シュツットガルト・バレエ オネーギン バレエ・ダンス
11、12月の劇場通いもいよいよ終盤。12月2日には大阪フェスティバルホールへ「オネーギン」を観に行きました。とてもよかったです。
プーシキンの韻文小説に基づく3幕のバレエ
「オネーギン」
日時:2008年12月2日18時30分開演
会場:フェスティバルホール
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー
編曲:クルト=ハインツ・シュトルツェ
指揮:ジェームス・タグル
管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
装置、衣装:ユルゲン・ローゼ
《キャスト》
オネーギン:イリ・イェリネク
タチヤーナ:アリシア・アマトリアン
レンスキー:フリーデマン・フォーゲル
オリガ:カーチャ・ヴェンシェ
グレーミン:ダミアーノ・ペテネッラ
シュツットガルト・バレエ団
パドドゥがきれいでした。バレエ音楽「オネーギン」として新たな性格を与えられたチャイコフスキーの小品、声楽曲、管弦楽曲の、なんと叙情的であったこと。クランコの選曲の意図を、あれこれ思い巡らせてみるのもおもしろそう。時が移り、ふたりの心の有り様は変わっても、同じ音楽が再度使われているところなど。
1つめのパドドゥはレンスキーと婚約者オリガ(タチヤーナの妹)です。その前に、レンスキーのソロがあります。レンスキーには、ピアノ小品集「四季」が与えられています。ソロの音楽は2月『炉ばたで』。曲の印象は暖炉の前でほっこりと和む情景。それと18歳の青年って、なんだかそぐわないな〜と思っていました。
しかし意外や、フォーゲルが踊り始めると、「なるほど〜」とすぐに納得。タグル指揮、東京フィルの演奏は、程よくくすんで温かみのある音色で、オリガを熱愛する田舎貴族のレンスキー像を浮かび上がらせます。それにしても、フォーゲルの微笑みは無敵だな。
続くオリガとレンスキーのパドドゥは「四季」より6月『舟歌』。哀愁を帯びた曲だけれど、直前の『炉ばたで』の温もりをそっと大切に引継いだような演奏。オリガがパッと小さく跳んでリフトされる動きが柔らかできれい。フォーゲルが演じるロマンチストのレンスキーは、どうやらスポーツマンでもあるらしい。サポートがうまいよ。オリガ役のヴェンシュは、快活で少々浅はかな少女を演じ(見た目からしてそうであった)、タチヤーナとのコントラストをきちんと見せていました。
1幕の最後は、手紙の場に鏡の中からオネーギンが登場し、タチヤーナとのパドドゥです。このオネーギンは現実ではなく、タチヤーナの空想。表情にくもりがなく、彼女をまっすぐに見て、その思いをすべて受けとめ、応えてくれる理想の人です。
音楽は「ロミオとジュリエット」からソプラノとテノールの二重唱、そして「チェレヴィツキ」から水の精の合唱と、オクサーナのアリアです。少女らしいときめき、驚き、そして喜びなどが、澄んだ弦の合奏や、温かい木管の音色に、そしてハープのきっかけから始まる、ちょっとミステリアスなフレーズに振り付けられています。喜色満面でリフトされるタチヤーナの高揚感は、清新で疾走感のある「ロミオとジュリエット」がぴったり。私の席は舞台を見上げる1階前方ブロックだったので、あのリフトはまさに「高い高い」をしてもらって喜ぶ幼子を見る心地でしたわ。
3幕、タチヤーナとグレーミン公爵のパドドゥは、申し分のない夫に愛されて成熟したタチヤーナを見てくださいな、というもの。音楽は、タチヤーナの誕生日(2幕)に訪れたグレーミンが、彼女の手を取ったときにも使われたピアノ作品集72-3「穏やかな叱責」、そして夫婦となった彼らに与えられたピアノ作品集51-5「ロマンス」。
いやはや、ここではすっかり大人の女性にお色直ししたアマトリアン@タチヤーナの変身ぶりに感心してポカーンと見入っておりました。笑顔ひとつとっても、公爵夫人のの艶と貫禄が備わって見えたものです。長身のペテネッラも老けメイクがキマり、このデュオは絵的になかなかのものでありました。
そして終幕、タチヤーナへの恋にやつれたオネーギンと、それを拒絶するタチヤーナのパドドゥです。音楽は幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」と、1幕の鏡の場で使われた「ロミオとジュリエット」の二重唱。
「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、地獄の光景や道ならぬ恋の情景、そして終幕にはその地獄に堕ちる恋人たちが描かれた管弦楽曲です。クランコは、身も世もなく恋を告白して迫ってくるオネーギンと、戸惑い、恐れるタチヤーナにこの曲を与えました。
音楽は違いますが、チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」の同じ場面で、タチヤーナはこんなふうに歌います。
ああ、なんて辛いんでしょう
またオネーギンが私の前に立ちはだかった
熱い眼差しが私の心をかき乱し
枯れ果てた情熱を生きかえらせてしまった
もう一度娘に戻ったような気がするわ
ふたりのあいだに別れなどなかったような気がする
タチヤーナは、ひれ伏し懇願するオネーギンと対峙するうち、ついにその思いがあふれてしまいます。見ちゃおれんけど目が離せないシーンであります。
私、泣いているんです
泣いてください
あなたの涙はこの世の至宝です
ああ!
幸せは手の届くところにあったのに
あんなに近くに
すぐそばに!
でも運命は決まっています
もとには戻れません
なぜ隠すのかしら、なぜ心にもなく
ああ、あなたを愛しているんです
夢ではないだろうか!
この言葉を聞けるなんて
この喜び、この感動
あなたは昔のタチヤーナになった
訳:小林久枝
パリオペラ座(バスティーユ)
2003年3月、4月公演の映像より
というわけで、「ロミオとジュリエット」が高らかに。しかし、鏡のパドドゥふたたび、などというはずはなく、タチヤーナは、オネーギンを断じて拒むのであった。音楽は何かのひょうしに鏡の場を彷彿とさせますが、目眩くリフトを多用した1幕とは違い、ふたりはフロアを行きつ戻りつ激しい葛藤を演じます。アマトリアンが、えらい迫力で拒絶するしぐさ、顔つきが、なお美しい。
始めから終わりまで、これは「タチヤーナ」の物語だったようです。
今日はパドドゥについてだけ、覚え書きします。この週末に、がんばってオネーギンとタチヤーナのソロについてだけでも書き足したいと思っています。
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プーシキンの韻文小説に基づく3幕のバレエ
「オネーギン」
日時:2008年12月2日18時30分開演
会場:フェスティバルホール
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー
編曲:クルト=ハインツ・シュトルツェ
指揮:ジェームス・タグル
管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
装置、衣装:ユルゲン・ローゼ
《キャスト》
オネーギン:イリ・イェリネク
タチヤーナ:アリシア・アマトリアン
レンスキー:フリーデマン・フォーゲル
オリガ:カーチャ・ヴェンシェ
グレーミン:ダミアーノ・ペテネッラ
シュツットガルト・バレエ団
パドドゥがきれいでした。バレエ音楽「オネーギン」として新たな性格を与えられたチャイコフスキーの小品、声楽曲、管弦楽曲の、なんと叙情的であったこと。クランコの選曲の意図を、あれこれ思い巡らせてみるのもおもしろそう。時が移り、ふたりの心の有り様は変わっても、同じ音楽が再度使われているところなど。
1つめのパドドゥはレンスキーと婚約者オリガ(タチヤーナの妹)です。その前に、レンスキーのソロがあります。レンスキーには、ピアノ小品集「四季」が与えられています。ソロの音楽は2月『炉ばたで』。曲の印象は暖炉の前でほっこりと和む情景。それと18歳の青年って、なんだかそぐわないな〜と思っていました。
しかし意外や、フォーゲルが踊り始めると、「なるほど〜」とすぐに納得。タグル指揮、東京フィルの演奏は、程よくくすんで温かみのある音色で、オリガを熱愛する田舎貴族のレンスキー像を浮かび上がらせます。それにしても、フォーゲルの微笑みは無敵だな。
続くオリガとレンスキーのパドドゥは「四季」より6月『舟歌』。哀愁を帯びた曲だけれど、直前の『炉ばたで』の温もりをそっと大切に引継いだような演奏。オリガがパッと小さく跳んでリフトされる動きが柔らかできれい。フォーゲルが演じるロマンチストのレンスキーは、どうやらスポーツマンでもあるらしい。サポートがうまいよ。オリガ役のヴェンシュは、快活で少々浅はかな少女を演じ(見た目からしてそうであった)、タチヤーナとのコントラストをきちんと見せていました。
1幕の最後は、手紙の場に鏡の中からオネーギンが登場し、タチヤーナとのパドドゥです。このオネーギンは現実ではなく、タチヤーナの空想。表情にくもりがなく、彼女をまっすぐに見て、その思いをすべて受けとめ、応えてくれる理想の人です。
音楽は「ロミオとジュリエット」からソプラノとテノールの二重唱、そして「チェレヴィツキ」から水の精の合唱と、オクサーナのアリアです。少女らしいときめき、驚き、そして喜びなどが、澄んだ弦の合奏や、温かい木管の音色に、そしてハープのきっかけから始まる、ちょっとミステリアスなフレーズに振り付けられています。喜色満面でリフトされるタチヤーナの高揚感は、清新で疾走感のある「ロミオとジュリエット」がぴったり。私の席は舞台を見上げる1階前方ブロックだったので、あのリフトはまさに「高い高い」をしてもらって喜ぶ幼子を見る心地でしたわ。
3幕、タチヤーナとグレーミン公爵のパドドゥは、申し分のない夫に愛されて成熟したタチヤーナを見てくださいな、というもの。音楽は、タチヤーナの誕生日(2幕)に訪れたグレーミンが、彼女の手を取ったときにも使われたピアノ作品集72-3「穏やかな叱責」、そして夫婦となった彼らに与えられたピアノ作品集51-5「ロマンス」。
いやはや、ここではすっかり大人の女性にお色直ししたアマトリアン@タチヤーナの変身ぶりに感心してポカーンと見入っておりました。笑顔ひとつとっても、公爵夫人のの艶と貫禄が備わって見えたものです。長身のペテネッラも老けメイクがキマり、このデュオは絵的になかなかのものでありました。
そして終幕、タチヤーナへの恋にやつれたオネーギンと、それを拒絶するタチヤーナのパドドゥです。音楽は幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」と、1幕の鏡の場で使われた「ロミオとジュリエット」の二重唱。
「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、地獄の光景や道ならぬ恋の情景、そして終幕にはその地獄に堕ちる恋人たちが描かれた管弦楽曲です。クランコは、身も世もなく恋を告白して迫ってくるオネーギンと、戸惑い、恐れるタチヤーナにこの曲を与えました。
音楽は違いますが、チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」の同じ場面で、タチヤーナはこんなふうに歌います。
ああ、なんて辛いんでしょう
またオネーギンが私の前に立ちはだかった
熱い眼差しが私の心をかき乱し
枯れ果てた情熱を生きかえらせてしまった
もう一度娘に戻ったような気がするわ
ふたりのあいだに別れなどなかったような気がする
タチヤーナは、ひれ伏し懇願するオネーギンと対峙するうち、ついにその思いがあふれてしまいます。見ちゃおれんけど目が離せないシーンであります。
私、泣いているんです
泣いてください
あなたの涙はこの世の至宝です
ああ!
幸せは手の届くところにあったのに
あんなに近くに
すぐそばに!
でも運命は決まっています
もとには戻れません
なぜ隠すのかしら、なぜ心にもなく
ああ、あなたを愛しているんです
夢ではないだろうか!
この言葉を聞けるなんて
この喜び、この感動
あなたは昔のタチヤーナになった
訳:小林久枝
パリオペラ座(バスティーユ)
2003年3月、4月公演の映像より
というわけで、「ロミオとジュリエット」が高らかに。しかし、鏡のパドドゥふたたび、などというはずはなく、タチヤーナは、オネーギンを断じて拒むのであった。音楽は何かのひょうしに鏡の場を彷彿とさせますが、目眩くリフトを多用した1幕とは違い、ふたりはフロアを行きつ戻りつ激しい葛藤を演じます。アマトリアンが、えらい迫力で拒絶するしぐさ、顔つきが、なお美しい。
始めから終わりまで、これは「タチヤーナ」の物語だったようです。
今日はパドドゥについてだけ、覚え書きします。この週末に、がんばってオネーギンとタチヤーナのソロについてだけでも書き足したいと思っています。

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2008/12/8 23:54
前回の来日時には『オネーギン』は東京だけでの上演でしたので、ずっと見たい見たいと思っていた作品です。念願かなって、ようやく見ることができました。しかも、「現代最高のオネーギン・ダンサー」と称されるイェリネクのタイトル・ロール!たった一度の機会を心から味わ