四国旅行記 そのX  旅行

11月25日(金) 晴れ 5日目である。

5時半起床で、すぐ大浴場に行く。

朝食は7時からバイキングである。場所は大広間で結婚式場みたいな、シャンデリア付きの凄く高い天井だった。
中国系の家族が多く、異国語が飛び交っていた。

今度の旅行で初めてパン・バターにしてみた。スクランブルエッグ・ハム・ソーセージ・ノリ・鮭・カマス焼き・ヨーグルト・フルーツにコーヒーだった。洋食でも納豆はいつでも食べる事にしている。

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バスに荷物を預けて、8時45分いよいよ金比羅宮参りである。

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「二十四の瞳」(1954年)の昔の映画で、浪花千栄子が金比羅さんの飯屋のかみさん役をやっているシーンが思い浮かぶ。

小学校をやめた「マッちゃん」がそこで働いており、修学旅行で来た大石先生と劇的な出会いをするのだ。

生徒らが再び遊覧船に乗って小豆島に向かって出発する時に、マッちゃんが走って見送る場面には泣けた。

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「にしきや」さんで全員、竹の杖を借りた。ガイドは「にしきや」のおばさんである。
ハンドマイクを片手に、ゆっくりと進みながら面白おかしく説明してくれる。

参道には両側に土産物屋さんがある。

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金比羅さんは階段が785段ある。しかし5〜6段ですぐ平らになるところもあり、大変では無かった。

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旭社は天保8(1837)年、竣工され高さは18メートル。

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御前四段坂は最後の石段で652段〜785段である。
ところどころで休んで説明してくれるので楽だ。

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御本宮は海抜251メートル。正面からの撮影は禁止だそうだ。
健康のお願いをした。
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下界が眺められて目の前は讃岐富士。全国に富士と名付ける例は多いが、やはり単体ですくっと立っているのは美しい。

金比羅さんは「象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現」と呼ばれた。
「金毘羅船々」の歌の意味がここへ来てやっと分かった。
「まわれば四国讃州那珂の郡 象頭山大権現ーーー」と歌われる。

確かにホテルから象頭山を見れば、象の頭や鼻、尻の形に見えた。

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帰り道は混雑するので、裏参道で帰る。カエデの見どころ。
再び「にしきや」に案内されて、トイレとお土産を買いたい人は買う。
上手い具合に案内される。

バスは再び「にしきや」に横付けされて、10時30分、今度は秘境の大歩危峡(おおぼけきょう)に向かう。

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75分乗って、昼食は大歩危峡のレストラン「まんなか」で「祖谷(いや)のそば」(そばは撮影後に出てきた)
又、アユも出たが郷土料理の豆腐は大きくやや硬かった。

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大歩危峡は見た感じが、先頃、天皇陛下が訪問された信州天竜峡に似ている。

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木曽の「寝覚めの床」にも似ているかな。川が透き通ってキレイだ。

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さらに山の中に入り13時、いよいよ有名な「かずら橋」である。

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あらかじめガイドさんから、渡り方と携帯電話・スマホ・デジカメや貴重品は絶対落とさないように注意があった。

皆、恐る恐る渡っている。足下は10センチ間隔の木で、踏み外すことは無いが、挟まれる事はありそう。それでも皆さん「かずら」に、しがみついて、ゆっくり渡っている。

横幅はあるので、普通は両手は届かない。少しづつ進む。
ところどころ、かずらが踏みつぶされて、切れているところもあった。

私なんぞは真ん中を走り通って行けそうだと思ったが、自信は無かった。

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「かずら」は「つる草」の総称で安全の為と後継者育成の為、3年ごとに張り替えているそうだ。
手すりにはワイヤが入っており、安全である。

バスは13時45分出発し、来た道を戻り井川池田ICで高速道路(徳島自動車道)に入る。

池田と言ったら甲子園を沸かせた「池田高校」である。ここで蔦文也監督の説明をしていた。

そして、高松自動車で高松に向かった。高松では栗林公園や高松城・屋島の説明があった。

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高松港に16時30分着。
これで四国の4県を制覇して、ほぼ一周した事になる。(新居浜を除く)四国の大きさが分かった。いよいよ四国とお別れである。過ぎてしまえば早いものだ。

時間調整して16時49分フェリーにて小豆島に向かう。
辺りは段々暗くなって来た。屋島が見る角度でどんどん変わるというのが分かった。

乗船は約1時間、もう暗いので甲板に出たが小豆島は写せなかった。皆さんは景色が見えないから、テレビの相撲に夢中であった。

17時50分に池田港に着き、18時15分には「ベイリゾートホテル小豆島」に着いた。もうすっかり暗くなっていた。

C社のサービスで大きな荷物は一人一個、宅急便で自宅まで運んでくれる制度があった。
これが助かる。早速、申し込んで手続きをした。

浴衣は好きな色・デザインのを選べた。最上階の12階にある展望風呂に入る。今回の旅行で最上階に風呂があるのは初めてであった。
目の前にうっすらとした海と、遠くにチラチラと灯りがともる半島が見えた。

シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズの屋上プールを思い出す。

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19時30分からの夕食はバイキング。夕食のバイキングは今回の旅行では初めてであった。
従業員はじめ、お客さんも異国の人が多かった。

どうも夜のバイキングは好かない。落ち着かない。
中生を頼み、相変わらずの刺身・コロッケ・ミニトマト・フルーツ。目新しいところで、タコつるしのぶつ切り・ハマチしゃぶ。

小豆島と言ったらオリーブである。ガイドさんが言った何種類ものオリーブ入りそうめんや、オリーブ漬けをいただいた。

何かを食べ忘れたと後で思ったら、納豆だった。

良く歩いたのだろう10,000歩だった。

部屋は、リゾートと名が付いているが、以前畳だったところに板を貼って洋風にしてあった。
だから部屋は衣裳入れなど和風でありながら、ベッドで不思議な感じ。

ただ珍しく、風呂とトイレは別だった。
今回の旅行は全部本物の温泉で大浴場に行った為、部屋の浴槽は使用しなかった。

実は四国旅行が決まってから、西村京太郎の本を探していたら「四国連絡特急殺人事件」がブックオフにあったので、買って持って来た。
毎日が忙しく、読む暇がなかなか無かったが、ここでやっと時間が取れて読みだした。

いきなり香川県、予讃本線の本山駅にある四国第70番札所の本山寺の近くで、お遍路さんが殺されている場面が出てきた。

ところが読み始めて10頁位で眠くなってしまった。

四国旅行記 そのW  旅行

11月24日(木) 4日目の朝を迎えた。

5時に起床して5時30分から風呂に入る為、遠い所だがひたすら歩いて行く。
6時頃、ロビーで新聞を読んで、相撲の結果を見る。

高知は晴れで暖かい。前日の天気予報で知ってはいたが、テレビニュースで東京は雪でびっくり。しかも積雪で、雪かきもしたと言う。

八王子駅も映され、あれーー。自宅庭の菊が雪で倒れたと聞いた。
しかも6時23分には福島で震度4の地震もあった。

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6時30分からの朝食はバイキングでおかゆ。いつも旅に出るとおかゆだが、今回は初めてであった。

湯豆腐・納豆・目玉焼き・ソーセージ・しらす・メカジキ焼き・フルーツ・ヨーグルトなど。
いろいろあっても私の食べる物は大体決まっている。

バスは7時50分発と早い。
高知市を出てバスは国道55号で土佐湾を右に見て、海岸沿いを走る。座席は3日目が前から3番目で、4日目は4番目だった。
空いているので、中には後ろの座席に行く夫婦もいるので、私はゆったり反対側の席に一人で移動した。

途中、安芸市を通った時、阪神がキャンプする「安芸ドーム」が見えた。
今年、新人賞を取った高山が、ここで練習しているのを帰宅してニュースで見た。

次は室戸岬だが長いので、ガイドさんは「弘田龍太郎」作曲の「浜千鳥」を歌ってくれた。

弘田龍太郎(1892〜1952)は安芸郡土居村(安芸市)で生まれ、大正9年に作曲した。ガイドさんは上手く歌ってくれた。何しろ説明も情がこもって、抑揚があり聴きやすい。

途中休憩は「キラメッセ」までバスで110分。室戸岬にはトイレが無いのでここで済ます。みかんを試食して、またしてもみかんを購入。

実は室戸にも来たかったのには理由がある。

M大学三曲研究部に入った時に、同級生のMA君が室戸の出身だったから、一度は訪ねて見たかった。彼は一年で尺八を止めてしまったが、夏の合宿で私に「ミスター三曲だ」と言ってくれた。

色白のいい男で、目が切れ長でカッコ良かった。とにかく酒が強かった。
「あいつ今何してる?」という番組が人気だが、彼は卒業後、大阪に就職したと風のうわさで聞いた。会ってみたい一人だ。

彼の生まれた室戸市(人口14,000人しかいない)の街なかを通り、室戸岬に10時20分着いた。

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室戸岬海岸は地殻変動で隆起した奇岩が、あちらこちらにある。
普通は横の層だが、縦になっているのが分かる。

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いくつもの見所はある。

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小高い丘に室戸岬灯台があり、そこまでは行けない。

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昔、ラジオの気象予報で「室戸岬では、南南西の風、風力3、○○ミリバール(今はヘクトパスカル)」と言うのを良く聞いた。昭和9年の室戸台風は風速60メートルと凄かったらしい。

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国定公園になっている。

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ここの奇岩を見納めて引き返す。

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これは「アコウの木」で大変珍しい。岩を根が抱え込む様に成長している。

この木は前日早朝に見た白山洞門の遊歩道にもあった。

白山のは他の木を包み込んで、締めつけてしまっており、まるでニシキヘビみたいだった。
実は成るが、他の木の股に落ちたのだけが芽が出る(寄生する)。地面に落ちたのは成長しないようである。

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御厨人窟(みくろど)は弘法大師が悟りを開いた洞窟。
洞窟内は落石があって、公開していなかった。

弘法大師が洞窟内から海を見たところ、空と海が一体となっているので「空海」と名付けたと言う。

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バスは高知県をほぼ走り切り、四国の約三分の二を制覇した。
大体の四国の大きさが分かって来た。約55分走って、徳島に入って「ホテルリビエラ」11時55分着。

ここで「ハヤシライス」の昼食。本当に「あわおどり」入りのカレーである。
まさか「阿波踊り」ではあるまい。「阿波尾鳥」である。美味であった。

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ここは薬王寺の仁王門。第23霊場で厄除けの寺である。

石段に1円玉を置いて行くと厄除けになると言われ、あるオジサンは各段に置いていたが、私は1枚だけ置いてみた。

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薬王寺を13時40分に出て、阿南市を通る。
阿南市には日亜化学工業がある。そこで中村修二(1954年〜)は青色発光ダイオードを発明・開発。青色LED製品化に貢献し、2014年ノーベル物理学賞を受賞した。

やがて鳴門市に15時10分着く。

鳴門市には第一次世界大戦中に板東俘虜(ふりょ)収容所があり、捕虜となったドイツ兵を松江豊寿は、人道的な扱いをしたとガイドの説明があり、収容所の場所も示された。

それを題材とした映画「バルトの楽園」で松江豊寿を松平健が演じ、捕虜による楽団がベートーベン作曲「交響曲第9番 歓喜の歌」を日本で初めて演奏した事は有名である。
(旅行後にDVDを借りて来た)大変勉強になった旅だった。

ここは「鳴門の渦潮」が見える場所。展望の公園までは大型バスでは行けない為、マイクロバスに乗り換えた。「若山商店」専用で、着くと名物おばちゃんの大きな声で、渦潮の説明があり、「今は渦潮見えないから、後はしっかり籠を持ってお土産を買ってくれ」と大笑い。

大鳴門橋を上に見て、向こうは淡路島である。

徳島県は作曲家、三木稔を生んだ。NHK大河ドラマ「鳴門秘帖」の音楽担当は三木稔で、テーマ曲は「阿波踊り」を使用していた。

その記念碑が道路脇にあった。

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バスは高速道路に乗り香川県に入る。これで四国全県制覇である。

善通寺で高速を降り、「こんぴら温泉郷」に入る。
ホテルは「琴参閣」で、目の前が象頭山「金刀比羅宮」の近くである。17時10分着。

温泉はスーパー銭湯みたいに、ジャグジー・薬草湯・どくだみ湯・露天風呂があった。

夕食は18時30分からで、全日ほとんどは食前酒が出た。

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ここは親切にメニューが印刷されていた。
先ずは中生で。メインは牛しゃぶで茶碗蒸しも良い。鯛釜飯が出た上に讃岐うどんが出てもう腹が一杯で、何を残すか考えたところ、讃岐うどんだった。ああもったいない。

温泉が良かっただけに残念だったのは、宿泊した部屋である。
とにかく狭く、その上机の上に照明器具が無いので暗く、メモを書くにも不便であった。

テレビも高さ10センチ位の小さな箱の上にあって不安定だったし、向きを変えるのに持ち上げたり、トイレも目の前のドアがぶつかる位だった。

四国旅行記 そのV  旅行

11月23日(水)勤労感謝の日 四国旅行3日目も晴れ。 5時起床

あらかじめ申し込んでいた早朝散歩に行く為、風呂には入らなかった。

6時15分ロビーに集合。未だ暗いので懐中電灯を貸してくれた。

案内係は背が高く、かくしゃくとしたオジサンだったが82歳と聞いてびっくりした。

参加したのは2組の夫婦だけだった。聞けば「新横浜」で一緒に乗った夫婦であり、御主人は私と同年だった。

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未だ暗い海岸である。足元を懐中電灯で照らしながら、海岸への遊歩道を降りて行く。

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段々と明るくなってきた。この日の日の出は6時44分とホテルに表示されていた。

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白山洞門は高さ16m、幅17m の海蝕洞。花崗岩では日本一。昭和28年に高知県の天然記念物に指定された。

洞門の上に白山神社が祭られており、一般人は入れない。
海岸の遊歩道には大きな岩がごろごろしていた。台風が海岸から運び、小石はむしろ浜辺にあった。
津波の恐ろしさが分かる。

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ホテルには7時に着いた。朝食は6時40分からなので、散歩に参加しなかった組はもう食事が始まっていた。

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朝食は、かたくち鰯を自分で焼く。温泉玉子・カツオフレーク・かまぼこ・ノリなど、割と簡単だ。
国際ホテルと名乗るだけあって、外国人も多かった。

出発は8時30分。名札を付けた仲居さん達に別れを告げた。中に「見習」の札を見つけ、「見習いさん、さようなら」と言って笑わせた。


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中浜万次郎(ジョン万次郎)の像。日米和親条約の締結に尽力した。

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展望台からの足摺岬。四国最南端の岬である。
この展望台は高さ80mで270度の視界。

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「足摺岬」の歌謡曲があったと思ったら、春日八郎の歌だった。

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遊歩道を歩いて、灯台の真下まで来られる。

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途中に見事な亀石がある。ただし眼だけは誰かが彫ったらしい。

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金剛福寺は第38番札所。境内は120,000平方メートルの大道場で広い。見学後、バスは四万十川に向かう。約80分である。

時々お遍路さんに遭遇する。バスから手を振ると喜ぶと添乗員が言う。
そう言う添乗員はこの旅行後に休暇を取り、自ら再び東京から高松まで飛行機で入り、お遍路をするそうだ。

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四万十川は思ったより広い。
船下り場所は川下にあると思ったら、結構上流の方に来た。

目の前の屋形船に乗船して、周りの景色を見ながら、弁当をいただいた。
アユは船上でおかみさんが炭火焼にしてくれた。11時から11時50分。

船の運転は若くて杉浦太陽似のイケメンで、記念に写真を撮っていたおばちゃんがいた。

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この沈下橋は増水時には、沈下して見えなくなる。すなわち川の流れの下になってしまうのである。

上の道があるところまで水が浸かるそうだから、ただごとではない。
道路の岩には、浸水したところにペンキで印が表示してあり、平成17年のもあった。

「四万十川]と言ったらアユと、青のり(原藻)が有名である。

バスガイドさんの説明でお遍路さんを題材とした、映画「釣りバカ日誌14」のDVDを旅行後に借りて来た。中にタクシー運転手役の間寛平が四万十川で、アユ釣りをしているシーンがあったし、四万十川の」支流で高島礼子に結婚を迫る三宅裕司が、川に飛び込むところもあった。

又、お遍路としてスーさんと浜ちゃんが金剛福寺にお参りしたり、翌日行く足摺岬や竜串海岸での釣りをするところが懐かしい。

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四万十川からバスは道の駅「ゆういんぐ」まで80分で休憩。

その後「仁淀川」を渡る。大阪にある淀川に似ているからだそうだ。四万十川より有名ではないが実は、透明度は日本一だ。
さらに65分で桂浜。

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「南国土佐を後にして」で歌われた「月の名所は桂浜」に来た。
この歌は親父の、唯一の上手く歌える歌だ。


バスガイドさんが、ここの焼きナスのソフトクリームは美味しい、と言うので二人で食べだしたらあっと言う間にバスの集合時間で、我々が最後であった。焼きナスの香りがして美味だった。

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高知城を築いたのは山内一豊である。

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高知城天守は江戸時代から現存する12天守の一つで、本丸のすべての建造物が残っているのは高知城だけだ。

築城工事は1601年から10年かかった。

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天守閣の最上階には「高欄」がある。それは装飾的で権威の象徴である。

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天守閣から下を望む。
「古城」に歌われるような矢弾の痕は無い。一度も攻められなかったと言う。

今回のツアーには城の見学が2つあり、城好きの私の決め手にもなっていた。

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ホテルは近くの「三翠園」で5時に着。バスで来る途中に「はりまや橋」を渡ったが、見学には行かなかった。「三大がっかり」と聞いた事があり、見たことにした。

何よりテレビで「大相撲」を見たかったし、翌朝の「木曜市」にも行かなかった。

風呂は塩分を感じた。6時30分夕食。

写真左上の大皿に高知名物「カツオのたたき」やカンパチ・マグロの刺身。
「カツオのたたき」は土佐だから2日続けて出されたが、ここのは旨かった。

当然、中生で一杯。他の夫婦を見ると、大概「土佐鶴」の300mlの冷酒をやっている。仲がいいね。

何とか貝の一つに、身が入っていなかった。どうも見たところ貝に穴があき、食べられてしまったのかな。
ケチだから、仲居さんに言ったところ、おまけに二個もくれた。親切な仲居さんで気に入った。

さらに、豚しゃぶ・大きなクルマエビのフライだがこれが変わっていて、枝豆だかをすりつぶして、パスタみたいにぐるぐるエビに巻いてフライにしてあり、手が混んでいる。揚げ立てで美味い。
ゆずゼリーも出て、大変おいしくいただいた。

約10,000歩歩き、ほど良い疲れだった。
我々の部屋は5階で広く、ソファーもゆったりで良かった。

風呂はややこしく、エレベーターで2階まで下り、隣の建物の廊下を渡ってさらに、温泉館に行くのである。女性はさらに3階に上がるのだ。

疲れもあり、9時頃うつらうつらと寝た。

四国旅行記 そのU  旅行

11月22日(火) 四国旅行2日目は晴れ。5時30分に起床して大浴場に入る。
四国は東京より西だから日の出が遅い。6時30分頃明るくなった。

椿舘での朝食は6時50分からバイキングで、じゃこ天・納豆・ダシ巻玉子・ポテマヨ・サラダ・ヨーグルト・フルーツなど。

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バスは7時50分出発で、最初にすぐ近くの「石手寺」。
四国八十八カ所の霊場で、第51番札所。お遍路さんが多く参拝している。

ここは、国重要文化財の本堂で別名「落書き堂」。夏目漱石や正岡子規も落書きをしたそうだ。
確かに後ろに回ると、今ではホワイトボードにたっぷり落書きがしてある。

ツアーでは忙しいが、いくつもの建物があるのでゆっくり見るべきお寺だ。

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松山城は約400年前、加藤嘉明によって築城された。
海抜132mで、山麓からロープウェイで行く。

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天気に恵まれて快晴、暖かい。私の18番である三橋美智也の「古城」を、つい歌いたくなる。

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天守閣は連立式天守(天秤スタイル)で、敵の侵入を防ぐため、山麓から本丸にかけて珍しい「登り石垣」になっており、まっすぐ天守閣に行けないのである。又、はさみ撃ちに出来るように工夫されている。

ガイドさんの説明では石段の奥行きが広く、敵にとっては攻めにくく、味方にとっては上から反撃をしやすいよう作ったと言う。

行きはロープウェイだが、帰りは一人一人リフトに乗った。これが混雑していて意外と時間がかかり、集合時間が迫っていたので、リフトを降りて駆け出した。

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松山城から55分で内子(うちこ)。ここは木曽路や飛騨高山のように古い町並みを保存している。

内子から宇和島に行き、昼食はホテルで名物「鯛飯」。これは鯛の刺身を、自分で醤油の付けだれにつけて、ご飯にのせて食べる。旨かった。

宇和島は闘牛で有名だ。闘牛場が丘の小高い上にあるとはびっくりした。

天気が良いのでバスの中は暑く、喉が渇いてブラック缶コーヒーを飲んだり、盛んに宇和島「みかん」を食べた。これが又美味い事。

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バスはどんどん走って高知県に入る。宿毛(すくも)を過ぎると国道321号だ。ガイドさんが言うには高知県は過疎化でほとんど地元の人が歩いている姿に会わないそうだ。

午後3時過ぎに竜串の「足摺海底館」海中展望塔に着く。
透明度は9mで良い方だと言われた。

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展望塔に入って階段をどんどん下り、見学場所はほぼ海底であった。
客が来るとカゴにエサを入れて撒くから、魚が寄ってくる。箱フグやら、熱帯魚も見られた。

直径50センチ位の丸いガラスの、のぞき窓から写真を撮ろうとすると、魚はすぐ動いて上手く撮影出来ない。何しろ天然である。ウニが岩の穴の中にわんさかいた。

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竜串海岸は砂岩で、地殻変動で隆起した為、あちらこちらの岩の中に小石がむき出しているのが見える。

浸食された岩が様々な形を作り、くじら岩とかいろいろな名がつけていた。

バスはさらに南下して足摺温泉に着く頃は、すっかり夕方で夕日がきれいだった。

5時に「足摺国際ホテル」に着いたのだが、ガイドさんが言った「露天風呂で夕日が見えるかも」は、お茶を飲んでテレビで相撲を見ていた為、風呂に入る頃には沈んでしまっていた。

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湯上りに自販機で缶ビール。会場で飲むより安いと判断したが、ちょっとえげつなかったかな。
夕食はカツオのたたき・サザエ・エビ・なまこ酢付け・豚しゃぶ・茶わん蒸し・フルーツなどで腹いっぱい。

我々の部屋は割と新しい部屋で、海側ではなかったが、ベッド部屋の他に小上がり的な和室付きで広かった。
その割にテレビが小型で、バランスが悪いね。どこかで利益のバランスを取っているのかな。

翌日は早朝散歩で「白山洞門」見学をするべく申し込んだ。6時15分集合なので、早めの21時に就寝した。

四国旅行記 そのT  旅行

今まで一度も四国には行っていなかった。

最近はテレビで旅番組が多く、行かなくても大体分かる。

しかし、夏目漱石の「坊ちゃん」を読み、二宮和也主演の「坊ちゃん」のテレビドラマを最近見て、道後温泉を見たくなった。(来年には改修工事が始まると聞く)

そして高峰秀子や松下奈緒の主演で大石先生だった壺井栄の「二十四の瞳」の映画を見たり、読んだりして小豆島や金比羅さんに興味を持った。さらに松山城に高知城、足摺岬に室戸岬。

思い立つ日が吉日。元気な内に四国に行く事にした。
11月21日(月)〜11月26日(土)の6日間である。

私の条件に合ったのはC社の「小豆島も足摺・室戸岬!四国の名所へ」「四国全周ハイライト6日間」「ご夫婦限定 トイレ付きバスでご案内」とタイトルが3つも付くコースに参加した。

11月21日(月)曇り。我々は新幹線10時29分発「新横浜」で合流した。夫婦限定で12組の総勢24名である。(最低限の人数)

C社の旅行は今回で3回目であるが、添乗員が男性なのは初めてである。若くイケメンであった。
グリーン車の9号車、15のA・Bが席であり、進行方向左側だから海を見ていた。
(ほとんどは持参した新聞を読んでいた)

名古屋を過ぎて、昼食に「みそカツ弁当」が出た。みそカツは2つもあり、タレが少し甘かった。
早くも缶ビールを飲んでいるおばちゃんがいた。
弁当はボリュームあり、私は腹一杯だった。

福山駅には13時44分着。「両備バス」の大型バスに乗り込む。
申し込み順かどうかは知らぬが、指定された座席はツアー客の後部座席で「又、後ろか?」と思った。何故なら前回もそうであったから。しかし座席は日毎に代わるから、次は多分前であろうと期待した。

バスは尾道を右下に見て、「瀬戸内しまなみ海道」を進む。バスガイドの上手い事。6日間その話を堪能した。

島から島へと、いくつもの橋を渡って大島に着いた。大島名は全国にあるから、ややこしい。
ここにビューポイントの「亀老山(きろうざん)展望台」がある。
標高307.8m。「日本の展望スポット2016年第3位」に選ばれ、360度のパノラマだ。ああ絶景かな。

瀬戸内海と言えば、宮城道雄作曲「春の海」を思い出す。福山市の鞆の浦で舟遊びをした時の情景を曲にしたそうで、その事は生前の宮城道雄の甲高い声の録音を聴いた事がある。

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曇りでややかすんでいるが、まだいい方だと言う。

初日の見学カ所はそれだけで、道後温泉に夕方着。ホテルは「椿舘別館」である。
早速、「道後温泉本館」の風呂を浴びに行く。
道後温泉本館は110年前に建てられて、3階建てになっている。
ここに夏目漱石も来たのか、と思うと感慨無量である。

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いくつかのコースがあり、我々は一階の一番安い「神の湯階下」一人\410だった。
ドラマで見た通りだったが、本当に湯船は深く泳げるなと思った。ただ浴場は思ったよりは狭い。
いい湯だった。夕食時間も迫るし、土産店の見学もあるので30分位で切り上げた。

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夕食は食前酒も出たが「伊予娘」なる冷酒もいただいた。
刺身は定番であろう。写真左上は「鯛鍋」で、右上は「イカリングの陶板焼き」

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椿舘本館にて21時から「水軍太鼓」の演奏を聞きに行った。右上のからくり時計が9時を告げると車夫の足が交互に動き、演奏が始まった。それは凄い太鼓だった。
勇壮で館内が良く響き、腹から足元から鼓動がドンドンと気持ち良く伝わって来る。

4曲30分間の圧巻のスピードあふれる、迫力満点の演奏を無料で満喫した。
(YouTubeで演奏が聴ける)

シンガポール旅行 そのY  旅行

7月19日(火) シンガポール5日目
別れの日が来た。飛行機は午前11:00発だから全員6:30起床。自然に目が覚めた。

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朝の、フワラードーム・スーパーツリー方面。

朝食はネスプレッソマシーンもあったので、コーヒーとブルーベリー味のパンを食べる。日本から持参したアルファ米の白飯少しと梅干を1個も。
他の人はスーパーで買ったカップラーメンやみかん等で、簡単に済ませた。

8:30チェックアウト。パネルタッチで自動的に出来るとはハイテクが進んでいる。一人2万円くらいだった。

ここで甥が大型タクシーを呼んだのだが、トイレに行った甥を私が待っている間に、妻らは先に大型タクシーに乗り込んでいた。

甥が出て来て、タクシーが違うと大騒ぎのすったもんだの乗り換えで、呼んだ大型タクシーに6人が乗り込んだ。
シンガポールのタクシーにチップはいらない。冷房が効き過ぎなのはおもてなしだそうだ。

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マリーナ・ベイ・サンズにはもう一泊ゆっくりと泊まりたかった。

チャンギ飛行場に行く途中で、お世話になった甥とお別れである。彼はタクシーを降りて皆と「さよなら」を交わしたが、下を向き寂びしさをこらえているように見えた。

運転手に飛行機名を聞かれANAと言うと、流石にANAのゲートにピッタリと横づけしてくれた。
9:00にチャンギ国際空港に着。

私は土産物屋でやっと、自分用にマーライオンの絵がある「ショットグラス」2個入りをS$13,9
(1100円)で購入した。

11:20頃離陸。満席ではなく、80%位か。機内ではスナック菓子が出たので、自分に解禁して「プレミアモルツ」を飲んだ。

12:30頃昼食で、私は白ワインと肉じゃがを選んだ。

テレビ画面でフライト状況を見ると、高度12496m、外気温−50℃、真対気速度891`の表示。
地図も表示されて、今どのあたりにいるかが解る。
羽田に近づくと、高度は下がり、外気温は上るので見ていて面白い。

左窓側の外国人女性は、ほとんど寝ているようであった。それでも缶酎ハイの「ストロング」を注文していた。
雲の上を飛行し、太陽がまぶしくほとんどガラスを暗くしている。

夕方には「チキンサンド」が軽食として出て、コーヒーをいたただく。

千葉辺りから段々下降して、右に左に夕闇のロケーションを見せてくれる。

予定通り19:00頃、羽田空港に着陸。帰宅ラッシュに遭遇したが、自宅に22:00前には無事着いた。

シンガポールは素晴らしい所だった。見て良し、食べて良しだ。
比較的街なかはきれいだし、皆親切である。

MRTで席を譲ってもらった87歳の義母が「サンキューベリーマッチ」と言ったのには驚いた。しかしその場が和んだのは良かった。

交通は地上の電車は無く、地下鉄MRTの他に、バスやタクシーがある。
今、マレーシアとシンガポールを新幹線で結ぶ計画があり、日本などの新幹線売込みが激しいらしい。

日本人旅行客も何人か見かけた。見かけは中国人と似ているので区別は難しいが、日本語で分かる。ただ私の感覚では、ホテルでもレストランでも中国人なのに英語が上手いなぁと思ってしまった。

土地は狭いから、マンションは高層である。
一年中暑く、湿気があるが、建物の中は快適である。

ホテルのトイレは当然水洗であるが、ウォッシュレットではなく、便座も自宅の暖房に慣れていると常温でひやっとする。ここでも日本製のTOTOが活躍していた。

面白かったのは、大小便の押しボタンは丸い5p位のを押すのだが、上下に分かれており、どちらかを押せば良いのである。うまく考えたものである。

あわよくば水が美味ければ良いし、私の英語が上手ければ良いと思った。

でもやっぱり、目黒でなくともさんまの塩焼きに、日本酒を冷でがいいなぁ。

シンガポール旅行 そのX  旅行

7月18日(月) シンガポール4日目
朝食はホテル隣のファーイーストプラザ(遠東商業中心)ビル地下の店に行った。

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Ya Kun Kaya Toast(ヤクンカヤトースト)でトーストセットを注文した。一人330円と安い。

薄切りのパンにバターたっぷりとカヤジャムを挟んである。。カヤジャムとは、卵、ココナッツミルク、パンダリンリーフという香りの葉、と砂糖で作られて甘い。それに半熟卵とコーヒーだった。

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Goodwood Park Hotelは1900年にドイツ人の社交クラブとして建てられたコロニアルスタイル と雑誌に出ている。110年以上経っているのだが、部屋など古さを感じなかった。

9:30ついに3日間お世話になったGホテルに別れを告げて、一路タクシーでマリーナ・ベイ・サンズに向かった。

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一階受付で手続きをして、荷物を預けて散歩に出かけた。

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下から見たマリーナ・ベイ・サンズ。
ヨットをイメージした建物である。

この屋上にプールがあり、後で入った。世界最高、圧巻の地上200m天空プールのキャッチフレーズあり。
2010年にオープンしたばかりのアメリカ系の新しいホテルだ。

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Mホテルと陸橋で結ばれた、ベイ・サウス・ガーデンに向かう。
これはスーパーツリーで、高さ22mのところにスカイウェイがあり、ここを歩くのだ。

ところが並んで待っていたところ、突然の雨でしばらくクローズと言う。
仕方なく隣接のフラワー・ドーム・&クラウド・フォーレストを先に見る事にした。

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世界各国から集めた、様々な種類のサボテンが展示されている。

ここで偶然、日本人の若夫婦と幼稚園女児に会い、何故か女児と仲良くなったのだ。
先ず発端は、私がお嬢さんの声を聴いて、日本語で感嘆の声を上げていたから、声をかけた。

そこへ義母も参加して「可愛いね」とか話をしたら、なついて手を振ったり、そのうちに手をつないでくるようになった。

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これは珍しい「蛸のサボテン」である。

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広すぎてほんの一部しか写せないのが残念だが、枯れた花が無く良く管理していると感心する。

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これはもう絶景だった。ゆらゆら揺れる。一方通行と知らず戻りかけると、警備員が制止した。左側の塔エレベーターで降りる。

ここでも女児に会い、しっかりと手をつなぐ相手を探したのは甥だった。
話を聞けば御主人は佐賀出身で、現在はタイの日本企業に勤務だと言う。
女児は、英語も話せてタイ語も少し話せるそうだ。

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Mホテルに戻り、チェックインにTA君らが行ったのだが、ホテル側に不手際があった。

彼が予約したようになっていなくて、3人と3人の部屋が別の階になっていると言うのである。
大変長らく待たされた結果は、50階のスウィートルーム一室に6人が特別泊まれるようになったのだ。(一番左側の棟)

不幸中の幸いであろうか。英語が堪能なYO君の交渉力・会話力だったのだろう。
屋上が57階になるから、かなり上階の部屋である。下から見ると反り返っている。

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マリーナ・ベイ・サンズに戻ると、様々な一流テナントが入っており、写真は上階下階ともバーバリー。果たして売れるのかな?

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昼食は有名な鼎泰豊(ディンタイフォン)で小龍包、チリクラブ入り小龍包、チャーハン、豚肉入りチャーハン、葉物等をいただく。

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ここの豚肉入りチャーハンが今回のシンガポールでは一番美味かった。

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部屋からシンガポール海峡を望む。

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反対側は眼下にマーライオン公園を望む。
スウィートルームは専用のエレベータ―があり、一般人は乗れない。

屋上のプールには男のみ3人が入った。先ず暖かいジャグジーに入ってからプールに入ったのだが、最初は冷たく感じ私は少しためらった。
意を決して、3人が縁まで行って万歳の写真。残念だがガリガリの裸では恥ずかしくてとても見せられない。

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5098号室のスウィートルームは、入ってすぐにリビングとダイニング、左と右に別れて2寝室。風呂場とシャワールームが2ヶ所、トイレが3ヶ所、立って自転車をこぐトレーニングルームにマッサージ室、大型テレビが5台などがあった。
こちらは我々が泊まった、クィーンサイズのベッド2ケと手前にエキストラベッドを用意した。

今度は左側が私で、右側に義母、妻はエキストラベッドだった。
もう一部屋はキングサイズのダブルベッドにエキストラベッドだった。

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我々の風呂。周りは大理石で何種類ものジャグジーがあり、強弱も出来る。
しかし風呂は足の長い欧米人向けに出来ており、足の短い私には不向きで、風呂から上がる時は跨いで飛び降りる感覚だったと言うのはオーバーだろうか。

ここに入るには扉があり、その中に左側に広い洗面所2ヶ所と右側にすりガラスのドアがあるトイレ、シャワー室などがあり、真正面に風呂で仕切りのカーテンがないのである。
だから、入浴中にトイレに入ると丸見えだから落ち着かない。

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義弟家族の風呂は、カーテンを開ければまるで露天風呂。夜景が見える。
何と贅沢なことだろう。某都知事だった○添さんが言った「我々が安い部屋に泊まるのはおかしいでしょ」の気持ちが良く解る。

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夕食の為、Mホテル地階のレストラン街に向かったところ、またしても例の女児が飛んできて、甥の手を握った。小さいとは言え、うらやましかった。冗談に20年後お嫁さんに何て話も出た。

夕食は義母のたっての願いで「うどん」系が食べたいと、選んだのが、トーストボックス。
義母と私は新メニューの太めのビーフンのさっぱりめのスープ入り、他は相変わらず辛いスープだった。今回は皆軽めに済ませた。

この後はついに「カジノ」に潜入である。入るにパスポートがいる。
もの凄い人である、バカラ、ルーレット、ビリヤード、スロットなど何でもある。
写真撮影は禁止のお触れ書きがあり。

早速甥が見本を見せる為、ビデオポーカーをやった。残念だがすぐ負けた。次に簡単なビデオルーレットをお手本と示し、その後義弟や妻などもやったがほぼトントンだった。良い遊びだった。

私はバドミントンのM君を思い出し、潔癖症のためかやる気にならなかった。

明日の朝食として、簡単に済ます為スーパーでパン等を買った。信用があるのか、パンはほとんど日本語で書いてあり、私はブルーベリー味パンだった。

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シンガポール最後の夜は23:30に寝た。

シンガポール旅行 そのW  旅行

7月17日(日) シンガポール3日目
7時起床。天気は晴れ。
全員前日食べ過ぎたようで、朝食は日本から持参したフリーズドライの「赤飯」を少しづつ食べる。

もっとも昼食は12:00に同ホテルのハイティーの予定だったからでもある。(予約制)
それまでゆっくりホテル回りを散歩した。中庭にはプールもあった。フロントには日本の帝国ホテルから研修で来ていたKAさんがいて、案内してくれた。その他にも日本人女性スタッフがいた。

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Gホテル「レスプレッソ」のハイティーは有名で、雑誌にも掲載されている。
ビュッフェ形式で、イングリッシュスタイルのアフタヌーンティーメニューだと言う。
一人S$47と高かったが、好食家(私の造語)には良いだろう。

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食べる方が忙しく、料理のシャッターチャンスを逃した。
料理と人物は写っているのだが。

先ず、1ドリンクを選ぶ。私は煎茶。後は料理を取り放題。
クロワッサンのサンド、サンドイッチ、サーモン、フルーツ類、ケーキ類、最後に2ドリンク制でカフェラテ。

珍しいのは、フルーツのチョコレートフォンデュ。イチゴやパイナップルをタワーになって流れているチョコレートを付けて食べるのである。食べ終わるのに2時間かかった。
どうも皆食べ過ぎたようである。

朝、TA君がフロントに色々熱心に質問した為か、マレー系の人が我々のテーブルに来て「Legacy」なる小冊子をプレゼントしてくれた。小冊子の中には彼も写真付きで載っており、なんと52年も勤めており、72歳だと言うからビックリだった。

大型タクシーでシンガポール動物園に直行。一人S$37。世界一美しい動物園と言われ、28万uに約3000頭いる。

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いきなりワニと思いきや、「コモドオオトカゲ」子どもではありません。

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ホワイトタイガーはベンガルトラの白変種。とてもりりしい。

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3:30よりゾウのショーが始まるので、急いで行ったのだが雨が降りだし、東屋のような場所はもうすでに一杯。屋根の無い観覧席に仕方なく座るが、皆バラバラ。

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段々雨が激しく、傘を差しての写真はつらい。ベンチも濡れてきてハンカチもビショビショだ。
ショーは川のこちら側にいるオジサンの案内の上手いこと。エンターテイナーで盛り上げる。
もっとも隣席の女性が笑っても私は英語が分からない。ただゾウの演技で感心はした。

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3頭が演技したが、子供たちのエサやりの時には4頭になっていた。S$5。美人の女の子が人参などを上げている。

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チーターもカッコよく好きな動物だ。
トラムと言う乗り物で8の字形に園内を回ったが、ある運転手兼案内の上手いこと。右を見ろだの左を見ろだの、こちらも忙しい。

時々、動物名を立て続けに英語や中国語、気が付くと日本語でも話してくれて楽しい。降りる時には笑顔で「サンキュー」。

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夕食は7時からオーチャードに近いニュートンフードセンターでサテーと言う焼き鳥や、ロブスター、チャーハン、空芯菜炒めなど。大きなロブスターだけで6000円したらしい。

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ここが呼び込みに捕まった店。狭い店が所せましと並んでおり、客も多いから凄い回転率で効率が良い。店の前の屋外テーブル席で食べた。
流石に私は凝りたのでビールは飲まなかった。
私以外は元気に、さらにチェンドラ(かき氷)などを喜んで食べていた。

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Gホテルまでは歩いて行けた。
左側がエントランスだが、右側には日本料理店の「達屋」があり、外のメニューは全部日本語だった。

帰国して義弟宅で「シンガポール」のテレビ録画を見ていたら、ここの「達屋」に高田純次が訪ねて、高級な寿司を食べていた。一貫の「マグロ炙り」が800円以上していた。

疲れもあり8:30から風呂に入り9:00には寝た。

シンガポール旅行 そのV   旅行

7月16日(土) シンガポール2日目
夜中に2回ほどトイレに起きたが、時差ボケも無く自宅から持ち込んだ目覚まし時計で7時に起床。

朝食はGホテル隣にある姉妹店の「ヨークホテル」で、モーニングは一人1680円。

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写真のように、ミックスジュース、トースト、スイカ、パパイヤ、ヨーグルト入りコーンフレイク、コーヒーのセットだった。

一度ホテルに戻り、下着の洗濯をする。そこでもう566部屋の用意が出来たので、移動した。
ホテルのペットボトルを、飛行機でもらったボトルに移し替えた。

再びオーチャードまで歩き、繁華街を見学。

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半地下街のテナントには日本の、SONY、キャノン、ニコン、カシオ、フジフィルムを取り扱っている店を見つけ、嬉しくくてパチリ。日本の企業に頑張ってもらいたい。

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ここは高島屋である。前日タクシーで通りかかった時、タクシーの運転手は『ここは「安島屋」でなく「高島屋」』とシャレた。
地下食品売り場を覗いたら、和歌山県の「桃」を市の担当者が販売していた。
残念だが、写真は被写体に家族が映り、ここには載せられない。

オーチャード駅からMRTに乗り、シティ・ホール下車。
マーライオンに向かう。天気が良い。

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左に見えるのが、2日後に泊まるマリーナ・ベイ・・サンズである。
マーライオン公園は見渡す限り綺麗なロケーションで、人気スポットだから混んでいた。

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シンガポールのシンボル、マーライオンは上半身がライオンで、下半身は魚の像。
マーライオンの吐き出した水を飲む。まずいなぁ。

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高層ビル群の中に甥の勤めるビルがあり、2000人が勤務すると言う。
橋を渡った所にチリクラブの「パームビーチ」がある。

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昼食は予定していた「ノーサインボード」のチリクラブが、材料切れと言う訳で代わりに探したのが有名な「パームビーチ」でチリクラブを堪能する。

先ずはタイガービールにチリクラブ、黒チリクラブ、チャーハン、餅のようなパン、その他。
あらかじめKAさんが周到に用意した薄手のビニール袋をはめて、まるでライオンのように、貪り食らった。手でもヌルヌルするから、始末に困る。何枚も使用する羽目になった。

フィンガーボウルで手を洗うのだが、汚れはなかなか落ちない。
確かに美味いが、とにかく私には辛い。

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背面にはカニや珍しい魚が泳いでいた。

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マリーナ・ベイ・サンズの屋上にはプールがあり、後日そこで泳いだのだ。

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アラブストリートの見学。ここはサルタン・モスク。衣類、雑貨、絨毯などの店がいっぱい並ぶ。

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夕暮れとなり、リトル・インデァ街を歩き、夕食は「バナナ・リーフ・アポロ」でインドカレー。

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お皿の代わりに、大きなバナナの葉を敷く。ここにナンや料理を載せて食べる。基本は指で食べるのだが、私達はナイフにフォークをもらった。
左側は「ナン」で右側は「サフラン」。このサフランは私には合った。

止めれば良いのに又、タイガービールを注文。この時、家内が「大丈夫?」と言う忠告を聞かなかったのが、後で苦しむ事になった。反省。

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たっぷりとスパイスが効いて辛い「フィッシュヘッドカレー」
白飯を頼んだら、お櫃を持ってきてドカンドカンと葉に置いて行く。しかし無料だった。

再び、タクシーでホテルに帰った。

気にしていた義母TEさんの入浴中にトイレに行きたくなってしまった。さあて困った。

ユニットバスにはカーテンがあるのだが、トイレはカーテンが無く丸見えである。恥ずかしながら声をかけて許可を取り、用を済ませた。
しかし疲れもあって、すぐにぐっすり眠られた。

シンガポール旅行 そのU  旅行

7月15日(金) シンガポール1日目
朝7時30分頃、チャンギ国際空港を出てすぐにタクシー乗り場に行く。

義弟と奥さんは英語が出来るので安心である。あらかじめスケジュールを組んで私もコピーをもらっていた。

今回の旅行は機内1泊、4泊5日の旅で、宿泊は3日間ともGoodwood Park Hotel(グッドウッド・パーク・ホテル)で、4泊目はマリーナ・ベイ・サンズに泊まった。

Goodwood Park Hotelを選んだのは、義母が約40年前に夫婦で泊まった思い出のホテルで、さらに割安だったからだと言う。それでも雑誌には高級ホテルと表示があった。(亡くなった義父は戦時中シンガポールに来ていた思い出の地だった)

以下、登場人物は頻繁に出るので、義母はTEさん、義弟はTA君、その妻はKAさん、その息子はYO君とする。

5人乗れる大型タクシーを呼んでもらい、先ずはGホテル行きである。Gホテルで大型の荷物を預けて再びタクシーで、カトン地区へ向かった。

やはりシンガポールは暑い。30℃位で湿気もある。だが、ホテルもタクシーも冷房で涼しい。むしろタクシーは寒い位だった。初日は私はYシャツだったので都合が良かった。

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雑誌「るるぶ」を片手に、TA君があらかじめ調べてあった「金珠」と言うお菓子の店で珍しい菓子「オンデオンデ」を買って食べたり「パイナップルタルト」を購入した。

ここで日本人初老ご夫婦に会った。三重県から2人だけのツアーだ。他の方がキャンセルでも金額が変わらなかったらしい。現地ツアーガイドに案内されていた。

写真はその隣の店で、NHKでも放送された「ルマ・ビビ」刺繍店も見学する。
ビーズの刺繍の靴は、高いもので15万円はすると言う。手作りでとてもきれいだ。

下の写真は加東古董と言う骨董屋で、陽気なばあさんと話をしたり、卓上のパイナップルタルトに又目が行き、再びそれを買って食べた。やや甘いココナッツ入りクッキーだ。

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カトン地区にあるプラナカン文化の有名な建物が並ぶ。

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シンガポールでの初めての昼食は、カトン地区のニョニャ料理の「チリパディ」で、先ずはタイガービールに、クエ・パイティ(タルトの中にエビなど)、フィッシュヘッドカレー、ロールキャベツ(白身魚のすり身入り)でココナッツソース、エビ入りチャーハン、アヤム・ブアクルア(ブラックココナッツとチキンを煮込んだカレー)、ケペティン・バクアン(豚ひき肉・エビの肉団子入りスープ)など。
ビールは日本より苦みがある。チキンカレーの辛いこと。

この店はシンガポール1になって、表彰状が壁に飾ってあった。

水をもらったが全然美味くない。カビ臭いのである。やはり美味いのは日本の水である。全員が水をほとんど残して、飛行機でもらったペットボトルの霧島の水を飲んだ。

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シンガポール国立博物館まで2台のタクシーで行く。何と看板に日本語表示もしてある。

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大人S$10のところ、全員60歳以上で$5だった。入館時にいきなり日本人学校の生徒らが20人位出てきた。

シンガポールは赤道直下の北緯1度、東経103度。国土面積は東京23区とほぼ同じ位で回りを海に囲まれている。水はマレーシアからほとんどを、管で引いている。最近は湾を堰止めたり、海の水を淡水化しているのに日本が技術提供しているようである。

国際ランキングは教育、経済など高位置で華人が74%位と多い。最近の発表でアジアでの大学ランキングは東大を抜いて、シンガポール大学が一位になった。

言語は英語・マレー語・中国語・タミル語など平等に使用するようだ。

日本陸軍はシンガポールにも攻めて、1942年2月から1945年8月まで統治した。当時の国名は「昭南島」(しょうなんとう)と言う。
年代別に展示してあり、建国者の肖像画も多く、大変分かり易かった。

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再びタクシーを拾おうとしたが、通行量が多く帰宅時でなかなか捕まえられず、あちこち歩き回ったが、ただいたずらに時間が過ぎ、結局近くの地下鉄MRTに乗った。

地下までのエスカレーターのスピードの速いこと。年寄には少し危険である。
東京と同じように左側に立っている。
駅は、完全にホームドアが天井まであるので、一見電車が着いたのか解らないが、当然ドアが開く。

途中乗り換えが解らず、声をかけると皆親切に教えてくれた。TEさんには離れた場所からも、積極的に席を譲ってくれたのは凄い。

日本のような切符はなく、スイカみたいな紙製カードを購入して、それにチャージする方法だ。使い切れば返金は無い。旅行中何回か使用して記念に持ち帰った。

午後7時30分過ぎ、ホテル近くでTA君の息子と連絡を取って合流。私は持っていないが、スマホの便利さを知る。その後YO君も全日行動を共にした。彼は4年前から現地の会計事務所に勤めて資格も取った。もちろん英語はペラペラである。大変心強かった。

オーチャード道路の繁華街の地下一階のフードコートを案内してくれて、様々な料理の中からビーフンやホッケンミー、鳥の天婦羅や、ジュース類を飲んだ。
ホッケンミーの炒め料理は旨く、気に入った。

ホテルまでは歩いて5分位だった。途中セブンイレブンで缶ビールを購入。

ライトアップで美しいホテルに入ると、案内係はブータン出身でシンガポール大在学中の美人女性だった。聞いてびっくり、まだ19歳だし、その健気さにすっかり気に入ってしまった。

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私・妻・TEさんの部屋は568。5階と思いきや最上階の3階だった。これがエレベーターが複雑で、何回も違うところに出たりした。

初日はTA君・KAさん・YO君は567で、566がドアで行き来できるようになっていたから、2日目は私達を566に変更してくれた。
親切に「日本経済新聞」をくれたので、相撲の勝敗が解って良かった。

全員一部屋に集まり、缶ビールと飛行機でもらったスナック菓子で乾杯。
明日の予定の打ち合わせをした。当初の予定より毎日変更になった。

初日は軽くシャワーを浴び、私は一人早めにゆったりとした手前のベッドで、TEさんは奥のエクストラベッドに横たわった。

日本のユニット式より広い洗面所であるが、一部屋で右にカーテンのある風呂と左にトイレがあり、後日困った事が起きた。




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