つぐない  映画

 映画「つぐない」 (原作はイアン・マキューアン 「贖罪」→
過去記事)を見てきました。

 まず、原作では分量が多くて読み進むのに難儀する第1部前半を、映像に語らせることで心地よい流れのあるものに仕立てたのは秀逸。これはいいぞ♪と思いました。

 原作の第1部(1935年のある1日、タリス家の別邸で事件が起こる)は、人物造形や心理、場景描写がてんこ盛りです。映画はそのディテールまできちんと描いて、しかも もたつかない。よく計算された昼と夜の光、野原や川辺の風景、カントリーハウスの調度、その中にさまざまな衣装を纏った俳優たちの姿。主役3人のズームアップが美しい。どことなく けだるさを漂わせるカントリーハウスの写真集をぱらぱらと見たような印象とともに、登場人物やストーリーへの興味も繋ぎとめてサッサと離陸です。

 残念ながら、その後がもの足りない。2時間余に原作の全3部+エピローグを収めようとすると、分量が多すぎたのでしょう(本編130分)。映画化すれば、原作にいくぶんのカットと改編などは当然のことだと思います。しかし映画の中盤と後半(原作第2部と第3部)は、ブライオニーの行動に絞り込まれたため、原作にある「贖罪は可能か」、「愛とは何か」についての探求が甘くなってしまった思いました。ま〜その〜、映画は娯楽なんだから、やたらと思索を迫るものではないということかな。

 それにしても映画を見ただけでは、どの部分が事実で、どの部分がブライオニーの(「見ていないことは人から聞いた」という)創作なのか、わからない。だから、彼女が贖罪としてどれだけのことをしたか、その経緯も含めてかなり曖昧です。

 また、ブライオニーは脳の障害を宣告され、作家としての死を目前にして小説を完成させたのですが、発表(=偽証を公にする)までにどうしてそんなに時間がかかったのか、説明されていません。

 これでは、原作を読むより先に映画を見た人が、彼女の「贖罪」に対してフラストレーションを抱くのではないかと思いました。原作ではどうだったかというと…

 贖罪を成し遂げることは不可能です。ブライオニーは、自分が壊してしまった恋人たちの人生を元に戻すことはできません。マキューアンが書いたのは、ブライオニーが壊してしまった人生を贖罪によってどれだけ修復したかということではなく、偽証をした後の人生をどう生きたかということだと思います。彼女が生涯をかけて為したのは、彼女自身のための あがない なのだというのが、私の読後感です。 

 それからもうひとつのテーマ、愛について。
 いや〜、これは困る。訳者のあとがきに、マキューアンのコメントが引用されています。

 「19世紀の小説においては、愛というのはまったく自然に主題となりうるものでした。20世紀の終わりにあって、それと同じ方法で愛というものを探求することが可能でしょうか?」

 どうでしょうね。読者としてもこっぱずかしい。でもね〜、それは「贖罪は可能か」というテーマとともに、この原作の屋台骨を支える問いなのよ。

 マキューアンは英国の博物館の資料部で、当時の兵士や看護婦たちの私的な手紙、日記、回想記を閲覧しています。そのほか、第2次大戦ヨーロッパ開戦初期のダンケルクを題材にした著作物、当時の女性の視点から描かれた書物なども参考にしたそうです。映画ではほとんどカットされましたが、フランス戦線で本隊からはぐれてダンケルクまで敗走するロビーの身に起こること、彼が考えたこと、そして18歳のブライオニーとロビー、セシーリアが再会する場面を書くためです。そしてそれらを含む第2、第3部は、第1部にも劣らないボリュームになっています。

 映画を見て、ブライオニーの贖罪は不十分だ、ロビーとセシーリアは全く救われないと感じられた方には、この第2、3部と訳者あとがきに「愛について」書かれているので、よかったらどうぞ。

 端折られてしまった第3部から、私が映画で観ることを最も期待したのに見ることができなかった場面を引用します。この場面、映画にもあったのですが、第1部であれだけ映像に語らせることに成功していたカメラが、詰めの甘いカットしか撮れてなくて、伝わってくるものが希薄でした。

 心のなかに戦場の記憶がどっと流れこんでくるのをロビーがどうしようもないことは、彼女(ブライオニー)にも分かった。記憶の洪水で口がきけなくなっているのだ。いかなる情景の記憶がロビーの心に嵐を呼んでいるのか、自分(ブライオニー)が知ることは決してあるまい。
(中略)
 彼女(セシーリア)はブライオニーに背を向け、ロビーと向き合って彼の両肩に手を置いた。ロビーは顔をそむけた。
 「わたしを見て」セシーリアはささやいた。「ロビー。わたしを見て」
(中略)
 ついにロビーはセシーリアと眼を合わせたが、セシーリアはロビーの頬を手ではさみつづけた。(中略)セシーリアは言った。
 「戻ってきて・・・ロビー、戻ってきてちょうだい」


 最後に、これは18歳のブライオニーが見習い看護士をしていたときのことですが、この小説について象徴的な叙述だと思うところです。

 この新しい、肉迫的な視点から、ブライオニーは自分も他のものたちもうすうす知っておりながら目をそむけてきた単純明快な事実を実感した ― 人間とは、まず第1にひとつの物体であって、たやすく裂けるが修復は難しいのだ。

贖罪
 イアン・マキューアン著
 小山太一訳 新潮社/2003年
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