オネーギン終演後の写真を見た  バレエ・ダンス

 シュツットガルト・バレエ「オネーギン」感想の続きですが、その前に・・・招聘元NBSのブログに、大阪公演終演後の写真がありました。

 左からレンスキー(フォーゲル)、オリガ(ヴェンシュ)、それにグレーミン公爵(ペテネッラ)は、舞台に立っていたときの印象とほぼ同じに見えます。

 アマトリアンのタチヤーナは、私の記憶には、もっと艶と華ある姿が焼き付いています。舞台とはイリュージョンなり。

 ところで、イェリネクのオネーギンは・・・
 こんないい感じに年を取っていたのでしたか! お、おぼえがない。舞台でこんなだったら忘れるはずないのに。

 これは「オネーギン」終幕後の姿、ですな(←決めつけ)。

 かつてのオネーギンは、臆病と空虚な自我を冷笑で被い、洗練された大人を気取っていても、少女タチヤーナがよこした直球の恋文すら受けとめられなかった。そればかりかタチヤーナの態度に苛立ち、友人を失い(ほんとうに強い人間は、レンスキーの気持ちをあんなふうに弄ばないよね)、逃げ出した。グレーミン公爵邸に現れたときも、ヨーロッパやロシアを遍歴したあとだったけれど、

 友人を決闘で死なせて以来
 ただなんとなく生きてきた
 26歳の今日まで
 無為の日々に苦しみながら
 仕事もせず 結婚もせず
 打ち込めるものもなかった

 不安につきまとわれ
 転々と居場所をかえたのは
 自ら十字架を背負う
 自虐的な性格のためだ

 ?こういう生活が十字架?

てなもんで、相変わらずであった。

 その彼が、タチヤーナの「手紙」に遅れること数年余、成熟した彼女に恋したことで身も世もなく自分を晒けだす。オネーギン、よくぞ告った、ひれ伏した、へこたれずに迫った。恋の試練に飛び込んだのね。

 この恥辱! この絶望!
 ああなんと哀れな運命なんだ!


 いやいや、苦い杯を干してこそ、その男ぶり。舞台ではじっくり見られなんだ。残念なり。やっぱりこれはオネーギンの物語だったのね(前回のエントリーと言ってることが違うー)。

 斜体はチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」よりオネーギンのアリアとレチタティーヴォ。訳:小林久枝。パリオペラ座(バスティーユ)、2003年3月、4月公演の映像から。
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