プロコフィエフの日本滞在日記 読書
今から遡ること89年前の1918年5月31日、ウクライナ生まれの作曲家セルゲイ・プロコフィエフは革命後のロシアを脱出し、敦賀に上陸しました(モスクワ→ウラジオストック→敦賀)。目的地はアメリカです。彼にとって日本は経由地であったのですが、思いがけず2ヶ月間も滞在することになります。
この日本に滞在していた期間のプロコフィエフの日記を、日本語で読むことができます。
プロコフィエフの日本滞在日記
これは、お茶の水のニコライ堂に併設されていたニコライ学院(既に閉鎖されたとのこと)でロシア語を学ばれた女性が、学院閉鎖後も学習を継続され、プロコフィエフの遺族(息子のスヴャトスラフさん)の了解をとって公開されたものです。
もう2年も前にブログの形で公開されたので、ご存知の方も多いかと思います。これは2002年にフランスで出版された日記のごく一部分です。
Сергей Прокофьев,《Дневник 1907-1933》
Sergey Prokofiev, 《Diary 1907-1933》
(上下2巻で2000ページ超、ロシア語)
ブログ「プロコフィエフの日本滞在日記」によると、プロコフィエフの日記はモスクワの国立中央文学芸術文書館が所蔵しており、息子のスヴャトスラフさんは1980年代にこの文書館に通い詰めて日記を筆写されました。ロシア国内では出版社が見つからず、自費出版になったそうです。
このブログではプロコフィエフの日記だけでなく、それが出版されるまでの困難や、日本語訳者のその後の着実な活動などを読むことができます。
プロコフィエフがロシアを脱出するまでの経緯や日本でのコンサート、音楽家との交流なども興味深いのですが、鉄道が好きな私は、シベリア鉄道の車内や日本国内の旅について書かれたところが、分量が少なくて簡潔ゆえに空想をかき立てられておもしろかったです。
そういえば昨日取り上げたリヒテルの初来日は1970年、シベリア鉄道とナホトカからの船便だったそうですね。上陸場所は敦賀ではなくて大阪。車窓から「太陽の塔」を見たのかな?
ええ〜ところで、シンデレラ作曲の経緯については結局わかりませんでした。プロコフィエフは、ソ連に帰ってからの日常や心情を書き残すことができたのでしょうか。
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この日本に滞在していた期間のプロコフィエフの日記を、日本語で読むことができます。
プロコフィエフの日本滞在日記
これは、お茶の水のニコライ堂に併設されていたニコライ学院(既に閉鎖されたとのこと)でロシア語を学ばれた女性が、学院閉鎖後も学習を継続され、プロコフィエフの遺族(息子のスヴャトスラフさん)の了解をとって公開されたものです。
もう2年も前にブログの形で公開されたので、ご存知の方も多いかと思います。これは2002年にフランスで出版された日記のごく一部分です。
Сергей Прокофьев,《Дневник 1907-1933》
Sergey Prokofiev, 《Diary 1907-1933》
(上下2巻で2000ページ超、ロシア語)
ブログ「プロコフィエフの日本滞在日記」によると、プロコフィエフの日記はモスクワの国立中央文学芸術文書館が所蔵しており、息子のスヴャトスラフさんは1980年代にこの文書館に通い詰めて日記を筆写されました。ロシア国内では出版社が見つからず、自費出版になったそうです。
このブログではプロコフィエフの日記だけでなく、それが出版されるまでの困難や、日本語訳者のその後の着実な活動などを読むことができます。
プロコフィエフがロシアを脱出するまでの経緯や日本でのコンサート、音楽家との交流なども興味深いのですが、鉄道が好きな私は、シベリア鉄道の車内や日本国内の旅について書かれたところが、分量が少なくて簡潔ゆえに空想をかき立てられておもしろかったです。
そういえば昨日取り上げたリヒテルの初来日は1970年、シベリア鉄道とナホトカからの船便だったそうですね。上陸場所は敦賀ではなくて大阪。車窓から「太陽の塔」を見たのかな?
ええ〜ところで、シンデレラ作曲の経緯については結局わかりませんでした。プロコフィエフは、ソ連に帰ってからの日常や心情を書き残すことができたのでしょうか。

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2007/6/8 9:04
副題は「会社を休んで59日間 地球一周」とある。
大学を出てフリーターをしながらお金を貯め小さな会社をつくった30代後半の男。一生懸命働くものの不景気も手伝い気持ちは空回り。ちょっとした出来事がきっかけとなり、突然、仕事を放り出し、大学時代以来2回目の
大学を出てフリーターをしながらお金を貯め小さな会社をつくった30代後半の男。一生懸命働くものの不景気も手伝い気持ちは空回り。ちょっとした出来事がきっかけとなり、突然、仕事を放り出し、大学時代以来2回目の