マーラーの歌曲  CD・レコード

 20世紀の後半、それまでは地方芸能くらいのものだった(!ほんと?!)ドイツ・リートを芸術にまで高めたのはディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)とエリザベート・シュヴァルツコップ(ソプラノ)だとか。ならば基本の「き」ではないか。なんぞひとつ買わいでか。ヒュンニネンさんのおかげでバリトンにも慣れてきたことだし。今日はタワレコでフィッシャー=ディースカウのドイツ・リートを探しました。いろいろ試聴してみて、1番しっくりきたのはこれ。

@TOWER.JP
 


 マーラー歌曲集
 子供の不思議な角笛

  シュヴァルツコップ
  フィッシャー=ディースカウ
  ジョージ・セル指揮
  ロンドン交響楽団
  1969年/ロンドン,キングスウェイ・ホール

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 マーラー:歌曲集「子供の不思議な角笛」

 セル指揮の演奏は、厳格で潔い指揮者の芸風を映して高尚、硬質、冷たい、そっけない、等々言われるらしいが、このような物語性を内包した作品の時はちょっと違う気がする。昔なつかし、語りのうまい爺さんの一席、という感じ。マエストロじゃなくて、世界のどこかに棲息する民話の伝承者とか。爺の前に居並ぶ子どもたちは手に汗握り、固唾をのみ、物語世界に吸い込まれてしまう。1年前にコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」を聴いたときは、そんなふうには思わなかった。いま聴いたら、全然違うことを書きそう
過去記事(組曲 ハーリ・ヤーノシュ)

 セル指揮ロンドン響の演奏が映画のようにダイナミックな舞台を描く中、ディースカウとシュヴァルツコップが歌う。人間ひとりの声が、金管や打楽器の中でこんなにくっきり立ち上がるなんてすごい。浮かび上がるイメージは立体的で壮大、そしてリアル。牟田啓二さんの簡潔な曲目解説に助けられ、物語性、叙情性の色づけには私も参加する。おお楽しいこと!

 ディースカウとシュヴァルツコップは芝居っ気たっぷり。というより「なりきり」だな、これは。第1曲「起床合図」の怖さ、死んだ鼓手の存在感がすごい。「浮き世の暮し」のエリザベート母さんもそうだけれど、王侯貴族や騎士、妖精の類ではない庶民の姿が浮かび上がる。土と埃と汗にまみれて働き、恋をし、子供を育て、搾取され、時には戦場に駆り出された人たち〜粗野、純朴、奇矯、お気楽、皮肉屋〜。この演奏が描き出すのは、それそのままではなく、マーラーが創作した大がかりな印象〜映像のような〜なんだな。

 そしてもうひとつ、これまで聴いてきた数枚の録音の中で、この演奏は言葉が際立って聴き取りやすい。これは驚き。「美しいドイツ語」というのが、ドイツ・リート演奏の褒め言葉の1つらしいのだけれど、こういうのを指して言うのかしら。ディースカウの歌唱なら、ドイツ語ゼロ初級の私でも言葉のほとんどをカタカナで書けてしまうのではないかと思うほど。

 ああ楽しかった。気持ちよかった。夜更かししちまった。


 ドイツ・リートのCDをあれこれ聴きかじっているうち、私が行き着いたマーラーの作品は「さすらう若人の歌」と「子供の不思議な角笛」。ピアノ伴奏のものから始めたのだけれど、3D映像のなかを縦横に行き来する心地の管弦楽つき演奏、いまはそういうのがお気に入り。

 マーラーの管弦楽曲は、交響曲となると、どうも全体を理解把握して聴くことができません。部分的に、あの たいそうなオーケストレーションの妙など楽しめますが、結局どんな構造物が披瀝開陳されたのか、なんにもイメージできずに聴き終わっているのが常です。そこへいくと、歌曲は叙情的なテーマが言葉で提示されていて、しかも短い。

 さまよえるsweetbrierにも、扉は大きく開かれているのであった。 
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