シクラロヴ@ライモンダ終幕 バレエ・ダンス
テリョーシキナの相手役、マリインスキーのシクラロヴ・・・わぁ、この表記、はじめて。
写真を見れば、誰のことかスグわかる。
一緒に観に行ったツレが言った。
「あの相手役、だんだん調子を上げて、最後は踊りまくったナ」
・・・観たまま、素直な感想です。
公演のトリはライモンダ終幕のグランパドドゥ。
コールド、ソリスト、エキストラ一切なし。
マリインスキーの白い衣装、ライモンダ(テリョーシキナ)の小さな帽子は、前に一本、白い羽がピンと立ったの。
ライモンダとジャンがルンルンと、スキップでもしちゃいそうな調子で登場。このシーン、思い出すだにかわいらしい。
グランはチャルダーシュふうだから大好き。
ゆっくりしたテンポでたっぷり見得を切り、やがてどんどんテンポを上げて盛り上げていく。
王子、王女の結婚式のような威厳にとらわれず、ラブラブのカップルが披露する、ハッピーなグラン。
シクラロヴはサポートとリフトを無事にやり遂げ、バリエーションやコーダは、ガッシリしてきたおなかと太腿が功を奏して(?)、なかなか大きく見える。祝いの席の踊りを、ダンサー自身も楽しんでます、どうぞご覧じあれ!という感じ。
そういうとこがツレにもよく伝わったんだろうな。
マリインスキーのサイトでテリョーシキナやイワンチェンコの写真を見ていくと、ライモンダのシーンがいくつかある。上演されてるんだ♪ 日本公演にも持ってきてほしい。
この演目、ソリストはもちろん、主役のバレリーナもたくさん踊る。体力的にきつい演目なのかしら。観たいな〜。
ライモンダ全幕は、びわ湖ホールでボリショイのアレクサンドロワがタイトルロールのを観た。疲れ知らずのライモンダ。終幕も青い衣装だった。
マリインスキーの白い衣装、羽根つき帽子も、来て来て〜
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写真を見れば、誰のことかスグわかる。
一緒に観に行ったツレが言った。
「あの相手役、だんだん調子を上げて、最後は踊りまくったナ」
・・・観たまま、素直な感想です。
公演のトリはライモンダ終幕のグランパドドゥ。
コールド、ソリスト、エキストラ一切なし。
マリインスキーの白い衣装、ライモンダ(テリョーシキナ)の小さな帽子は、前に一本、白い羽がピンと立ったの。
ライモンダとジャンがルンルンと、スキップでもしちゃいそうな調子で登場。このシーン、思い出すだにかわいらしい。
グランはチャルダーシュふうだから大好き。
ゆっくりしたテンポでたっぷり見得を切り、やがてどんどんテンポを上げて盛り上げていく。
王子、王女の結婚式のような威厳にとらわれず、ラブラブのカップルが披露する、ハッピーなグラン。
シクラロヴはサポートとリフトを無事にやり遂げ、バリエーションやコーダは、ガッシリしてきたおなかと太腿が功を奏して(?)、なかなか大きく見える。祝いの席の踊りを、ダンサー自身も楽しんでます、どうぞご覧じあれ!という感じ。
そういうとこがツレにもよく伝わったんだろうな。
マリインスキーのサイトでテリョーシキナやイワンチェンコの写真を見ていくと、ライモンダのシーンがいくつかある。上演されてるんだ♪ 日本公演にも持ってきてほしい。
この演目、ソリストはもちろん、主役のバレリーナもたくさん踊る。体力的にきつい演目なのかしら。観たいな〜。
ライモンダ全幕は、びわ湖ホールでボリショイのアレクサンドロワがタイトルロールのを観た。疲れ知らずのライモンダ。終幕も青い衣装だった。
マリインスキーの白い衣装、羽根つき帽子も、来て来て〜

テリョーシキナのオデット バレエ・ダンス
テリョーシキナ、マイベスト・オデット。
彼女の「白鳥の湖」全幕を観なくては。
なぜそう思うかというと、湖畔のグランパドドゥ ― 王子との対話、オデット身の上話、音楽アンダンテ、ソロバイオリンが高音で歌う場面 ― が、クラシカルな様式美を体現しつつ、オデットの悲しみや、ロットバルトの呪いから自由になりたいという切なる望みが伝わってくる、演技としても優れていたから。
こういう表現と、高いバレエテクニックを併せ持っているバレリーナの白鳥の湖。こんなのが観たかった。
ハープのアルペジオで登場し、白鳥たちの間を進み出て中央の位置につき、王子に手を取られて立ちあがる。さあ始まり。
最初、意外にもちょっと粘着質な感じで、いきなり女盛り、悲嘆の場かえ〜とビックリ、引きかけたが、そういった濃厚さはすぐに見えなくなり、オデットの語りや心情が、パドドゥの動きの中に浮き彫りになってくる。顔の付け方とか、手の動きとか、上体の使い方とか・・・分析できないけど、そういったとこが様式を超えた(様式に加えて、かな)演技として使われていたのじゃないかと思う。
これまで観てきたバレリーナたちも、脚本通り、振り付けにあるとおり、先生に教えられたとおりに踊り、自分自身で解釈を深めて、悲しみや願いを表現していたと思う。でも私には、ドラマの中の心情表現と言うよりは、様式の一部にしか見えなかった。だから、上手な人ほどありがたいやらつまらないやら。
もちろん、そのバレリーナたちは間違ってないと思うけれど、私はオデットの心情を、観る人のこころの目で補わせるのでなく、思い出すより先に見え、聞こえてくるような表現が観たかったのだと、あらためて思ったよ。
他の演目の感想は、また明日以降に書くよう、規則正しい生活をしようっと
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彼女の「白鳥の湖」全幕を観なくては。
なぜそう思うかというと、湖畔のグランパドドゥ ― 王子との対話、オデット身の上話、音楽アンダンテ、ソロバイオリンが高音で歌う場面 ― が、クラシカルな様式美を体現しつつ、オデットの悲しみや、ロットバルトの呪いから自由になりたいという切なる望みが伝わってくる、演技としても優れていたから。
こういう表現と、高いバレエテクニックを併せ持っているバレリーナの白鳥の湖。こんなのが観たかった。
ハープのアルペジオで登場し、白鳥たちの間を進み出て中央の位置につき、王子に手を取られて立ちあがる。さあ始まり。
最初、意外にもちょっと粘着質な感じで、いきなり女盛り、悲嘆の場かえ〜とビックリ、引きかけたが、そういった濃厚さはすぐに見えなくなり、オデットの語りや心情が、パドドゥの動きの中に浮き彫りになってくる。顔の付け方とか、手の動きとか、上体の使い方とか・・・分析できないけど、そういったとこが様式を超えた(様式に加えて、かな)演技として使われていたのじゃないかと思う。
これまで観てきたバレリーナたちも、脚本通り、振り付けにあるとおり、先生に教えられたとおりに踊り、自分自身で解釈を深めて、悲しみや願いを表現していたと思う。でも私には、ドラマの中の心情表現と言うよりは、様式の一部にしか見えなかった。だから、上手な人ほどありがたいやらつまらないやら。
もちろん、そのバレリーナたちは間違ってないと思うけれど、私はオデットの心情を、観る人のこころの目で補わせるのでなく、思い出すより先に見え、聞こえてくるような表現が観たかったのだと、あらためて思ったよ。
他の演目の感想は、また明日以降に書くよう、規則正しい生活をしようっと
