた。

ところが最終日に私が犯人だった事が判明したのだった。

バスの座席は指定されて6列目の右側だった。10分程度で「まがたま伝承館」に着いた。
ここで勾玉(まがたま)を制作するのだ。

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これは日本一の大きさの勾玉だ。

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通常はこのような「メノ―」を加工するが、我々は加工しやすい「ろう石」で製作をした。

あらかじめ、ある程度の形にしてくれてあるので、ひたすら紙やすりで磨き、水洗い後はワックスでさらに磨ぎをかけた。

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色々の形のビーズを工夫して紐に通し、何とか勾玉ができ、ネックレスになった。
これは私の作品である。センスはどうだろうか?

ある御婦人は旅行中、勾玉を付けていた。

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出雲大社に行く前に、歴史博物館に寄る。
ここでビデオによる出雲大社の説明を聞いたり、展示館を見た。

2000(平成12)年には境内遺跡から本殿の巨大柱(宇豆柱)が一組3本出てきて、いかに本殿が高い所(48m)にあったかが証明された。

これは縮小された当時の模型である。

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ついに出雲大社に来た。
10月、大学の出雲駅伝はここの石段下がスタート地点だ。(今年は東海大学が優勝)

ここが入口かと思ったが、二の鳥居である。
すぐ目の前には「スターバックス」があった。出雲大社は島根県である。

鳥取県知事の「鳥取にはスタバはないが、砂場はある」が有名だったが私は、ここかと思った。
とにかく鳥取県知事のアイデアには、島根県も負けるそうだ。

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参道は珍しい下り参道で、下りきったところに拝殿がある。1959(昭和34)年の総ヒノキ造り。

パンフやテレビで見るしめ縄とは違い、随分小さいなと思ったら、大きいしめ縄は別のところにあるとは知らなかった。

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屋根だけが見える御本殿には一般客は中に入れず、屋根しか見えない。
日本最古の神社建築様式で、1744(延享元)年に完成。60年に一回屋根の葺き替えを行う。
我々は周りをぐるっと回っただけだった。

旧暦10月10日に神迎祭が行われるが、今年はちょうどこの日(27日)で、夜7時から行われたそうだ。

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神楽殿。これが噂の大しめ縄である。
ここで結婚式が良く行われおり、家内のお弟子さんも今年ここで結婚式を挙げたそうだ。

昔私がT百貨店に勤務の頃の後輩が会社を辞めて、この近くに帰ったと思い、調べてみたらまさに大社町だから、近くに住んでいるのだろう。

大社見学後、このC社ツァーは特別に「カニ汁」をいただけた。
この地方には珍しい良い天気に恵まれて、暑い位だった。

昼は割と近くの「島根ワイナリー」に行って、バーベキュー。ここでも島根牛の美味しい肉をいただいた。先ず赤ワインで乾杯。4人で丸卓を囲んでそれぞれ焼いた。

場所を移して、土産物店ではワインの試飲もさせてくれて、300mlの甘い白ワインを買った。
急いでいたので甘口を買ったのだが、辛口は別の場所にあったのだ。

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出雲大社を後にして、一畑(いちばた)電車(通称ばたでん)の出雲大社前駅に向かう。
2両編成の電車を貸切である。この電車は特別臨時電車で、1両を改装して全席が同じ窓ガラスの方を向いている。

乗った時は全員左側を向いており、宍道湖は右側のハズだ。
おかしいと思ったが、謎は途中の一畑口駅で解けた。

運転手は今度は後ろの運転席に移って、スイッチバックとなり、左側が宍道湖方面になったのだ。

この日は未だ夕映えではなかったが、実は出雲に来たかったもう一つの理由は、舩川利夫が作曲した「出雲路」を思い出したからだ。

出雲路は「清水寺の暮色」「祭」「宍道湖の夕映」の三部になっており、4年前のおさらい会で演奏していたのだ。(箏2面、十七絃、尺八)

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途中でカラフルな電車に会い、その都度ゆっくり走ったり、ここは停車もした。
鉄っちゃん垂涎のビューポイントだ。

主に京王線の中古だと言うから、もしかして昔私が乗っていた電車なら、奇遇である。

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電車内では2人の若い女性ガイドが仲居さんのような衣装を着けて、沿線の説明や抹茶と和菓子のサービスがあった。我が飯田線もこのように考えればいいのになと思ってしまう。

駅名が難しく、クイズになった。
秋鹿町、伊野灘、園、旅臥、美談、川跡、武志、遙堪など読めるかな?

読み方の答え(あいかまち、いのなだ、その、たぶし、みだみ、かわと、たけし、ようかん)

バスも一畑バスの大型で座席に余裕があったし、バスガイドがよどむことなく上手かった。
彼女は松江出身で、歴史も風景の説明も立て板に水であった。

中海を左手に見て、安来市を通る。
「やすき」と思ったら「やすぎ」が正解だった。

バスガイドさんは歌も上手く、鳥取県民謡「貝殻節」も歌ってくれた。
ホタテガイが大量に取れた時の労働歌だった。

この曲には思い出があり、若い頃尺八を教えていた頃、弟子の会社の人達と新宿の歌舞伎町スナックで飲んだ時に、その知人が大きな声で貝殻節を歌っていたので、覚えたのであった。

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2日目の宿泊は境港市の南側、皆生(かいけ)温泉つるや。
ホテルから見た大山(だいせん)は1709m。中国地方の最高峰であり、雪をいただいた大山は山陰の象徴であろう。

因みに同じ漢字でも、神奈川県にあるのは大山(おおやま)である。

先ず、大浴場と露天風呂に入る。日本海に面しており塩分を含むらしいが、石鹸は泡立ち、いい湯であった。

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夕食は食前酒に始まり、冷酒の久米桜を注文した。純米酒で無く、味は今一つだったかな。
料理は和牛しゃぶしゃぶ、ののこ飯、メバルの煮付け、茶わん蒸し、天婦羅、水菓子などであった。

ここのカニは食べやすかったし、和牛は柔らかく美味かった。

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食事がほぼ終わった頃合いを見て、我々だけに特別に鳥取荒神神楽(かぐら)を鑑賞させてくれた。
大黒様が福の種を授ける舞など。

修了後は、恵比寿様ともども五円玉を紙で包んだものを投げてくれて、みんなで拾ったりした。妻は上手くつかんだが私は上手く受け取れず、下に落ちた子供用のお菓子だけ拾った。

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有名人が泊まった折に書いた色紙が、壁に貼られていた。杉村春子、仲代達矢、有馬稲子など。

この色紙は立川談志である。
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2017/11/30

'17出雲旅行記 そのT  旅行

俳人「松尾芭蕉」は「おくのほそ道」序文に「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。」と書いた。

私も旅人として、11月26日(日)〜29日(水)「ご夫婦で行く神話の国・出雲4日間」に行って来た。

C社のツァーは4回目である。今回の案内には「化粧台トイレ付足元ゆったりシートバス利用。勾玉(まがたま)製作・神話講座・貸切列車で魅力探訪」とあり、出雲大社に一度は行ってみたかった。

私にとって未踏だった「島根県」と「鳥取県」に行ける、絶好の機会となった。

このツァーは最少の人数が14名のところ、12組の夫婦24名も集まった。

26日は天気も良く、我々は新横浜発10時29分の新幹線に乗り込んだ。先ずは岡山駅を目指す。

早速、行先の「山陰遊悠絵図」が配られた。
当然、出雲地方を探すのだが、突然松本清張の「砂の器」を思い出した。

最初に映画で見て感動して小説も読んだのだが、その中に亀嵩が出て来たのだ。

探すと雲州そろばんの近くに亀嵩温泉を見つけた。ここだ!
近くに「砂の器記念碑」の表示があった。

映画では国電蒲田操車場での殺人事件から始まる。東北なまりと出雲の方言が似ており、「カメダ」がポイントとなり、犯人を追った。天才ピアニスト・作曲家を加藤剛が演じた。

是非「砂の器」を読んでいただきたい。

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添乗員は若くて美人のIさんで、さらに情がこもっておりラッキーだった。11時過ぎて銀座大増の弁当とお茶が配られる。

3種類のご飯が見える。美味である。

岡山駅には13時27分着。その後は「特急やくも」に乗り、玉造温泉駅に向かった。
新幹線に慣れていると「特急やくも」の揺れる事、はなはだしく感じる。
山陽から山陰の距離間隔が大体分かった。「特急やくも」は約3時間かかった。

玉造温泉駅からはマイクロバスにて、「佳翠苑皆美(みなみ)」に着いた。
ここは島根県松江市の玉造温泉で、大きなホテルだ。

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部屋についてテレビをつけると白鵬の優勝表彰式の最中だった。
早速9階の露天風呂に入る。もう暗かったので、外はほとんど見えなかった。
ここの温泉は、ちょうど良い温度の温泉だった。弱アルカリ性温泉である。

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夕食には先ず冷酒を注文。「皆美」の吟醸酒だった。
この三角ビンと全く同じものを、自宅で花瓶として使っているので驚いた。
(実は娘が結婚披露宴の引出物でいただいた酒ビンを、再利用で花瓶としている)

ここの料理は旨かった。
ずわい蟹、十六島(うっぷるい)岩のり、鯛、エビ餅、カレイゆうあん焼き、クリーム茶碗蒸し、島根牛焼きしゃぶしゃぶ、松前ご飯、デザートと盛りだくさんだった。

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午後8時30分から近くの会館で「どじょうすくい」の演芸が見られると言うので出かけた。
入場料は500円。 最初にオジサンの民謡と、女性二人の演舞は銭太鼓。


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最後は太鼓をたたいていたおじさんが、素早く着替えて「安木節」にのって「どじょうすくい」の名人芸を見せてくれた。

どじょうを捕まえるしぐさが上手い。
その後、会場から5人の希望者に、どじょうすくいの芸を教えるコーナーがあり、私もしたかったが、積極的なおばさんパワーに負けて、手を上げられなかった。

ワザとらしいおばさん芸に、連れのおばさん達はやんやの喝さいを、浴びせていたが、私は出られなかった悔しさで、とてもカメラを向けられなかった。

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2017/8/17

母の新盆と駒ケ根  旅行

母の新盆のため、8月13日に八王子駅発11時30分の特急あずさに乗り、岡谷で飯田線の各駅停車に乗り継いで、飯田駅に15時49分に着いた。

4時間以上かかる程、飯田は都心から遠いのである。

通常は中央高速バスで行くのだが、お盆の渋滞を避けるため電車にした。私は気が早く、一ケ月前の朝7時前に自転車を飛ばして、西八王子駅まで予約に行ったのである。

その努力が実り、帰りもあずさに乗り無事に帰宅した。やはり中央自動車道は大変混雑したようだから、正解である。

新盆供養は17時30分から行われ、親類筋が15〜16人集まり供養後は、酒が入った。
通常はあまり飲まない私も、ついビールに日本酒を飲んでしまった。

妻も一緒だったのでその夜はホテルに泊まり、翌日はせっかくだからと駒ケ根を見学することにした。

乗車券は3日間有効のため、八王子まで買って駒ケ根に途中下車をした。
飯田線は今では1時間に一本である。車掌が通常の10倍の乗車率だと言う。

若い頃、父親が連れて行ってくれた「光前寺」のひかり苔を是非見たいと妻が言った。

駒ケ根と言ったら千畳敷きカールである。しかしお盆の時期は大変混んでおり、ロープウェイは2時間待ちだと言う。何回か行ったし、子供を連れて混んでいる中、宝剣岳まで登ったこともあるので、今回は避けた。

「光前寺」までは不便なので、先ず駅前にいたタクシーを飛ばして「光前寺」に行った。
その丸八タクシーの運転手は親切に、駒ケ根と有名ソースかつ丼の分かり易いマップをくれて、それがすごく役立った。

あらかじめ調べていたとおり、「光前寺」の目の前の「やまだや保翁(やすおう)」で蕎麦を食べた。気が付いた方はおられますか。何故「やすおう」に行ったかを。
そうです。私は「やすお」です。その関係です。

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ここでは私は「天ざるそば」をいただいた。天婦羅に何と「りんご」があって珍しかった。

レジ精算時に若主人に、私が「やすお」であることを言って、身分証明書を見せ、その関連性で「縁だからサービスは無いの?」と言ったら、笑って「それは無いですね」と言下に断られた。

道路をはさんで、光前寺はある。

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先ずは光前寺の仁王門。参道は修理中。

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参道の石垣には「ひかり苔」が光って見える。分かるかな?

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参道は立派な杉並木となっており、ここは参道の脇道だが、一面に苔が生えている。

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ここは本堂。
正式名称は天台宗 別格本山 宝積山 光前寺とある。不動明王をまつる。
天台宗の本聖上人が清和天皇貞観2(860)年に開基した。

光前寺には「霊犬早太郎伝説」がある。小学生の時、学芸会でこの早太郎の物語を見たことがある。

光前寺を後にして、駒ケ根高原散歩マップにより、ホテルまで散歩することにした。

どんよりとした天気の中、光前寺通りの道なりに進む。
やや坂道を上ることになったが、道路は自動車ばかりでほとんど人に会わない。
車は頻繁に通るので車道と歩道は明確に、ブロックで分離されている。

うっすらとした杉木立の中、登り始めて割とすぐだった。先頭の私は、とぐろを巻いた蛇を目の前に見つけて「ギョッ」とした。蛇の名前は分からない。
マムシか、ヤマカガシか、青大将か?しかし恐れながらも見ると死んでいて、ハエが群がっていた。

歩いて10分程度で旧竹村家住宅に着いた。
国指定の重要文化財である。

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ここも以前親父に案内してもらったところである。
写真は長屋門で、その奥に主屋がある。肝心の主屋の写真が無いが、寄棟造の茅葺である。

主屋に入ると、そこが土間。右に、とおり、うまや、左側にいろり、台所、座敷がある。
江戸時代の中ごろの建築と思われ、上農の民家だそうだ。
現天皇が皇太子時代に、美智子さまと訪れた写真が飾ってあった。

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左隣に駒ケ根郷土館がある。ここは駒ケ根市の旧市役所だったのを、移築した。
大正期の洋風建築で、今は民俗文化財を展示している。
両方見られて200円は安い。

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さらに光前寺通りを登り切ったところに、「大沼湖」があり、静かな湖畔を少し散策して、今度は下り坂になった。

ほぼ下りきったところに「駒ケ池」があった。(写真)
何人か釣り人がいて、何を釣っていたのだろうか。何か釣れてびくに入れていた。

天気は曇っていて、やや疲れも出て来た。
タクシ−の運転手さんが言っていた「ソフトクリーム」の美味い所がもう近くだった。

そこは「味わい工房・すずらんハウス」で、「すずらんソフトクリーム」を購入した。250円。
これは昔、清里の清泉寮で食べたソフトクリーム同様、美味だった。

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こまくさ橋はつり橋である。太田切川を横切るこのつり橋は結構揺れる。
全長146メートル。四国旅行の大歩危峡のかずら橋ほど怖くは無いが、まるで酔っているようで浮遊感があり、気持ちが悪かった。

こまくさ橋を渡り、2日目の宿「早太郎温泉・こまゆき荘」は近くだった。
曇り空だったが、どうやらぽつりとして来た時に宿に着いた。
ざっと2時間の散策で結構、疲れていた。すぐに風呂に入りたかった。

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ここは一般の人も温泉に入れるところで、宿は2階に6部屋しかない。
ロッジ風の造りで、部屋は畳だった。

風呂はこじんまりしていたが、美肌の湯と言う訳で肌がつるつるになった。単純アルカリ温泉で41度に加温してある。

夕食はやはり風呂上りにビールだった。
刺身、茶わん蒸し、天婦羅、牛陶板焼き、ダイコン煮、うなぎかば焼き、キノコ入り炊き込みご飯を炊いた。

21時過ぎにバタンキュー。

翌朝は雨。朝6時半過ぎに風呂に入る。たった一人でゆっくり出来た。宿の水はやはり飯田より冷たかった。上手い水でこれで養命酒が上手く出来る訳である。(近くに工場があるが見学はしなかった)

この日は残念ながら終日雨だった。

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帰りの駒ケ根駅発は12時半過ぎだからゆっくり出来る。
9時30分過ぎに宿を出る。太田切川の遊歩道を上流に向かって散策。結構の雨が降って来た。
駒ケ根橋上方向の、千畳敷きカール方面はガスっている。

太田切川は木曾駒ヶ岳を源流とする一級河川である。氷河が崩れて来たのか太田切川は、巨岩や割と丸くて大きい石がゴロゴロしている。下流は天竜川になる。

駒ケ根橋を右から左に渡り、今度は下流に向かって歩いて来た。
広い太田切川に並行して流れる、幅1メートル位の川があったが、水量が多く、坂になっているため、その流れが早いこと。仮に足を入れたらいっぺんに転んで、おぼれてしまいそうだ。


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遊歩道の途中で見つけた東屋で休憩をした。その辺まで土石流が来たと表示されて驚く。
再び散歩で見つけたこの家は、古民家ウェディング「音の葉」だ。もう一度結婚式を挙げるならここが良いなあ。

昨日行った味わい工房に又来て、コーヒーで一息つく。
土産物店で、日本名水100選に選ばれた猿庫(さるくら)の泉の水を使用した、飯田の「猿庫の泉」なる純米酒を購入。これが美味いんだ。

この辺は菅の台バスセンターで広く、栄えている。
マップで見ると右方面に「キャンプ場」がある。思い出したが中学の時にこの「キャンプ場」に来て、テントを張って泊まった。クラス単位で来たと思う。

バスセンター近くを見学して、当初予定通り11時過ぎに有名な「明治亭登山口店」に入った。

もう店内は満席だと言われたが、ラッキーなことにテラス席はいくつか空いていた。
座った途端に、テラス席もあっと言う間に満席になった。

私の席のすぐ裏は川で、せせらぎ音が聞こえていた。
屋外なのに不思議に虫はこなかった。 

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駒ケ根名物は「ソースかつ丼」である。
我々は「ヒレカツ御膳」にした。食べ出してから写真を思い出したから、これこの通り見るにはやや汚いがご免。

ヒレカツは美味かったが、量があったので私は3個食べて1個残し、パックをいただき、妻の2個も入れて持ち帰って夕食にした。

食べ終わると、もう長蛇の列だった。
菅の台バスセンターに向かって歩いている時にサイレンが鳴った。

何だろうと時計を見たら正午だった。
そうだ本日は終戦記念日で、立ち止まって黙祷をした。

菅の台バスセンターでは駒ケ根駅行きのバスは出た後だったので、タクシーを呼び、駒ケ根駅まで行った。行きに親切にしてくれた丸八タクシーでやはり、前と違う運転手でも親切に駒ケ根の話をしてくれた。

まだ時間はある。駅前のスーパーで駒ケ根の地元の酒「信濃鶴」やコーヒーゼリーを購入した。
駒ケ根駅発12時46分は2両編成のいっぱいの人で、やっとシルバーシートに座れた。
可愛らしい御嬢さんの浴衣姿も多く、考えたら諏訪湖で花火大会があったからだ。

岡谷ですぐ「あずさ」に乗り換えた。我々は一番前の車両で満席だった。甲府付近でコーヒーゼリーを食べ、満足した。
無事八王子に定刻の16時01分に到着した。

千畳敷きカールには秋紅葉の時期に来たいものであるが、やはり混雑するのがネックだな。
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2016/12/5

四国旅行記 そのY  旅行

11月26日(土) 四国・小豆島旅行6日目で、いよいよ最終日である。

5時45分起床。天気は晴れ。
展望浴場は6時からなので、いつもよりゆっくりめに起きた。

浴場には小豆島の写真が展示されており、「小豆島は日本で19番目の大きさである」と書いてあった。

周囲126キロメートル、人口約28,000人、島の形は牛が左を向いている様だ。
「ベイリゾ−トホテル小豆島」は後足の付け根の部分か。

6時50分から朝食。バイキングで、会場は昨夜の隣の大広間だった。

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昨夜もバイキングだから、基本的には同じものが並んでいた。
珍しいのは、手作り豆腐くらいで、あとは定番の納豆・しらす・ポテマヨ・だし巻玉子・ソーセージ・じゃこ天・かぼちゃ・お新香など。

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7階の部屋から見た、瀬戸内海。
左側の半島の先に、「二十四の瞳 映画村」がある所だろう。

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バスは8時10分出発。最初はすぐ近くのオリーブ園の見学だ。
1919年からオリーブ栽培を始めた。朝一番だったので、もちろん我々が見学一番であった。

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オリーブ園では、若いお嬢さんが案内してくれた。
産業用として日本で最も古いオリーブ園の原木である。

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果実は6月頃から成長し、やがて緑から赤くなり、さらには赤黒くなるのもある。朝日がまぶしい。
これらは以前使用されていた、しぼり機だ。

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10月初旬から収穫し、緑の果実は新漬けに、赤黒い果実はオリーブ油や化粧品などに加工される。
あっと言う間に見学は終り、土産物店に案内されるいつものパターンだ。

オリーブ油は千差万別で、ガイドさんも「このオリーブ油に限るとは言えない」と言う。土産物屋によっても取り扱う商品が違うらしい。

小豆島産だけの場合、値段が高い。外国産との混合割合で価格が決まるようだ。
それなりの物をゲットした。

バスに乗る前に、全員に見本の「オリーブハンドクリーム」をくれた。

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オリーブ園を8時50分に出発して、9時20分、寒霞渓に到着。

こううん駅からロープウェイに乗る。隣りは若いカップルで、大きく甲高い声で大阪弁が飛び交うさかいに、うるさい。

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ロープウェイから奇岩が見える。紅葉の時期を狙って申し込んだが、ほぼ紅葉が終わってしまったかな。
目の前のカエデがロープウェイの陰で暗く、残念だ。

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山頂に近づくにつれて、岩肌があらわになる。
小豆島にこんなに高い山があるとは、思わなかった。

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上側の第二展望台から見た所だが、左下側の岩の所に鉄の輪が見える。
これは、平べったい石(かわら)を投げて輪くぐりをすると、幸運になると言う。

ツアー客が5個位(200円)投げていたが、一個も届かなかった。トランプを投げるようにすれば良いのに、とつい声を出してしまった。

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瀬戸内海を望む。絶景である。

ツアーの男性陣はいいカメラを持っているので、うらやましい。私ももう一ランク上のカメラが欲しいのだが。
そうすればもっときれいに、あざやかに、鮮明に写るだろう。

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こちらはやや下側の第一展望台から。
ロープウェイは登りだけで、再びバスに9時50分乗車。
バスは寒霞渓の頂上(612m)まで登り、あとはブルーラインを使って下りである。

意外なのは、この山が瀬戸内海にしては高い山だから、冬には30センチも雪が積もると言う。

猿もいるようだが、途中「鹿が林の中に消えて行った」とガイドさんが驚いていた。

思ったよりは大きな島だった。やがてバスは世界一狭い海峡だと言う土渕海峡を渡り、土庄(とのしょう)港に着く。10時20分。

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最後の見学地、二十四の瞳・平和の群像である。

私はすっかり勘違いしていた。それは壺井栄の「二十四の瞳」の映画の舞台となった所を見学する、とばかり思っていたからだ。そこは随分先の半島だから、今回のツアーでは行けないのだ。

思いが強かっただけに誠に残念だった。

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写真では分からないが、おなご(大石)先生の頭から鼻にかけて、鳩のフンが白くかかっていた。

あの映画の高峰秀子や、生徒たちの屈託のない表情を思い出す。

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目の前にある公園に、先生と生徒たちの石碑が円を書くように一つづつ置いてある。
まさかお墓ではあるまい。

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写し方が悪かったが、こちらは「キッチン」(徳田吉次の愛称)

壺井栄は小豆島生まれで「二十四の瞳」は創作であり、反戦小説である。
舞台となった小豆島と、金比羅さんに今回の旅行に行けて満足である。

土庄港の売店でやっと小豆島の日本酒を買った。島内唯一の森國酒造の「うとうと。純米酒」
アルコールは17度だから、普通の酒より高い度数だ。焼酎のような濃密な味だった。

時間調整してフェリーは11時出発。いよいよ小豆島を離れる。旅も終わりになって来た。

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小豆島を後にして、行く先は新岡山港である。新岡山港まで約70分あるので、まだ早いがここで弁当が出た。
「岡山 後楽園の弁当」で、お品書きまで入っていた。

鰆の白醤油焼き・舞茸とさつま芋のかき揚げ・岡山県産焼豚・厚焼き玉子・筑前煮・岡山名物祭ずし・きのこと松茸ご飯と贅沢であった。

新岡山港に12時10分着。そしてフェリーから降りて一路、新幹線の岡山駅へ向かう。

バスガイドさんの、「皆様といよいよお別れの時がやって参りました。今回お世話になったバスは何処のバスですか?」とか「後は岡山駅でしっかり買うのよ」と笑いながら、盛んに岡山をアピールしていた。

出発前には「バスに乗ったら皆さん、家族と考えましょう」と言われていたが、誠に素晴らしいガイドさんであった。

中にはガイドさんに名刺を催促した人がいたが、持ち合わせてはいなかった。
運転手さんは「イギリスのチャールズ皇太子」に似ていると私は思い、つい「チャールズさん、ありがとう」と言ってしまった。

そして添乗員さんが6日間をざっと振り返り、一生懸命さが伝わった最後の挨拶があった。

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新幹線岡山駅から見た岡山市内。目の前は高島屋だ。
1時間以上の余裕があったので、買い物をして「のぞみ28号 9号車」13時49分発に乗り込んだ。

私はグリーン車は初めてである。成るほど2席づつでゆったりしている。
ところが新横浜で一番最初に降りるからか、車両の一番前の16番C・D席で、目の前は壁だった。

我々以外は大きなキャスター付きをガラガラ引いていたが、宅急便で送った人もいたから帰りは意外と楽だった。

やっと安堵して、岡山駅ビルで買った地ビール「独歩」と簡単に「サンドイッチ」を食べだした。この「独歩」ビールは味わい深かった。

そして、再び「四国連絡特急殺人事件」を読みだした。50頁位は読めた頃、左側に大きな富士山がしっかり見えた。未だ明るかったのだ。

新横浜駅には予定通り、16時55分着。
添乗員は反対側の席だったので、私は彼を抱え混んで「大変楽しい旅行でありがとう。ご苦労様」と言った。

3組の夫婦が新横浜駅で降りた。添乗員はじめ皆さんとも手を振って別れた。6日間一緒に行動して、多少会話も出来た。
男性はなかなか無口で、ほとんど話はしなかった。

プラットホームで、「さあ」と思ったら向こうから車いすに引かれた「日野原重明」先生が通り過ぎるところで、私はすぐ分かり、手を振ってお辞儀をしたら、手を振って返してくれた。

「神ってる」が今年の流行語大賞になった。

今回はまさにそうかも知れない。何しろ私が一番心配だったお腹が良く、バスのトイレを一回も使用しなかった事である。又、お天気に恵まれ、日中は一度も傘は必要なかった。

これだけ、お寺や神社を回ってお願いしたから通じたのか、御利益があったかも知れない。

尺八を演奏し、古典本曲も演奏する手前、私もお遍路さんで四国を回る必要があるかも知れない。
要は意志である。

参加した御夫婦は皆仲良く、80歳の高齢夫婦もおり、金比羅さんではご主人が奥様の手を引いていたし、金婚式記念のご夫婦は最後のバスの中で発表され、皆で拍手した。

帰って早速「釣りバカ日誌14」を見たが、これは「釣りバカ」の中でも一番面白かったと思う。
見るだけでも「金剛福寺」「四万十川」「足摺岬」等が分かる。

又、「バルトの薬園」はベートーベン作曲「交響曲第9 歓喜の歌」の演奏がエンディングに出て来るが、映像としてベルリン・フィルのカラヤン指揮や軽井沢大賀ホールでの大賀典雄の指揮、三越百貨店での演奏などで、大変聞かせる。いい映画だった。

今回は大変勉強になった旅だった。
日本の各地を旅行してきたが、あと行ってないのは和歌山県・鳥取県くらいだろうか。
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2016/12/3

四国旅行記 そのX  旅行

11月25日(金) 晴れ 5日目である。

5時半起床で、すぐ大浴場に行く。

朝食は7時からバイキングである。場所は大広間で結婚式場みたいな、シャンデリア付きの凄く高い天井だった。
中国系の家族が多く、異国語が飛び交っていた。

今度の旅行で初めてパン・バターにしてみた。スクランブルエッグ・ハム・ソーセージ・ノリ・鮭・カマス焼き・ヨーグルト・フルーツにコーヒーだった。洋食でも納豆はいつでも食べる事にしている。

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バスに荷物を預けて、8時45分いよいよ金比羅宮参りである。

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「二十四の瞳」(1954年)の昔の映画で、浪花千栄子が金比羅さんの飯屋のかみさん役をやっているシーンが思い浮かぶ。

小学校をやめた「マッちゃん」がそこで働いており、修学旅行で来た大石先生と劇的な出会いをするのだ。

生徒らが再び遊覧船に乗って小豆島に向かって出発する時に、マッちゃんが走って見送る場面には泣けた。

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「にしきや」さんで全員、竹の杖を借りた。ガイドは「にしきや」のおばさんである。
ハンドマイクを片手に、ゆっくりと進みながら面白おかしく説明してくれる。

参道には両側に土産物屋さんがある。

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金比羅さんは階段が785段ある。しかし5〜6段ですぐ平らになるところもあり、大変では無かった。

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旭社は天保8(1837)年、竣工され高さは18メートル。

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御前四段坂は最後の石段で652段〜785段である。
ところどころで休んで説明してくれるので楽だ。

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御本宮は海抜251メートル。正面からの撮影は禁止だそうだ。
健康のお願いをした。
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下界が眺められて目の前は讃岐富士。全国に富士と名付ける例は多いが、やはり単体ですくっと立っているのは美しい。

金比羅さんは「象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現」と呼ばれた。
「金毘羅船々」の歌の意味がここへ来てやっと分かった。
「まわれば四国讃州那珂の郡 象頭山大権現ーーー」と歌われる。

確かにホテルから象頭山を見れば、象の頭や鼻、尻の形に見えた。

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帰り道は混雑するので、裏参道で帰る。カエデの見どころ。
再び「にしきや」に案内されて、トイレとお土産を買いたい人は買う。
上手い具合に案内される。

バスは再び「にしきや」に横付けされて、10時30分、今度は秘境の大歩危峡(おおぼけきょう)に向かう。

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75分乗って、昼食は大歩危峡のレストラン「まんなか」で「祖谷(いや)のそば」(そばは撮影後に出てきた)
又、アユも出たが郷土料理の豆腐は大きくやや硬かった。

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大歩危峡は見た感じが、先頃、天皇陛下が訪問された信州天竜峡に似ている。

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木曽の「寝覚めの床」にも似ているかな。川が透き通ってキレイだ。

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さらに山の中に入り13時、いよいよ有名な「かずら橋」である。

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あらかじめガイドさんから、渡り方と携帯電話・スマホ・デジカメや貴重品は絶対落とさないように注意があった。

皆、恐る恐る渡っている。足下は10センチ間隔の木で、踏み外すことは無いが、挟まれる事はありそう。それでも皆さん「かずら」に、しがみついて、ゆっくり渡っている。

横幅はあるので、普通は両手は届かない。少しづつ進む。
ところどころ、かずらが踏みつぶされて、切れているところもあった。

私なんぞは真ん中を走り通って行けそうだと思ったが、自信は無かった。

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「かずら」は「つる草」の総称で安全の為と後継者育成の為、3年ごとに張り替えているそうだ。
手すりにはワイヤが入っており、安全である。

バスは13時45分出発し、来た道を戻り井川池田ICで高速道路(徳島自動車道)に入る。

池田と言ったら甲子園を沸かせた「池田高校」である。ここで蔦文也監督の説明をしていた。

そして、高松自動車で高松に向かった。高松では栗林公園や高松城・屋島の説明があった。

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高松港に16時30分着。
これで四国の4県を制覇して、ほぼ一周した事になる。(新居浜を除く)四国の大きさが分かった。いよいよ四国とお別れである。過ぎてしまえば早いものだ。

時間調整して16時49分フェリーにて小豆島に向かう。
辺りは段々暗くなって来た。屋島が見る角度でどんどん変わるというのが分かった。

乗船は約1時間、もう暗いので甲板に出たが小豆島は写せなかった。皆さんは景色が見えないから、テレビの相撲に夢中であった。

17時50分に池田港に着き、18時15分には「ベイリゾートホテル小豆島」に着いた。もうすっかり暗くなっていた。

C社のサービスで大きな荷物は一人一個、宅急便で自宅まで運んでくれる制度があった。
これが助かる。早速、申し込んで手続きをした。

浴衣は好きな色・デザインのを選べた。最上階の12階にある展望風呂に入る。今回の旅行で最上階に風呂があるのは初めてであった。
目の前にうっすらとした海と、遠くにチラチラと灯りがともる半島が見えた。

シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズの屋上プールを思い出す。

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19時30分からの夕食はバイキング。夕食のバイキングは今回の旅行では初めてであった。
従業員はじめ、お客さんも異国の人が多かった。

どうも夜のバイキングは好かない。落ち着かない。
中生を頼み、相変わらずの刺身・コロッケ・ミニトマト・フルーツ。目新しいところで、タコつるしのぶつ切り・ハマチしゃぶ。

小豆島と言ったらオリーブである。ガイドさんが言った何種類ものオリーブ入りそうめんや、オリーブ漬けをいただいた。

何かを食べ忘れたと後で思ったら、納豆だった。

良く歩いたのだろう10,000歩だった。

部屋は、リゾートと名が付いているが、以前畳だったところに板を貼って洋風にしてあった。
だから部屋は衣裳入れなど和風でありながら、ベッドで不思議な感じ。

ただ珍しく、風呂とトイレは別だった。
今回の旅行は全部本物の温泉で大浴場に行った為、部屋の浴槽は使用しなかった。

実は四国旅行が決まってから、西村京太郎の本を探していたら「四国連絡特急殺人事件」がブックオフにあったので、買って持って来た。
毎日が忙しく、読む暇がなかなか無かったが、ここでやっと時間が取れて読みだした。

いきなり香川県、予讃本線の本山駅にある四国第70番札所の本山寺の近くで、お遍路さんが殺されている場面が出てきた。

ところが読み始めて10頁位で眠くなってしまった。
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2016/12/1

四国旅行記 そのW  旅行

11月24日(木) 4日目の朝を迎えた。

5時に起床して5時30分から風呂に入る為、遠い所だがひたすら歩いて行く。
6時頃、ロビーで新聞を読んで、相撲の結果を見る。

高知は晴れで暖かい。前日の天気予報で知ってはいたが、テレビニュースで東京は雪でびっくり。しかも積雪で、雪かきもしたと言う。

八王子駅も映され、あれーー。自宅庭の菊が雪で倒れたと聞いた。
しかも6時23分には福島で震度4の地震もあった。

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6時30分からの朝食はバイキングでおかゆ。いつも旅に出るとおかゆだが、今回は初めてであった。

湯豆腐・納豆・目玉焼き・ソーセージ・しらす・メカジキ焼き・フルーツ・ヨーグルトなど。
いろいろあっても私の食べる物は大体決まっている。

バスは7時50分発と早い。
高知市を出てバスは国道55号で土佐湾を右に見て、海岸沿いを走る。座席は3日目が前から3番目で、4日目は4番目だった。
空いているので、中には後ろの座席に行く夫婦もいるので、私はゆったり反対側の席に一人で移動した。

途中、安芸市を通った時、阪神がキャンプする「安芸ドーム」が見えた。
今年、新人賞を取った高山が、ここで練習しているのを帰宅してニュースで見た。

次は室戸岬だが長いので、ガイドさんは「弘田龍太郎」作曲の「浜千鳥」を歌ってくれた。

弘田龍太郎(1892〜1952)は安芸郡土居村(安芸市)で生まれ、大正9年に作曲した。ガイドさんは上手く歌ってくれた。何しろ説明も情がこもって、抑揚があり聴きやすい。

途中休憩は「キラメッセ」までバスで110分。室戸岬にはトイレが無いのでここで済ます。みかんを試食して、またしてもみかんを購入。

実は室戸にも来たかったのには理由がある。

M大学三曲研究部に入った時に、同級生のMA君が室戸の出身だったから、一度は訪ねて見たかった。彼は一年で尺八を止めてしまったが、夏の合宿で私に「ミスター三曲だ」と言ってくれた。

色白のいい男で、目が切れ長でカッコ良かった。とにかく酒が強かった。
「あいつ今何してる?」という番組が人気だが、彼は卒業後、大阪に就職したと風のうわさで聞いた。会ってみたい一人だ。

彼の生まれた室戸市(人口14,000人しかいない)の街なかを通り、室戸岬に10時20分着いた。

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室戸岬海岸は地殻変動で隆起した奇岩が、あちらこちらにある。
普通は横の層だが、縦になっているのが分かる。

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いくつもの見所はある。

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小高い丘に室戸岬灯台があり、そこまでは行けない。

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昔、ラジオの気象予報で「室戸岬では、南南西の風、風力3、○○ミリバール(今はヘクトパスカル)」と言うのを良く聞いた。昭和9年の室戸台風は風速60メートルと凄かったらしい。

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国定公園になっている。

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ここの奇岩を見納めて引き返す。

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これは「アコウの木」で大変珍しい。岩を根が抱え込む様に成長している。

この木は前日早朝に見た白山洞門の遊歩道にもあった。

白山のは他の木を包み込んで、締めつけてしまっており、まるでニシキヘビみたいだった。
実は成るが、他の木の股に落ちたのだけが芽が出る(寄生する)。地面に落ちたのは成長しないようである。

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御厨人窟(みくろど)は弘法大師が悟りを開いた洞窟。
洞窟内は落石があって、公開していなかった。

弘法大師が洞窟内から海を見たところ、空と海が一体となっているので「空海」と名付けたと言う。

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バスは高知県をほぼ走り切り、四国の約三分の二を制覇した。
大体の四国の大きさが分かって来た。約55分走って、徳島に入って「ホテルリビエラ」11時55分着。

ここで「ハヤシライス」の昼食。本当に「あわおどり」入りのカレーである。
まさか「阿波踊り」ではあるまい。「阿波尾鳥」である。美味であった。

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ここは薬王寺の仁王門。第23霊場で厄除けの寺である。

石段に1円玉を置いて行くと厄除けになると言われ、あるオジサンは各段に置いていたが、私は1枚だけ置いてみた。

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薬王寺を13時40分に出て、阿南市を通る。
阿南市には日亜化学工業がある。そこで中村修二(1954年〜)は青色発光ダイオードを発明・開発。青色LED製品化に貢献し、2014年ノーベル物理学賞を受賞した。

やがて鳴門市に15時10分着く。

鳴門市には第一次世界大戦中に板東俘虜(ふりょ)収容所があり、捕虜となったドイツ兵を松江豊寿は、人道的な扱いをしたとガイドの説明があり、収容所の場所も示された。

それを題材とした映画「バルトの楽園」で松江豊寿を松平健が演じ、捕虜による楽団がベートーベン作曲「交響曲第9番 歓喜の歌」を日本で初めて演奏した事は有名である。
(旅行後にDVDを借りて来た)大変勉強になった旅だった。

ここは「鳴門の渦潮」が見える場所。展望の公園までは大型バスでは行けない為、マイクロバスに乗り換えた。「若山商店」専用で、着くと名物おばちゃんの大きな声で、渦潮の説明があり、「今は渦潮見えないから、後はしっかり籠を持ってお土産を買ってくれ」と大笑い。

大鳴門橋を上に見て、向こうは淡路島である。

徳島県は作曲家、三木稔を生んだ。NHK大河ドラマ「鳴門秘帖」の音楽担当は三木稔で、テーマ曲は「阿波踊り」を使用していた。

その記念碑が道路脇にあった。

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バスは高速道路に乗り香川県に入る。これで四国全県制覇である。

善通寺で高速を降り、「こんぴら温泉郷」に入る。
ホテルは「琴参閣」で、目の前が象頭山「金刀比羅宮」の近くである。17時10分着。

温泉はスーパー銭湯みたいに、ジャグジー・薬草湯・どくだみ湯・露天風呂があった。

夕食は18時30分からで、全日ほとんどは食前酒が出た。

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ここは親切にメニューが印刷されていた。
先ずは中生で。メインは牛しゃぶで茶碗蒸しも良い。鯛釜飯が出た上に讃岐うどんが出てもう腹が一杯で、何を残すか考えたところ、讃岐うどんだった。ああもったいない。

温泉が良かっただけに残念だったのは、宿泊した部屋である。
とにかく狭く、その上机の上に照明器具が無いので暗く、メモを書くにも不便であった。

テレビも高さ10センチ位の小さな箱の上にあって不安定だったし、向きを変えるのに持ち上げたり、トイレも目の前のドアがぶつかる位だった。
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