Dans Grozny Dans  映画

 過日、大阪で映画「踊れグローズヌイ」 (監督:ヨス・デ・プッター/2002年 オランダ/日本語字幕:アムネスティ・インターナショナル日本+東京シネマ新社)を見てきました。

 紛争の続くチェチェンの首都グローズヌイで、困難を抱えながらも活動を続ける児童民族舞踏団「ダイモーク(我が祖国)」のドキュメンタリーです。細切れですが踊りのシーンがあり、子どもたちの表情や衣装がとても美しく撮影されています。全編を通じて紛争地の実情(の一部)が伝わってくるのを複雑な気持ちで見ましたが、ダイモークの活動を追ったシーンには勇気づけられたように感じています。

 上映当日は座席数およそ100のホールに9割くらいの入りで、主催者によると「アムネスティ会員以外の方が、予想外に(予約無しで)たくさん来ておられます。この上映会の情報をどこで見つけられたのか、ぜひアンケートに書いてください」とのことでした。私も飛び入り、認証無し、当日料金で見てきました。

 このフィルムは今年いっぱいアムネスティ日本から貸し出されているとのこと。これからの上映会は、いまのところ7月15日の奈良です。↑1行目に貼ったリンクをご参照ください。



 映画が撮影された2002年、グローズヌイではロシア軍による砲撃が続いており、破壊された稽古場や住宅は再建されていないようでした。ロシア、チェチェンの抵抗勢力双方からの恣意的な暴力で身体や自尊心を傷つけられ、命を落とす住民もあったとのこと。映画ではアフマードフやダイモークのメンバーとその親たちが実情の一端を話しています。
  
 ダイモークを応援するイギリスのサイトはこちらですが、情報は新しいのでも1年くらい前のものです。ダイモークは夏の西欧ツアーで活動資金のほとんどを捻出していたようですが、その後どうなったのでしょうか。

 舞踏団を率い、踊りを指導するのは引退した民族舞踏の名手ラムザン・アフマードフ。楽団はアコーディオン、打楽器(太鼓)、ヴォーカルなど7人の大人。アフマードフの妻(振り付け家)は「彼はコーカサスで最高の舞踊手。私はそう思っている。引退して年金生活にはいるのかと思ったら、民族舞踏団を始めてしまった」と言います。その活動は、1999年の紛争で稽古場もろとも崩壊します。

 アフマードフは、避難して散り散りになったメンバーを探して舞踏団の再結成をはかります。その時、ユニセフに協力を求めたそうです。「避難先の子どもたちの間では、よからぬことが習慣になりつつありました」というアフマードフは、入団を希望する子どもは皆受け入れ、しかし「やがて淘汰されていきました」とのこと。才能と強い精神力を持つ者だけが残るのだな。

 モスクワで劇場内立てこもりなど、相次いだテロによってチェチェン人に好感を持つ人は少なかったのでしょうか。公演前にアフマードフは「我々はテロリストではなくて普通の人間なんだということを、観る人に知ってもらうんだ」と子どもたちを鼓舞します。

 ロシア政府との紛争によって、ソ連時代のように才能のある子どもたちに十分な舞踊教育が出来なくなってしまったとき、アフマードフは児童民族舞踊団を結成しました。その存在は外国にチェチェンの現状を訴えうる安全なスポークスマンなのでしょうか。結果的にはそういうところがあるかも知れませんが、わたしはこの小さな舞踏団をそんな目で見たくはありません。

 ダイモークの子どもたちは強く美しい民族舞踊手であり、アフマードフはその第一人者として、現在は教育者であると思っています。


 同じコーカサス地方にソ連時代の共和国から独立したグルジアがあります。参考までに、グルジア国立舞踏団の写真と動画が見られるサイトはこちら(2005年「愛・地球博」の公式サイト、グルジアデーのページ)です。動画の前半は式典ですが、後半に舞踏団のダンスが見られます。男性舞踊手の上着、帽子、腰に差した剣、剣と小さな丸い縦を持った踊りが、ダイモークの少年たちの衣装やダンスとよく似ています。
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2007/7/8  0:10

 

 読者層が違うからここに書いてもしょうがないんだけど、ミニコミの方のサイトがサー 




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